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4話-16 空っぽ

危うく前回から2ヶ月経つところでした。

ー20ー


「事件が…存在しない?」

老人の一言を夜乃はただ反芻することしかできなかった。

被害者は間違いなく失踪している。彼もその点を否定している訳ではないのだろう。

それ故に夜乃にはその言い方が気になった。

『事件はそもそも存在していない』

なぜこんな遠回しな言い方をするのだろう。そこに何か意味があるのだろうか。


「いやいや、ちょっと待てって。」

だが、その質問は夜乃の口からは出なかった。陽子は難解な会話に頭を抱えながら、腰を少し椅子から浮かせた。

「その…由香里ちゃん、だっけか?その子は何処かに失踪してんだろ?なら、事件は起きてんじゃねえか。」

そのまま捲し立てるように老人にそう反論する。白もその言葉に同意するように首を縦に振った。

夜乃も心の中で静かに同意する。

彼女が行方不明になっていないのならその通りに言えばいいだけだ。一度この老人の話を聞いているはずの依頼主も彼女を行方不明などとは書かないだろう。

だが、老人はあえてその言葉を選んでいる節があった。何かを意図するような言動であった。

それを肯定するかのように、老人は質問への返答に焦る様子もなかった。それどころか寧ろ予想の範囲内だとでも言うかのように落ち着いた様子で返答した。

「そうだね。確かに由香里ちゃんは行方不明にはなった。だけどね…」


「事件になるにはもう一つ、必要なことがあるんだよ。」


必要なこと?

