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女神さまに会いに行くのに自衛手段が必要と言われたわたしは、クリスさんから魔術の手ほどきを受けることとなり、安全のためにと屋敷の外へとやってきた。
「セア様のいた世界には、魔術はおろか魔力も存在しないとのことですので、まず先に魔力の説明から始めたいと思います」
「はい、お願いします」
外へ出る前に、わたしのいた世界に魔術はおろか魔力も存在していなかったことを言っていたので、クリスさんが基礎中の基礎から教えてくれることになった。
「魔力は、世界に存在する生きとし生ける者すべてが持っています。世界の大気に満ちるマナと呼ばれる元素を体内に取り込み、魂によって精製されることで魔力が生み出されます。精製された魔力は体内にストックされ、自分の意思一つで自由に引き出し使うことが出来きます。そして、消費された魔力は睡眠などで回復でき、例え限界まで消費したとしても一晩で最大まで回復することができます」
魔力の説明を聞いて、おおよそわたしのオタク知識と差が無かったのですんなりと理解でき、うんうんと頷いた。
――ちなみに、RPGなんかに登場する魔力を回復させるアイテムなんかは無いらしく、基本的に自然回復のみなんだそうです。
「ここまでの説明はご理解いただけたようですね。では、セア様は産まれてから一度も魔力を使ったことが無い状態ですので、まずは魔力を感じるところから始めましょう」
魔力を制御する上で、自分の中の魔力を感じるのは避けては通れないということで、わたしは本来なら子供のうちにする初歩的な訓練から開始となった。
その訓練は、目を閉じて深呼吸しながら意識を自分の内側に集中させるというもので、わたしは「座禅によく似ているなぁ」と思い、立ったまま座禅を組んだ時と同じように目をつむり、肩の力を抜いた。
小さいころに亡くなったお祖父ちゃんが座禅を組んでいたその横で、お兄ちゃんと一緒になって組んでいたおかげか意識を集中してすぐに、突然瞼の裏に見たことのない情景が浮かんだかと思うと、今まで経験したことのない感覚が身体の奥から広がり、わたしは「あっ」と声を上げて目を開けた。
「ご自身の魔力を感じたようですね…それがセア様の魔力です」
驚いていたわたしに、クリスさんが微笑む。
わたしが体験したもの…それは、深い底まで見えるほど澄み切った地底湖が目の前に広がり、その澄み切った水がわたしの身体を満たすように広がったように感じたのだ。
クリスさん曰く、自分の魔力の感じ方は人それぞれで、人によっては燃え盛る炎だったり、草原を吹き抜ける風だったりと様々だという。
クリスさんの話を聞き、わたしはもう一度目を閉じてみると、確かに胸の奥の方に先ほど見た地底湖を満たしていた清らかな水の気配を感じることが出来た。
おぉ……これが、わたしの魔力なんだ……
今まで感じたことのない感覚に、わたしは感動と共に戸惑いを覚えるが、不思議と怖さや不安はなかった。
一度魔力を感じることが出来ると、そこからはとんとん拍子で事が進み、昼食を挟みつつ日が暮れる頃には魔力の制御はマスターできた。
「ぼっちゃまも優秀な方でしたが、セア様も劣らず素晴らしいですね。では明日はいよいよ魔術の説明へと移りたいと思います」
「はい、お願いします!」
いくら魔術を使っていないとはいえ、魔力を操作したり制御したりすれば魔力を消費することになるため、大事を取って魔術の説明は次の日に持ち越しとなった。
次の日。
朝食を食べ終わりクリスさんの片づけを待って、訓練が再開となった。
昨日に引き続きメルトさんの姿はなく、屋敷の庭にはわたしとクリスさんの二人だけだった。
