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定期演奏会(5)


 定期演奏会当日。朝6時に、秀紀は目を覚ました。まだ両親は眠っているから、自分でパンを取り出して食べ、6時半には家を出た。

 今日の服装は、白いカッターシャツと黒ズボン。学校指定の夏服だ。吹奏楽部みたいにかっこいい本番衣装があったらいいなと思う時もあるけれど、最近はそれが合唱部っぽくていいんだと思うようになった。


 自転車で10分走ると、もう学校に着く。教会はもう開いているけど、まずは部室に向かった。そこでいつものように点呼をとってから、みんなで教会に向かうのだ。


 一番乗りだと思ったのに、部室にはすでに廉と泉がいた。

「おはようございます!」

「おう、おはよう」

「おはよー」

 廉と泉は笑ってあいさつを返した。

「廉さんも泉さんも、早いっすね」

「だって今日は大事な本番だもの」

「最後の定演だからな」

 廉を見ると、いつになくしんみりとしていた。

「もう、昨日は寝られなかったわ。本番上手く行くかなって心配で心配で」

「あ、分かります。どきどきしますよね」

「まだまだだな。俺は逆に楽しみ過ぎて寝不足だ」

「あんたも寝てないんじゃん!」

 それからあまり時を置かずに、みんなが集合した。

「みんな、今日は気合い入れていけよ。歌詞間違えたら罰金な」

「えーっ!」

「一番たくさん間違えた人がジュースおごるのよ。毎年の伝統」

 拓が無言で自分の財布を確認した。

「うそうそ、冗談よ。リラックスして歌おうね」

 

ピアノのある教室に移動して、いつも通り基礎練習で喉を開いた。それから、気になっていた箇所をいくつか確認して、教会に向かった。


教会には、神父と福原がいた。部員たちが近寄ると、神父はにっこりと微笑んだ。

「おはようございます!」

「おはよう、皆さん。今日は楽しみにしているよ」

「ありがとうございます。頑張ります!」

「まずは、せっかく作ってくれた幕を張れるか、試してみようか」

 そう言われて、真衣と千早が黒い夜空の幕を広げた。神父がわずかに顔を曇らせる。

「結構真っ暗になりそうだね。福原君、大丈夫かい?」

「はい」

 神父の問いかけに、福原が即答した。きっと、ピアノの譜面が見えるかどうかの話だろう。

 幕は四つ角にぬいつけたフックを、天窓にそれぞれ固定する。窓にフックをつけるのは、学校の事務員さんがやってくれた。はしごで高いところに昇るので、部員たちにはやらせてもらえなかったのだ。

 幕を天井に張った状態で照明をつけると、秀紀たちがあけた穴から光が漏れ出した。真っ黒な天井に点々と散った白い星の光。大きな天の川と、夏の大三角。期待した通り、夏の星空が広がっていた。

 廉が口笛を鳴らす。

「ほんとにプラネタリウムだ」

 後輩たちは言葉を失って、ただ幕を見上げていた。泉がパンパンと手を叩く。

「ほら、リハ始めるよ!」

「はい!」

 そうして、教会での練習が始まった。難しくて正直あまり仕上がっていない曲から優先的に。環境が変わったせいか、部員も福原も何度か間違えていた。昼食休憩をはさんで、また練習。ゲスト出演する生徒やスタッフをしてくれるOBOGも合流すると、曲順で最初から最後までのゲネプロをした。MCや動線の確認など、やることはたくさんある。一日は長いと思っていたけれど、気がついたらもう夕方だ。


 開場は17時30分、開演は18時。お客様たちが教会に入ってくると、部員たちはそわそわし始めた。みんな、自分が呼んだ人がちゃんと来てくれるかを気にしている。秀紀も柚里や、隆はもう来ただろうかと考えていた。


 開演15分前。急にトイレに行きたくなり、秀紀は教会を飛び出した。その時ちょうど、外で受付を済ませたばかりの女性と目があった。

「……あ、」

「あら、あなた……」

 ぴしっとしたスーツを着た背の高い女性は、廉の母親だった。秀紀たちが廉の家に突撃した時以来だ。

「その節は、ありがとうございました」

 秀紀があいさつすると、彼女は廉によく似た顔に笑みを浮かべた。

「練習の成果を、見せてもらうわよ」

「はい!」

 秀紀は胸を張って返事をした。今夜は彼女に、いや、来てくれた誰にも恥ずかしくないコンサートにするのだ。自信はある。皆で今まで頑張ってきたんだから。

 

 トイレから戻ってくると、教会はもうお客様でいっぱいだった。中は暗いから、一人一人の顔は分からない。ただ、来てくれた人たちの興奮を含んだささやきあいが教会内を満たしている。


 部員たちはお客様の前で、一列に並んだ。ステージ係の、OGである杏奈先輩が、小さなライトで部員たちを照らす。同じライトがピアノも照らしている。


 18時を告げる鐘が鳴った。廉が列から一歩前に出て、大きく息を吸った。ライトに照らされた廉に注目が集まる。

「__本日は、本校合唱部第20回定期演奏会にお集まりくださり、まことにありがとうございます! 司会を務めさせていただきます、部長の森井廉です。よろしくお願いします」

