父の再来
「フリージアを返していただく」
ヴュートが先に話をするからと、私たちは応接室のドアの前で待っていた。
ドア越しに聞こえる父の声に、思わずドアに耳をくっつけてしまう。
一体今更ソルト家に帰れとは……。
「ソルト公爵様。仰っている意味が分かりませんが。先日結婚の話を進めた際にフリージアはシルフェン公爵家で預かるというお話だったかと思いますが……。話し合う余地も無いようにお見受けいたしますが?」
「ヴュート殿。貴方もご存知でしょう? フリージアは『暁の魔女』です。シルフェン家でのんびり花嫁修行などしている場合ではないのですよ」
その言葉に心臓が跳ね、震える指先が冷えていくのが分かる。
「何の事でしょう? 一体どこからそのような話が出たのです?」
「……っふざけるな! 今日ウィンドブルの聖女と会話しているのを私はこの耳で聞いたんだ! カルミアの能力を押し上げていたのはフリージアだと!」
「ではフリージアが否定しているのを聞いていらしたのでは?」
「ハッ……! だから今からフリージアを連れて神殿に確認しにいくんだ! 隠してないでフリージアを出せ!」
怒り、声を荒げる父にもヴュートは動じている様子はない。
「もうフリージアはシルフェン家の婚約者にしておく意味などない。フリージアとの婚約がダイアモンドの取引の値引き条件だったが、お前のとこと取引をするよりももっと『暁の魔女』の方が利益がある!」
……だからあの時、来ると思っていた『ソルト家からの除籍』の知らせが無かったのか。
「相変わらず貴方の父親はぶっ飛んでるわね」
馬鹿にしたように小さく鼻で笑ったオリヴィアに、返事をしようとしていたところに思いがけない声がする。
「フリージア、そこをおどきなさい」
振り向いた先にいたのはここにいる筈のない祖母で……。
「お祖母様……」
「オリヴィア王女も、盗み聞きなどはしたないですよ。フリージア……道を空けなさい」
あまりの祖母の圧に思わず道を空けると、そのままノックもせず、まっすぐ応接室に入って行った。
「母上? どうしてここに……」
部屋に入ると驚いたような父の声が聞こえる。
「王家の森からフリージア達が帰って行った後、ソルト家の天幕を急いで撤退して帰って行ったでしょう? 大好きな社交の場をあんな風に去っていけば何かあると思うに決まっています」
「そ、そうですか。でも丁度良かった! 母上からもヴュート殿にフリージアを返すよう言って下さい! 実はフリージアが『暁の魔女』だったのです!」
あぁ、私はソルト家に返されるのかもしれない。
祖母は基本的に当主である父に逆らったりしない。
義母にも、カルミアにも同様だ。
「あの子は帰りません」
その言葉に目を見開く。
「な、何故フリージアをソルト家に戻さないのですか! あの子は私の娘ですよ!」
「わたしが保護者よ。ヴュート殿とフリージアの婚約期間や結婚時期に関する婚約内容を見直した際の契約書にそのことが明記されていたはずよ。『フリージアの親権と保護者としての責任を私に渡す』と。貴方も確認してサインしたでしょう?」
「だから母上にこうしてフリージアに、……一人では役に立たないカルミアの代わりに暁の魔女としての仕事をさせるように申し上げているのではないですか」
父のその発言に目を見開く。
あんなに可愛がっていたカルミアをそんな風に言うなんて。
「帰りなさい。あの子はもうソルト家には返しません。あなたはあの書類にサインする前から実質保護者としての責任を放棄していたでしょう?」
「……なぜそんな事を」
「……」
「母上?」
何の返事もしない祖母に父親が不思議そうな声をかけた。
「ヴュート殿。扉の前にいるフリージアを部屋に連れて行ってください」
そう言って祖母のため息が聞こえる。
「何だと! フリージア! そこにいるのか! 入って来い!」
父の大きな声に体がビクリと反応する。
もう心は動かされることはないと思っていたのに、植え付けられた恐怖心が反応する。
「ヴュート殿! 連れて行ってください!」
「母上⁉︎」
祖母の悲痛な声に驚きを隠せない。
今何が起きているの?
