黒の森の魔女
鬱蒼とした森の奥の奥。そこにひっそりと佇む小さな洋館があった。
テオは、わたしを下ろすと「オババー、今いいかー」と声を上げた。
『おばばさまー』
『リンゴもってきたよー』
『りすてりあもきたよー』
妖精たちも、テオに続いて言う。
するとすぐ、ぎいい、と音と立てて、玄関扉が開いた。鷲のように垂れ下がった鉤鼻。杖で体を支えゆっくりと歩く老婆……魔女様だ。
先ずは挨拶をと思ったが、まるでここにわたしなどいないかのように、視線すら合わせてくれない。背が冷える。
「何だねお前たち、五月蠅いね」
しわがれた声で、短く言う。
あたりの気温がすっと下がったようだ。足元から冷気があがる。ご機嫌、悪いのでしょうか……。ちょっと怖い、気が、する。いや、怖いよりも……正直に言うと、寒い。すごく冷えますうううううううう。
「うん、ごめん。だけど、頼みがあるんだ」
「頼み?お前が?」
「正確にはリステリアが」
じろり、と魔女がわたしを睨んできた。途端に魔女のほうから「ヒョオオオオオオ」と音を立てて、風が吹く。寒い。冷える。ガタガタと、体が震えそう。……、もうだめだ。限界。
だけど、挨拶だけはっ!せめてご挨拶だけはまず先に……っ!
わたしは限界ギリギリの身体をぎゅっと引き締めて。両手でスカートの裾を摘まみ、軽く膝を曲げる。陛下に謁見するときのように、深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかります。黒の森の魔女様。わたしはウェステルハイム伯爵家の娘、リステリア・ド・ウェステルハイムでございます」
「帰りな。……領主の娘に用は」
ない、という魔女の言葉を遮って、わたしは叫んだ。耳まで赤くして、力の限り、叫んだのだ。ああもう限界っ!!
「大変申し訳ございませんっ!御不浄を……大至急、御不浄をお借りいたしたくっ!」
「は……?」
ぽかんと、魔女は口を開けた。
だってだってだってっ!
ドラゴンのテオに咥えられて空を飛んで体が冷えて。リンゴたくさんいただいて、つまりは大量の水分を取って。長い時間、森の道を歩いて、そう、時間もかなり経過して。とどめのように魔女からの冷気を浴びて。
完全にっ!わたしの我慢も限界だったのよっ!
リンゴ下さいと頼む間に、その……失禁したらもう目も当てられない。
ほへ?と首をかしげるテオと妖精たち。……そして、一瞬の空白の後に爆笑した魔女。お腹まで抱えているわ魔女様……。あああああ、居た堪れない……。
爆笑した魔女に場所を教えられて、その……お花摘み、を終えた後。わたしは顔をこれ以上もなく赤らめながら、魔女様の家の中に入った。正確には、玄関扉のすぐ前で、地に手をつき、額を床に付けて謝罪をした。土下座だ。
「大変失礼を致しまして、申し訳ございませんでした……」
リンゴを、領民のために分けて下さいと頼む前に、お手洗いを貸してください発言。
魔女様は未だにひいひいと笑っている。ああ、頭があげられない。恥ずかしい……。
そのままの姿勢でいることしばし。
「もういいから、こっちに来て座りな。テオが今あったかいお茶を入れているからね」
笑いながら、魔女様がそう仰られました……。
ううううう、優しさが、逆に辛い。
冷えて御不浄に行きたかったことまで魔女様にはお見通しなのね……。
わたしはもう一度魔女様に深く深く頭を下げると、指示された椅子にちょこんと腰をかけさせてもらった。
「大変……大変失礼いたしました。黒の森の魔女様」
「あははははは、生理現象は仕方がないね。オババでいいさ。魔女様なんて肩が凝る。それにしてもこんなに笑ったのはいつ以来かねぇ……。ああ、腹が痛いくらいさね」
……冷気まで発していた魔女様がご機嫌になれば……ううう、結果的に良かったのかしらどうなのかしらでも……。
