助けて
「……ドラゴンのテオに、リンゴ畑に連れてこられる直前、わたしは婚約を破棄されました。
元婚約者の家……リヴァイエス伯爵家より食糧支援や物資の支援はもう受けられない。考えるのよ、もしも……わたしが、ラーカス様のお心を繋ぎ止めておくことが出来れば。もう少しだけでもラーカス様に寄り添って見せることが出来たら、婚約破棄はされても支援まで打ち切られることはなかったのではないか……とね。そうすれば、多少の困窮はあっても、いつか我が領が復興できるまでの間、なんとか保つことが出来たかもしれないのに。でも、わたしは……もともと彼を愛してはいなかったし、懇意にしている女性まで見せつけられて、上から目線で一方的に関係を切られて……、彼に縋りつくよりも、他の道を探ればいいと思ってしまったの。……領民の困苦を考えれば、たとえ虐げられてもラーカス様に縋りつくべきだった。でも……、嫌だったの。それに縋りついたとしても、貶められるだけで、リヴァイエス伯爵家よりの支援など見込めないとも思ったのよね。ラーカス様だけでなくリヴァイエス伯爵からの手紙もあったことだし……。だけど、そんな事情、飢えている領民達には関係ないのよ。食べるものが無ければ飢えるだけなのだから。彼らに困苦を強いることになってしまった責任を……わたしは取らないといけないわ」
「そんなのリステリアだけのせいじゃないだろ」
「ええ、でも、責任の一端はある。少なくとも、リヴァイエス伯爵家からの支援と同等程度は稼がないと……」
「だからって、娼館なんて……」
「ほかに、こんな小娘に何が出来るというの?身を売る以外に?裕福な相手に嫁に行く?国中が困窮しつつあるのよ?他国の貴族になんて伝手もないし……どうしようもないわ」
「リステリア……」
「何も、出来ないの。何も……みんなが、苦しんでいるのに何も……。お父様の前ではね、おどけてわざとらしく喜んでみせたわ。『ラーカス様に婚約破棄されたなら、娼館に行けるじゃないっ』って。『わたし、売れっ子に成れるわよきっと』ってね……。そのくらい言えば、お父様のお心だって罪悪感に浸らないでしょう?わたしが言い出したことなの。だから、大丈夫」
笑う。すっとひと粒、流れた涙など、気がつかないふりで。
手が小刻みに震えているのにも気がつかないふりで。
息を吸って、吐く。そして改めてオババ様とテオに頭を下げる。
「……ここでジャムを煮させてもらって、思いがけず幸せなひと時を過ごすことが出来ました。テオとの約束も果たせましたし、わたし……思いの残すことはありません。ありがとうございました。妖精さんたちもお元気で。リンゴを頂いて、それを屋敷に置いたら、わたしはわたしを売りに行きます」
笑う。また、涙が流れて零れたけれど、知らないふりで、テオを見る。
「テオ、リンゴとわたしを運ぶのだけ、お願いしていい?歩いて持って帰るには遠いから。最後の、お願いだから、頼みます」
テオは苦虫を噛み潰したような顔でわたしを見る。絞り出すような声を出す。
「リステリアはそれでいいのか?娼館なんて、本当にそれでいいのかよっ!」
「……仕方がないわ」
「馬鹿っ!」
軽く、本当に軽くだけど。テオがわたしの頬を叩いた。そのままわたしの頬を、テオの大きな手が包み込んでくれる。
「一人で何でも抱え込むんじゃねえよっ!」
「テオ……」
「言えよっ!『助けて』って!俺がいるだろっ!何でもしてやるからっ!助けてやるから言えよっ!」
温かくて、大きな手。
わたしの喉の奥が詰まる。
……ずっとずっと助けて欲しかった。
誰かに。
災害が起こった三年前のあの日から、わたしはずっと祈っていた。
どうか神様。
どうかお願い。
誰でもいい。お父様をお兄様を、セバスや我が家の使用人たちを、うちの領民たちを……わたしを助けてって。
誰か誰か誰か助けて……って。
最初は、リヴァイエス伯爵家の支援があるから大丈夫だと思っていた。災害なんかが起こっても、すぐに復旧してみせるって。
一年目。頑張れた。
二年目も。まだ大丈夫って。
だけど三年目に入るころには……もう、心なんて折れかかっていたの。それでも領主の娘が弱気になってはいけないって。頑張り続けてきたの。
だけど、嵐が起こるたび、溢れるナーハン河を見るたび、水浸しのままの低地を見るたびに。
自然災害に対する力なんてちっぽけな人間にはないと絶望した。
本当は分かっているの。
わたし一人、娼館に身を売ったところで、せいぜい食べるものをいくつか買い込んで、それで少しばかりの食事を領民たちに振舞える程度にしか、稼ぐことなんてできないということも。
わかっている。
わたしは何もできない。
力が無いのが悔しい。
皆をお腹いっぱい食べさせてあげたいのに、たかだかその程度のことすら出来やしないの。
悔しい。
悲しい。
苦しい。
わたしは泣いて、泣いて、泣いた。
まるで子供のように大きな声を上げて泣きじゃくった。テオのシャツはわたしの涙で濡れてしまっている。気にせず、テオはわたしをぎゅうっと強く抱きしめ続けてくれている。
胸の中に渦巻く感情を抑えきれずに泣いて泣き続けて……しばらく経った後、ようやく涙を止めることが出来た。それでも嗚咽はまだ止まらなくて、目も瞑ったままだったけど。だけど、わたしが多少でも落ち着いてきたのが分かったのか、テオはそれまでぎゅうぎゅうに抱きしめていてくれた腕の力を少し抜いて、わたしの頭をそっと撫ぜてくてた。
……撫でてくれるテオの掌が温かくて、少し、嬉しい。
嗚咽が止まっても、そのまま、わたしはテオの胸にぼんやりと凭れ掛かったままでいた。
だってテオの胸の中は温かい。
何時までもいつまでも、この温かな場所に居続けたいと思ってしまうほどに。だけど……わたしはいつまでもテオに甘えてはいられない。
「ありがとう……テオ」
「うん」
やらなければ。わたしはテオから身を離して、わたしの両手を見る。
小さな、手。
この手でわたしの……わたしとお父様とお兄様のウェステルハイム領を守ることなんで出来ない。お父様たちの手伝いをほんの少し、出来るだけ。だけど、その『ほんの少し』でも、わたしに出来ることがあれば……やらなければ。
嘆いている時間も、テオに甘えさせてもらった時間も……もう終わり。
わたしは、わたしが出来ることを、する。
わたしは泣きはらした顔で、それでも真っすぐにテオを見る。太陽のような金の輝きが、真っすぐにわたしを見る。
助けてくれるとテオが言ったから。なら、わたしは、その言葉に甘える。
「お願いテオ。助けて。何をどうしたらいいのかなんてわからないけれど、わたしの領土を元に戻せるように、その最初の一歩でいい。手伝ってください」
お願いします、とわたしはきっちりと頭を下げる。テオはそんなわたしの頭を撫でて「うん」と言ってくれた。




