4話-6 必ず、また会いに来るから。
ー1ー
私は何をしていた。
右手をすっと引き戻す。
私は何を見ていた。
怒りに腕がわなわなと震える。
私は何を考えていた。
私は…
…悲しみに嘆く少女をこんな場所に放置しようとしていたのか。
いくら恐怖に支配されていたとはいえ、自己防衛本能が働いたとはいえ、あまつさえ未だ10かそこらの少女の、涙を堪えて笑顔で見送ろうとするその殊勝な態度に、
私は甘えようとしていたのか。
後ろを振り返る。
少女は俯きながら、涙だけは堪えようと着物の裾をぎゅっと掴んでいた。
少女は助けを求めている。口には出さないが、態度にそれが現れている。
私にできることは何だろうか。一度逃げ出そうとしてしまった私に出来ることはまだあるだろうか。そして、それを実行する勇気がまだ残っているだろうか。
拳を強く握った。
これは決意だ。私はもう揺るがない。
罠かもしれない。私を油断させて、食らおうとしている可能性もまだ残っている。
だが、それでも私は方針を曲げない。
『直感を信じろ』
吸血鬼はそう言った。
今がその時だ。
私はゆっくりと口を開いた。
ー2ー
少女は未だ幼い。ゆえに何か物事を論理的に説明することも、自分の感情を相手に伝わるように話すことも、まだ完全には出来ない。
だがそれでも…いや、それ故に少女は人の向ける感情に対して、より一層過敏であった。
そして、それを自分の感情より優先してしまうほどに彼女は優しかった。
夜乃ともう少し一緒にいたいという思いは確かにあった。夜乃は別段、特殊な行動をした訳ではない。ただ普段と同じように行動しただけだ。だが、この異空間で少女を一人の人間として怖がることなく接したことは、ただそれだけで彼女の好意を得るのに十分なものであった。
しかし、少女は夜乃の様子をみて、自分の思いを押し殺すことに決めた。彼女がそれを望むのならば、それを邪魔することなく受け入れようと考えた。
後は笑顔で送り出すだけだ。
そして、もう二度と会うことはないだろう。
この空間に来た人は、総じてここを出て行ったきり二度と帰っては来なかった。
このことは夜乃には話していない。もし話せば、夜乃はここを出るのを躊躇っただろう。それは少女にとって横暴であり、我儘な行為に映った。
夜乃はその事実を知ることなく、穏便に元の世界へと帰っていく。そして、いつかは此処でのことを忘れ、平穏な日々を送ることになるだろう。
それでいい。
それで良いのだ。
それで良い…はず…なのに…
どうして目から涙が溢れるのだろう。
どうして笑顔になれないのだろう。
どうして俯いてしまうのだろう。
私がするべきことは、しなければならないことはそんなことではないはずなのに…
「違うでしょ。」
何処からか声が聞こえた。
「あなたが言いたいことは、そんなことじゃないんでしょう。」
その静かな言葉が、芭蕉のセミの如く少女の心に染み入っていく。
「言いたい…こと…?」
ポツリと言葉が溢れた。
「うん。言いたいこと、言っても良いんだよ。」
夜乃はにっこりと笑う。
「それは…」
その笑顔に、少女はつい口を開きそうになる。だが、すんでのところで言葉を堪えた。
「それは!……我儘で、皆にも帰る場所があって、帰ったら…二度と…会えなくなって……でも、仕方のないことで…」
夜の闇が少女を包む。顔がまたゆっくりと地面へと下がっていった。
それは傲慢だ。悪だ。たとえ辛くても、私がとるべき責任だ。
少女は隠そうとする。壁を作り、誰にも触れられない所にそれを隠蔽する。
だが、それさえも…
「そうやって、抱え込まなくても良いんだよ。」
強引に崩して、割り込んだ。暗い部屋に光が差した。
「私の方が歳上なんだからさ。」
そして、続く言葉が…
「わがまま言っても良いんだよ。私が全部受けとめてあげるから。」
少女から強情さを奪い去った。
目から頬を伝って涙が流れた。でも、少女はそれを拭おうともしなかった。
不要だからだ。
言ってしまったら嫌われると思っていた。
自分の本心を伝えることはダメなことだと思い込んでいた。
でも、それでも…
「わ、私のお母さんは、ここに来てくれた人にあまり我儘を言いすぎてはい、いけませんって言っていて…。」
少女はつらつらと語り始める。
「だから…か、帰ろうとする人たちを呼び止めないようにして……その人と二度と会えなくても仕方ないって、思いこもうとして…。」
声のトーンが次第に上がっていく。
「も、もしかしたら…お姉さんもそ、そうなのかもしれなくて…。だから、帰らないでとはい、言わないけど…。」
「でも、もし叶うなら…我儘を言っても良いとしたら…」
視界が上へとひらけた。
「ま、また!…私に会いに来てくれますか!?」
それは本心から出た言葉だった。
少女はそのまま泣き崩れるように地面に膝をついた。
夜乃はその言葉を聞き届けただろうか、そのことを証明するように彼女は言った。
「うん、きっと…いや…」
「必ず、また会いに来るから。」
それ以上、言葉が続くことはなかった。
跡形もなく消え去った黒い穴の前で、少女はしばらくその残り香を確かめるように、その場を離れなかった。
これにて発生編は終了です。ここから閑話を挟んでから推理編に移ります。




