4話-2 吸血鬼の懐疑
色々と書き直してきました。
「神隠し…ですか。」
神妙な面持ちで夜乃が言葉を繰り返す。
怯えを含んだ声色が部屋に静かに響いた。
「ああ、この怪奇な事件の真相を探ってほしい。まあ別に嫌なら断ってくれても良いんだけど…」
「いえ、やります。やらせてください。」
夜乃は慌てて背筋を伸ばす。
だが、その表情にはまだ若干の恐れの色が見え隠れしていた。
やる気があるのは本当だろう。
しかし、非現実的な事象に対しての恐怖が精神を蝕んでいる。
このまま仕事を任せれば、やる気が空回りして碌な結果にならない。
ならば、僕が今するべきことは…
「夜乃。」
「え?あ、はい。」
「…君に1つアドバイスをしよう。」
そう言って、吸血鬼は仄かに笑顔を向けた。
何故か路の端に咲く月見草のような感覚に襲われ、夜乃は和むままに一つこくんと頷いた。
「良いかい?異形に関わった時に大事なことってのはね。」
「目に入ったものを信じるってことさ。」
「……はい?」
夜乃は納得いかないといった表情を向ける。
だが夜乃が、そんなの当たり前でしょう、と言おうとしたところで、吸血鬼がその続きを差し止めた。
「君の言いたいことも分かる。目に見えたものが真実なんて当然だって言いたいんだろう?」
夜乃が無言で頷く。
それに彼女は笑みで返した。
「でもね、それが案外出来てないのが君達なんだぜ。」
そして、未だ疑惑の視線を向ける夜乃を横目に、彼女は部屋の側面を覆う本棚に手をかけた。
すると、彼女の雪のように白い手に吸い付くようにして、一冊の本が棚から取り出された。
「『我思う故に我あり』。」
「近代合理主義の代表的な哲学者であるデカルトが言った言葉だ。知らないわけじゃないだろう?」
その言葉に呼応して、夜乃は首を振った。
「それはそうだろう。じゃあ、彼がこう考えるに至った過程を知っているかい?」
再度、彼女が夜乃に確認する。
相手の反応に吸血鬼は満足そうに頷いた。
「流石だね。そうさ。この世の物、自然、そして他人に至るまでその全ての存在を疑ってかかったわけだ。他人は本当に存在しているのか。もしかしたら全部、自分が見ている幻覚ではないか。いわゆる『方法的懐疑』ってやつだね。」
「そして、その方法でこの世のありとあらゆる物を疑った結果、ある真実に辿り着くのさ。」
「『そうやって物事を難しく考えている自分』だけは間違いなく存在しているってね。」
本がパタンと音を立てて閉じられる。
その音は静かな部屋の隅から隅まで余すことなく鳴り響き、夜乃の意識を現実へと引き戻した。
「ねえ、夜乃?この話を聞いてどう思う?」
吸血鬼は唐突に質問を投げかける。
夜乃は質問の意図を上手く掴めぬまま、とりあえず自分の思うままの意見を述べた。
「…素晴らしい業績だと思いますよ。彼の合理主義の考え方が、個人主義につながって、今のような社会が生まれたわけですから。」
「そうだね。実に模範的な答えだ。」
この答えは正しかっただろうか。
言葉とは裏腹に、退屈そうに髪をいじる吸血鬼。
彼女は一拍間を置いてから、口を開いた。
「…僕はさ」
「実にアホらしいって思うんだよ。」
夜乃の開いた口が塞がらない。
急に吹いた風が、抗議の音を鳴らすように窓を打った。
「だってそうだろう?目に見える物が虚構かなんて考えるまでもない。君は椅子を見て、存在していないから座れないかもなんて思うかい?」
「いや、それは…そうですが。」
「確かに風聞や噂なんかで、先入観を持つなっていう意味で『方法的懐疑』は実に理に適っていると言える。だが、目に見えるものを問答無用で疑ってかかるなんて、実に疲れるとは思わないかい?」
夜乃は何も言わなかった。
風は窓を少し開けたところで、ピタリと音を止めた。
「今から君が経験することは、きっと今までの生活では考えもしなかったことばかりだ。理屈に合わないような現象に、時に君は惑わされ、真偽を取り違えることもあるだろう。」
「だからね。」
「自分の見たものを信じなさい。」
「私の見たものですか…。」
「ああ。勿論だが、思考を捨てろって言ってる訳じゃないぜ。時にその根拠を自分の勘ってのにしても良いって話だ。君の直感だって、紛れもなく君の持つ根拠なんだから。」
その言葉が夜乃の肩から緊張を持ち去る。
それと同時に、後方のドアが自らの存在を主張するかのように音を立てた。
「じゃあ行ってきなよ。なに、君がやらかしても僕が何とかしてやるさ。白や君の親友に頼っても良い。とにかく、君がやりたいようにやれば良いさ。」
外を流れる心地いい風は、窓を通って夜乃の背中を押すように扉の方へと吹き抜けた。
その風のままに夜乃は部屋を後にする。
「それこそが僕が君を呼んだ理由でもあるからね。」
餞別の言葉もまた、風が運んできた。




