2.推しの幸せは自分の幸せ
しかし二人は筋金入りのラブ鐘ファン。まずは推しの姿を拝もうと、翌日学園の茂みに隠れてグレイシアの姿を目に焼き付けていた。涼しくなってきたとは言っても、まだ昼間はあたたかい。
二人の視線の先にいるグレイシアは、学園の制服を一分の隙もなく着ており、日の光を浴びる銀色の髪は艶やかで、悪役令嬢らしい古典的な縦ロール。二人はこの世界にスマホがないことを激しく後悔しながら、「やばいやばい」と小声で感動の声を漏らし、口を両手で塞いでいた。
凛とした澄まし顔、長いまつげが彩るつり目、自他ともに厳しくはっきりと物を言う性格のせいか、グレイシアが他の令嬢と一緒にいることは少ない。今も専属の従者がお茶を淹れ、グレイシアは静かに飲んでいた。二人は推しが動いていると、涙を浮かべ、顔を見合わせるとガッシリと握手をする。すぐそこにグレイシアがいなければ、この喜びを言葉にしてマシンガンのように撃ち合っていただろう。
「もう、尊い……」
「尊い……」
いつしか二人は胸の前で手を合わせて拝んでいた。そうさせられる神々しさがある。
「グレイシア様が座っている椅子になりたい」
「じゃあ、俺はお使いになっているテーブルになる」
二人して大真面目な顔で、そんなことを呟いていた。二人が大好きなグレイシアが、絶望に染まった表情でも、嫉妬で歪んだ表情でもない、ただ穏やかに過ごしているのを見られただけでも幸せだった。そして、もっと近くで見たい、家具になりたいと願望があふれ出している。そこにつっこみはない。
その時、従者がグレイシアに近づき、耳打ちをした。公爵家の従者は見た目もよく、それだけで二人は鼻血が出そうになる。二十代後半の大人の色気があり、それだけで一時間は語れそうだ。
「きゃぁ、ちょっ……死ぬ」
「うっわぁ……執事あり」
おいしいシチュエーションを堪能していると、グレイシアが立ち上がった。
「やべぇ、グレイシア様が立ったよ」
「動いてる。歩いてるよ……こっちに?」
髪を揺らしてグレイシアは二人が潜む茂みへと近づいて来ている。そこは中庭の奥まったところで、わざわざ来るようなところではない。二人はまずいと顔を見合わせ、逃げようと身を翻した。その背に声がかかる。
「そこで何をしているの?」
涼やかで、うっとりと聞き惚れてしまう美声。ゲームの中と同じ声に、二人は足を止めてしまった。逃げようと身を起こして走りかけていた二人の姿が、グレイシアの藍色の瞳に映る。険しかった表情が、意外そうなものに変わり目を瞬かせた。
「あら、逢引きだったの? 無粋なことをしてごめんあそばせ」
大好きなキャラから話しかけられるという卒倒もののイベントに、二人は固まり、ぎこちなく振り返る。公爵令嬢であるグレイシアから声をかけられたのに立ち去っては、無礼であると同時に、推しを無視するなど一生後悔するようなことはできなかったのだ。
カラカラに乾いた口をミレアはなんとか開き、喉から振り絞るように震えた声を出す。
「ほ、本日はお日柄もよく……」
空回りする頭からひねり出した挨拶は、令嬢に対するものではない。頭を下げたユーリオに「おい」と肘でつつかれ、慌ててカーテシーをした。
「申し訳ありません、グレイシア様。お邪魔をするつもりはなかったのですが……」
ユーリオの喉も乾ききっていて、心臓は耳元にあるのかと思えるくらいうるさい。それでも、なんとか無礼にならない言葉を返すことができた。
「そんなに畏まらなくていいわよ。ミレア・モンテリオール伯爵令嬢に、ユーリオ・ザッケンベルト伯爵令息ね。仲睦まじくてよろしいけれど、一応学園なのだから節度はわきまえなさいね」
そう神のような存在に名前を呼ばれた瞬間、二人は心臓をさらに鷲掴みにされ、頬を涙が伝った。推しに名前を憶えてもらっているなんて、明日死んでもおかしくないような奇跡だ。突然泣き出したためグレイシアはぎょっとするが、二人に察する余裕はない。
「グ、グレイシア様に名前を、憶えて、頂けているなんて……」
感極まってハンカチで目元を拭うミレイアに、
「俺……死んでもいい」
と目頭を指で押さえ、万感の想いを吐き出すユーリオ。思いもよらない反応に、グレイシアは戸惑っていたが、すぐにいつもの澄まし顔に戻った。
「公爵令嬢だもの。当然、貴族の子女の顔と名前は憶えているわ」
そう当然だと胸を張るグレイシアに対し、二人は涙ぐんで「素晴らしいです」と小さく拍手をする。見ようによっては失礼にもあたるのだが、頭の中がグレイシアファンに戻っている二人は気づかない。
「まあ、最近周りがピリピリしているものだから、不届き者でもいるのかと思ってしまったの」
それが断罪イベントの前触れだと理解した二人は、推しに会えた感動で昂った気持ちのまま、反射的に言葉を返した。ずっと、ゲームの中のグレイシアに伝えたかった言葉を。
「私! グレイシア様のことが大好きで応援していますから! その悪者をやっつけてきます!」
「グレイシア様が心穏やかに過ごせるように全力を尽くすので、安心してください!」
「え? ちょっと、貴方たち?」
推しの幸せは自分の幸せ。今まではどうあがいても変えられなかった運命が、今なら変えられるかもしれない。そう思うと、二人は居ても立っても居られず、美しい所作で別れの挨拶をすると、ぽかんとするグレイシアを置いて校舎へと向かったのだった。
