王国一の無責任令嬢~そのうちなんとかなりますわっ!~
長い王国の歴史において女傑として名高いニコール・フォン・プランテッド公爵令嬢の名言に、こんな言葉がある。
「お金がないなら、わたくしのところにくればいいじゃない」
これは、能ある人材を身分関係なく採用し、分け隔て無く接した彼女の懐の広さを表したものとして、今でも人々の口に上るものだ。
麦穂の実りを象徴したかのような輝く金髪を波打たせ、若干つり目ながら整った顔立ちに秋の青空を思わせる澄んだ青い目を輝かせていたというが、そこにこの度量があったとすれば、それはさぞかし人気にもなろうというもの。
しかし、実際に彼女が言った言葉には、続きがあった。
「わたくしもございませんが、心配しないでくださいまし。
大丈夫、そのうちなんとかなりますわ!」
……こうである。
つまり、かの名言は、彼女の懐の広さを表したものではない。
彼女の無責任さを表したものだったのだ。
まあ、本当になんとかなってしまったために、彼女は王国史に名を残すことになるのだが。
しかし、当時の人々がそれを知ることは、もちろんなかった。
「旦那様、何とかしてください! またニコールお嬢様が、大量に平民達を連れてきてしまわれて!」
「わかっている、私も困っているんだ!」
プランテッド公爵邸、執務室。
邸内を取り仕切る侍女頭の悲鳴のような声に首を竦めながら、公爵が言い返す。
金髪碧眼、若い頃はさぞかしモテたであろうその姿は、歳を取って若干緩み、何より疲労で陰りが見えていた。
御年45歳、この時代としては遅めに生まれた娘であるニコールを、甘めに育ててしまった自覚はある。
だが、決して何もかもを許してきたつもりはない。なのに、止められない。
「ニコールが連れてくる連中が使えるのばっかりで、支払う給与がうなぎ登りだからな!」
「そっちなんですか!?」
思わぬ公爵の言葉に、侍女頭は目を剥きながら声を上げる。かなりはしたないが、ここに咎める者はいない。
同じように驚いて居るか、事情を知っているかのどちらかだからだ。
「考えてもみてくれ。路頭に迷って明日の食事にも、雨風しのぐ場所にも事欠いてた人間が、公爵令嬢の気まぐれで住み込みの仕事を手に入れたんだぞ?
この幸運を逃してなるものかと働くに決まってるだろう。
ついでに、モラルの高いのは『お嬢様のご恩に報いるために!』とか言ってめっちゃ頑張るし」
「な、なるほど、言われてみれば……? で、でも、そんなまっとうな人間ばかりでもございませんでしょう!?」
「あ~……そこは何て言うか、人を見る目はあるっちゃあるみたいなんだよな~、ニコールは」
流石私の娘、という言葉を飲み込んだが、その緩んでしまった顔が思い切り物語っている。
つまり、結局公爵も愛娘に対して甘いのは甘いのだ。ただ、今のところはそれが悪い結果になっていないだけで。
「もっと困ったのがな~……こないだ連れてきた、元侯爵家の会計係。大分侯爵家で理不尽な扱い受けてたみたいでねぇ。
試しに働かせたら並みの人間の三倍の速度で処理していくし細々と気が利いて他人のサポートもしてるしで、さ。
彼がいなくなって侯爵家が大変なことになったおかげで、色んな事業やらがうちに転がり込んできてそっちの管理でまた困ってるし」
「それはもしや、嬉しい悲鳴というやつでは……?」
「うん、そうとも言う。大体そんな感じで、ニコールが誰かしら連れてくるとうちの事業がいつの間にか拡大してるから、めっちゃ困ってる。だから止められないんだよ」
困るとわかっているけど止められない。
儲かってしまうとわかっているし、人材を失わずに済むとわかっているから。
だから、公爵は今日もまた、ニコールが連れてきた平民達を受け入れるしかないのだ。
そんな、ニコールのノリと勢いと豪運で勢いを増すプランテッド家を、快く思わない者達も当然いる。
特にニコール本人の奔放な振る舞いと、それでいてなんとなく上手くいく様は各方面で不興を買っていた。
……正確に言えば、彼女によって不利益が生じた方面では、だが。
だから、嫌がらせの類いも少なくない。
「はい? 大使としていらっしゃる隣国の王子を歓待する夜会に出るように、ですか? わたくしが?」
「そうなんだ……これは国王陛下からの招待、事実上の命令だ」
執務室で小首を傾げるニコールに、公爵は苦虫を噛みつぶしたような顔で応じる。
16歳となった彼女が夜会に招かれること、それ自体はないことではない。
