裏切りを知る
「彼が本当に貴方を愛してると思ったの?」
愛くるしい顔をした妹、カルミアが愉悦の表情を浮かべて私の耳元で囁いた。
妹に飲まされた毒によって、侵された自分の体はもう動かすことも出来ないほど呼吸が浅くなり、まるで溺れかけているかのように、息が上手く出来ない。
日も沈みかけ、暗い森の雨の降る中、カルミアは傘をさし、濡れ鼠のように雨と泥でぐちゃぐちゃになって地に伏せた私を冷え切った青い瞳で冷ややかに見下ろしていた。
カルミアの口角は上がっていても、その目には隠しきれない憎悪と、優越感、そして勝利を確信した光が浮かんでいた。
彼女の後ろにはいつもの取り巻きではなく、明らかに雇われの傭兵らしき人達が立っている。
チラリとそちらに視線をやると、彼女はお気に入りのリボンを編み込んだ金の髪をふわり揺らし、微笑んだ。
「なぜ……こんな……ことを?」
「邪魔だからよ。あんたさえいなければ全てが私のものになるのよ? ヴュート様と私。英雄と聖女。最高の組み合わせでしょう? 彼は私と結婚するんだからもう諦めて死んでくれたらいいの。……分かっているでしょう? 彼の気持ちはもう貴方に無いってことくらい」
彼女を睨みつけると、ふっと口元を歪めた。
「お姉様にしばらく手紙が来ていないんじゃない? 私には来ているけれど」
そう言ってヴュートの筆跡でカルミアの宛名が書かれたいくつかの封筒を口元で扇のように広げた。
婚約者である私にはここ二年間で届いた手紙は二通だけ。
見覚えのありすぎる筆跡と、見せつけられた現実に言葉が出ない。
にっこりと微笑んだカルミアは、その中の一枚を出して、読み始めた。
「愛するカルミアへ。
早く君に会いたい。この遠征が終わって、帰還した暁には、君と婚約出来るよう真っ先に君のお父上にお願いしに行きたいと思っている。フリージアのことは……」
「止めてっ……!」
カルミアが読むのを遮って叫ぶも、それだけでさらに呼吸が苦しくなる。
「ふふ……ほら。これはもういらないって」
そう言って目に前にポンと投げ出されたそれに全身が触りと総毛立つ。
「……っ」
「お姉様が小さい頃刺繍して彼に渡したハンカチと、それからお守りのフィリグランでしょう?」
そう言って目の前で踏みつけた。
歪んだ金細工のフィリグランと泥で汚れたハンカチに言葉も出ない。
本来フィリグランはボタンとして使われるものだが、彼に渡したのはお守り代わりにリボンで飾ったものだ。
幼い頃、騎士に憧れる彼に渡したそれは当時の私の思いを込めたものだ。
『怪我をしないで』
『元気でいて』
『無事に帰ってきて』
祖母から教わったたくさんのおまじないとお守りの紋様。
小さい頃から父に誉めて欲しくてたくさん練習したけれど、それを父が受け取ってくれることは無かった。
彼との婚約が内定した時、将来の家族が出来るという不安の中、小さな希望に縋り付いた。
また、家族に疎まれたらどうしよう。でも、もしかしたら……そう思いながら渡した刺繍のハンカチ。
それを受け取ってもらえた時の気持ちを言葉になんて出来ない。
震える手から受け取ってくれたのはただのハンカチではない。
想いそのものだ。
『ずっと大事にする』
夜空のようなダークブルーの瞳を優しく細めてそう言った言葉は、思い出は……ぐちゃぐちゃに踏み荒らされ、泥だらけだ。
「彼が私に渡して来たのよ。お姉様に返してくれって。ほら、こんなに」
そう言って彼女は私が彼に今まで贈ったプレゼントを目の前に落とし、踏みつけた。
「お姉様、彼が愛してるのは私だって、本当は気づいているんでしょう?」
愉悦に顔を歪める妹の言葉に、体が強張る。
「フリージア!」
