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1.5 高橋大樹

 高橋はアパート自室のベッドの上で仰向けになりながら、直美のことを考えていた。

 直美はペンダントを身に付けてくれているのだろうか。というかこんな喧嘩してるような状態でプレゼントを身に付けるなんて普通ありえない。何でこんなことになっているんだろう。

 悲しくなった。泣きたくなった。いったい何処で間違えたんだ。ただ俺は、直美に喜んで欲しかっただけなのに。

 窓から夕日が差し込み、部屋の中が赤く染められていく。時刻は17時ちょっと過ぎ。今日は午前で授業が終わり、帰った後は一日中部屋でゴロゴロしていた。

 直美には会えなかった。仮に会えたとしても、どうせまた無視されただろう。何でこんなことになっているんだろう。

 高校から付き合い始め、もう4年だ。今までにも喧嘩することはあったが、すぐに仲直りできた。今回みたいなのは初めてだ。


 ……写真ボードはまだ飾ってくれているのだろうか。俺と直美の思い出が詰まった写真ボード。直美はそれを勉強机の正面の壁に飾っていた。写真ボードはまだそのままだろうか、それとも取り外されているだろうか、それとも……捨てられちまっただろうか。

 嫌な考えばかり頭をよぎり、情けないことに目尻に涙が浮かんだ。ちょうどその時だった。インターホンが来客を告げた。

 無視を決め込んだが、驚くことに部屋主の断りも無く鍵がガチャリと開けられる。鍵をいとも容易く開けられ、ベッドから起き上がり身構えた。泥棒か?


「な、直美……!」


 泥棒ではなく、開かれたドアの向こう側に立っていたのは、恋人の直美だった。彼女には合鍵を預けていた。


「ど、どうしたんだよ急に。ああごめん片付いてなくて。お前きちんとしてないの嫌いだからな。でもお前も酷いぞ。俺のこと散々無視すっから……」


 そこまで捲し立ててから、直美の後ろに立つ存在に気付いた。


「……工藤」


 直美と工藤は、部屋主に断りも無く、でも躊躇いがちに足を踏み入れた。そして無言で目の前に、修行僧のように正座した。

 ……別れ話か。これから工藤と付き合うから別れて下さいとか言われるのか。ふざけんなよ。そんなの一方的過ぎるじゃないか。

 怒りを込めた眼差しで2人を睨みつけるが、当の2人は無言で、目を合わそうとすらしない。暫く高橋は立ったまま2人を見下ろしていたが、無言の重圧に耐えきれず、同じように正座し、正面から向かい合った。

 そして、気付いた。直美がイルカのペンダントを身に付けてくれている。夕日に照らされたペンダントがキラリと瞬いた。


「な、何だよー。俺のプレゼント身に付けてくれてたんだな。じゃあ、別れ話じゃあないんだな。そうだよな。これから別れる奴のプレゼントを身に付ける訳ないもんな」


 鬱屈とした空気を晴らすために、明るい声で喋り立てる。だが、直美は依然として沈鬱な表情のままだ。反応すらしない。工藤は工藤で直美に気遣うような視線を送るばかりで、こっちを見ようともしない。

 というか工藤、何でお前がここにいんだよ。親友と言えど、ぶっちゃけ邪魔だよ。変に邪推しちまうじゃないか。


「な、なあ、黙ってないで、何か言ってくれよー」

「俺ばっか喋って、何か空しいじゃんかよー」

「なあ頼むよー。声を聞かせてくれー」


 直美は一言も喋らず、ひたすら沈黙を貫いた。高橋がいくら語りかけても、目すら合わせてくれない。

 言葉がブラックホールに吸い込まれ、虚空の彼方へと消えているのではないか。そんな錯覚さえ覚えてしまう。余りにも空し過ぎて、高橋は口を噤んだ。


「大樹……」


 どれぐらいの時間が経ってからだろうか。小さな小さな涙声で、ようやく直美は高橋の名を呼んだ。


「な、何だよ……」


 突如沈黙が破かれ、高橋はどう反応していいのか分からなかった。


「大樹……」


 直美の瞳から顎にかけて透明な滴が流れ落ち、床にシミを作る。


「……何で泣いてんだよー。俺はどうしたらいいの。抱きしめたらいい?」


 そう言った直後、隣の工藤が慰めるように直美の肩に手を置き、体を寄せた。頭に血が昇るという言葉があるが、それを身を持って体験した。


「ふざけんな! それは俺の役目だ!」


 だが工藤は肩から手を離さない。直美はすすり泣き続けている。


「直美もされるがままになってんじゃねーよ。何だよ、何なんだよ。お前たち何がしてーんだよ!」


 立ち上がり裏返った声で、身を寄せ合う二人を怒鳴りつける。

 直美は俯けていた顔を上げた。直美と高橋の視線が交錯する。脱水症状を心配してしまうくらいに、直美はボロボロと涙を流していた。

 何だよ。そんな顔されたら、何も言えなくなっちゃうじゃないか。


「大樹……どうして、どうして私の前から居なくなっちゃったの?」


 泣きながら、訴えるように直美の口から一つ一つ言葉が紡がれる。


「お、俺は此処にいるだろ。何言ってんだよ」

「ずるいよ……こんなペンダント遺していっちゃうなんて」

「た、確かにお前が大事にしている写真ボードにこっそりとペンダントを隠したのは悪かったと思ってるよ。でもさ、ちょっとしたサプライズじゃないか。俺はお前に喜んで欲しくて」

