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2話-2 彼は笑った。

ー5ー


女は思った。もうすぐ自分は追いつかれることになるだろう、と。

それ程までに敵との距離は縮まっていた。

故に女は決意した。

右腕をそっと背中に回す。相手に気取られてはならない。

弓と矢に手をかけた。

前方を見渡す。ちょうど開けた場所がある。遮るもののない好位置。

彼女はそこで反転することに決めた。


撤退戦で最も重要なことは何か。

それは相手を足止めすることである。

代表例としては金ケ崎の退き口がある。

浅井・朝倉連合軍によって挟み撃ちにあった信長軍が京へと帰参する際に起きた撤退戦だ。

その時、殿(しんがり)を務めたのはかの有名な秀吉であるが、彼の役目はただ逃げることではなかった。彼の役目は、信長が逃げるまでの時間稼ぎのために敵と交戦しながら足止めすることであった。

つまり、囮はただ逃げ続けていてはならない。

ある時点、つまり逃げられなくなった時点で反転して戦わねばならないのだ。

そうすれば敵は応戦する。

運良く倒せれば逃げ続けられ、もしやられても倒されるまでの時間稼ぎにはなる。


女は覚悟を決めた。

矢には毒が塗ってある。神経系の毒だ。当たれば最後、指の一本すら動かせない。

すぐさま反転し、矢を構える。

標的は常に彼女に向けて真っ直ぐ迫っていた。

有利な状況にいる者ほど思考を放棄する。逃げ惑っていたウサギが突撃してくるなどオオカミは考えない。

故に避けない。避けられない。

必殺の一手。


「喰らえっっ!!」


指を離す。



矢が飛ぶ。



そして矢は敵へ向かって…




…女は驚愕した。

敵は、オオカミはやはり矢を避けなかった。

予想通りだった。

だが、オオカミにとってそれは当然のことだった。

避ける必要がなかったのだ。

ウサギの一矢(いっし)を、己の速度に乗じて飛んでくる矢を、

まるで蚊でも払うかのように、

軽く

優しく

弾いた。


女の思考はそこで途切れた。

腹部に感じた強烈な痛みと共に。

女は後方へと吹っ飛ばされた。


ー6ー


騙された。

夜乃はそう思った。

吸血鬼の「妖精の森」という言葉に乗って意気揚々と出かけたはいいが、結局出会えたのはカブトムシとダンゴムシぐらいだ。

あまりに見つからないために、自分の常識を疑って石をひっくり返した自分が馬鹿みたいである。

そこにいたのがダンゴムシだけで本当に良かった。


しかし普段なら諦めて家に帰っているところであるが、生憎なことに屋敷へ帰ってもやることがない。

本はあるが、言語がラテン語やフランス語ばかりで読めそうなものがない。

それに元々、森林浴に行く予定だったのだ。ある意味で目的は達成している。

「正直、釈然としないけど…」

そう独り言を呟きながら、

夜乃は森の奥へと足を進めていった。


ー7ー


景色は加速する。


次第に暗転する。


敵は遠ざかる。


私は勝てなかった。

いや、問題はそこじゃない。

全く時間を稼げなかった。

長い滞空時間の中、後悔が女の頭を満たした。

やがて地面にぶつかり地面を転げ回っても、彼女の後悔は止まなかった。

敵をもう少し引き付けていれば。

いやいっそ倒される前提で口に毒を含み、吹きかければ良かったのではないか。

だが、全て後の祭りだ。

そう告げるかのように、女の背中を激しい痛みが襲った。


思考が止まる。


目が閉じていく。


体から力が抜けていく。



そうして深い眠りへと…



…その寸前、彼女の目にゆっくりとこちらへ迫る人の影が見えた。

その姿に女は安堵した。

敵は私に執着している。

奴はきっと私にトドメをさしにくるだろう。


瞼が徐々に下りてくる。

時間稼ぎは出来ていた。

彼女は確かに森の守護としての役割を果たしていた。

私は囮としての役目を立派に務められたのだ。


女は目を閉じた。

微かな安息感に包まれながら。

そしておそらく、もう2度と目を開くことはないだろうと考えながら。


ー8ー


夜乃は森を進みながら、吸血鬼の語ったこの森の仕組みについて思い出していた。


「あの森は、いわば一つの生物なんだ。」

屋敷を出る直前、彼女はこう言っていた。

「森が、生物ですか?」

私はそう尋ねる。

「ああ。あの森は意思を持って生きている。そう言える根拠もあってね。森は私たち生物と同じ機能を持っているんだ。」

彼女は答えを求めるように、そう返答した。

生物と同じ機能、彼女の言葉が頭に引っかかる。

それはどういう意味だろう。

物を食べるという意味だろうか。

呼吸をするという意味だろうか。

いや違う。

そんな段階よりもっと前。

生物としての定義。

「妖精」の森。


私は一つの答えを見つけた。

「…つまり、妖精は私たちの細胞と同じ働きをしているということでしょうか。」

もっというなら川が血管、木々が呼吸器として役割を果たしている。

すなわち、森の環境は、人の体内と同じ働きをしているのではないか。


私の答えに彼女は一瞬驚いたが、しかし次の瞬間には平静を保っていた。

「…流石だな、その通りさ。もちろん森の中には赤血球や白血球を司る者もいる。その点で、私たちは生物の体内に居を構えているとも言えるかもね。」

まあ完全に生物と同じではないが、と彼女は付け加えた。

しかし、体内にいるというのは少し気分が悪い。

そうして私が物憂そうな顔をしていると、彼女はその様子に笑いながら言った。

「まあそういう訳だ。せいぜい森の意思から異物として除去されないように気をつけてくれよ。」

「分かってますよ。」

異物とは何だと言い返してやろうと思ったが、あながち間違ってない気もしたのでやめた。

その後チラリと彼女を一瞥したが、言葉が続く様子はなかった。

私は森を行こうとしたが、ただ出ていくのも素っ気ないと思ったため、そのまま一礼してドアを閉めた。


私が部屋から出ていくのを確認した彼女は、ポツリと一言漏らした。


「『ストーリー・テラー』か…」

その言葉が私の耳に届くことはなかった。


ー9ー


森を奥へと進んでいく。

辺りはまだ明るかったが、森は何か暗い雰囲気を漂わせていた。

吸血鬼の言葉を思い出す。

ー「浮世の奴らに手を出すな。」

夜乃は一層周りに気を配った。


だから気づけたのだろうか。

遠くから迫り来る人影を。

前方から吹っ飛ばされてくる何者かを。


ドンと重い音が響いた。

どうやらその何者かは木にぶつかったらしい。

そっと横から覗いてみる。

弓を持った女性が木にもたれかかりながら気絶していた。


女が何故吹っ飛ばされきたのか。

夜乃は考えなかった。

否、考えられなかった。

なぜなら…


…男がこちらに向かい歩いてきたからだ。


いやただの男ではない。


奴は「人間」じゃない。


何か理性とは違うものがそう訴えかけてくる。


浮世の住民。


逃げなければ。


そう考え咄嗟に逃げようとするが、足が震えて動けない。


向こうがこちらを認識する。


男はこちらをひと睨みすると、ゆっくりと口を開いた。


「あぁ?てめえ…吸血鬼か?」



彼は笑った。


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