三話 異世界転移の先達者
本日更新分 3/5です
綺麗な女の子だった。
黒髪を後ろのほうで緩くまとめていて、身軽そうな服装をしている。腰に短剣らしきものを差していた。
こちらを見る視線は、どこか懐かしいものを見るような感じで――俺はそこで、相手の顔つくりが、自分にとってひどく馴染み深いことに気づいた。
――日本人。
日本人だ、間違いない!
慌てて立ち上がり、そちらへと駆け出す。
こちらから声をかけようとする前に、相手が口をひらいた。
「――その服、どこで手に入れたの?」
女の子が言った。
綺麗だけど、強い警戒心を感じさせる声だった。
「え? いや、手に入れたっていうか、自分のなんだけど」
「嘘よ。あなた、こっちの世界の人でしょう。……その服を、どこから手に入れたの?」
その視線が、ちらりとこちらの頭上あたりを彷徨うのがわかって、いやな気分になる。
「またかよ……。はいはい、わかりましたよ。君にも見えてるんだろ? 【ステータス】とやらがさ」
「…………」
「悪いけど、俺にはそんなもん見えやしない。でも、この服は俺のものだ。別に誰かからもらったわけじゃない。勝手に決めつけてくれるなよな、腹立つから」
「…………」
女の子は黙ったまま。
それをいいことに、俺は今までの欝憤をはらすかのように、
「だいたいなんだよ、ステータスって。ゲームかよ。だったらなんで俺だけ見えないんだよ、それじゃただのバグじゃねえか」
ぶつぶつと文句を垂れ流していると、女の子はふと怪訝そうに眉をひそめた。
「……あなた、こっちの世界の人じゃないの? 本当に、地球の人?」
訊ねてくる。
「地球人で、日本人ですけど。それがなにか?」
どうせ信じてもらえないだろう。
半ばやけっぱちな気分で、俺は答えた。
相手はじっとした眼差しでこちらを見据えて、なにかを考えるようにしてから、
「年号」
はい?
「今の年号って、言える?」
突然、そんなことを言ってきた。
「いきなり、なに。なんかの暗号?」
「いいから。答えて」
女の子は険しい表情で迫ってくる。
……なんだよ、急に。
俺は半ばむっとしながら、
「令和でしょ。令和6年。それがどうかした?」
「……その前の年号は?」
「平成」
……もしかして、馬鹿にされてる?
「それより前は? 覚えてるだけ、挙げていって」
「なんだよ、もう。昭和、大正、明治……。その前は、――江戸って年号だっけ? 寛政の改革とかって、あれも年号?」
天保とか、安政とか。よくわからん。
「自宅の郵便番号は?」
「……220-××××だけど」
そこまでを聞いた女の子が、大きく息を吐いた。
「――ほんとに、日本人なんだ」
驚いたように目を丸めたので、こっちのほうが驚いてしまった。
「もしかして、信じてくれるの?」
「だって、こっちの世界の人なら、“寛政”なんて単語は出てこないだろうし」
あ、なるほど。
日本人だから知ってるだろう知識で、試したってことか。頭いいな、この子。
「じゃあ、君も日本人? ほんとに?」
「ええ、そうよ」
おおお、まさか同郷の人間に会えるとは!
なんたる偶然。
まさかの幸運に内心で感涙の涙を流していると、彼女はちらりと俺の頭上を見やって、
「――洞江直哉っていうのね。ナオエくんって呼んでいい?」
うわー。
やっぱり、名前言わなくてもわかるのか。
「いいけど。君の名前も聞いていい?」
「飯端支咲よ。ツカサでいいわ。……やっぱり、見えてないんだ」
不思議そうに、彼女――飯端さんは眉をひそめてみせた。
「いったい、どういうこと? 異世界から転移してきた人で、【ステータス】が見れないなんて、聞いたこともないんだけど」
「そんなの、こっちが聞きたいよ……」
俺はがっくりと肩を落とした。
飯端さんは、思案するように考え込んでから、
「……とりあえず、場所を移しましょう。話を聞かせて。多分、あなたの助けになれると思うから」
彼女の提案に、俺が断る理由なんてもちろんあるわけもなかった。
◇
「なるほどね。ついさっき、こっちにやってきたばっかりなのね……」
飯端さんが連れていってくれたのは、街の食堂らしいお店だった。
忙しい時間を過ぎているからか、混んでいるわけではない。
彼女は慣れた様子でお店の人に声をかけると、奥の席に俺を座らせた。
彼女に促されて、俺はこれまでの経緯を話した。
「ああ。ほんと、ついさっきだよ。それで、ユノさんって人に――」
「……ユノさん? ユノさんって、ご年配の? 頭をおだんごにした、とっても上品な感じの人?」
「あれ、もしかして知り合い? うん、そう。めちゃくちゃ親切な人でさ。わざわざ組合の建物の前まで案内してくれたんだけど」
「ああ、それは間違いなくユノさんだわ。よかったわね、いい人に出会えて」
言葉のなかに微妙に含むところを感じて、俺は顔をしかめた。
