第二夜 月明かり探偵事務所
授業が全て終わり帰りのホームルームも終えると、生徒は部活動に勤しむ者とそのまま帰宅する者とに大きく分かれる。
無論、僕は後者である。生まれながらにして生粋の帰宅部を舐めるなよ。
ちなみに恭介はバスケ部に所属しているので帰りは一人で帰るのが定例……だったのだが。
「ごめんね、待った?」
下駄箱の前で僕が待っていたその待ち人は少し息を切らた様子でそう聞いてきた。どうやら小走りでここまで来てくれたらしい。
「いや全然待ってない、ていうかそんなに急がなくても大丈夫だったのに」
「駄目だよ、せっかく一緒に帰る約束してくれたのに待たせちゃったら公彦君に悪いでしょ?」
そう言ってニコリと微笑んでくれた彼女の名前は月夜野真昼。
艶やかなで綺麗に整えられた長い黒髪に、一目で誰もが目を奪われるほどの端麗な容姿を持つ女生徒であり、過去にあったとある事件をきっかけに僕の数少ない友達になってくれた女子である。
補足しておくと月夜野真昼はモテる。めちゃくちゃモテる。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花と称されるほどの美人でありながら持ち前の明るさで誰にでも気さくに話しかける彼女は美と可愛さを兼ね備えた完璧女子。その存在は全校生徒にとって憧れであり象徴的存在とも言われている。ので……、
(うん、今日も今日とて周りからの殺気がヤバい)
周囲からの視線が痛いくらいに刺さる。『なんでお前が!』という怨念の声が聞こえてくる。
けれど最初に結論を言っておくが、僕と月夜野真昼は付き合っているわけではない。
二人して待ち合わせからのデート、というわけではない。
今こうして僕が彼女と一緒にいるのにはとある理由があり、その理由こそ僕と彼女が友達になったきっかけでもある。
「よし、それじゃ帰ろっか公彦君」
下駄箱で靴を履き替えた彼女は笑顔でそう言ってくれているが、周囲の殺気が最高潮に達していることに気づいていないのだろうか。
「そうだな、一刻も早く帰ろう」
(このままじゃいつか刺されるな)
そんなこんなで二人して帰路へつく。
「そういえば、今朝恭介から聞いたんだけど。三組の佐藤さんが巻き込まれたストーカー事件について何か真夜さんから聞いてる?」
「それって今学校中で噂になってるもんね。黒ポストに佐藤さんが依頼を投函したっていうのも噂になってるから知ってるよ。でもお姉ちゃんからは何も聞いてないかな」
「そっか」
そんな他愛ない話をしながら歩いて二十分程度、見覚えのある少し殺伐とした八階建てのビルが見えてきてそのままロビーへと入る。
最上階である八階までをエレベーターで昇り、降りて通路左奥の扉の前で立ち止まる。扉には質感の違う黒い文字プレートに金彫りで絢爛な文字で【月明かり探偵事務所】と彫られている。
真昼が持っていた鍵を取り出しその扉を開けると、中に入ってすぐ視界に入ったのはデスク上に乱雑に置かれた山盛りの書類と、その奥にある唯一綺麗に整理されている豪華絢爛な机と椅子だった。
「もう、お姉ちゃんたらまた掃除してないじゃん」
部屋に入って開口一番にそう言った真昼は、長デスクの上に置かれた書類の山を整理し始める。
もちろん僕も無言でそれを手伝う。
僕は縁あってここで雑用兼助手?的なことをしているのだ。(アルバイト的な感じで、給料も出ている)
「……真夜さんはまだ寝てる?」
「うん、昨晩も謎浸りだったから、今はぐっすり眠ってる」
「僕も最近寝不足だからなんか眠くなってきたよ」
「あ、ごめんね、お姉ちゃん……ううん、私達のせいで」
「違う違う、そういう風な意味で言ったんじゃない。それに、不謹慎かもしれないけど、真夜さんに出会ってからの人生は非日常というか割かし楽しいから」
「そっか、うん、やっぱり公彦君は優しいね」
