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聖蹟駅はちょっと遠い  作者: 六福亭
2年目
25/49

第2章 コンクール、出る? 出ない? (1)


 カレーパーティーから数日後。秀紀は放課後になるといつものように部室に向かった。B棟とA棟(教室棟)の間の渡り廊下を、ユニフォームやTシャツに着替えた1年生の団体が通り過ぎる。彼らはみな、早々に部活に馴染んでいるようだ。秀紀はふと、友人の隆が『後輩たちの態度がデカい』とこぼしていたのを思い出した。


 渡り廊下の側に中庭への出口があるが、反対側には弓道場があった。弓道部のユニフォームは黒い袴と白い着物だ。カッコいいなと通りがかるたびにいつも思う。小学生の時には、弓矢を操るキャラクターに憧れて、おもちゃの弓矢で友だちと戦いごっこをしたっけ。


 B棟の入口付近に武道場があり、剣道部と柔道部が半分ずつ使っている。もうウォームアップを始めているらしく、気合いの入った声が中から聞こえてきた。


 武道場の奥に進むと、いよいよ文化部ゾーンだ。茶道部に聖書研究会、ボランティア部に華道部、美術部、新聞部、染織部など__いわゆる音を出さない部活動の部屋がまず1、2階に集められている。階段を昇って3、4階まで来ると、ハンドベル部や軽音部、邦楽部、そして合唱部などの音楽系部活動の部室が、それぞれ好き勝手にいろんな音をたてていた。頻繁に顔を合わせるため、部員同士の仲は割といい。ひそかに「B棟同盟」を組んで、吹奏楽部に対抗しようと冗談混じりに話し合ったこともあった。(吹奏楽部やオーケストラ部は普段から専用のホールか、大学の方の練習室で練習しているのだ)


 秀紀が3階から4階へと階段を昇っていると、ちょうど軽音楽の部室から、1人の男子生徒が出てきた。手足が長く、短く整えた髪と鹿のように黒い瞳が爽やかな彼は、秀紀と同じ2年生だ。

「よう」

「やあ」

 秀紀とその生徒は簡単にあいさつした。彼の名前は匡木黎まさきれい。顔見知りではあるが、1対1でしゃべったことはまだなかった。

「合唱だっけ」

 匡木はあごを階段の上にしゃくって問いかけた。

「うん」

「楽しい?」

「楽しいよ」

 秀紀が即答すると、匡木は驚いたように眉を上げた。

「練習が厳しいってうわさだけど」

「ぜんぜん、怒られることも(そんなに)ないし、みんな仲いいし。よくトランプとかして遊んでる」

「へえ、ゆるゆるじゃん」

 匡木は笑った。

「そっちは? 軽音?」

 だが、秀紀の記憶が確かなら、匡木は陸上部に所属していたはずだ。

「うーん、まあ。いや」

 匡木は歯切れの悪い返事をした。

「知り合いがいるから、遊びにきただけ」

「そうなんだ。匡木は音楽好きそうだもんな」

 秀紀がそう言ったのには、根拠がある。2月に1、2年生だけでクラス対抗合唱コンクールが開催されたのだが、匡木はクラスの指揮者を見事に務め、特別賞をもらっていたのだ。

「そうかな」

 匡木は照れたように笑う。「楽器をやったことは今まで1回もないんだけど、この前の合唱コンクールで、音楽って何かいいなあって思ったんだ」

 じゃあね、と別れ、階段をまた昇りながら、秀紀は少し愉快な気持ちになった。もしかしたら、もう数ヶ月も経てば、ギターを弾きながら歌っている匡木の姿を見ることになるのかもしれない。選ぶジャンルが違っても、音楽仲間が増えるのはいいことだ。

(隆がハンドベルとか始めたら、めっちゃ面白いのにな)