夜乃は再度思考する。

気になる言葉だ。それが無ければ、例え人が行方不明になろうとも誰かに知られることもなく、時と共に風化していってしまうかのような…


「……!まさか…ッ!」

気づいた。いや、気づいてしまった。

ある。確かにあるのだ。事件になるために必要なものは存在するのだ。

だが、本当にそうなら。自分の推測と老人の意図が全く同じものだとしたら。

そう思うと、夜乃は自分の怒りを隠すことが出来なかった。


だが、陽子も白も夜乃がなぜ怒っているのか分からなかった。

陽子はなおも老人に突っかかる。

「人が1人居なくなっても事件にならないって?そんな馬鹿な話があるかよ。」

口調が荒いのは陽子自身、何か嫌な予感を察知していたからだった。幸いなことに、老人は陽子の言葉遣いに構うことはなかった。

「そもそも君は誰に由香里ちゃんが行方不明になったって聞いたんだい?」

「は?誰って…。夜乃に聞いたけど……。」

「なるほど。ということはつまり、だ。」


「君は夜乃という子に聞かなければこの事件のことを知らなかった訳だね。」


ここで白も気づいた。陽子も真相には辿り着けなかったものの、もはやその大枠の大半を掴みつつあった。

「…何が言いたい。」

迫るような低い声。その声は一昔前の陽子を思い出させた。

だが、それでも彼は冷静にこちらを見据えていた。脅しに近い声色にも、老人の纏う静けさを退けることは出来なかった。

「難しい話じゃない。1年前のあの日、由香里ちゃんが居なくなった2月のある朝、彼女が居なくなったと誰もが気づいてなお…」

あくまで老人は淡々と語り続けた。


「捜索届は出されなかったんだよ。」



ー21ー


次の瞬間、陽子は机を乗り越えるようにして老人の首根っこに掴みかかった。彼はその手にぐっと引き寄せられ、陽子の目前へと接近する。

だが、彼は何の反応も示さなかった。陽子は言葉を発さなかった。いや、発せなかった。

浴びせる罵声など幾らでもあった。しかし目の前の老人の目が、底の見えない沼のような黒く濁った目が陽子から言葉を奪ったのだ。


「…ダメだよ、それ以上は。」

夜乃は静かにそう言った。陽子もその言葉である程度冷静さを取り戻したのか、夜乃に素直に従い、胸元まで上げた腕を下へと下ろした。


場を静寂が包んだ。

陽子は自分の先の行動から口をつぐみ、白は経験のない修羅場に完全に固まっていた。夜乃は老人の出方を窺っていたが、彼は一言も口を開こうとしなかった。

「…最後に一つだけ聞かせてください。」

その様子を感じ取り、夜乃は自ら話を切り出した。

「……何だい?」

「由香里ちゃんの母親についてです。」

老人は少し目を見開いた。

「あの子の母親ねえ…。ははは、長らく忘れてたよ。」

彼は遠い目をして、そう語る。

「その人は今どこにいるんですか?」

夜乃はそのまま質問を続ける。

彼は一拍間を置いてから口を開いた。


「さあね、新しい男と遠い何処かで仲良くやってるんじゃないか。」


直後、ガタンと机を叩く音がそれを伝う衝撃と共にその場に響いた。

「…すまん、ちょっと出てくるわ。」

そう言って右手を赤く染めた陽子はスタスタと外へと出て行く。

「すみません、夜乃。私も少し席を外します。」

それに続くように白も夜乃に会釈して場を離れる。

夜乃は目の前の倒れたグラスを直しながら、自前のハンカチで溢れたお茶を拭った。

「君は出ていかないのかい?」

僅かにグラスに残ったお茶をすすりながら老人はそう尋ねる。

「いえ……それよりすみません。あの子たち、こういった話に耐性がないので。」

「…君だって内心ハラワタが煮えくりかえっているんだろう?別に隠さなくてもいいさ。」

夜乃は何も答えない。

「それにあの子たちの行動こそ正しいのさ。結局由香里ちゃんの周りにいた奴らは全員クソ野郎だったんだよ。…もちろん私も含めてね。」

「…あなたは何故、何もしなかったのですか?」

「自分が可愛かったんだよ。私のアパートで事件が起きたって知られれば、ただでさえ廃墟に近いこのアパートが本当に廃墟になってしまうってね。まあ、結局そうなった訳だけどさ。」

そう言って老人は笑ったが、その表情には影が薄っすらとかかっていた。

夜乃は何となく彼の心境が見えた気がした。なぜ陽子に凄まれても何の反応も示さなかったのか。何の感情も浮かんでこなかったのか。

「後悔…してるんですか?」

夜乃はそう彼に尋ねる。その質問に彼は笑みを見せた。

「後悔、か。してるさ。してない人間なんていないんだよ。」

その笑みは嘲笑と呼ばれる部類の笑みであった。だが、それは他者に向けられるものではない。

その全ては自己に向けられていた。

「後悔ってのは、さしずめ自己満足さ。自分を正当化しているだけなんだよ。母親も育児を放棄してどっかに行っちまったんだから、とか。発見されたところで誰も面倒見られないんだから、とか。そんなことを考えた時点で同罪なんだよ。無意味なのさ、後悔したところでね。」


そう言って、老人は盆にグラスを乗せて台所へと運んでいった。その後ろ姿を見送って、ふと部屋を見渡した夜乃は、その家具のない広々とした部屋が来た時以上に広く感じた。



ー22ー


「今日はありがとうございました。わざわざ時間をとってもらって。」

「別に構わないさ。また何かあったらほどほどに来なさい。」

玄関前まで見送りに来た老人は、柔和な表情でそう言った。ある程度溜まっていたものを吐き出せてスッキリしたのだろう。少し表情に変化が見てとれた。

一方で、陽子は明らかに老人を敬遠するかのような態度をとっていた。白もあからさまではないものの、少し距離をおいた場所から動こうとしない。あまり長居していい雰囲気ではなさそうだ。

だが、ここに来る途中までに一つ気になることができた。夜乃はお辞儀の体勢から体を起こすと、そのまま老人に向かって言葉を投げかけた。

「最後にもう一つだけ…良いですか?」

「良いとも。何だい?」

「いや、凄くシンプルな質問なんですけど、あなたは『神隠し』なんて超常的なことを信じられるんですか?」

そもそもの疑問だった。少女が『神隠し』に遭ったかもしれないなんていう突拍子もない話で、どうして取材を受けてくれたのだろうか、と。老人は歳こそ取っているが、話し方も受け答えも聡明で、とても迷信深そうには見えなかった。

「いや、別に信じちゃいないさ。」

彼はキッパリとそう言った。予想通りだ、と夜乃は思った。きっと依頼者の友達か何かなのだろう。

しかし、夜乃のその考えは彼の次の一言によって裏切りられることとなった。

「だが、今回ばかりは信じずにはいられないんだよ。」

「え?」

予想外の言葉に、夜乃は思わず聞き返した。

「ははは、変だと思うかい?」

彼は薄い笑みを浮かべる。

「いえ、ただ…どうしてなのか、と。」

「そこまで変な話でもないさ。だって、そうでもしないと…」

そして、老人は心の奥底にあるものを絞り出すかのようにして言った。



「あの子が救われないじゃないか。」


その声はひどく小さかった。だが、夜乃たちの耳にははっきりと聞こえた。

「身勝手な大人に振り回されて、母親には見捨てられ、挙げ句の果てに誘拐でもされて殺されてたなんてことになったら、なんの救いもないじゃないか。」

彼は本心を吐露するが如くツラツラと語り続ける。後ろで警戒していた2人も、その懺悔の言葉に思わず息を呑んだ。それほどまでに感情のこもった言葉だった。

「だからさ、『神隠し』の話を聞いたときは本当に救われたような気がしたんだよ。もしかしたら心優しい神様があの子を拾ってくれたかもしれないってね。」

老人は空を見上げた。

空は空っぽだった。


「まあ、これも結局は自己満足なのさ。身勝手な大人の勝手な……ね。」

次の次くらいで推理編は終わる予定!(予定)

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