2.2 西空零司
広瀬大学敷地内にある陸上競技場沿いの道を300メートル程進んだ先に、広瀬大学唯一の部室棟がある。
その部室棟は老朽化により塗装が剥がれ、壁の所々にヒビが入っており、オンボロという言葉がピッタリと当てはまる外見だった。
しかし、その部室棟はあまりにも大きく、その巨大さは恐らく本校舎並、下手するとそれ以上。初見時に抱いた『オンボロ』という印象は『巨大』という印象に塗り替わる。
北山に聞くと、広瀬大学は他の大学と比べてサークル活動が非常に活発な大学で、運動部および文化部双方数々の実績を残しており、自然と部室棟も巨大になったと説明してくれた。
それと同時に、この巨大な部室棟のことを知らずに入学したのかと呆れられた。それほどまでに、この部室棟は有名らしい。存在する部も多種多様で、中には活動内容がよく分からない部もあるとのことだ。
また、この部室棟には運動部と文化部両方が混在しており、部室棟内に運動部のためのシャワーやトレーニングルームが存在するそうだ。もちろん、文化部が使用することも可能だが、運動部が優先的に利用するというのが暗黙の了解となっているそうな。
「ここが私達の事務所」
部室棟の説明が終わる頃に、2人は目的地に辿り着いた。
2階への階段を昇り廊下を右に。その最奥に北山が所属する探偵研究会の部室があった。扉には広瀬大学探偵事務所と、仰々しい表札が掲げられていた。西空がその表札に目を丸くしていると、北山は「ただの気分だよ。気分」と苦笑しながら、ドアノブに手を掛け扉を開けた。
扉が開く際、蝶番からギギィーと鳥の鳴き声のような甲高い音が鳴り、建物の古さを改めて感じさせた。
北山の姿が部室の中へと消える。だが西空は躊躇した。身が竦む。知らない人が中に居るという恐怖が足を凍てつかせる。
北山が扉から顔を出し、こちらを手招きした。彼女の暖かな笑顔が足元の氷を溶かし、自由になる。意を決して扉の内側へと足を踏み入れた。
部室には2人の男女が座っていた。女は分厚い本――雄ライオンの写真が表紙を飾る世界動物図鑑――を膝の上に載せて読んでいた。男の方は、机の上でジグソーパズルを解いていた。パズルは半分完成しており、どうやら人の写真がプリントされたジグソーパズルのようだ。
2人は顔を上げ、4つの眼差しが西空を射抜いた。全身に悪寒。
視線という恐怖の銃弾を受けた西空は、本当に撃たれたかのように体を仰け反らせ部室の外へ逃げる。
「え……な、何。どうしたの?」
と、困惑気味の高めの声。
「今のが新入所員か」
と、落ち着いた低い声。
「こら! 逃げない逃げない」
だが北山に捕まった。腕を引っ張られ、無理やり部室の中へと入れられる。その上即座に扉を閉め、鍵を掛けられた。
ガチャリ。と、鍵の閉まる音が死刑宣告のように聞こえた。
「あ、あの……大丈夫?」
部室内にいた女が、心配そうな声で近づいてきた。その控えめな声色は、普通の人ならば安心感を与えるのだろうが、西空にとっては全くの逆効果で、より恐怖心が煽られた。
「あー、ごめんごめん。余り近づかないであげて。彼、対人恐怖症らしいから」
「ああ、なるほど。それで礼も無く唐突に飛び出したのか」
男は仏教面でそう言った。若干刺々しい口調で言われたため少しムッとしたが、男の言うとおり先に非礼を働いたのは自分の方だと思い直した。
「さて、このたび我が探偵事務所に新しく入所することになった西空零司君です」
「ま、まだ入るって決めた訳じゃ……というか探偵事務所って何ですか」
「さっきも言ったけど気分よ気分。さ、2人とも彼に自己紹介してあげて」
2人の視線が再度向けられ、全身に怖気が―――
「あ、なるべく目を合わさないであげてね」
「……面倒くせえ野郎だな」
「東先輩。そういう言い方は駄目だと思いますよ」
「というかおまえ、北ちゃん……北山のことは大丈夫なのか」
男が目を合わせずに尋ねてきた。
「し、暫く一緒に居て、慣れてしまえば、ある程度は大丈夫、です。で、でも、先輩たちはまだ慣れてないので……」
西空は顔を俯けたまま後ずさり、壁に背を預け、
「此処からなら、何とか大丈夫です」
と、遠目で2人の顔、正確には首の部分を見ながら告げた。
「あと、先輩達ももう少し離れてくれると助かります」
女は「分かった」と短く答えてから、男は面倒くさそうに一つ溜息を吐いてから、反対側の壁際に移動した。
「じゃあ、ウチからいきますね」
女が壁際から、反対側の壁際に居る西空に向けて声を発する。自己紹介にしてはかなり異様な光景だ。
「えーっと所員ナンバー4番、南地語です。学年は2年生。先輩の2人と比べてちょっと頼りないけど、一応ウチも先輩だから、遠慮なく頼ってね」
南地は溌剌とした声で語りかけてくる。明るい人なのだろう。見た目も素朴で、ちょっと例えが悪いかも知れないが、実家の農業のお手伝いをしている気立てのいい田舎娘、といった印象だ。
