二話 ステータスってなんですか?
本日更新分 2/5です
「――こんにちはー」
建物に足を踏み入れると、それまであった会話がぴたりと収まった。
大勢の視線がいっせいに集まる。
刺すような視線や、胡乱そうな眼差し。
いくつも置かれた丸テーブルに座った全員が、こっちを振り返っていた。
――なんだ?
妙な違和感を覚える。
全員がこっちを見ているけれど、その視線は俺ではなく、もっと上の方を見ているような感じだった。
後ろになにかあるのかと振り返ってみるが、そこには、はいってきたばかりの扉があるだけだ。
は……と、誰かが息を吐いた。
それをきっかけにするように、全体に弛緩した空気が流れる。
振り返ると、今度は間違いなく、顔を向けている全員がこっちを見てきていた。
ただし、その表情はまるでこちらを馬鹿にしているかのようにニヤニヤとしている。
……なんだよ。
やけに感じが悪い空気だ。
さっきのユノさんがとても親切に接してくれた分、どうしたっていい気分はしなかった。
内心でむっとしながら、奥にあるカウンターに目を向ける。
多分、あそこが受付というか、窓口になっているのだろうとあたりをつけて、そちらに向かった。
途中、冷やかすような視線は無視して、
「……なんだ、手前は。ここはガキのくるようなところじゃねえぞ」
カウンターにいたのは、四十か五十くらいの年のおっさんだった。
テーブルに頬杖をついて、不愛想にこちらを見上げている。
……いや、正確にはそうじゃない。
目の前の相手の視線は俺を通り越して、後ろの天井を見ているようだった。
さっきから、なんなんだ。
こいつら、目をあわすこともできないのかよ。
「……天井になにかあるんですか?」
訊いてみても、おっさんは馬鹿にしたように笑うだけだ。
間違いなく、初対面の相手にするような態度じゃなかった。
本当、なんなんだよとムカムカしながら、
「用事っていうか。街の人からここに来るように言われたんですけど」
「ほう?」
「異世界からここに着いたばっかりで……」
瞬間。
どっと周囲から笑いが起きた。
それまでの静けさがなんだったんだっていうくらいの馬鹿笑い。
なにがウケたのかわからない。
そんな周囲の様子に困惑して、死線を元に戻すと、目の前の相手もくつくつと楽しそうに笑っている。
「……俺、なにか面白いこと言いました?」
「ああ――ふははっ。そうだな。異世界人のわりには、面白ぇ冗談を言うじゃねえか」
いや、あんたらも異世界人じゃないのか?
っていうか、冗談だって?
「いや、別に冗談ってわけじゃなくて……」
「ったく。こっちに出回ってない恰好をしたら、それで騙せるとでも吹き込まれたか? どこのどいつか知らんが、阿呆なやつもいたもんだ」
おっさんは、やれやれというふうに肩をすくめる。
一方の俺は困惑するしかない。
意味がわからない。
なんのことだ? いったい、なにがどうなってる?
その場に立ちつくしていると、周りから、からかうような声が飛んできた。
「――よう、坊主。お前さん、俺の頭のうえになにが見えるよ?」
ニヤニヤしながら言ってくる。
俺は言われたとおりに相手の頭のうえをみるが、なにも見えなかった。
だってその人、禿げてるんだもの。
天使の輪っかも、獣耳の類もありゃしない。
禿げのおっさんにそんなのがついててもそれはそれで不毛な気はするけれど。不毛だけに。
「……なにも見えませんけど」
それを聞いた周囲は、また大爆笑。
なんだ、なんだ。
さっきから、いったいなにがおかしいんだ。
今のは、禿げのおっさん渾身の一発ギャグかなにかだったのか?
あまりにまぶしすぎて、後光が差してるようにしか見えません。とでも言っておけばよかったんだろうか。
「小僧、いいことを教えてやろうか」
憮然としていると、カウンターのおっさんが笑いながら、
「俺たちみたいに、ここじゃないどっかからやって来た連中はな。全員、頭のうえに【ステータス】が見えるんだよ」
突然そんなことを言われて、俺は思わず顔をしかめる。
……ステータス?
