日常編(13)/奇跡の子(1)
「もちろん、私にも根拠なんてありません。『奇跡の月の子』なんて、伝承として残っているだけで、
誰も解き明かそうともしない……世界の謎の一つです」
「けど、信じるに足る。そう思ったから俺にも話したんだろう?」
「ええ。クリストフ様はずっと、おひとりで悩んでいらしたから。ろくすっぽ解決策も提案できなかったこと、私も後悔していますわ」
ブルーベルは静かに目を伏せる。
「けれど、貴方が私たちを覆っていた影を退治してくれた。暗闇を払ってくださったわ。
これよりは御恩返しのため、しっかりと働きますからね」
言いたいことを言うだけ言って、ブルーベルは塔の方へ歩き去った。
「……」
王はソファに身を沈めて、ラルフのことを考える。
望むものを与えてくれていた君主に残酷に裏切られた彼は、なおもその影を追っている。
第三の月の奇跡はまた起きるだろうか?
魂にこびりついた邪悪な影を取り除かれ、新しい身体と心を得て、
ラルフが君主と見定めた世界でたった一人の男は、復活を見るのだろうか。
考え込む王の部屋に、控えめなノックが三度、響いた。
「ニーナ、おいで」
静かにドアを開けて、金龍の娘が歩いてくる。
音もさせない身のこなしは変わらない。剣自慢のクラウス卿が激賞していただけのことはある。
「練習は楽しかったか?」
ちょこんとベッドに腰かけた幼子に、ソファを降りて目線を合わせた王が尋ねる。
嬉しそうににっこりして頷いた。
ウォルト=ケネスが開いた武術教室に通わせている他、リュミーィシェ夫人の講義も受けさせている。
無理をさせようというのでは決してない。本人の希望あってのことだ。
歳に似合わぬ多忙でもまったく疲れることなく、新しい環境での日々を楽しんでいるようである。
ニーナはアルフレッドが自ら作って持たせた筆談手帳に、素早く文字を書いていく。
生来無口な性質のようだとクリストフから聞いているが、懇意の魔法医師によれば、
無茶な身体強化の後遺症が少し残っているという。
本来は暗闇をはねのける金龍の力を減じて、あえて暗黒魔法を受けたというのだ。
自分をこの世界に出現させた人物の願いに、この娘の取りうる方法で応えたのだろう。
王は上機嫌で、娘が書き終えた文字を読む。
仲のいい友人と手合わせを何度も行ったとか。
警備隊の隊長をつとめる、ファーウィンド女史のことだ。
彼女の名もニーナという。
初めて顔合わせした時には、王も存分に驚いたものである。
最近頭角を現しつつある『緑風商会』会頭グエン氏の末娘だが、
本人は至って淑やかで、優れた才能の割に嫌味なところがない。
可愛らしい所作や容貌も相まって、警備隊員からの人気が高い。
悪戯好きで表情がころころ変わる、触れ合うのが楽しい女の子といったところだ。
多少のひいき目はあるが、俺のニーナも決して負けていないぞ……。
などと、意味不明の自信を持っているアルフレッドである。
2019/7/19更新。