しかし、その奔放な言動からお堅い場には招かれておらず、そんな彼女が王宮の、それも外国の王族を迎える場に招かれるとは、小首を傾げたくもなろうというものだ。
「まあ、立場的には招かれてもおかしくはございませんけども……それで、その夜会はいつなんですの?」
色々疑問には思うが、一旦飲み込んだニコールは、気持ちを切り替えて準備の段取りをするために父である公爵へと問いかけた。
その質問自体は至極真っ当で、むしろ当たり前すぎるもの。
だというのに、公爵は一瞬言葉に詰まってしまった。
「……お父様?」
「……一ヶ月後だ」
「……はい?」
信じがたい言葉に、ニコールは思わず聞き返してしまった。
「一ヶ月後だ。我が家をよく思わない連中が、情報を止めていたんだっ」
吐き捨てるように言いながら、バンッ! と大きな音を立てて公爵は机を叩いた。
外国の王族を迎える場となれば、貴族令嬢や婦人の装いはそのために誂えたドレスであることが当然だ。
勿論その装いは出来る限り上等なものでなくてはならず、準備しようと思えば半年から一年かかることもザラ。
だから当然その調整や告知も遅くとも半年前には為されるはずなのだが、これが意図的に伏せられていたことになる。
それも、ただ一人、ニコールを陥れるためだけに。
「私は夜会に出ることも多いから、別件で使うはずだったものに微調整を入れれば問題無い。
だがニコール、お前のドレスは……」
絞り出すような声で言いながら、公爵は顔を伏せた。
ただでさえ、上位貴族がドレスを使い回すなど恥ずかしいこととされる上に、他国の王族を前にしてとなれば、その無作法さはこれ以上無いほど。
かといって、それを避けるために王家の命令を蹴って不参加など、出来るわけもない。
出るにしても出ないにしても、ニコールの社会的立場に大きな傷が付いてしまうことは間違いない。
足下を掬われてしまった己の不甲斐なさに、公爵は顔を上げることも出来なかった、のだが。
「大丈夫ですわ、お父様」
あっけらかんとしたニコールの声に、思わずハッと顔を上げる。
その目に飛び込んできたのは、いつもと変わらぬ明るい笑顔。
あまりに裏表がなさ過ぎるという意味で令嬢として心配になる笑顔が、そこにはあった。
「大丈夫です。我がプランテッド領には腕のいい仕立て屋が何人もおります。きっと彼らがなんとかしてくれますわ」
「え、いや、確かに彼らの腕は王国一と言ってもいいが、しかし……いくらなんでも、六分の一の期間だぞ!?」
「大丈夫です、彼らならやってくれます。それに……」
特に根拠もなく、大丈夫を連発するニコール。
そして、そこで一旦言葉を切った彼女は、にっこりと極上の笑みを見せて。
「もし間に合わなかったとしても、私が恥をかくだけじゃないですか」
本当に気負わず。何も背負わず。お気楽な声で、そう言い切ったのだった。
「ということで、急ぎでドレスをお願いしたいのよ、ルーカス」
「なるほど、隣国の王族を招いた王宮での夜会にてお召しになるドレスを、一ヶ月で……かしこまりました」
公爵との会話が終わるやいなや、先触れとほとんど同時に御用達の仕立て屋へとやってきたニコールは、初老の男性、この仕立て屋のオーナーであるルーカスに無茶ぶりをしていた。
だが、それが酷い無茶ぶりであることを、間違いなくニコール以上によくわかっている熟練の仕立て屋であるルーカスは、迷うことなく頷いてみせた。
「ありがとう、ルーカスなら受けてくれると思ったわ。
あ、でも、出来る限りでいいからね? 無理して身体壊しても仕方ないし」
「お気遣いありがとうございます。ええ、無理はいたしませんとも」
ルーカスの返答に満足したニコールは、「じゃあ、お願いね? 無理しないでね?」と念を押しながら仕立て屋を後にした。
それを通りまで出て恭しく頭を下げ見送ったルーカスは、ニコールの乗る馬車が見えなくなってからようやく頭を上げ。
ずかずかと大股で歩き、仕立て屋の工房へと踏み込んだ。
「全員、手を止めて集合なさい」
静かな、しかし有無を言わせぬ迫力に、工房で作業していた全員が手を止め、何事かと慌ただしく集まってくる。
そして全員が集まったことを確認したルーカスは、おもむろに口を開いた。
「つい今し方、ニコールお嬢様からのご依頼を受けました」
その発言を受け、喜びの声があがる。そう、彼らはまだ何も知らないのだ。
だから、ルーカスは手を挙げて彼らの声を押しとどめる。
「依頼は、隣国の王子を大使とする使者ご一行を歓待する王宮での夜会用ドレス。
……納期は、一ヶ月」
