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4.14 轢き屋

「そして、ナオちゃんはマスオを殺した」

「ええ。サイトウが用意してくれた車で、サイトウの指示通りにマスオを轢いた。轢き飛ばして崖から突き落とした」

「轢き屋の手口。直接轢き殺さず、命を奪うのは自然に任せる、ね」

「その通り。でもサイトウの指示はそれだけじゃ無い。サイトウはマスオを遠く離れた県外に誘き出すから、そこで轢けと指示してきた。サイトウはどうしてそんな指示をしたのか正直不思議だったけど……」

「マスオの悪事を揉み消していた警官の管轄外にするためでしょう」

「その通り。マスオを轢き飛ばしてから1週間後にマスオの遺体が発見され、一旦は崖からの転落事故として処理される。でも、轢逃げの疑いが浮上し再捜査が始まった。マスオの悪事を隠ぺいしていた警官は捜査を止めようと色々動いたらしいけど、管轄外のため失敗に終わる。寧ろそれが足がかりとなって、マスオの悪事が次々と露見した。それどころか、JSビジネスに関わっていた政治家や暴力団関係者が次々と摘発されたのよ」

「あ! そう言えば当時のニュースそれで持ちきりでしたよね。ウチ、ニュースとか見ない子だったけど、そのニュースについてはよく覚えてます。それが理由で、暫く集団登下校でした」

「そう。マスオの悪事は大々的に報道され、良くも悪くも世間は大賑わい。事態を重く見た政府も法改正に乗り出した。全てサイトウに聞かされたシナリオ通りだった。あたしは不思議な高揚感があった。サイトウを完全に信頼し、社会をより良くすると意気込み轢き屋になったのよ」


 直美の高揚した声が一転。暗い物へと変わる。


「でも、世の中上手く出来ているのか、その日以来、カートレースの成績が下がり始めた。一時期は100年に一度の天才と囃し立てられたけど、今は見る影もない。次第にレースへの情熱が消えていき、あたしは轢き屋業ばかり重視するようになった。お母さんの容体が一向に良くならないこともそれに拍車をかけていた」

「そして……轢き屋業を始めてから5年後、お母さんがついに死んだ。医者は5年も生きれたことなんて奇跡だと言ってたけど、あたしにはそうは思えなかった。息を引き取る直前、何本もの管が繋がれ、無理矢理生かされているお母さんを見て、あたしは自分のしてきたことが間違いだったんじゃないかって思った。奇跡だなんて到底思えなかった。あたしは轢き屋を続ける理由が無くなった」

「それが理由で、轢き屋業は4年間停止していた訳か」


 直美は首を左右に振り、東海の言葉を否定する。


「と言うよりも、お母さんが死んでから、サイトウから依頼がぱったり来なくなったのよ。連絡が来たら、もう轢き屋は続けられませんって断ろうと思ってたんだけど」

「でも結局再開したじゃねえか」


 西空が冷淡に指摘する。


「だってしょうがねーじゃねーか!」


 直美は喉を潰さんばかりの声で叫んだ。


「あのジジイ大樹のこと殺そうとしていやがった!」

「それも、サイトウという人から聞いたの?」

「ええ。それを聞いて、あたしは4年ぶりに轢き屋業を再開した」

「な、何で正宗さんは高橋先輩を殺そうとしてたんスか……理由は?」

「さあね。そのときは大樹が殺されるって事だけで頭が一杯だったから、詳しいことは聞いてない」

「事実かどうかは確認しなかったの?」

「だってサイトウが嘘を吐くわけ無いじゃない」


 さも当然のように、直美は答えた。


「きっと、あたしが轢き屋を止めたいって考えたのが間違いだったのよ。轢き屋を続けていれば、あんなジジイもっと早く始末できた! 大樹が殺されることも無かった!」

「ふうん。じゃあ一郎さんを殺したのもそのサイトウからの指示? 違うよね」


 直美は北山から目を逸らした。心なし決まり悪い表情だ。


「動機は復讐。直ちゃんは高橋君を死に追いやった存在を許せなかった。そして直ちゃんはそれが和水家の誰かだと考えている。だから――」

「皆殺しにしようとした」


 直美が北山の言葉を受け継いだ。


「和水家に居る誰かが大樹を轢き殺したことは分かった。けど誰が大樹を殺したのかまでは突き止められなかった。だったら皆殺しにするしかないじゃない」


 さも当然のように直美は語る。


「大樹を殺した奴を生かしておくことなんて絶対にできねえ。何を犠牲にしてでも、絶対に殺す。だから、あたしは一番絶対で確実な方法を取ることにしたのよ。皆殺しにしてしまえば、大樹を殺した糞野郎を確実に殺すことができる」

