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聖蹟駅はちょっと遠い  作者: 六福亭
2年目
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第1章 新年度! (1)


 4月1日水曜日、学校はまだ春休みである。秀紀たち合唱部員はいつも通り部室に集まって練習をした。だが差し迫った本番がないせいか、基礎練習をしていても、新しい曲の譜読みをしていても、なんとなくのんび~りとした空気がピアノの周りに漂っている。

「もうすぐ入学式ね」

 ピアノの鍵盤から手を放した美里が、窓の外を見てふとつぶやいた。

「新入部員獲得に向けて、作戦会議しなきゃ」

 優路が楽譜から顔を上げて、にやっとした。

「どうする? 30人くらい1年生が入部してきたら」

 秀紀たちも笑った。現在、部員数は6人。男子3人、女子3人だ。

「部室の数を増やしてもらわなきゃですね」

ひで、とらぬたぬきの皮算用って言葉知ってる?」

 この日の練習は正午までだった。部室で明日の予定の話をしてから、解散となる。けれど、いつもの癖で、みんなだらだらと雑談を続けていた。

 

 3月で廉と泉の2人が卒業して、数週間が経った。部室の壁際の棚には、定期演奏会や卒部式で撮った集合写真が飾られている。後輩たちは別れの寂しさにもう慣れてしまったが、それでも何かにつけて先輩の名前を出してしまう。

「廉さん、今ごろ北の大地にいるのね」

「あっちはまだ雪降ってるかもね」

 もう1人の卒業生、泉は附属の大学に進学した。今はまだ大学の授業も始まっておらず、暇な時間を過ごしているらしい。だったら部室に遊びに来てくれたらいいのに、と思う。

 

 窓の下で、拓が腕組みをしてうたた寝していた。彼はよく、練習後にこうして居眠りをしている。本人曰く、どこでも寝れるのが特技らしい。

「ねえ!」

 突然、千早が秀紀と真衣の腕を引いた。

「そういえば、うちらのクラス発表、今日じゃなかった!?」

 部日誌を書いていた美里がうなずいた。

「今ごろ、正面玄関に貼り出されていると思うわ」

「ほんとですか!? みんなで見に行きましょうよ!」

 秀紀は気乗りしなかった。

「別に、僕はいいよ。どうせうちのクラス、メンバー変わらないし」

 この学校には文系と理系の特別進学クラスが1つずつ設けられており、カリキュラムも普通科コースとは少し異なっていた。秀紀は文系特進クラスに所属しているのだ。

 美里がいたずらっぽく秀紀を見た。

「あら、秀。クラスメイトは変わらなくても、担任の先生は変わるわよ。せっかくだから見てきたら?」

「まあ、たしかに……」

 千早が拓を起こし、真衣はピアノで遊んでいた優路を引っ張ってきた。そして、6人全員でクラス発表を見に行くことになった。


 正面玄関は同じ目的の生徒たちでごった返していた。美里たちと別れた2年生たちだが、なかなか紙の前まで勧めない。前の方で歓声や悲鳴が聞こえた。クラス替えで一喜一憂できることを、秀紀は少し羨ましく思う。

「お、秀」

 鉢合わせしたのは、友人の隆だった。ちょうど部活中だったらしく、ジャージ姿だ。

「クラス替えの紙を見に来たのか?」

「うん。隆も?」

「おう」

「今年も同じクラスになれたらいいね」

「なれなかったら驚きだよ」

  軽口を叩いているうちに、貼り出された紙の前が空いた。すかさず進み出て、自分の名前を探す。秀紀や隆に比べて、千早たちの方が真剣に名簿を睨みつけていた。

 秀紀が自分の名前を見つけたのは、「2年6組」の文字の下だった。ざっと名簿を見て、秀紀はメンバーが去年度とほぼ変わらないことを確認した。担任は誰だろうと目を動かした時、隣にいた隆がげっと喉の奥で音を立てた。