王宮での夜会、まで聞いて盛り上がっていた空気は、一気に冷えた。
一ヶ月で、最上級のドレスを仕上げる。
それがどれだけ無茶なことか、当然彼ら彼女らはよくわかっていた。
「詳しいことは省きますが、お嬢様と旦那様は嵌められたのです。
そして、こんな理不尽な状況の中、お嬢様は私達を頼りにしてきてくださいました」
そこで一度言葉を切ったルーカスは、ゆっくりと天井を見上げた。
その先に、かつての思い出を追うように。
「皆さんには話したでしょうか。私が、今こうして店を一つ、それも公爵様にお引き合いいただける程の店を持てるようになったのは、全てニコールお嬢様のおかげだと。
あの日あの時、ニコールお嬢様に拾っていただいたからこそ、今の私があると」
そこまで言って、ルーカスはぎゅっと目を閉じる。
思わず目から溢れそうになったものを堪えることしばし。
堪えきれなかったものを滲ませ、目を赤くしながら、彼は従業員達へと向き直った。
「私は、今こそお嬢様のご恩に報いる時だと、そう思っています」
ルーカスが言えば、次から次へと声が上がる。
「俺だってそうです! ご令嬢の希望に添わない型紙を作ったからって放り出された俺を、気に入ったの一言で引っ張り上げてくれたのは、ニコールお嬢様です!」
「あたし達だってそうです! 戦争に巻き込まれて逃げ出した、難民のあたし達を拾ってくれて、針仕事を身に付けさせてくれたニコールお嬢様のご恩を忘れたことなんてありません!」
私も、俺も、と次から次に声が上がる。
その声を受け止めていたルーカスは、それらがようやっと一段落ついたところで、ゆっくりと、大きくうなずいて見せた。
「皆さんの気持ち、よくわかりました。では、我ら一同、ニコールお嬢様へのご恩返しと参りましょう!
心配はいりません、まかないは出します、手当はいつもの三倍つけます!
我らのあらん限りでもって、お嬢様のご恩に報い、信頼に応えて差し上げましょう!」
ルーカスが檄を飛ばしながら腕を突き上げれば、従業員全員が声を張り上げ、腕を突き上げて応じる。
その熱気は、不可能なことなど何もないと思わせるに充分なものだった。
ニコールは知らない。
彼女が言った『出来る限り』が、ルーカスの中で『あらん限り』に変換されていたことを。
そして、ニコールの恩に報いようと思った彼ら彼女らにとって、限界を超えることは無理なことではないということを。
そして、一ヶ月後。夜会まで後数日というその日。
「まあ……なんて素晴らしいの!? え、ちょっとルーカス、ほんとにこれ、一ヶ月で作ったんですの!?」
公爵令嬢であり、豪奢なドレスなど見飽きているはずのニコールも絶賛するドレスが、仕上がっていた。
ドレスを着せられた人形の周囲を目を輝かせながらくるくると周るニコールを、満足そうな顔でルーカスは見ている。
「ええ、もちろん。いえ、パターンナーの者は以前からいくつか型紙を暖めていたようでしたがね。
しかし、制作から仕上げまで、間違いなく一ヶ月で終わっておりますし、無理はしておりません。
いかがでしょう、お気に召していただけましたでしょうか」
ルーカスの言葉に、くるんとその場で綺麗なターンを見せたニコールは、それはもう最高に明るい笑顔を見せた。
「もちろんよ、最高だわ! 流石ルーカス、お願いしてよかったわ!」
「……そうおっしゃっていただければ、我ら一同、報われた思いです」
その笑顔に喉を詰まらせたルーカスは、一瞬天井を見上げ。それから、なんとかいつもの笑顔を浮かべ、にこやかに答える。
そんなルーカスの元へ、つかつかと、ご令嬢としては若干はしたないくらいの勢いで歩み寄ったニコールは、ずい、と彼に向かって公爵家の家紋が焼き印で付けられた革袋を押しつけた。
「本当によくやってくれました。お代はいつものようにプランテッド家に請求してくれたらいいですけれど、それとは別にこれを。
頑張ってくれた皆さんへの、心付けです」
反射的に受け取ったルーカスは、その重みと、貨幣の立てる響きで金額がおおよそ想像できて、驚愕に目を見開く。
「なっ、い、いけませんお嬢様! いくらお心付けといえど、こんなにいただくわけには!」
恐らく従業員全員に配っても、一人当たり二ヶ月分の月給にも相当しそうな金額。
そんな大金をぽんと渡されたのだ、いくら高額な貴族向け衣服を扱い慣れているルーカスと言えど狼狽もしてしまう。
だが、押しつけた当のニコールは涼しい顔だ。
「いいんですよ。期待通りの、いえ、それ以上の仕事をしてくれて、本当に感動してますのよ?