尊く麗しいグレイシア様のために、断罪イベントを回避する。そのために二人は記憶にある伝手を使って、あらゆる情報を調べた。まずは正確なストーリーの進み具合、ヒロインのルート選択、各キャラの好感度、グレイシアの動きなど確認するところはたくさんあるからだ。
善は急げと、授業が終わった二人は同じ馬車でそのままザッケンベルト家に帰り、サロンで作戦会議をすることにした。一緒に馬車に乗って来たミレアに、ザッケンベルト家の使用人たちは驚いたようだったが、二人はお茶とお菓子の用意だけしてもらうと人払いをして話し合う。そして情報を合わせた結果……。
「ヒロインいないって、どういうこと?」
「しかも、第一王子がかなりチャラいんだけど」
だいたいはゲームのストーリーと同じように進んでいたのだが、大きな違いが二つあった。それが、ヒロインがいないことと、第一王子の性格が違うことだ。他の攻略キャラはおおむね同じであり、それぞれすでに婚約者がいたり、学園生活を満喫していたりしていた。
「誰もヒロインの名前を知らなかったし、記憶にある限りの茶会や夜会でも見てないの」
首をひねるミレアと腕を組んで唸るユーリオ。
「プレイヤーがいないから、ヒロインがいないってことか?」
「う~ん、わかんないけど、王子よりは問題じゃないと思う」
「だよな……」
ヒロインのことは軽く流して、話は王子へと移る。ラブ鐘の攻略キャラで断トツ人気だったのが、第一王子のフーリスだった。ヒロインより二つ上で、学園の三年生である。さらさらの金髪に、青色の目、タイトル画面の中心を飾る微笑の王子様で、優しく常にキラキラしていたのだが。ユーリオが宙に視線を飛ばし、聞いた話を思い出しながら口を開く。
「あんなに女好きで、あっちこっちの女の子に声かける奴だとは思わなかった……しかも、婚約者がいる子にも手を出したみたいで、男たちの恨みの声がすごかったぜ」
「うん……そのせいで、王子の婚約者のグレイシア様が火消しに走り回ってるって」
グレイシアはどのルートでも王子の婚約者であり、その立場を使ってヒロインの邪魔をしてくるストーリーだった。それが今回は苦労をされているようで、ミレアが茶飲み友だちから話を聞いた時は、涙ぐんでしまったほどだ。
「俺が聞いた中にも、グレイシア様じきじきに謝りにこられて、恐縮したって。婚約解消をする場合は、良縁を紹介してもらったってよ……まじ神かよ」
二人が聞きまわった感じでは、王子に対する評価は最悪で、グレイシアと親密にしている人はいないものの、同情や感謝の気持ちを寄せる人が多かった。これもゲームとは違うところで、気をよくした二人はここぞとばかりにグレイシアの素晴らしさを熱く語ってしまい周りを驚かせていたのだが、二人は気づいていないことである。
そして明らかになった問題が一つ。
「ヒロインがいないなら、断罪イベントは回避できるかもって思ったけど、なんかやばそうなのがいるのよね」
「あぁ、最近王子とずっと一緒にいる子だろ? 確か……エヴィリーっていう。王子が入れ込んでいるみたいで、本気にしているんじゃないかって噂になってた。あんなの、ゲームにはいなかったよな」
「いないわよ。今日ちらっと見たけど、あんなあからさまに媚びを売ってるような子のせいでグレイシア様のお心が晴れないなんて、腹が立つ!」
「俺達でグレイシア様をお守りしよう!」
「うん!」
二人はしっかりと頷きあい、話がひと段落したところで用意してもらったケーキのお皿を近くに寄せる。チョコレートケーキとシフォンケーキ。どちらもおいしそうだ。ミレアはチョコレートケーキを選び、フォークで大きく切ってぱくりと食べる。ご令嬢たちがいるお茶会では品がないと眉を顰められるが、今はユーリオだけ。
「おいし~」
口の中にチョコレートの味わいが広がり、ほろ苦いチョコクリームがまたいい。少し洋酒の香りもして、ミレアは笑みがこぼれた。ユーリオもシフォンケーキを食べ、「うまい」と頷く。
「乙女ゲームの世界だからか、食事はうまいよな」
「ね~。学食に普通にそばとかうどんあったもんね。なんでもありって感じ」
元日本人の二人にとってはありがたいが、考えてみれば近世ヨーロッパ風の世界なのに不思議な話だ。ミレアはチョコレートケーキを半分くらい食べたあたりで、じっとユーリのシフォンケーキに視線を向けた。わかりやすく矢印がでており、ユーリオは「しょうがないなぁ」と大きめに切り分けてフォークで刺した。
「ほらよ」
そうして口を開けて待っているミレアに向ければ、魚のごとくパクリと食らいつく。はしたないと窘められる行いだが、幸いここには二人しかいない。前世では自然なことで、これが二人の距離感だった。
「まったくお前は~」
「おいし~。シフォンケーキもいいよね。おいしいケーキが毎日食べられるなら、ザッケンベルト家にお嫁に入ってもいいかも」
ザッケンベルト家はケーキ作りで有名で、王都内に有名ケーキ屋をいくつか展開している。当然屋敷で働いているパティシエも超一流で、ミレアはザッケンベルト家を訪れるたびにおいしいケーキに舌鼓を打っていたのだ。
そして小腹も満ちた二人は、今後のストーリーと問題の女の子が取りそうな行動とありそうなストーリーを話し合っていく。
「美しくて優しいグレイシア様のために、頑張るわよ」
「あぁ、影からグレイシア様をお守りしよう!」
二人はやる気に満ちた顔をしており、グレイシア断罪イベント回避に向け動き出すのである。