「では、今日は魔術の説明から始めたいと思います。魔術とは、原初の種族に劣る人間が彼らに対抗するために開発された技術と言われていて、わたくしを生み出した魔導文明がその発祥とされています。実をいうと、魔術は魔導文明滅亡と同時に一度消滅し、百年ほど前に新しい魔術が生み出されました。そのため、魔導文明時代の魔術を【古代魔術】、百年前から現在に至るまでに作られた魔術を【現代魔術】と区別しています。セア様に覚えていただく現代魔術は、セリアで主流となっている【紋章魔術】と呼ばれるものです」
のっけから心躍る魔術の歴史のさわりを聞き、わたしとしてはもう少し掘り下げて聞いてみたかったけど、今は魔術を覚えるのが先だと自分に言い聞かせ、クリスさんの説明に耳を傾ける。
そんなわたしの前で、クリスさんは用意していたカバンから何かを取り出し、庭に備えられていたテーブルの上に置いた。
「これが紋章魔術の要となる発動媒体【マジック・キー】です。紋章魔術は文字通り触媒となる物体に紋章を刻印し、特殊な処置を施して作られたマジック・キーに魔力を流し、設定された発動ワードを口にすることで発動します。この魔術の利点は、魔力を持つものなら誰にでも使えることです。そして欠点は、魔術によって使用する紋章が異なるので、複数の魔術を行使する際は対応するマジック・キーを複数所持していなければなりません」
テーブルの上に置かれたのは、銀色に輝く金属の板で、その表面には複雑な幾何学模様と細かな文字が刻まれている。
…暗き闇を照らす小さくも明るき光、我が眼前を照らせ…かな?
紋章に刻まれた文字を読んでわたしは明かりの魔術と思ったけど……今わたし、見たこともない文字を普通に読んでいた。
…メルトさんたちの言葉が理解できていた時点で思ってたけど、わたしってチート能力の代表格である万能翻訳能力を得ていたようですねぇ……
思わぬ収獲だったけど、頭のどこかでそうじゃないかと感じていたためか今更感の方が強かったため、翻訳能力の検証は後でしようと、思考をクリスさんへと戻した。
すると、丁度クリスさんが銀色の板を手に取った。
「では、実際に使ってみせましょう。先ほども申しましたが、紋章魔術の使い方は実に簡単で、手にしたマジック・キーに魔力を集中させ、発動ワードを口にするだけです。こんな風に…」
そういうと、クリスさんが手にしていた板に刻まれた紋章が淡く輝きだした。
そして……
『光よ』
クリスさんが発動ワードを発した瞬間、金属板の上空に光の球が浮かび上がった。
「この媒体に刻まれている紋章は明かりとなる光を出し、一定時間その場に留まるだけです。ですので……」
説明を続けるクリスさんには悪かったのだけれど、魔術の発動する瞬間を見て、この時わたしは今までの人生の中で上位に入るくらいの感動を覚え、上の空だった。
小さな光を出すだけとは言え、初めて見る魔術はとてもきれいだった。
「……それでは、今度はセア様の番です」
「っ?!は、はい!」
クリスさんの言葉で、感動の余韻で彼方に飛んでいた意識が引き戻されたわたしは慌てて返事をすると、差し出されていたマジック・キーを受け取った。
受け取ったマジック・キーは、金属で出来ているがわたしが想像していたいたよりもずっと軽く、ほんの少し暖かさを感じた。
これを使えば、わたしも魔術が使える……
マジック・キーを手にして嬉しさがこみ上げてきたわたしは、顔の表情筋が勢いよく緩んでいくのを感じたが、気にすることなく手にした”魔術”を見つめる。
「……いきます!」
とは言え、いつまでもニヤニヤしているわけにもいかないので、わたしは頭を振って邪念を払うと、マジック・キーに魔力を集中させた。
クリスさんが見せてくれたデモンストレーションの時よりも紋章が輝きだしたけど、大丈夫なはず!