はにかんだ笑顔から暖色系のオーラが滲み出ている。そう感じていたが、
「あ、でも、ウチなんかを頼られても、余り役に立てないけど……」
その笑顔が徐々に雲ってゆき、
「ううん。正直に言いますと、木偶の棒だけど。その、その……」
悲しげな顔へと変貌し、
「すんません……」
やがて初めに見せていたのとは真逆の、暗い表情になった。
「自己紹介如きで一々落ち込んでんじゃねえよ」
「南ちゃんは素朴に自虐的で自信のない残念な子なの。いつもこんなだから、気にしないであげて」
「すんません。ウチみたいなのが先輩面してほんとすんません……」
南地はこの世の終わりが来たかのような暗鬱な声色で呟いた。気立てのいい田舎娘の正体は、森の奥地で暮らす世捨て人だったようだ。
「じゃ、次は東君の番よ」
男が顔を上げる。先程から辛辣な発言をしている人物のため、自然と体が強張った。男は不機嫌そうな表情で一つ溜息を吐いてから、
「所員ナンバー2。東海心矢だ。よろしく頼む」
と、端的で簡潔な自己紹介した。
「……東君。それだけ?」
「それだけだ。何か問題でも」
東海は印象通り、合理的でクールな人物のようだ。無駄なことは一切しない主義で、テレビやゲームと言った娯楽には一切興味がなく、他者にも興味を示さない冷血で感情のない機械人間。そんな印象が西空の中で構築されていたが、
「もっと色々あるでしょう。重度のドルヲタです、とか」
との北山の発言でその印象は木端微塵に粉砕された。
西空は「ドルヲタ!」と思わず叫び、東海の顔を覗き見る。表情は変わらずクールなままで、否定する気配がない。その泰然とした様子から、北山が冗談を言っただけかと思ったが、
「別に言うほどのことでもないだろう」
と本人が肯定してしまった。そう言えば人の写真がプリントされたジグソーパズルを解いていたが、もしかしてあれはアイドルグッズだったのだろうか。
「後ドMですよね」
南地からさらなる爆弾が飛び出した。
「ドMじゃねえ! 南! 勝手なことを言うんじゃねえ」
東海が南地を怒鳴りつける。南地は「余計なこと言ってすんません」と本当に申し訳なさそうに呟いた。
「ドMというか、ただのヘタレですよ。あと変態」
「ちょっと北ちゃん。後輩が誤解するようなこと言わないでくれないかな」
東海は非難めいた口調だが、北山はそれを完全に無視した。
「一応、私からも、もう一度自己紹介しますね。所員ナンバー1兼広瀬大学探偵事務所所長、北山来々留です。学年はそこのヘタレと同じ3年」
「ヘタレ言うな。しばくぞ」
「私みたいな普通の人が変人揃いの所員を纏めるのは大変ですが――」
「北さんが普通は、ありえないです」
「お前が一番変だ」
「……まあ、私含めて変人揃いのサークルです。だから君みたいな対人恐怖症如きが入ってきても全く問題ありません」
対人恐怖症を、如きで済まされる日が来るとは誰が予想できようか。
もしかしたら自分はとんでもない人達と関わってしまったのかもしれないと、西空は後悔し始めていた。
「さて、じゃあ最後は西空君」
「え?」
「え? じゃないでしょう。自己紹介。私は君のことをもう知ってるけど、後ろの二人は違う」
南地と東海が小さく頷いた。
「で、ですよね……」
3人の視線が集中し、背筋に冷や汗が走る。だが、距離が離れているためパニックに陥るほどではない。
「えっと……西空、零司です。1年生です」
「それは知っている。僕達が知りたいのはどんな異能を持っているか、だ」
異能。その言葉を聞いて、少し前に北山が言っていたことを思い出した。
――それも普通じゃない探偵。異能探偵。意味、分かるよね
つまり、北山含め、目の前にいる3人は全員異質な力を持っているのだろうか。
「あー、待って待って。先に言わせるのはフェアじゃない」
「それもそうですね。ウチの能力は……」
「だから待てっつーの!」
北山が怒鳴り、南地は「ホント空気読めなくてすんません」と呟いた。
「東君。何かいい感じの依頼来てない?」
「いい感じってどんな感じだよ」
悪態を突きつつ、東海は机上のノートパソコンを開く。画面にはシンプルな電子掲示板が表示されており、掲示板トップに広瀬大学探偵事務所依頼相談所と書かれていた。東海はキーボードとマウスを操作し掲示板の投稿を確認する。
「犬の捜索依頼が来てるな。それも3件……うん。悪戯じゃねえな」
東海がパソコンの液晶画面を何度か指でなぞりながらそう言った。手の油で液晶が汚れてそうだ。
「動物捜索か。ピッタリの依頼ね」
北山が嬉しそうに呟く。
「さて西空君。初依頼です。私達と一緒に犬の捜索をして頂きます。異能の説明は、その依頼の中で行うこととしましょう」
その方が面白いからね。そう付け加えつつ、北山が有無を言わさぬ視線を向けてきた。どうやら拒否権は無いらしい。