嵐
出来上がったジャムも、オババ様に大変満足していただいた。よ、よかったあ……。
「じゃ、オババ。リステリアにリンゴあげてもいいか?」
「ああ、いいさ。持って行くがいいよ」
ニカっと笑うオババ様に頭を下げてお礼を言う。
「ありがとうございますオババ様っ!」
早速リンゴ果樹園に戻って、リンゴを領地に運ばせてもらおう……と思ったのに。オババ様は、顰め面になって、言った。
「ただし、持って帰るのはあと……そうだな、三日、待ちな」
「え?どうしてですか?」
何故?今すぐではいけないの?
「もうすぐ嵐が来るからさ」
「え……」
嵐。その言葉にわたしは目を見開く。まさかまた、あの暴風雨がやってくるというのだろうか。
「それは……この黒の森に雨が降るだけではなく、わたしの家……ウェステルハイム伯爵領にも降るということですか?」
「ああ。ナーハン河はまた溢れるだろうね。そのくらいの大雨だ。今日の夜中には降り始めて、降り続く。三日後には止むからそれから帰った方が良い。魔女の予感さ、外れはしないよ」
ジャムを煮ていた時の、幸せな気分がどこかに行く。リンゴを貰うことが出来たという安堵の気持ちも。
雨が降る。
ナーハン河がまた溢れる。
倒れそうになる身体をわたしは自分でぎゅっと抱きしめた。
雨が、降ってしまう。……止めて、これ以上わたしの領民たちを苦しめないで。今でさえ、もうこれ以上もなく困窮しているのよ。この期に及んでさらに雨なんて……。何とか頑張ってきた皆も、もうこれ以上耐えられないかもしれない。
「リステリア……」
テオが、わたしを呼んだ。わたしはテオに縋りつくようにして、叫ぶ。
「お願いテオっ!わたし今すぐウェステルハイム領に連れて帰ってっ!雨が降る前にっ!みんなのところに戻らないとっ!」
歩いて帰るには遠すぎるのだ。雨が降る前に、テオに送ってもらうしかない。リンゴは後でもいい。貰うことが出来ると伝えるだけでも、少しはみんな、安堵するだろう。だから、でも、まずは帰らないとっ!
即座に了承してくれたテオとはちがい、オババ様は無表情でわたしを見る。
「……お前が一人、領地に戻って何が出来るんだい?何もできないだろう?なら、ゆっくりリンゴでも捥いで、雨が上がるころに帰ったらいいじゃないか。捥ぐのにだって時間はかかる」
オババ様が低い声で言う。わたしは「わかっていますっ!」と叫んだ。
「わかっておりますオババ様、こんな小娘一人では、たいしたことは出来ませんっ!」
「なら、」
「だけどっ!わたし一人、安穏としているわけにはまいりませんっ!わたしは領主の娘ですっ!領民を守る義務がありますっ!!雨になるのなら、それを伝えて、避難所に支援物資を送って……父や兄が指示を出すのを手伝って……その程度です、出来ることなど。だけど、その程度でも、領民の気持ちを、少しでも安らげることが出来るなら、わたしはそれをやらねばなりませんっ!せめて、テオのリンゴを頂くことが出来たと、伝えるだけでもみんなの気持ちは違うでしょう!?」
「……声をかける程度、やる必要はないだろう?リンゴだってやったものを全部食えば、実を結ぶのはまた来年だ。その間、どうするんだい?また飢えるのは確実さ。一時しのぎにしかならないよ。……ああ、そうだ、お前一人くらいならここに置いてやってもいいさ。リンゴ煮もジャムも美味かったからね。テオや妖精と一緒に、ずっとずっとリンゴを煮て暮らせばいい。そうすれば、お前は飢えることなんてないだろう?」
「いいえ」
わたしはきっぱりと否定する。
「わたしだけが飢えることが無くなったとしてもそれは無意味です。だって家族や領民たちはお腹を空かせたまま、困窮したままです。オババ様だって我が領民全てに『ここにいてもいい』などとは仰ってはいただけないでしょう?ですからわたしは……ここには居られません」
「それで?お前一人戻ったところで何にもならん」
わたしは首を横に振る。領民のために出来ることが、まだ、わたしには、ある。
「いいえ、オババ様。頂いたリンゴを配り終わった後は、わたしはこの身を娼館に売るつもりです。自国では難しくとも他国であれば、かなりの金額でわたしを引き取ってもらえることでしょう。それから、その娼館での稼ぎ。最初はそれほど稼げなくとも、高級娼婦となることが出来ればどこかの王族や宰相閣下のお相手も務めることが出来るかもしれません。そんな方々にご寵愛頂ければ……きっと我が領を養うくらいできるはずです。ですから、わたしは行きます。リンゴ、ありがとうございました」
感謝の気持ちを表すために、深く頭を下げる。
「ちょっと待てリステリアっ!」
テオが引き攣った声で叫んだ。
「娼館て……意味、わかってるの?」
わたしは顔を上げて、にっこりと笑って見せた。
「うん、もちろん。たくさんの、知らない男にヒトに、カラダを触られたり……、いろんな事されて……、それでお金を稼ぐの……よね」
娼婦の仕事がどのようなものかなんて、わかっている。知識くらいはある。そんなこと、なんともない、なんて言えないけれど。……本当は、嫌だけれど。もう、他に売れるものなど無いのよ。
だから、泣かない。
張り付けたような笑顔でも、そのまま笑って見せる。
「……もともと、そうするつもりだったもの。覚悟なんて、もうとっくに出来ているの」
強がりだけど、言う。言うことで、その強がりが本当になることを期待して。