マジック・キーの紋章に魔力が充てんされたのを確認して、わたしが発動ワードを口にしようとしたその時だった。
何の前触れもなく、いきなりマジック・キーが跡形もなく”砂”にしまったのだ。
「……え?」
持っていた金属板が跡形もなく無くなってしまったことに、わたしは驚きのあまり何の反応も出来なかった。
というか、金属が一瞬で砂みたいに崩れて消えるってどゆこと?
呆然と自分の手を見つめていたわたしの手を、クリスさんがものすごい勢いで掴んだ。
「セア様!お怪我はありませんか?!」
「え?…だ、大丈夫です」
大丈夫とわたしが答えたにも関わらず、顔を真っ青にしたクリスさんは隅々まで私が手に怪我をしていないかを調べる。
そんな慌てるクリスさんを見たおかげか、わたしは冷静さを取り戻すことが出来たので、先ほどの現象をクリスさんに質問してみた。
「あの、クリスさん。さっきのって一体…」
けがを負っていなかったことを確認して安堵していたクリスさんだったが、わたしの質問に険しい表情を浮かべた。
「先ほどの現象ですが…あれは、【オーバーロード】と呼ばれる現象です」
「オーバーロード?」
某魔導王…のことじゃないよね?この場合は……
「昨日、ご主人様が人間の魔術は使えないから、セア様に魔術を教えることはできないと仰っていたのを覚えていますか?」
「はい。たしか、魔力の質が違うからって」
「より厳密に言えば、原初の種族の方々が持つ魔力の純度が、人間と比べて高すぎるからです」
「魔力の純度?」
魔力なんて量が沢山あればいいと思っていたけど、この世界ではそうはいかないらしく、わたしの疑問にクリスさんは丁寧に説明してくれたけど、結構長かったので要約すると……
魔力の基本的性質に違いはないが、精製する魂が種族や個体によって違うため生成される過程で個体差が出るらしく、魔導文明ではその差のことを「魔力の純度」という言っていたらしい。
「魔力の最高純度を100%とすると、ご主人様たち原初の種族の方々は、種族によって差はありますが大凡50%から70%の間。ですが人間は平均で10%、高い人間でも20%と言ったところです。現代魔術は人間の平均純度を基準に開発されているため、あまりに純度の高い魔力で発動させようとすると術式が処理しきれず、マジック・キーごと自壊してしまう…それが先ほどの現象【オーバーロード】なのです」
マジック・キーにも使用回数というのがあるらしく、使われている触媒の素材や紋章の術式によって回数が変動するようだけど、オーバーロードはそれらとは全く無関係に消滅してしまうという。
現に、消滅したマジック・キーは考えうる最高級の触媒を素材に職人が時間を掛けて作った超一級品で、並の魔術士ならほぼ無限に近い回数使用出来る代物だったけど、わたしが使おうとしただけでものの見事に消滅してしまった。
状況から判断すると、どうもわたしの魔力はメルトさんたち原初の種族と呼ばれる人たちと同じくらいか、それに迫るほどの純度を持っている。
で、今習っている紋章魔術は人間の魔力純度を基準に作られていて、魔力純度が高すぎるとオーバーロードっていう現象が引き起こされてしまい、使用できない……あれ?これってわたし、魔術使えなくね?
まさかの「魔力を持っているのに魔術が使えない」という事態に直面したわたしは、完全に出鼻を挫かれてしまい、自然とorzの体勢になってしまった。
マジか〜…魔術が使えないとなると、どうしたらいいんだろう……こうなったら、弓矢みたいな遠距離攻撃可能な自衛手段を模索するしか……とわたしが考え始めたときだった。
「やはり、アレを使うしかないですね」
「え?」
クリスさんの声にわたしが顔を上げると、その顔には何かを決意したように凛とした表情が浮かんでいた。
「まだ手があります。セア様、ついてきてください」
そういうと、クリスさんが屋敷の中へと入っていったので、わたしも慌てて後を追いかけるのだった。
次話更新は、五月二十七日午後八時です。