その時、聞き覚えのある声が空気を揺らす。
「マクレン……?」
ぼやける視界の中、 金の髪に、エメラルドの瞳の青年が数人の男性に連れられてやって来た。
頬に傷のある男が、得意げにマクレンをこちらに投げ出す。
「指示通り、捕らえて来たぜ」
「カルミア嬢! こんなことをするなんて、……正気の沙汰じゃない」
私の横に放り出された彼は、義妹を睨みつけた。
親友の恋人はここにいるはずのない人間だ。
だって彼の恋人のオリヴィアは今まさに病に侵され、死の淵に足を踏み入れようとしていたのだから。
「オリヴィアは……?」
「彼女は、最期まで君を心配していた……」
「ダメ……だったのね……」
彼女はたった一人の私の友人で、唯一心を許せた人だった。
彼女も私も家族に恵まれない環境だったけど、最期は流行り病でベッドから動けなくなった……。
「貴方は最期まで……ヴィアのそばにいてくれたのね……」
眉根を寄せながらも、微笑むことで肯定した彼に胸が締め付けられた。
マクレンはいつも家族の態度に心を痛めていた彼女の唯一の心の拠り所だったはずだ。
だからこそ彼と幸せになってほしかった。
最期まで私を心配してくれたオリヴィアの心に、そして彼女を失った寂しさに涙が止まらなかった。
「あらあら、お姉様の唯一のお友達もいなくなって、婚約者も離れ、お父様、お母様、お祖母様でさえ貴方を見放している。全てを失ったというのにこれ以上生きている価値なんてあるかしら?」
愉快で愉快で堪らないと言ったカルミアは、私を冷たい目で見ながら、小さく笑った。
「早く死んで、私に『アレ』を頂戴」
「アレ……?」
「やだ、やっぱり、知らなかったのね。貴方が――でしょう?」
「え……?」
思いもしないその言葉に体が凍りつく。
「そんなの……知らないわ。私が死ぬことと何の関係が……」
「いいのよ、とりあえず死んでくれたら」
「本当だとして……も……私が死んだからと……言って。『それ』が貴方の……ものになるなんて……分からないじゃない……」
意識も朦朧とする中、自分の声も彼女の声も遠くに聞こえる。
「そんなのやってみなくちゃ分からないじゃない。貴方が死んで証明してくれたらいいのよ。私はヴュート様も、貴方の『力』も、持っているものを全部貰うわ」
本当に幸せそうに微笑む妹は、只々空恐ろしい。
「お姉様はここで、『恋人』と心中するの。ヴュート=シルフェン小公爵様という立派な婚約者がいながらも、他国の平民の留学生と恋に落ちた。結ばれないと分かっている二人は死を選ぶのよ」
「彼は、……マクレンは恋人ではないわ」
「そんなのどうでもいいの、事実なんてどうとでもなるわ。シチュエーションが大事なのよ。あなたが完全な悪役にならないと、私とヴュート様は思い合っていても結ばれないもの。ただ死んだんじゃ喪に服す時間もいるじゃない?」
そう言って顔を覗き込む。
「貴方が彼を裏切ったという明確な材料が欲しいのよ」
その言葉に、その瞳に宿る仄暗さに言葉が継げない。
「大丈夫。そんな心配そうな顔をしないで。隣の彼も貴方と同じ毒ですぐ一緒に逝くわ。ふふ……。やだ、笑いが止まらない。ふふふ。あははは!」
笑いながらカルミアが、私の左手に手を伸ばす。
「これももういらないでしょう?」
そう言ってヴュートと婚約式で交換した揃いの指輪を私の左手の薬指から外された。
抵抗する力も、気力も残っていない。
目の前に落とされた指輪をガツンと踏みつけられた音が耳の奥に響いた。
「さあ。お別れの時間よ」
閉じた瞼の裏に映るのは『彼』の笑顔だ。
「……ヴュー……」
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