 お客様の拍手が教会を埋めた。

「皆様の温かいご支援のおかげで、毎年開催させていただいております定期演奏会ですが、メンバー、曲目、演出どれをとりましても、全く同じ内容は二つとありません。今宵限りの特別な演奏会を、どうぞお楽しみください!」

 廉が口をつぐむと、軽快なピアノの前奏が始まった。1曲目は『空駆ける天馬』だ。


 心配していたような大きなミスも、ズレもなく、順調に曲目は進んでいく。最初は緊張していた秀紀や拓も、次第にこわばりがほどけ、歌うこと自体が楽しくなった。自分たちで作った夜空はやはり暗く、互いの表情もあまり見えないけれど、声に込められた気持ちが分かる。時折ぶつかる誰かの手が、楽しいと語っている。

 もうすぐ終わるのだ、と秀紀は思った。あんなに楽しかったのに。吹奏楽部との対立も、廉の退部騒動も、合宿も、皆でアイスを食べた練習のある日も、こっそり残って幕を作ったことも、福原に怒られたことも。みんな、今日限りだ。だからこそ、部員たちは声を出す。福原のピアノや、互いの呼吸に合わせて歌う。今日という特別な日に、悔いを残すことのないように。義務感でも何でもなく、そうしたいから歌うのだ。


 ちら、と秀紀の視界の端で、何かが光った。それが意識に引っかかり、休符の中で秀紀はそっちに顔を向けた。

 4つの窓に張った幕の端が取れかけている。きっと、時間が経つうちに少しずつ窓からずり落ちたのだろう。幕の緩んだところから照明の光があふれ出していた。

 アルトとソプラノだけが歌っている間に、秀紀はそっと廉の腕を叩いた。廉もすぐにそれと気がつく。だが、歌を途中でやめるわけにもいかない。

 歌が終わるまでに、幕はゆっくりと落ちていく。このままだとお客様の上に落ちてしまいかねない。

 曲が終わると、廉が置いてあったマイクを手に取った。お客様の中にも、幕の緩みに気がついている人は何人もいて、ざわめきが大きくなる。

「お聴きくださり、ありがとうございました。ここまで、お楽しみいただけましたでしょうか?」

 廉がこころもち早口で、お客様に問いかけた。大きな拍手が起こる。

「ありがとうございます。ところで、今夜教会がプラネタリウムに様変わりしていることに、驚かれたお客様もいらっしゃるのではないでしょうか? この演出は、今年の夏休みに僕達が合宿で見た夏の星空を再現したくて考えました。なかなか良い感じでしょう?」

 お客様の何人かが笑う。

「僕達も、結構気に入っているんです。でも、困ったことが1つ。それは、皆様のお顔を見ることができないことです」

 部員たちは、当惑して顔をみあわせた。廉は何を言おうとしているのだろう?

「僕達の合唱を聴いてくださった皆様がどんな顔をしているのか、僕達も知りたいです。それに、皆様も僕達の顔を見たいですよね? ということで、ここからは第二ステージ! 夜空の幕は取り払って、明るい中で歌います!」

 ただいまより、10分間の休憩と致します、と廉は締めくくった。スタッフの誘導で、お客様がぞろぞろと教会を出て行く。その間に、部員とスタッフで幕を外した。幕なしで照明を見るとまぶしくて、目がちかちかした。


 休憩後、明るい中で歌う途中に、秀紀は柚里を見つけた。席のまん中くらいにいる彼女の顔は、4月に出会った時と同じようにかがやいていた。目が合うと、柚里はにっこりと笑う。秀紀は思わず声を上ずらせ、隣にいた拓にこっそりこづかれた。

 秀紀の両親も、隆もいる。優路の妹ミリーも、おそろいの制服を着た女の子たちと並んで聴いていた。吹奏楽部顧問の香野も、後ろの方にいた。嫌な顔をしている人は一人もいない。それが無性に嬉しくて、秀紀は歌いながら破顔した。


 全ての曲目が終わると、またどっと拍手が上がった。お辞儀をして、また顔を上げても、拍手は鳴り止まない。アンコールを要求され、部員たちはまた歌う準備に入った。


 歌の始まりを告げたのは、ピアノではなく、トロンボーンの短い刻みの音だった。教会の入り口から聞こえる低く柔らかい音に、お客様たちがはっと振り返る。トロンボーンを楽しげに吹き鳴らしながら、吹奏楽部部長の山崎が中に入ってきた。

 皆が驚く様子を見て、部員たちはおかしくてたまらない。実は山崎が定期演奏会に参加することは8月後半ごろから決まっていて、一緒に練習していたのだ。

 低音のリズムにのせて歌う最後の歌は、『スタンド・バイ・ミー』だった。


 最後の一音が終わると、廉と山崎がハイタッチした。その様子を福原も香野も、しみじみと眺めている。これで今度こそ、定期演奏会は完了だった。

「ありがとうございました!」

 部員全員で声を揃えて、来てくれたお客様にお礼を言った。



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