お見合い相手を間違えた
昼休み。
会社の食堂で、俺・牧亮太は大きな溜息を吐いた。
社食が不味いわけじゃない。寧ろ300円という値段でご飯におかずに味噌汁まで付いてくるのだから、満足している。
仕事が苦痛なわけじゃない。そりゃあストレスは溜まるけれど、やりがいがあるし同僚も良い人ばかりだし、溜息を吐く程ではなかった。
では、どうして辛気臭そうな表情で溜息を吐いているのか? その理由は、今週末にあった。
「先輩、何か嫌なことでもあったんですか?」
一緒に昼食を取っていた後輩・村木巴が尋ねてくる。
「あったんじゃなくて、これからあるんだよ。……週末、お見合いをさせられるんだ」
仕事一筋で、恋愛なんてせずに生きてきた27年間。独り身であることを心配した両親が、俺にお見合いをセッティングしてきたのだ。
「お見合い、ですか。……相手は綺麗な人なんですか? それとも可愛い系?」
「それが相手の顔を知らないんだよ。「当日のお楽しみ」とか言って、親父もお袋も写真を見せてくれないんだ」
「もしかしたら、男の人なんて可能性もありますね」
「それはねーよ。斎藤優花っていう名前だけは、教えて貰ったからな」
優しい花と書くくせに、筋肉マッチョのおっさんが来たりしたら、驚きのあまり放心状態になると思う。
「斎藤優花さんですか……」
「知ってるのか?」
「同姓同名のアニメキャラなら」
アニメキャラじゃ、100パーセント別人だな。
「場所はどこの教会なんですか?」
「お見合い当日に式を挙げさせようとするんじゃねーよ。……『花形亭』っていう料亭だ」
「へー。因みに時間は?」
「昼食を兼ねるから、11時からだったかな。……って、何でお前にそんなこと教えないといけないんだよ。まさか、冷やかしに来る気じゃないだろうな?」
「私はそんなに暇じゃありませんよ。……ただの興味です」
まぁ、折角の休日を同僚のお見合いを揶揄う為に無駄にするなんて、そんな勿体ない使い方はしないわな。
その心配は、杞憂だと言えた。
「とにかく、先輩。日曜日のお見合い、楽しんで来て下さい!」
「どうせお見合いさせられるんなら、少しでもポジティブに考えた方が良いわな。了解。なるべく楽しんでくるよ」
◇
週末。
お見合い会場である『花形亭』に着いた俺は、一人の女性と面と向かっていた。
「牧亮太です」
「斎藤優花です。今日は宜しくお願いします」
名前以外の事前情報がなかったから、優花さんはとても落ち着きのある大和撫子だと勝手に思っていた。
その想像は、大体合っていて。嫌々やって来たお見合いだけど、前言撤回。正直優花さん、めっちゃタイプです。
思わずその美貌に見惚れていると、優花さんが「どうしました?」と小首を傾げる。無論、その仕草も可愛い。
「いえ。その、何て言うか……想像以上に綺麗な人だったもので。実は俺、優花さんの写真を見ていなかったんですよ」
「そうだったんですか。……でも、綺麗と言ってくれて嬉しいです。もしかして私、口説かれてます?」
「そりゃあ……お見合いなんで。多少は」
「――っ」
慌てて否定するかと思いきや、まさかの肯定。思わぬ反撃に、優花さんの方が顔を真っ赤にした。
「私は牧さんのこと、写真で見ていました。……写真より、ずっとカッコ良いです」
「! ……それはどうも」
俺も優花さんと同じくらい、顔を赤くした。
それから互いに何を言って良いのかわからず、しばらく静寂の時が流れる。
27の大人が、まったく情けない話である。だけど仕方ないだろう? 俺の恋愛経験値は、中学時代からこれっぽっちも増えていないのだから。
しかし、いつまでも黙ったままというのはよろしくないな。折角こうして二人きりになれているんだし、何かお喋りしないと。
「えーと……お仕事は、何をされているんですか?」
俺は無難に、仕事の話から入ることにした。
自分のトークの引き出しの乏しさが、恨めしい。
「食品メーカーに勤めています。これでも、商品開発課なんですよ」
「本当ですか!? 実は、俺も食品メーカーで商品開発をしているんですよ」
星の数ほどある仕事の中で、まさか同じ食品メーカー勤めだったなんて。この偶然を、使わない手はない。
俺はこれを皮切りに、会話を弾ませることにした。
取っ掛かりさえ上手くいけば、会話は長くかつ楽しく続くものである。
俺が目論んだ通り、仕事の話から休日何しているのかという話へ。そして趣味や好みの話へと話題は膨らんでいった。
優花さんと話していて、気付いたことがある。
俺と優花さん、仕事以外にも似ている点が多いな。
例えばお酒が好きなところとか、ドラマはサスペンスばかり観るところとか、これまでろくに恋愛経験値がなかったところとか。
最初は好みの女性だったので、終始心臓がドキドキしっぱなしだった。
だけど次第に、そのドキドキもなくなってきたというか。
好ましく思っていることに変わりはない。緊張よりも、同族に対する安心感の方が勝ってしまっただけだ。
小一時間話をした後で、優花さんに急用が出来たのでこの場はお開きになる。
もうちょっと、話していたかったな。そう思っていると、
「あの……もし良かったら、また会ってくれませんか?」
そんなの、即答で「イエス」に決まっているだろう。
優花さんと別れた俺は、トイレに行こうと個室を出る。
……そういえば、親父もお袋も来なかったな。気を利かせて、若い二人だけにしてくれたのだろうか?