 そう考えながら歩を進める秀紀の頭上から、伸びやかな歌声が降ってきた。

「……ん?」

 歌っているのは、女子らしい。千早でも真衣でも、美里でもない。となると、1年生か。心持ち足取りを早め、秀紀は4階の廊下をのぞいた。


 部室前の廊下で、歌っていたのは紗也香だった。窓から差し込む西日をステージライトのように一身にあびて、両腕を広げてミュージカル映画の歌を高らかに歌う。サビでつま先立ちしてくるりと回り、歌の終わりにはポーズをきめた。


 秀紀が思わず拍手をしながら近づくと、紗也香は飛び上がった。

「ぎゃ! 聞いてたんですか!?」

「うん、よかったよ」

 秀紀はほめたのに、何故か顔を両手で隠して縮こまる紗也香。

「ミュージカルが好きなんだね」

「ええ、まあ、はい、そうです」

 紗也香は顔を隠したまま、ぴょんぴょん飛び跳ねたり、秀紀に向かってぺこぺこ頭を下げたりした。

「すみません、お恥ずかしい」

「何でだよ、合唱部なんだから歌えばいいじゃん」

 秀紀はそう励ました。

「千早や真衣だって、いきなり歌い出すことあるよ」

「そうなんですか? よかった!」

 ぱっと表情を輝かせ、紗也香は胸の前で両手を組んだ。

「ありの~ままの~!」

 部室から顔を覗かせた優路や美里が、歌う紗也香を見て微笑んだ。少し遅れてやってきた聖華や毅志は、ちょっと驚いていた。

 紗也香は結構個性的な子らしい。部室に入っても、まだ小さく鼻歌を歌っている。これからの活躍が楽しみだった。


 皆が集合し、発声の前にストレッチをする。秀紀たちが柔軟や屈伸体操をしていると、ぼかぼかと軽い連続音が聞こえてきた。見れば、楓が千早の肩から腰にかけてを拳で叩いている。

「あー気持ち良いー」

 後輩にされるがままの千早に、真衣が白い目を向けた。

「何やってんの?」

「体ほぐしの一環です!」

 意気揚々と答えたのは、楓だった。

「体が固まってたら、良い声出せないんで。こうやってー、こりを解消してあげるんですよ」

 千早はとても気持ち良さそうに目を閉じていた。

「体がめっちゃほぐれてく……」

「でしょでしょ、あたし中学の時はゴッドハンドって呼ばれてたんですよ。肩たたきが上手いから」

 楓が手を止めると、千早は上体を起こした。

「ありがと、今度は私が楓の肩を叩いてあげる」

「わ、やったー! ありがとうございます!」

 楽しそうな2人の様子を眺めていた秀紀たちは、顔を見合わせた。

「僕らもやります?」

「いいわね。2人ペアになって……」

 というわけで数分間、肩たたきや肩もみの時間が生まれたのだった。


 その後は、ピアノの近くに集まって発声練習。いつもの通り美里がピアノを弾いてくれる。


 同じメニューを歌っていても、声の出し方はさまざまだ。楓や紗也香はのびのびと歌っているけれど、聖華は遠慮がちに、口をほんの少ししか開けずに歌っている。彼女の声は他の部員たちの声に紛れて、よく聞こえなかった。毅志は無難に歌い、御影はやっぱりちょっと調子外れだ。

 

 いつものメニューを終えた後、楓がいきなり聖華のお腹に触れた。驚いて聖華が小さな声を上げる。

「聖華、息吸ってみて」

 楓の真面目な指示に従い、聖華はそっと息を吸い込んだ。ブレザーに包まれた胸が小さく上下する。

「腹式呼吸って、知ってる? 今聖華がやったのは、胸式呼吸。肺の中に空気を入れたから、胸が動いたでしょ。腹式呼吸は、お腹に空気がたまるように吸うの。そっちの方が、たくさん息が入るから。息を吸った時お腹が膨らむように、呼吸してみて」