「……やっぱり、こっちの世界の人たちが、全員、親切ってわけじゃないんだ?」
飯端さんは苦笑いを浮かべて、
「まあね。そのあたりの説明もこれからするけど……。それで? 組合に行って、叩き出されて、途方にくれてたってことで大丈夫?」
「そーいうこと。お前なんて異世界人じゃない、って散々っぱら馬鹿にされたよ」
思い出したら腹が立ってきた。
いったいなんなんだ、あいつら。こっちの世界の人たちのほうがよっぽど親切だぞ。
「そうね。まずはそのあたりから話しておかなきゃいけないんだけど……」
言いづらそうに、飯端さんは木製のカップを手に取った。
中身は冷えた果汁水で、彼女は俺にもそれを奢ってくれていた。一口つけてから、
「まず、最初に言っておくことがあるわ。それは、この世界の人たちが、異世界からの人間を歓迎しているわけじゃないってこと」
「え、そうなの?」
まったく意外な言葉だった。
「もちろん、全員じゃないけどね。私たちのことを理解してくれる人はいるし、仲良くしてるくれる人もいる。このお店の人たちみたいにね。ただ、どうしても仲良くなれないって人もいるの。個々人の性格とかそういうのもあるけど、それ以前の問題として」
「もしかして、それって【ステータス】が関係してる話?」
彼女はこくりと頷いた。
「こっちの世界の人たちは、相手の【ステータス】が見えない。自分の頭のうえにそんなものが浮かんでことも知らないの。というか、知ってはいるけど、信じられないのよね。だって見えないんだから。でも、私たちには彼女たちの【ステータス】が見える。自分たちだけ、一方的にね」
「……まあ、あんまりいい気分じゃないよな。普通に考えて」
どうやら、さっき考えていたようなトラブルが、この世界では実際に起こっているらしい。
そりゃそうだ、というのが俺の感想である。
さらにいえば、俺にはステータスが見えないのだから、立場としてはこっちの世界の人側だ。心情だってもちろんそうなる。
「こっちの世界の人たちに異世界からやってきた人間を嫌っているのは、そういうところもあるんだと思う。もちろん、それだけじゃないんだけどね」
「なるほど」
「昔は、異世界からやってきた人は肩身が狭かったそうよ。組合が出来たのはそういう経緯があるわけ。トラブルがあった時、自分一人よりは集団のほうが心強いでしょう?」
「ようするに、労働組合的な?」
「そういうこと」
「なるほどね。だから、組合って言うんだ」
「そう。ギルドなんて呼ばれたりもしてるけど。相互扶助。それから、こっちの世界に来たばかりの人への手助けとかね。仕事の斡旋に、住むところの用意。それが組合の役割なの」
「いい話だなあ」
俺の台詞が棒読みになってしまったのは、仕方ないだろう。
いくら組合の素晴らしさを説明されたところで、俺はついさっき、その組合から叩き出されたばかりなのだ。
飯端さんが苦笑した。
「スネないでよ。一応、説明はしておこうってだけだから。組合の建物じゃ、こういう話だって教えてもらえなかったでしょう?」
「そりゃあね」
実際、説明してもらえるだけでもありがたくはある。
俺はうーんと腕を組んで、
「……やっぱり、組合に入れないってのはかなりキツイなあ」
「そうね」
飯端さんはうなずいて、
「日本とこっちじゃ、文化も風習も違うから。いろんなことに慣れなきゃいけないのに、組合の支援が受けられないっていうのは、けっこう大変だと思う」
そうだよなあ。
これからの前途を思って暗澹たる思いでいる俺に向かって、でも、と彼女は続けた。
「私は、よかったんじゃないかと思う」
「どういうこと?」
「……組合は、確かにすごく便利だけど。でも、私はあんまり好きじゃない」
好きじゃない?
「飯端さん、組合に入ってるんじゃないの?」
「入ってるわ。こっちの世界に来たとき、色々とお世話になったのも間違いない。そのことについて感謝はしてるけど、でも私はあそこが好きじゃない。正確には、あそこにいる人たちのことが嫌いなんだけど」
……まあ、あんまり素敵な人間性をしている連中ではなかったけれど。
さんざん馬鹿にしてくれた連中の顔を思い出していると、目の前の飯端さんもなにかを思い出していそうな表情になっていた。
「なにか嫌なことされたりしたの? 嫌がらせとかさ」
こんなに可愛いんだから、セクハラとかされたのかもしれない。
あの禿げたおっさんとか、いかにもやりそうだし。完全に勝手な偏見だけど。
「嫌なことっていうか……さっき、言ったでしょ? こっちの世界の人たちは、私たちのことを嫌ってる人もいるけど、そうじゃない人もいるって」
「うん」
「でも、異世界からやってきた人たちはそうじゃない。あの人たちって、こっちの世界の人たちのことを下に見てるから」
「……それって、【ステータス】があるから?」
「そう」
俺の言葉に、彼女は大きく息を吐いた。