と、とにかく、体勢を整えなければっ!居た堪れなさで死んでしまいそう。ああ、でも。どうやってリンゴを欲しいと言えばいいのかしら……。
「はいお待たせ。お茶入れたよ」
「あ、ありがとう……テオ」
コトン、と木のテーブルに置かれた温かいお茶。ほわん、と。栗のような甘い良い香りがした。
「……いただきます」
何かの薬草茶だろうか?少しとろみが感じられる温かさに、わたしはほっと一息つく。
「美味しい。ありがとうテオ」
「そ?良かった」
しばし無言で、テオもオババ様もお茶を飲む。飲み干してから、わたしはすっと背を伸ばして、オババ様を見る。
「オババ様」
「何だね?」
「……大変不躾なのですが、わたし、オババ様にお願いがありまして、ここまでやって参りました」
わたしは我がウェステルハイム伯爵領の困窮状態を手短に説明した。そして、テオが育てたリンゴを、領民のために、分けて欲しいと頼む。
オババ様は、ゆっくりとお茶を飲み干してから、言った。
「……新しい頼みごとの前に、古い約束を果たしな」
「え?」
古い約束、とは何だろう?わたし、オババ様とは初対面なのだけれど……。
わたしが首をかしげると、オババ様はふっと笑った。
「テオとジャムを作るんだろう?」
「え、あ、テオとの約束?オババ様、ご存じだったのですか?」
「そりゃあそうさ。アンタから苗木とリンゴをもらってきたその日から、このテオはアンタのことばかり話してくるのさ。鬱陶しいったらありゃしない」
「オーバーバーっ!」
顔を赤らめたテオに、オババ様はケタケタと笑う。……うーん、オババ様、恐ろしい方と思っていたけれど……そうじゃないのね。よくお笑いになられるわ。
「いつか、リステリアとジャムを作るんだと五月蠅いくらいに何度も何度も」
「そ、そりゃ、楽しみにしてたけど……」
あ、なんだか嬉しい。昔一度会っただけのテオが、そんなにもわたしとの約束を大事にしてくれていたなんて。
「さあ、さっさとお作りよ。材料は何が必要かい?」
オババ様は「よっこらせ」と言いながら、椅子から立ち上がり、壁側の棚から小さな鞄を取り出した。麻で編まれている、肩から掛けられるような、布鞄だった。……中には何も入っていないみたい。ぺったんこだ。んー、この鞄を倉庫とかに持って行って、必要なものを入れて来なさいとか……そう言うことかしら?
「ええと。わたしが農園の方から教わったレシピでは、リンゴとレモン、それに蜂蜜を使います」
「そうか」
『だからねー』
『ぼくたちリンゴ』
『たくさんもってきたー』
妖精さんたちは手にしていたリンゴをごろごろとテーブルの上に置いた。
「じゃあ、リンゴはそれでいいかね」
オババ様は布鞄に手を入れると、何も入っていないように見えた鞄からレモンと蜂蜜の入った瓶を、次から次へと取り出して、それをテーブルの上に並べていった。
「えええええええ?」
レモンは十個くらい。蜂蜜の瓶も同じくらい。何でそんな薄っぺらい袋からこんなにたくさんのものが出てくるのでしょうか……。あ、これが魔法?魔法なのね!?わあ、すごいっ!感激だわっ!魔法なんてあるのは知っているけれど、初めて見たわっ!
「この程度で足りるかね?」
足りますたります足りますともっ!あ、でも……。
「あの……お鍋と竈もお借りしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、ああ、構わないよ。鍋は……二番目に大きいのを使いな。竈の使い方はテオ、」
「ほいほい。俺も一緒に作るから大丈夫。妖精たち、運ぶの手伝ってよ」
『はーい』
『ほいほーい』
『ふふふ、りすてりあのじゃむ、たのしみー』
妖精たちと……テオが、笑う。
ああ、そうね。あの時からの約束だものね。
わたしも、嬉しくなって、みんなでにこにこしながら材料を台所まで運んで行った。