 聖華は真剣な表情でうなずき、もう1度息を吸った。楓が手を当てている聖華のお腹が、わずかに動く。

「そうそう、いい調子! 歌う時は、腹式呼吸を意識するのよ」

「さすが楓ね」

 美里が感心する。

「えへ、中学でさんざん教わりましたから」

 楓は合唱部の強豪校出身だ。秀紀たちが知らないことを、たくさん知っているのだろう。

「頼りになるわ。これからもたくさん教えてね」

「はい! そのつもりです!」

 紗也香が、自分のお腹に手を当てる。

「歌う時に、息の吸い方なんて考えたことなかった……」

「まあ、趣味で歌う分にはねー。でも、本気で上を目指すんだったら、ロジックや科学は大事よ」

 楓は何故か紗也香のお腹をさすりながら言った。

「よっぽどの天才でもない限り、適当に歌ってるだけじゃ上手くはなれないから。効率的な練習を普段からしないとね」

 その言い方に、真衣が一瞬顔をしかめた。けれど、気がついた者は少なかった。


 本番が近いということで、依頼コンサートの曲を練習する。耳なじみのあるポップス曲が中心なので、1年生もすぐに混ざって歌えるようになった。ただ、メロディーラインを外れ、ハーモニーを歌うのに苦戦する子が多い。他パートが歌うメロディーに口がつられてしまうのだ。

 経験者でないわりには器用に音を合わせられる毅志も、正しい音程でハーモニーを歌うのは苦手らしく、何度もつまづいた。男声だけで歌っている時は、無難にこなしているのだが。

「すみません、ピアノお願いします」

 毅志は美里に頼んで、自分のパートをピアノで弾いてもらっていた。耳コピで覚えるつもりなのだろう。そのうち、楽譜の読み方も教えた方がいいなと秀紀たちは相談した。1年前は階名も分からなかった秀紀たちだが、練習を重ねるうちに自分1人で楽譜通りに歌えるようになった。毅志もすぐに覚えるだろう。


 一方御影は、何度か音を外してから口パクになってしまった。歌うのが怖くなってしまったのかもしれない。

「男子だけで練習しようか。その方が歌いやすいだろうし」

 優路がそう提案する。

「優路、ピアノ使う?」

「あ、ぜひ」

 優路は美里に代わってピアノの前に座り、右手で男声パートの部分だけを弾き始めた。

「何回でも歌って覚えよう」

 御影は自信なさげにうなずく。

「す、すみません」

「だいじょうぶ。まだ合唱始めたばっかりだからね。上手くいかないのは当たり前だよ」

 不意に、楓が御影の腕を引いた。

「ね、いいこと教えてあげようか」

 アルトとソプラノもパート練習をしていたはずなのに、いつの間に抜け出してきたのか。けれど、御影は素直に返事をした。

「うん、教えて」

「無理に大きな声で歌おうとするから、音を外しやすくなるんだよ。自分の一番楽な声量で歌ってみなよ」

「すごく小さな声でもいいの?」

「今はそれでいいよ。その方が、周りの歌声も聴きやすいでしょ」

「た、たしかに」

 ピアノに合わせ、御影はおずおずと、しかし確かに自分の声で歌い始めた。秀紀たちも歌いながら、彼の声に耳を傾けた。生まれたばかりの小鳥の鳴き声のような、未熟な歌声。でも、口パクよりはずっといい。雛を成鳥にすることはできるけれど、無から命を生み出すことはできないのだから。


 練習終わり、秀紀たちは玄関でだらだらとしゃべっていた。完全下校まではまだ少し時間がある。秀紀は吹奏楽部の練習が終わるのを待つつもりだったが、他の3人も何故かつきあってくれるらしい。