こういう時は、ぶわぁ~っと使わないとなのです、ぶわぁ~っと!」
と、両手を広げながら殊更明るく言うニコールに、ルーカスもそれ以上反論することなど出来はしない。
口を開けば、年甲斐もなく泣きわめいてしまいそうだったから。
だから彼は、深々と頭を下げることで感謝の意を示した。
ちなみに、彼ら入魂のこのドレスだが、ニコールの身体にぴったりと合っていることはもちろん、豊かな胸やくびれた細い腰、そこから優美なカーブを描くヒップラインといった魅惑のボディを完璧に演出していただけでなく、彼女のちょっとした仕草にも柄が変化して見え、より魅力的に見せていた。
その姿を見た隣国の王子をして「これは、愛の結晶だ。職人達に心の底から愛されていなければ、ここまで彼女の全てを引き立てるドレスなど出来るわけがない」と絶賛され、プランテッド家は大いに面目を施すことになるのだが、今のニコールは、もちろん知るわけもない。
「は~……流石に今回ばかりは肝が冷えたけれど、なんとかなったわ~」
「なんとかなった、じゃありません。またあんなにお金を渡して……また今月のお小遣いすっからかんじゃないですか」
「大丈夫大丈夫、それこそなんとかなるって~」
帰りの馬車の中、安心して気が抜けたニコールがぐんにゃりと姿勢を崩せば、ぺしっとその膝が叩かれる。
「そもそも、はしたないです。ルーカスさんのお店でも、ちょっとどうかと思われる言動が多かったですし」
「いいじゃない、ベルしか見てないんだし~」
そう言われて、ニコールの向かいに座る侍女のベルは、困ったように眉を寄せる。
侍女として感情を出来るだけ出さないようにと気をつけていても、どうしてもニコールの言動には眉を寄せる場面が多くなってしまう。
「よくはありません、一事が万事と言います。今回みたいな陰湿なことを仕掛けてくる性根の腐った貴族の風上にも置けない連中から今後もちょっかいを掛けられるかも知れないのですから、普段から気をつけてください」
「……あれ? もしかしてベル、怒ってる? わたくしでなく、仕掛けてきた相手に」
「知りません」
ぷいっと横を向いたベルのその横顔を、楽しげな笑顔でニコールは眺めている。
そう、ベルもまたニコール大好き人間であり、彼女の言動についつい喜んだり、彼女に敵対する人間に怒ったりと湧き上がる感情を抑えるのに苦労しているために、眉を寄せることが多くなってしまっているのだ。
「大丈夫よ、今回もこれならきっとなんとなかるし、これからもきっとそうだから」
すこんと突き抜けた青空のように笑うニコールを見ていると、本当にそうなりそうだと思ってしまう。
そして、実際にそうだったから、彼女は歴史に名を残すことになったのだが。
ニコール・フォン・プランテッドは、『なんとかなるだろう』が口癖の、無責任な令嬢だった。
だが、本当になんとかなってしまった。周囲の人間がなんとかしてしまっていた。
ただし、周囲の人間がそう動いたのは、彼女の資質によるものだった。それだけの話なのだ。