「あたしは、あなたさえ居てくれれば、それでよかったのに」

「そうだな。お前は高価な物はいらねえっつってたもんな。でも俺の気持ちも分かってくれよ。好きな奴に少しでもいいプレゼントを渡したいって思うだろ。なあ工藤」


 工藤は何も答えない。何故か顔を歪め、必死に涙を堪えていた。


「な、何だよお前ら。揃いも揃って。つーかマジで何で泣いてるのか分からないんですけど……」

「大樹!」


 直美が鋭いガラスのような声で、高橋の名を呼んだ。


「はい!」


 身を正し、続く直美の言葉を待つ。


「どうして……」


 擦れた声で、


「どうして」


 さめざめとした群青色で、


「どうして死んじゃったのよ!」


 直美は泣き叫んだ。




 どうして死んじゃったのよ。

 どうして死んじゃったのよ。

 ドウシテシンジャッタノヨ?


「な……に言ってんだよ直美。変な冗談はよせ。俺は此処に居るじゃないかー」


 俺は涙を流し続ける直美の頭に手を乗せた。だが、直美からは何の反応も無い。

 しかもそれだけじゃ無かった。俺の手は直美の頭に触れている。だが、触っているというのが視覚的に観測できるだけで、髪の柔らかさとか、直美の体温とかが、何一つ伝わってこなかった。

 例えるなら、温度の無いガラス細工に触れているようだ。


「な、何だよこれ!」


 右手を離し、まじまじと自らの手を観測する。

 変わり映えの無い、普通の右手だ。自分の意思で握ったり開いたりできる俺の右手だ。再度右手で直美の頭を撫でる。何も感じない。今度は左手で頭を撫でる。やはり何も感じない。

 何の感触もない。感覚がない。伝わらない。ありえない!

 こんなの、まるで……


「どうして死んじゃったのよ」


 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!

 意味が分からない。ここに居たくない。

 脱兎の如く飛び跳ね部屋の扉へと駆け寄り、ドアノブに手を掛ける。だが……


「な、何で……何でだよ!」


 ドアノブが回らない。引いても開かない。押しても開かない。うんともすんとも言わない。ありえない!


「ふざけるな。出せ。出せよ。ここから出せえええええ!」


 叫び終わると同時に景色が一瞬で反転。俺は急な変化に動顛した。

 目の前には見慣れた階段が。振り向くと自分の部屋の扉が。

 一体何なんだ。扉をすり抜けたとでもいうのか。そんなのまるで……


「どうして死んじゃったのよ」


 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!

 そうだ、直美はふざけてるだけなんだ。ということは工藤もグルだな。くそっ、二人して俺を嵌めやがって。だからこれは手品なんだトリックなんだイリュージョンなんだ!


――引き受けますよ。高橋さんのお願い。直美さんとの仲を、取り持ってあげます


 ふと西空のことを思い出した。あの時、西空は何故か、とても悲しそうな表情をしていた。あれはそう言う意味だったのか……いやそう言う意味ってなんだよありえないって!


「ッ!!!」


 頭が割れる、というより砕かれたような強烈な頭痛が突如襲った。痛みに耐えきれず、その場に崩れ落ちる。少しでも痛みを和らげるために、後頭部を右手で押さえた。

 ベチャリ。

 粘り気のある液体の感触がした。

 高橋は震えながら、右手の平を正面に持ってくる。

 右手が真っ赤に染まっていた。

 血だ。でもどうして。何で。

 大きな二つの光る目玉が脳裏を過った。




「大樹! 大樹! どうして……」


 直美の、悲痛な叫びが聞こえる。


「申し訳ありません。手を尽くしたのですが、運ばれてきたときには既に……」


 うるさいお前は誰だ!


「許さねえ……絶対に許さねえ!」


 工藤。何をそんなに怒ってるんだ。頼むから、危ないことはしないでくれ。


「あ、あたしの所為だ……あたしの……」


 違うよ直美。直美の所為なんかじゃない。頼むから、そうやって自分を責めないでくれ。




 ……そうか、俺は。やっぱり俺は――

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