4.8. 八神圭伍の視点
再び黒いワンボックス車に乗って病院を出たオレたちは、少し離れた喫茶店に入った。社長令嬢のリア子と稼ぎの良さそうな八神圭伍が立ち寄るには、ややリーズナブルな店だ。店内は人でごった返している。2人はこんな所で内密な話をしようと思っているのだろうか?
そんなオレの心の疑問に答えるように、八神圭伍が言った。
「この辺りにはもっと落ち着いた店もあるけど、社長や関係者が来ると厄介だからさ。それに、ここなら隣の客の話だって良く聞こえないから、あまり盗み聞きされる心配も無いだろうと思ってね。」
彼の隣にいるリア子も頷く。
リア子が八神圭伍の顔をチラッと見ながら、小声で言った。
「何から話したら良いと思う?」
「そうだな…。」
八神圭伍がオレの方に向き直ると、笑顔で言った。
「やっぱり、僕たちが付き合っている話からでしょう?」
オレは、そのことをある程度予想していた。
あの事件が起こる直前、黒いワンボックス車から降りてきたリア子の姿を見て、ドローンが映し出した現実世界のムーコはパニックになり現実世界のオレも困惑していたように見えた。AM世界のオレだって、息を呑んだのだ。
だけど、2人が付き合っていたのであれば、全て辻褄が合う。ムーコは、両親の会社すなわちレゾナンスの優秀な社員とリア子が付き合っていると言う噂を聞いて、焦っているようだった。でも、ムーコはリア子の相手が誰だか知らなかったのだ。そして、それこそが八神圭伍、その人だった。
謎が一つ解けたと思ったのだが、そうすると別な問題が湧き起こった。八神圭伍とリア子が付き合っているなら、なぜ彼はムーコを追いかけるようなことをしたのか?…ストーカーのように。
そこで、オレは直接疑問をぶつけた。
「それなら、八神さんはどうしてムーコをストーキングしたんですか?」
今度は、八神圭伍が困惑する番だった。
「ストーキング?僕が?」
オレは困惑する八神圭伍を真っ直ぐ見すえて…彼はオレに睨まれたと思ったかもしれないが…、そして応えた。
「そうです。」
八神圭伍は、今度はリア子に救いを求めるような視線を向けた。すると、リア子が八神圭伍に応えて、オレの疑問に答えた。
「私が圭伍さんにお願いしたんです。もちろん、ストーキングではなくて、監視ですが…。」
しかし、リア子の答えはオレに新たな疑問をもたらした。それは、
「それなら、どうしてリア子さんはムーコを監視する必要があったんですか?」
ということだった。
今度は、リア子が困って八神圭伍の方を見た。すると、八神圭伍は答えた。
「リア子、やはり桜井君には、今回の問題の発端から話さないとわかってもらえないと思うんだ。ムーコさんにも、そうするべきだったように…。」
それに対して、ため息をつきながらリア子が応えた。
「そうね。圭伍さんの言う通りだわ。あの事件が起こる前に、ムーコにもきちんと話しておけば良かった…。」
すると、八神圭伍がリア子を擁護するように言った。
「過ぎたことは仕方がない。レゾナンスや君のお父さんにとっては、あまり知られたくないことだったし。…残念な結果になってしまったけど…。」
それを聞いてリア子は俯いたが、顔を上げて言った。
「でも、せめて巻き込んでしまった桜井君には本当のことを知って欲しいわ。だから圭伍さん、説明してあげて。」
かなり躊躇しながらも、八神圭伍はこんな話をした。
何年前のことだったか、大学を卒業したばかりの八神圭伍は、Integral Computing Powers、略してICPというシステム開発の会社に就職した。そこには高坂和巳というワンマン社長がいた。
ある日、八神圭伍は上司であるプログラミング部門のチーフに呼び出されると、
「来年、レゾナンスという会社を立ち上げることになっているので、君にも異動してもらう。」
と告げられたそうだ。子会社でも立ち上げるのだろうか? まだ新人だった彼は、言われるがままに頷いた。
それから1年後。八神圭伍が指定された場所に出勤すると、そこには大きな建物が建っていた。指定された部屋に入ると、プログラミング部門のチーフを含めて、ICPの主だった人たちが勢揃いしていた。
そして、「レゾナンス」創立の挨拶が始まった。ICPの頃からのチーフに指示されて、Web会議アプリケーションで視聴した。すると、ICPでは社外取締役だった平山龍生を社長として、ICPの役員の面々が映し出された。
だが、ICPの社長、高坂和巳の姿はそこには無かった。何故だ?…まだ社会人2年目の八神圭伍は考えた。彼がたどり着いた推測は、ICPを持ち株会社にしてレゾナンスを設立し、元々のICPの業務も引き継いだんだろう…というものだった。
ところがそのうち、ICPが倒産したというニュースが聞こえて来た。すると、きっとレゾナンスも危ない。八神圭伍はそう思って、転職先を探し始めた。…が、彼から見える範囲では、レゾナンスは順風満帆どころか絶好調だ。
自分の進路に悩み始めた頃、給与もボーナスも上がった。しかも、レゾナンスでの仕事は忙しく楽しい。やがて、彼は転職活動を忘れた。
そんな彼の転機は3年前の春に訪れた。
レゾナンスからの帰り道、普段歩く人のいない街外れで、彼の黒いワンボックス車の前に何かが飛び出して来た。急ブレーキをかけて、どうにか衝突を回避できた。
ホッとした彼がハザードランプを点けてクルマを降りると、若い女性が倒れていた。女性は呼吸をしているようだったが、意識は無い。彼は動転したが、救急車と警察を呼んだ。
ふと女性から目を離して辺りを見回すと、こちらをジッと見ている男がいた。髪はボサボサの白髪、着ている服はボロボロのジャケット。浮浪者だろうか? 何故か、彼の顔をどこかで見たことがあるような…そんな気がした。
やがて、パトカーと救急車が来た。彼が警察官に状況を説明すると、目撃者について問われた。そこで、
「浮浪者が見ていたと思う。」
と説明しつつ彼を探したが、既にどこかへ消え去っていた。
八神圭伍は、パトカーの中で人身事故の容疑者として尋問されることになってしまった。今朝起床してから今までのこと、全てを洗いざらい聞かれた挙句に、マイナンバーカードで身元を確認されてようやく解放された。
ところが翌日、落ち着かない気分で仕事を終えた彼は、昨日の警官から電話で連絡を受けた。女性の意識が回復し、彼の容疑が晴れたのだと言う。
そこで警官に、容疑を晴らしてくれたお礼を兼ねて、女性のお見舞いに行きたいと告げた。一度電話を切った警官から再度連絡が来て、女性は片岡病院に入院中で、面会可能とのことだった。
なんと、今回で100話目でした。
大雑把にあらすじを決めて、書き綴ってきた私としては、まだ道半ばです。
ですが、100話も書いて来たというのは、とても自分のこととは思えないような驚きです。
これも一重に、お読みいただいてきた皆様のおかげだと思います。
ありがとうございました。
また、次話もお読みいただけると幸いです。