不意に満面の笑みでそう言われ、否定しつつも思わず目をそらしてしまった。多分、今の僕はニヤけすぎてとてもキモイ顔をしているに違いない。
そのまま二人で事務所の片づけをしているといつの間にか窓の外に夕日が昇っていた。
「あ、それじゃあそろそろ時間だし私お風呂入って寝るね」
「了解、僕はここでこのまま事務作業してるから気にしないで」
「うん、また明日ね公彦君、おやすみ」
「おやすみ月夜野さん、また明日学校で」
「もう真昼でいいって」
そう言えばそうであった。
とある事情により僕は彼女を苗字で呼んではいけなくなった。下の名前で呼ぶことを強要されているのだった。
「じゃあ、おやすみ……真昼?」
ぎこちなくそう言った僕に、真昼はニコニコしながら「おやすみ」と返して玄関から出ていく。そしてすぐ隣の部屋の玄関扉が開く音が聞こえてきた。
静寂に包まれた事務所の中には自らが打つキーボードのタイピング音と壁に掛けられた古時計のチクタク音が鳴る。少しすると隣の部屋から薄い壁越しに水を切るシャワー音が聞こえてくる。
壁越しにお風呂に入っている真昼さんの姿を少し想像してしまい、ほんのりと罪悪感からか作業に集中するためにもとタイピングの勢いをやや強める。
それから少しして掛けられた古時計の針を確認すると時刻は既に午後六時を回っているのが見えた。
(そろそろだな)
そう思うや否や、勢いよく玄関の扉が開いて一人の女性が我が物顔で事務所へと入ってきた。
「やあ少年、おはよう」
僕を見るや否や何事も臆することなくそう寝起きの挨拶をしてきた『彼女』の名前は月夜野真夜。
ついさきほどまでこの部屋にいた月夜野真昼の実の姉であり、この【月明かり探偵事務所】の所長兼唯一の探偵だ。
「おはようございます、真夜さん」
挨拶を済ませてすぐ真夜さんは例の事件について語り始めた。
「少年、実は面白い依頼が昨夜の晩にポストに投函されていたんだよ」
ッ、きた。
「それって僕と同じ高校に通う三組の佐藤さんが依頼した例のストーカー事件の事ですか?」
「ハハハハハ、なんだ知っていたのか。だとしたら話が早い、君の言う通りの事件だよ少年、昨晩ポストに怪東高校二年三組佐藤凛から受けたストーカー被害による犯人を探して欲しいとの依頼が届いていた」
どうして僕が知らない学校の人を真夜さんの方が知っているのかとは思ったが、あえてツッコまないでおこう。話が脱線しそうだし。
「その佐藤さんのことなら僕も偶然今朝方に友達から聞きましたよ。でも面白い依頼って……ストーカー事件の依頼の犯人探しがですか?」
「ああ実に面白いだろう?このご時世に警察まで動いているというのに、その犯人に関する手掛かりどころか目星すら皆目見当がついていないだなんて」
「それは、その犯人が全く佐藤さんと関係の無い人物で今回は偶然佐藤さんが狙われただけなんじゃ」
「いいや、その線はかなり薄い」
「え、どうしてですか?」
「単純な話だ。犯人と佐藤凛に何かしらの確執が一切存在しないとするのなら、犯人が佐藤凛に対し執拗に何度もつきまとう理由はない」
それはまあそうかもしれないけれど。
「でも、女子をつきまとう変質者ですよ?理由とかは何も関係なしに、その……佐藤さんの顔がその変質者の好みで何度もつきまとっていたとか、そういう可能性はあるはずです」
「ふむ、確かにその可能性を完全に否定することは難しいね。だが私の推理だと今回の事件に関しては犯人の動機などはどうでもいい可能性が高いだろう……いや、犯人という存在すらもどうでもいいのかもしれないな」
真夜さんが口にしたその言葉の意味が分からなかった。
動機以前に犯人の存在すらどうでもいい?いやいや、そんな事があるだろうか?
「それってどういう意味です?」
「なに、まだ推測の域に過ぎない。語る時ではない……まだ、ね」
そう言って不敵に笑う彼女を見て、今回の事件もどこか一筋縄ではいかないと僕は悟った。