2話-4 『始祖』
ー17ー
狼化には弱点がある。
1つは理性が飛んでしまうということ。そのため、その間は全くコントロールが効かない。いわゆる暴走状態である。
そしてもう1つは、一度でも解除してしまうと次に狼化するのに時間がかかってしまうことだ。
先程、矢が刺さった時に彼が狼化を解除しなかったのにはこういった理由がある。
どうせどちらかを殴れば、情報を得られるのだ。
ならば、目標を変更する必要などない。
結局のところ殺す一歩手前で狼化を解除すればいいのだ。
それが彼の見解であった。
そんな彼には2つの誤算があった。
1つは『シソ』が向こうから出向いて来たこと。
だが、これは大した問題ではない。
殴る手間が省かれただけのことだ。
故に問題のはもう一つの方、
暴走を続けるはずの狼が全く動かなくなってしまったことである。
それどころか少しずつ後退しているようだ。
彼は迷った。
いつか前進すると予想して、狼化を解除せずにいるべきか。
それとも狼化を解除し、あらゆる事態に対処できるようにしておくべきか、を。
こうして、一時の迷いに身を投じた彼が、
どちらかを行動に移すことはなかった。
ー18ー
『シソ』とは、吸血鬼である彼女を指す言葉である。
その称号は、全ての吸血鬼の上に彼女が君臨していることを意味しており、
漢字を『始祖』と書く。
ー19ー
彼女は目の前の獣を一瞥した後、ゆっくりとその周囲を見渡した。
すぐに夜乃と森の守護が木にもたれかかり倒れているのを確認する。
彼女はそのことに一瞬激怒したが、すぐに冷静になった。
なぜなら両者ともに確かに呼吸があったからだ。
そして、森の妖精にも一切の被害がない。
つまり彼はここに来て一切の死傷者を出していないのである。
もちろんそれが偶然であることも十分ありえる。
が、しかし結果が結果である。
彼女は狼を見据えると、ゆっくりと口を開いた。
「どうやら、君は1人の死者も出していなようだね。僕の眷属を散々に痛めつけてくれたようだから、それ相応の対応をしようとしたんだけど、もし君が初めからそのつもりだったのなら情状酌量の余地を認めざるを得ないなあ。」
彼はその言葉に全く耳を貸さず、ただその場で彼女を見据えていた。
そんな彼に目もくれず、彼女はしばらく悩むような仕草を取っていたが、組んだ腕を解くと前の言葉に続けてこう言った。
「ふむ、ならこうしよう。一度僕の本気を見せてあげるよ。それで今後の行動を決めると良い。そうして君が逃げた時、僕は君を一切追わないことを約束しよう。」
そして、彼女は笑った。
これに激昂したのは彼の方だった。
今の発言は彼が勝つことを全く考慮していない。まさに挑発行為だ。
彼自身は今すぐにでも彼女の懐に飛び込んで一発ぶちかましてやりたい気分である。
しかし、狼は未だ一切の行動を取っていない。
こうなれば、狼化を解除すべきではないか。
彼がそう考えた…
その時である。
この世から色が消しとんだ。
全てが黒一色に染まり
己と周囲の輪郭が消えた
同時に自らの存在がゆっくりと消えていき
全てを終わらさんとする手が
真っ直ぐ
自分の方へと…
彼がそれを幻覚だと認識することはなかった。
なぜなら、彼がそれを夢うつつかと疑問に思う前に、
彼の本能が全力でその場から逃げ出したからである。
ー20ー
彼女は前に言った通り、逃げていく狼を追いかけることはしなかった。
ただその背中を目で追う彼女の姿は少し寂しそうであった。
いつもそうである。
相手が強ければ強いほど、彼女の力量を察してしまう。
そしてその戦力差を即座に理解し、脱兎のごとく逃げていくのである。
だが、その点に関してはさほど期待していなかった。
彼女はさっと身を翻すと、自らの眷属の元へ歩いて行った。
「やあ夜乃。大変だったようだね。…気絶したふりはいいから目を覚ましなよ。」
彼女の言葉に、夜乃はビクッと肩を震わせた後、恐る恐る目を開けた。
「気づいて…ました?」
「初めは気づかなかったんだけどね。チラチラこっちを見てたからすぐに気づけたさ。…それよりも。」
そう言って彼女はさっと距離を詰めると、夜乃のでこに目掛けてデコピンした。
「痛っ!」
夜乃がでこを抱えて塞ぎ込む。
「浮世の奴に近づくなっていう約束を破ったんだ。よく反省するように。」
「うぅ…。」
全くもってその通りだ。
弁解の余地がない。
そう思い俯いたままでいる夜乃に対し、彼女は先程と変わって笑みを浮かべた。
「だが…その勇気と行動力、嫌いじゃあないぜ。」
夜乃はその言葉を聞いて、すぐに顔を上げた。
彼女は夜乃と目を合わせると、ニコッと笑いかけた。
夜乃は敵わないなとため息をついたが、その後静かに笑った。
「なあ夜乃。守護くんの肩を片方持ってくれないか?」
「いや、本気出せば1人担ぐぐらい余裕じゃないんですか。」
「…長らく本気なんか出してなかったからさ。久しぶりに本気出しちゃって体がダルいんだよね。」
「運動不足の筋肉痛じゃないんですから…」
思わず呆れ声が出た。
投稿じゃんじゃん行くぜ