「今日は楓が大活躍だったな」

 拓が呟いた。千早も明るく相づちを打つ。けれど、真衣は浮かない顔をしていた。

「このままいったら、合唱部うちはあの子一色になっちゃうよ」

「ぐいぐいくるタイプだもんねー」

「冗談事じゃないんだって、千早」

 真衣が怒ったように言う。

「嘉島中合唱部のコピーになるのはまっぴらだわ」

「でも、あの子は正しいことしか言ってなくない?」

「じゃあ何、私らが今までやってきたことが間違ってるって言いたいの?」

「やめろよ、何の喧嘩なんだよ」

 拓がうんざりした顔で止めに入った。

「今はまだ様子見でいいじゃねえか。楓のことを意識しすぎだ。落ち着け」

 真衣はしぶしぶうなずいた。

「そういえば、楓にコンクールの話された?」

 千早がそう言い出して、秀紀と真衣は首を振った。

「何のこと?」

「たまたまあの子と2人になる機会があったんだけど、コンクールに出ることについてどう思うか聞かれたの。カレーパーティーでのことがあったから、皆の意見を聞いて回ってるんだと思った」

「何て答えた?」

「まあ、コンクールに出ることはやぶさかじゃないって言ったわ。吹部にいた時も、コンクールがあるのが当たり前だったしね」

「オレも聞かれた」

 と拓がぼそっと言った。

「正直、コンクールに出たいとは思わないって答えた」

「ふーん。それでいいよ。何でもかんでもあの子の好きにはさせない」

「だから、張り合うなって、真衣」

 秀紀は首を傾げた。

「僕と真衣は何で何も聞かれてないんだろ」

「順番に聞いて回ってるんだと思うわ。そのうち来るだろうから、何て答えるか決めておいたら?」

「あ、そうだね」

「ちなみに、賛成派? 反対派?」

「うーん……」

 秀紀は曖昧な笑みを浮かべた。

「どっちでもない、かなあ」

「うわ、優柔不断」

「うるさいな!」

 下駄箱の辺りが賑やかになった。吹奏楽部の集団がやってきたのだ。柚里は部員たちに囲まれていて、とても近づけそうになかったが。

「そういえば、秀__」

 拓が吹奏楽部員たちを眺めながら言った。

「田邊ってやつ知ってる? 同級生の」

「田邊? …………吹部の?」

「おう。たしかクラリネット吹いてるって言ってたっけな」

 知っているというほどではない。1度顔を合わせただけだ。だが、あの時のことは忘れられそうにない。彼は秀紀の目の前で、柚里を連れていってしまったのだ。

「田邊がどうかしたの?」

「いや、どうってことはないけど、高島さんと最近仲良くしてるみたいだからな、秀に言っといた方がいいかと思って」

「…………仲良くって、どんな風に?」

「秀、顔怖い」

 千早に指摘され、慌てて顔の筋肉を和らげる。

「そんな大したことじゃねえよ。休み時間によくしゃべってたり、昼休みには一緒にどこか行ったり」

「それ、昼練でしょ。うちのクラスの子も同じだよ」

 真衣が冷静に指摘する。けれど秀紀は、どんどん不安になった。

「まさか、つきあって……」

「秀紀君?」

 柚里の可愛い声が近くで聞こえた。合唱部員はぎょっとして声を上げる。楽器ケースを背負った柚里が、目を丸くして秀紀たちを見つめていた。

「た、高島!」

 思わず秀紀はうわずった声で答えた。柚里が目を瞠る。そういえば、彼女を名字で呼んだのは本当に久しぶりだ。無意識だったのだが。


柚里は一歩後ずさり、にっこりと微笑んだ。

「練習お疲れさま」

「う、うん、そっちも」

 拓たちは気を使ったのか、じりじりと秀紀たちから離れて行く。

「あ……送っていこうか?」

「ううん。今日は電車で帰る」

 きっぱりと断り、柚里は別れの挨拶をした。

「それじゃあね、澤田君」

 秀紀はその場から足に根が生えたように動けず、黙って彼女を見送った。先ほどの会話を聞かれていたのだろうか? 彼女がよそよそしくなった理由はそれしか思い当たらない。


 正面玄関を閉めに来た教師にせっつかれるまで、秀紀はぼうっと立ち尽くしていた。



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