 秀紀は息を呑む。「担任」の文字の隣に書かれているのは、合唱部の顧問である福原の名前だった。

 秀紀は思わず歓声を上げた。

「やった! 福原先生だ!!」

 千早が口をとがらせる。

「いいなー、秀。うちのクラスと交換してよ。担任も知らない先生だし、真衣とも離れちゃった」

 一方、真衣は落ち着きはらっていた。

「いいじゃない、どうせ部活でも会えるんだから」

「拓は?」

「俺は2年1組」

「誰か知り合いいる?」

「いや……あ、高島さんと一緒だ」

 みんなが一斉に秀紀を見た。隆がびっくりしたような目で秀紀たちを眺めている。

「ゆずりんと?」

「三角関係始まっちゃうんじゃない?」

「冗談じゃない!」

「分かってるよ。そんな焦るな、秀」

 隆が秀紀にささやいた。

「その高島って子が好きなのか? なんだよ、オレには何も言わなかったじゃないか」

「そんな恥ずかしいこと、言えないよ。それより隆、僕らの担任は福原先生ですよ」

「あー、最悪だわ。お前らには悪いけど、オレあいつのこと嫌いなんだよ」

「知ってる」

 秀紀と隆のやりとりを聞いていた真衣が、小声で言った。

「ちなみに、うちの理系一般クラスの担任は吹奏楽部の香野先生」

「そっちの方がマシだな。優しそうなやつだし」

 顔をしかめる隆に、拓が言った。

「福原先生のどこがそんなに嫌なんだ?」

「うざいとこと、えらそうなとこ。あと、謎に辞書読ませてくるところ」

 拓たちも笑った。

 その時、大きな声が聞こえてきた。

「あーあ。担任、あのガイジンさんだって。くそだるそう」

「漢字テストの丸つけで虫眼鏡使ってるらしいよ。キモいよね」

「さっさと国に帰れっての」

 秀紀がはっと振り向いた時、声の主たちは笑いながら遠ざかっていった。飛びだそうとした彼を、拓が止めた。

「なんだよ」

「やめとけ。クラスメイトだろ。ケンカしてもいいことないぞ」

「でも!」

 秀紀は拓を睨みつけた。

「あんなこと言わせておけないよ!」

 隆も首を振りながら、秀紀の腕をつかんだ。

「ほっとけよ。行ってどうするつもりだったんだ。あいつら殴んのか?」

「そう!」

 拓は呆れた。

「そう! じゃねえよ。廉さんみたいになるぞ」

 正面玄関は、クラス替えを見に来た生徒たちでいっぱいになっていた。後から来た人たちの迷惑にならないように、秀紀たちは玄関を出た。

「秀はほんとに福原のことが好きなんだな」

 隆が呆れたように言った。

「別に、普通だよ。隆だってバドミントンの顧問が馬鹿にされてたら、怒るだろ」

「そりゃ、ちょっとはいらっとするかもしれんけど、殴りかかるほどではない」

 拓、千早、真衣の電車通学組は駅に行くため、駐輪場の前で解散した。隆はバス通学だ。「じゃあな、秀。始業式で会おうぜ」

「うん、また」

 自転車に鍵を差し込んだ時、ふと目を上げた秀紀は、長いポニーテールの少女が駐車場を横切るのに気がついた。

「……あ。ユズ!」

 秀紀が呼びかけると、少女は振り向いた。そして秀紀に気がつくとぱっと笑みを浮かべ、駆け寄ってくる。

「部活はもう終わり?」

 秀紀は声を弾ませた。少女がうなずく。

「うん。今日は午前中だけなの。合唱部も?」

「そうなんだ。なんか、物足りない気もするけど」

「ふふ、私も」

「クラス替え、見た?」

「見た!」

 この少女、高島柚里たかしまゆずりは吹奏楽部に所属しており、ホルンという楽器を吹いている。

「友達も一緒だった?」

 この学校は生徒数が多いため、千早のように全く友達がいないクラスに入れられる可能性も低くはないのだ。

「吹奏楽部の子が何人か一緒だったわ。それに、合唱部そっちの定島くんも」

「よかったね。拓はいい奴だから、何かあったら相談していいよ」

 勝手に拓のことをおすすめしてから、秀紀は尋ねた。

「今日は電車で帰る?」

「うん、そのつもり」

「送っていこうか?」

 去年度は、何度か自転車で彼女を最寄り駅まで送ったのだ。

「いいの? 秀紀くんの帰りが遅くなるけど……」

「大丈夫! この後の予定は特にないから」

 柚里は頬を緩め、「ありがとう」と言った。お礼を言いたいのは、秀紀の方だ。


 柚里の家の近くまで来ると、2人はチェーンのカフェに立ち寄った。中は客でいっぱいだったので、買った飲み物を持って外に出る。秀紀はエスプレッソコーヒー、柚里はフラペチーノ。

「僕ら、もう2年生だね」

 コーヒーをすすりながら、秀紀はつまらないことを言った。

「うん。後輩たちが入ってくるのね。なんだか実感わかないなあ」

「吹部は今年も、たくさん入るだろうね」

 去年、吹奏楽部は全国大会で金賞を受賞したのだ。

「うん、きっと。上手い子もたくさん入部するから、負けないように頑張らなきゃ」

 柚里は右手の拳を固く握りしめた。彼女は結構負けず嫌いなのだ。

「新入生の勧誘、どんなことをやるの?」

 秀紀は尋ねた。人気者に学ばせてもらおうと思ったのだ。

「ポスターをたくさん壁に貼ったり、あちこちでミニコンサートを開いたり。楽器体験もやるし、部活推薦で入ってくる子も10人くらいいるわ」

「ミニコンサートか。うちも去年やってたっけ」

 柚里が笑顔でうなずく。秀紀たちが新入生だった頃の話だ。あれからもう、1年も経った。

「コンサートで、ユズに会ったんだ。覚えてる?」

「うん、覚えてる。桜の花びらをくっつけていたでしょう」

 柚里の答えに、胸が躍った。

「あの後、秀紀くんが合唱部に入ったことを知って、嬉しかったわ」

「へへ、どうも」

「やっぱり、あのコンサートが素敵だったから?」

 そう尋ねられ、秀紀は息を呑んだ。思いきって踏み込むべきか、留まるべきか。心の中で廉そっくりの悪魔が「行け行け!」とそそのかす。

「……ユズが、」

「え?」

「ユズが合唱部にいたら、いいなと思ったんだ。それで部室に行ったら、成り行きで入部することになった」

「えっ」

 柚里は驚いたように目を見開いた。秀紀は、ぬるくなったコーヒーを一気に飲み干し、自転車のスタンドを上げた。

「じゃ、じゃあまた、学校で!」

 そう言い捨てて、秀紀は自転車をこぎ出した。最後に見た柚里の顔がいつもより赤かったような気がしたけれど、それは自分に都合の良い幻覚かもしれない。



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