すると扉が開き、ヴュートが出てきた。
「ジア、行こう」
そのドアの隙間から目が合った祖母は、何かを覚悟したような……、何かを堪えるような目をしていた。
部屋に向かって少し進んだところで、ヴュートが足を止める。
「レイラ、いるか?」
「はい。こちらに」
さっきまでいなかったレイラさんが、すっと物影から現れた。
「フリージア達を部屋まで案内して、警備に当たれ」
「はっ」
「……ヴュート?」
こちらを優しく見たヴュートがふわりと微笑む。
「マグノリア様が心配だから、……僕がそばにいるよ。ジアは心配しないで待ってて」
「……何を知ってるの?」
その彼の様子にまた私の知らないところで何かが起きている気持ちの悪さが体を侵蝕していく。
「大丈夫、レイラもコレットも話は聞いていたと思うけど、他人に漏らすような愚かな真似は……」
「そうじゃなくて!」
そんな話はしていない。
「……マグノリア様はご存知だったよ。昔からずっと……」
――君が『暁の魔女』だと。
ヴュートの戻っていく後ろ姿を見つめながら只々呆然とする。
昔からずっと?
先ほど脳裏を横切った不安が正しかったことを知る。
けれど昔からっていつ?
祖母の笑顔はもう朧げだ。
厳しく躾けられる顔しかはっきり思い出せない。
――知っていたのなら何故、私を神殿に連れて行かなかったの?
「フリージア様⁉︎」
「「フリージア⁉︎」」
呼ばれる声を無視して応接室に戻っていくヴュートの元に走る。
「ヴュート!」
「ジア?」
「私も行く。私の話だもの」
「……でも」
じっと私を見つめたヴュートは小さくため息をついた。
「分かった。行こう」
✳︎✳︎✳︎
「あの子が生まれてからずっと、ずっと貴方は無関心だったのに、今更何を言っているの?」
「……母上?」
扉をノックしようとした手が思わず止まる。
「あの子の母親が……リリーが死んだ時あなたは何をしていたの? あの子のそばにいた? 愛人に溺れた貴方の生活は何一つ変わらなかった。家に帰ってくることもなかった」
「母上がいたではありませんか」
「そうね。あの子には私しかいなかった。つまらない風邪をひいて体調を崩す私を見るあの子の目にあったのは……恐怖だったわ。私が死んだらあの子は完全に一人。……残されるものがどれだけ辛いか! 貴方にそれが分かっていたの!? 私は怖かったわ。あの子を一人にすることが。でも、そこに降って湧いたシルフェン家からの縁談はまさに唯一の希望だった。あの子が新しい家族を手に入れるチャンスだった!」
「……だからあの時婚約の後押しをしたのですね」
「そうよ。カルミアの聖女認定後にも関わらずシルフェン家はフリージアとの婚約を求めてきた。私が直接話を聞きに行ったことも知らないでしょう?」
「……味方だと思っていたのに」
「味方だったわよ……。愛して、愛して、愚かな息子の貴方でも愛していた。そんな貴方の子供だからこそフリージアが愛しいのよ」
祖母の震える声に、私の手も震える。
あれだけ私に厳しかった祖母がなぜ私を庇ってくれるのか分からない。
けれど、……今私は守られていることは、……それくらいは分かる。
私が決着をつけなくては……。
祖母だけ戦わせて何になるというの!
「リリーが死んで、貴方が『そこの女』と再婚すると言った時……」
「母上! そこの女とはあまりにも……!」
二人の会話を止めるように大きくノックして扉を開けた。
「お父様、私と話をしましょう……」
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