第2章 コンクール、出る?出ない?(3)
「そうやってスカしてるから、好きな女の子にもフラれちゃうんですよ!」
そう言い放った後、楓はすました顔でおじぎした。
「では、お先に失礼します。お疲れ様でした!」
彼女が去った後、秀紀はその場にがっくりとしゃがみこんだ。受けたダメージがでかすぎたのだ。つまらない。ちっとも面白くない。同じ言葉が、ぐるぐると頭を駆け巡る。完全下校のチャイムが鳴り、部活終わりの生徒たちが次々と飛び出してきたけれど、秀紀は動く気にもなれなかった。
玄関の電灯が消され、教師が顔を出す。
「早く下校しなさい! 何時だと思っている?」
秀紀ははっと顔を上げた。やってきたのは顧問の福原だったのだ。福原もすぐに秀紀と気づいて、目を丸くした。
「どうした? とっくに帰ったものと思っていたが……」
「す、すみません……」
「具合でも悪いのか?」
秀紀が地面にしゃがんでいたから、勘違いしたらしい。福原はそのまま外に出てきて、そっと秀紀の肩に触れた。
「立てるか?」
「あ、はい! 大丈夫です!」
「……元気そうだな」
「元気です……」
答えながら秀紀は重いため息をつく。
「何か困っていることでもあるのか?」
「まあ、はい……」
それを聞いた福原はちょっとの間何か考えていたが、やがて秀紀に言った。
「おいで。何か食べに行こう。夕飯はいらないと親御さんに伝えなさい」
福原と秀紀がやってきたのは、小さなラーメン屋だった。住宅地の中の目立たない場所にあるのに、店内は意外と賑わっている。隅の席に座り、福原がメニューを渡してくれた。
「奢ってやるから、好きなものを頼みなさい」
「おすすめとかあります?」
「みそラーメン」
「あ、じゃあそれで。……餃子も頼んでいいですか?」
「どうぞ」
店員が水を運んでくる。それを飲みながら、福原が尋ねた。
「それで? 何があった?」
「えっと__」
秀紀が楓との会話を話すと、福原は眉尻を下げ苦笑した。
「日出島さんに、そんなことを言われたのか」
「はい……しかも僕、何も言い返せなくって。絶対なめられちゃいました」
「まだ4月じゃないか。名誉挽回する機会はいくらでもある」
「いやー……厳しいっすよ」
秀紀は楓の勝ち気な顔を思い浮かべ、頭を抱えた。
「こいつつまんないなって思われながら、先輩面して会話なんてできないです」
「面白いところを見せてやればどうだ」
「例えば?」
「……どじょうすくいとか」
「僕もう帰ります」
席から立ち上がるふりをした時、ちょうど餃子の皿が来た。
「悪かった、座りなさい。__冗談はさておき、そんなに日出島さんが怖いか?」
「だって、見るからに強者じゃないですか。多分、僕なんかがぶつかったら対消滅しますよ」
「じゃあ、ぶつからないように気をつけないとな」
秀紀は酢醤油に餃子を浸し、頬張った。熱々の肉汁が中から溢れ、火傷しそうになる。それを眺めていた福原が、ふと微笑んだ。
「廉も、1つ上の杏奈に泣かされていたことがあってな」
いや、僕はまだ泣かされてないですから。
「……って、あの廉さんが!?」
「ああ。杏奈はかなり怖いお姉さんだった。1年だった廉がちょっと生意気なことを言ったら、10倍にも20倍にもして言い返すんだ。しまいには言い負かされた廉が職員室に駆け込んできて、俺の机の前で泣きながら訴えるものだから、今日みたいに飯食わせながら相談に乗った」
「一体何が原因だったんですか?」
「部活の方針について、廉たちと上の代とで意見が合わなかったんだよ。それまでは練習も規則も相当厳しかったんだが、廉の代で大きく方向転換した」
そういえば、隆も最初、合唱部はきついとか言っていたっけ。
「コンクールも、昔は出てたんですか?」
「ああ。出場しなくなってから、かなり時間が経ったがな。コンクールに出るとなると士気は上がるが、諍いも多くなる。一長一短だよ」
「はあ……」
ラーメンが運ばれてきた。さっそく叉焼を口に入れた秀紀に、福原が尋ねた。
「コンクールに出たいと思うか?」
秀紀はまず焼豚をじっくり味わってから、答えた。
「……分かりません。出てみたいって思う時もあるけど、負けた時のことが怖いです」
「そうか。そうだな」
「僕らがコンクールに出て、全国とか本当に行けると思いますか?」
「不可能ではない」
福原の答えに、秀紀は目を見開いた。
「何事も、やってみなければ結果は分からない」
「……まあ、そうですよね」
秀紀は少し失望して、水を飲んだ。勝算があるのかと一瞬期待したけれど、福原が言いたかったのはごくありふれた一般論らしい。だけど、それですぐに頭が冷えてしまった自分が嫌だった。
「僕、やっぱりかっこつけてるんでしょうか」
唐突な質問を投げかけると、福原は手にした箸を置いて答えた。
「格好つけているとは思わないが、遠慮しているなと感じる時はある」
「遠慮?」
「遠慮か、それとも油断か。いずれにせよ、お前が自分の持てる最大限の力を出したところは、まだ1回も見ていないな。勉強面でも、部活の中でも。無理をしなくて良い環境にいるという意味でもあるのだろうから、ある意味幸福なことだが」
「そうですかね……」
それは、真剣になってないという意味だろうか。秀紀はいつもそれなりに一生懸命なつもりだったんだけど。
福原は笑った。
「まだ高校生なんだから、もっと馬鹿になればいいんだ。今まで到底思いつきもしなかったことに挑戦してみるといい。あと2年、時間はたっぷりある。何だってできるぞ」
「でも、先生に怒られません? ほら、去年の定演の時みたいに……」
「そりゃあ勿論、規則に反することをすれば叱るさ。それが仕事だからな。だが秀は頭が良いから、俺に叱られないような立ち回り方はもう覚えただろ?」
「へへ、そうかもしれません」
「せっかくのびのび活動できる環境があるんだから、やりたいことは何でもやってみればいい。お前が言い出したことなら、あの子たちも付き合ってくれるさ」
少しだけ寂しそうに福原はそう言った。
「やりたいこと、か……」
秀紀がじっと考え込んでいる間に、福原はラーメンを食べ進めている。
「それって、恋愛も同じですか?」
「恋愛?」
「実は今、好きな子にフラれたかもしれなくって……」
「……この間授業の前に言っていた子のことか?」
「そうなんです」
秀紀は柚里とのことを、彼女がいかに可愛いかの説明を多分に加えて説明した。
「__それっきり、高島さんとは全然話せてないんですよ。どうしたらいいと思います?」
「メールや電話は?」
「怖くてできてません。……さっきの話と同じで、何でもやってみればいいですかね」
「待て、『何でも』は危険だ。あまり真剣になりすぎない方がいい」
秀紀は身を乗り出した。
「一旦、別のことに集中してみればどうだ? 部活でも、勉強でも、何でもいい。彼女のことを考え過ぎないようにした方がいい。その方が、適切な距離を置くことが出来るんじゃないか」
「なるほど……!」
良い提案だと秀紀は思った。確かに、柚里のことを考えていると、苦しくなるばかりで他のことが手につかなくなってしまう。それでは非生産的だ。しばらく、彼女のことを忘れてみよう。どうせあっちだって、秀紀のことなんか気にしてもいないに決まっているのだから。
秀紀が密かに気合いを入れていると、「麺がのびるぞ」と福原に忠告された。