「ああ、そうだ。もちろん、俺の頭の上にも浮かんでる。つまり、『相手の頭上に【ステータス】が見えること』が、そいつが異世界からやってきたっていう、なによりの証拠になるわけだ」
へえ、そりゃ便利な。
能天気にそんな感想を持ってから、相手の言わんとすることに気づいた。
慌てて自分の頭のうえを見上げようとする。
それを見た周囲の連中が、さらに馬鹿笑いをあげた。
「バーカ。自分のおつむが見えるわけねえだろ。そんなんより、もっとわかりやすいもんがあるじゃねえか。――ほれ。お前さんは、俺の頭のうえに、いったいなにが見えるんだ?」
カウンターのおっさんに言われて、あらためて相手の頭上を見るが――もちろん、そこにはなにもない。
おっさんがいう【ステータス】とやらは、影も形も見えなかった。
あわてて周りを見る。
周囲でニヤニヤ笑いを浮かべている連中。
その一人一人の頭のうえを確認しても、誰一人として、そこに【ステータス】が見える相手はいなかった。
「そんな。だって、俺――」
カウンターのおっさんはため息をひとつ。
「……誰にそそのかされたのかしらねえがな。恰好だけそれっぽくしたところで、最初っから騙せるはずがねえってこった。わかったら、さっさと帰んな。こっちは手前みたいなガキを相手にしてるほど暇じゃねえんだ」
「いや、ちょっと待ってくださいよ! 俺は本当に、」
「あんまりしつけえと、ただじゃすまねえぞ。それとも、痛い目にあいてえか?」
ぎろりと、凄みのある表情で睨みつけられる。
俺は、なんとか自分が異世界からやってきたことを信じてもらおうとした。
地球の、日本から来たこと。
大学生であること。
気づいたらこの街にいて、親切な人に案内してもらってここに来たこと。
それはもう必死に説明したが、いくら言っても連中は信じてくれなかった。
最後には、ガタイのいい男二人に両側から抱えられて、ほとんど叩き出すように建物から追い出されてしまう。
「じゃあな、異世界人! これに懲りたら、もう面倒かけるんじゃねえぞ!」
なんだよ、異世界人って。
お前らだってそうだろうが――ニヤニヤとこちらを見下ろす相手に吠えようとしたところで、気づいた。
やつらの言う、異世界人。
それは異世界からこの世界にやってきた人間のことではない。
連中にとっては、この世界に元々いる人間たちこそが、「異世界人」なのだ。
そして、俺はその「異世界人」だとされた。
理由は、俺に【ステータス】とやらが見れないから。
それが見えない時点で、やつらにとって俺は同胞ではないのだ。
なにを言おうが、それは変わらない。
愕然とする俺にむかって馬鹿にするような笑いを浮かべながら、男が扉に手をかける。
目の前で木製の扉が閉められていく。
突然やってきた異世界で、これからのことを助けてくれるはずだったギルド。
その扉は、ゆっくりと閉ざされていき……
「待っ――」
そのまま、容赦なく閉ざされた。
慈悲もなければ容赦もなく。
助けに入ってくれる奇跡のような誰かも、そこにあらわれることはなかった。
◇
「いったいどうなってんだよ……」
組合の建物から追い出されて、俺は途方に暮れていた。
行く宛もないから、ふらふらと適当に街を歩き、石造りの泉を見つけてその縁にへたりこむ。
「ステータス? そんなもん見えねえって。それが異世界から来た人間の証明って、なんだよそれ……」
――そうだ。
もしかしたら、ステータスが見えるようになるのはなにかきっかけが必要なんじゃ?
たとえば、構えとか、呪文みたいなキーワードとか。
そういうのが必要なのかもしれない。
そう考えた俺は、さっそく前方に大きく手をひろげて、
「……ステータス、オープン」
試みにつぶやいてみるが、街中を歩く人たちの頭上には変化なし。
――ええい、ままよ。
「ステータス、オープン!」
羞恥心をかなぐり捨てて叫んでみても、結果はおなじだった。
いや、周囲から変なものを見るような眼差しを向けられたのが、空しい収穫といえばそうだけれど。
しかし、やっぱり変化はなかった。
街中を歩く人たちの頭上に、ステータスなんてまったくもって見えやしない。
……待てよ、と考える。
さっきの連中、ステータスが見えるなんて言ってたけれど。
それって、あくまで異世界から来た人間同士の話なんだろうか。それとも、元々ここの世界で生きている人たちの頭にもそれが見えるってことでいいのか。
仮に、異世界から来た人間だけがそれを見えて、こっちの世界の人たちはそれが見えないなんて話なら――なんとなく、ちょっと嫌な感じがする。
ステータスってのは、ようするに個人情報の塊だろう。
どれくらいの情報がオープンになっているのか俺には見当もつかないけど、それを見ず知らずの相手にも一方的に見られているとしたら、プライバシーなんてあったもんじゃない。
すくなくとも、俺がその立場ならいい気分はしない。
もしも性癖とかまで見られていたなら悶絶モノだ。恥死級だ。
……え、待って?
それってもしかして、さっきの連中に俺の性癖がバレてるかもしれないってこと?
あ、ヤバい。恥で死にそう。
いやいやまあまあ、そこまで見られてるとは限らないわけだしね。落ち着け、俺。
一旦、頭を切り替えようと、俺は大きく息を吐いた。
件のステータス問題は大きな関心事だが、今はもっと重要なことがある。
それは、俺が組合に参加できなかったということ。
つまりそれは、俺がこの世界で後ろ盾を得られなかったということと同義だ。
縁もなければゆかりもない、知り合い一人いない見知らぬ土地に、なんの後ろ盾もなく放り出されてしまった――その先に訪れるだろう未来を予想すると、背中にぞっとしたものが走った。
ヤバい。なんとかしないと。
だけど、どうする?
誰かそのあたりの人に事情を話して、助けを求めてみるか。
ありがたいことにこっちの世界の人たちは親切な人が多いみたいだし、一人ぐらい俺のことを助けてくれるかもしれない。
というか、さっきのお婆さん。
ユノさんになんとかしてまた会うことはできないだろうか。
あの人に助けを求めるのが一番いい気がする。
道案内までしてもらって、さらに迷惑をかけるのは申し訳ない気がするけれど、背に腹は変えられない。
なにしろ俺は、ここで使われているだろう通貨の一枚だって持ってはいないのだから。
このままじゃ飢え死にしてしまう。割とマジで命の危機だった。
問題は、ユノさんに再会する方法が見当もつかないということだ。
この街がどれくらいの規模なのかわからないが、人間一人を探すのは骨が折れるだろうということくらいは想像がついた。
どうする、聞き込みでもするか?
それとも警察に行って聞いてみるか。……警察なんてあるんだろうかね。
警察に代わるなにかは、なにかしらあるだろうけど――そんなことを考えていると、ふと遠くから誰かが自分を見ていることに気づいた。
目が合った。
同い年くらいの女の子が、こちらを見つめている。