抱いた疑問を勝手に自己完結させていると、ふとお袋がこちらに向かって走って来た。……何だ。来ていたんじゃないか、
「あっ、亮太! あんた、今までどこにいたのよ?」
「どこって……優花さんと一緒にいたけど?」
答えると、お袋は「はあ?」と眉をひそめる。俺、何か変なこと言ったか?
「優花さんなら、向こうの部屋でずっとあんたのこと待っているわよ」
……え?
俺はお袋の言っていることが、理解出来なかった。
優花さんが向こうの部屋で待っている? そんな筈はない、だって優花さんは、ついさっきまで俺と話していたのだから。
……いや、待てよ。もしお袋が、真実を言っているのだとしたら? おかしなことを言っているのが、俺の方だとしたら?
要するに、俺がさっきまで会っていた優花さんは、優花さんじゃなかったとしたら?
「……彼女は、一体誰なんだ?」
誰にでもなく、俺は問いかけるのだった。
◇
お見合いをしたあの日、俺が会っていた「優花さん」は何者なのか? あれから数日経っても、その疑問は俺の頭から離れない。
どうでも良い人間相手だったら、こんなに頭を悩ませたりしない。厄介なのは、俺が彼女に少なからず好意を抱いてしまっていることだ。
「クソッ。せめて連絡先くらい聞いておくべきだったな」
また会おうと言ったものの、そんなの所詮口約束。守られる保証なんてどこにもない。
そんな時、突然知らない番号から電話がかかってきた。
「もしもし」
『こんばんは。優花です』
「!」
電話の相手は、まさかの優花さんだった。
連絡を取りたいと考えていた矢先に、優花さんの方から電話してくれるなんて。この好機を、利用しない手はなかった。
「お前は誰なんだ?」
前置きなんてせず、単刀直入に俺は尋ねる。
『斎藤優花です。ほら、この前お見合いをした。……もしかして、忘れちゃいましたか?』
「嘘つけ。お前が斎藤優花じゃないことは知っている」
俺が指摘すると、優花さんは『バレてしまいましたか……』と呟く。どうやらもう誤魔化すつもりはないみたいだ。
『確かに、「斎藤優花」という名前は偽りです。それは認めます。だけど勘違いしないで下さい。あなたに興味があるという気持ちに、嘘はありません』
「俺はお前に嘘をつかれていたんだぞ? そんな言葉、信じられるかよ」
『どうすれば、信じて貰えますか?』
「お前の本当の名前を教えろ」
我ながら、無理難題を押し付けたものだと思う。
本名を知られたくないから、偽名を使ったのだ。それなのにあっさり自分の名前を教えてしまっては、本末転倒である。
しかし予想に反して、優花さんは俺の要求を快諾した。
『良いですよ』
「……良いのかよ」
『あなたに好かれたいと思っている以上、いつまでも偽名というわけにはいきませんし。……今週末って、空いていますか?』
「あぁ。特に予定はない」
『でしたら、お見合いの時の約束を履行しましょう。デートです。その時に、あなたの疑問を全て解消させます』
本音を言うと、優花さんの考えていることがさっぱりわからなかった。
偽名を使うということは、正体を知られてはならない事情があるわけで。それなのに優花さんの方からわざわざ電話をしてきたり、デートに誘ってきたりする。
彼女の目的は何なのか?
……いや。目的なら、既に言っていたな。俺に好かれようとしているのだ。
だとしたら、どうして俺に正体を隠す? やはり俺の中で、優花さんに対する疑念が晴れない。
……わからないことが多すぎる現状で、これ以上あれこれ考えても無駄だな。
一先ず週末。次のデートで、彼女との関係になんらかの決着をつけることとしよう。
◇
週末。
優花さんとの待ち合わせ場所に向かうと、既に彼女は到着していた。
お見合いの時以上に気合の入った服装に、俺は思わずドキッとなる。
正体不明であっても、可愛い女の子であることに変わりはないのだ。
「待たせたな」
「いいえ、私も今来たところですから」
「えーと……優花さんで良いのか?」
「取り敢えずは。言いたいことや聞きたいことが色々あると思いますが、折角のデートです。今は楽しみましょう」
優花さんは、正体を明かすと約束してくれている。だけど、それは別に今である必要はない。
下手に拒んで優花さんの機嫌を損ねるわけにもいかないし……よし。ここは純粋にデートを楽しむことにした。
デートプランは、優花さんが立ててくれた。
具体的には、大型商業施設を見て回る。特に何を買うわけではないが、洋服を試着したり書店を巡ったりするだけで、十分楽しめた。
一人で買い物する時は、やはり効率を重視してしまうものだけどな。誰かと一緒の買い物がこんなにも楽しいものだとは、思わなかった。
時間はあっという間に過ぎていき、気付けば夕方になっていた。
デートは楽しいし、この時間がいつまでも続けば良いと思うけれど、そろそろ本題に移らないとならない。
優花さんが意図的に避けている節もあったので、俺の方から切り出すことにした。
「優花さん。いい加減、本当の名前を教えてくれないか?」
「デートに夢中になっていて、すっかり忘れていました。そうですよね。今日はその為に、会ったんですもんね」
「その前に、一つ」。優花さんは人差し指を立てる。
「亮太さんって、職場に仲の良い後輩がいますよね?」
「後輩? ……あぁ、村木のことか」
しかし優花さんは、どうして村木のことを知っているのだろうか?
「その後輩のこと……どう思っているんですか?」
村木のことを、俺がどう思っているのか。……もしかして、優花さんは俺と村木が好き合っているとでも思っているのだろうか?
「悪い奴ではないと思うぞ。何て言うか……一緒にいて楽しい奴ではあるな」
「そうですか。それが聞ければ、十分です」
そう言って、優花さんはウィッグを取る。すると目の前に現れたのは……なんと村木だった。
まさか……優花さんの正体は、村木だったというのか? あまりにタイプが違うので、まるで気付かなかった。
「村木……」
「そうですよ。先輩の言う「斎藤優花」の正体は、私だったんです」
確かに、村木ならば優花さんに成りすますことが出来る。
なぜなら彼女は、俺がお見合いする時間と場所と相手を把握していたのだから。
「どうしてこんな手の込んだいたずらをしたんだよ?」
「理由なら、電話で言ったじゃないですか。……先輩が好きだからですよ」
俺が好きだから。俺がお見合い相手と恋に落ちるのを阻止したかったから。
だから村木は、優花さんに成り代わろうとした。そして……俺と恋仲になろうとした。
「本当はお見合いをしたあの日に、正体を明かすつもりでした。告白するつもりでした。でも、フラれるんじゃないかと思うと、やっぱり白状出来なくて」
「村木……」
「こんなに苦しいのは、先輩のせいなんですよ。私が正体を隠したのも、先輩のせいなんです。……なんて、完全に八つ当たりですよね。自覚しています。でもその上で、言わせて下さい。……先輩。責任を取って、私を幸せにしてくれませんか?」
自身を優花さんと偽ったのは、確かに村木が悪い。
しかしそれが俺への恋心故だと知れば、不思議と怒る気持ちも失せてくる。寧ろ嬉しいっていうか。
……考え方を変えよう。
お見合い相手が、初めから優花さんではなく村木だったとしたら?
今と何も変わらないさ。俺は村木に恋をしたんだと思う。
お見合い相手を間違えた。でも、この気持ちは間違いじゃない。
そしてこうして村木を抱き締めることも、きっと間違いじゃないんだろうな。