「関係ない人を巻き込む気満々だったのかよ……」


 東海が顔を青ざめつつ呟いた。


「少し話が逸れるけど、どうして直ちゃんは高橋君を殺したのは和水家にいる誰かだと考えたの? 工藤君と同じで、遺産関連で殺されたと思った?」

「……いいえ。あたしを誰だと思ってるの」


 直美が邪悪な笑みを浮かべる。


「あたしは何人もの悪漢を葬って来た轢き屋よ。車を見れば、それが轢逃げ車両であるかどうか一目で分かる。どんな人が轢かれたのか、どういう状況で轢かれたのかもね。3月末にY県の自動車修理工場で臨時バイトしててね。その時、偶然轢逃げ車両を見つけたのよ。よく見たら、それが大樹を轢き殺した車だと分かった。正直運命を感じたわ。まるで、大樹が巡り合わせてくれたかのよう。そう、あれは大樹があたしに無念を晴らしてくれと頼んでいたのよ。ごめんなさい大樹。すぐに気付けなくて……」


 直美は胸元のペンダントを握り締めながら、何処か恍惚とした表情で遠くを見つめた。


「あたしはその車の目撃情報を募った。轢き屋をやっていた頃の名残で、そういうのに強い知り合いも居たしね。そして、大樹が轢き殺された当日、その車が和水家の敷地内に停められていたという事実を突き止めたのよ」

「それで直ちゃんは高橋君を殺したのは和水家の誰かって考えたのか。でもね直ちゃん。残念なお知らせ。高橋君を直接轢き殺したのは和水家の誰でも無い。佐々木紀夫っていう薬物依存者。和水家の人間を皆殺しにしても、直ちゃんの復讐は果たせない」


 直美は唖然とした表情を見せる。そして八つ当たり気味に怒鳴り散らす。


「う、嘘吐かないでよ!」

「嘘じゃない。近々警察がその件で佐々木紀夫を再逮捕する予定」

「そんな……だって、車は和水家の敷地内にあったのよ。和水家が無関係な訳ない」

「まあ無関係ではないかな。五十嵐堅三郎が佐々木紀夫に高橋君の殺害を依頼したのだから」

「五十嵐? 依頼……じゃあ、別に間違ってなかったじゃない。後もうちょっとで殺せたじゃない。何で邪魔したのよ! 何で邪魔したのよ! 何で邪魔したのよ!」


 直美が玩具を取り上げられた子供の用に喚き散らす。


「それとね、もう一つ聞きたいことがあるのだけど、直ちゃんは、3月末に高橋君を轢き殺した車を発見したって言ってたよね」

「ええ……そうよ」

「話を聞く限り、その車が和水家のものであることはすぐに突き止めた」

「そうよ。車を発見した翌日には突き止めていたわ」

「じゃあ、どうして最近になって和水家を皆殺しにする気になったの? やっぱり轢き屋として入念に準備をしたかったから?」


 北山としては一つ腑に落ちないことがあった。

 北山は直美と今年の3月20日に出会っている。3月20日以降であれば、直美が殺意を抱いたのと同時に北山の殺人予知が発動する。

 直美が高橋大樹を轢き殺した車を発見したのは三月末。しかし、つい最近まで北山の殺人予知は発動しなかった。

 直美の性格を考えると、和水家が高橋大樹の殺害に関わっていると判明したタイミングで殺意が確定してもおかしくないのだ。

 だが一郎が殺される予知が発動したのは、つい昨日のこと。殺意の確定まで、ずいぶんなタイムラグがある。


「いいえ。違うわ。もうお見通しみたいだけど、和水家皆殺し計画は轢き屋としては行動していない。だからろくに準備もリサーチもしていない。一郎の時は偶々目撃者がいなかっただけよ」

「じゃあ、どうして――」

「プレゼントよ」


 西空の表情が歪み、気遣うような視線を背後に送った。


「大樹のプレゼントが、あたしの心を動かしたの」


 直美は申し訳無さそうな調子で語る。


「正直に話すとね、和水家を突き止めた後、何だか空しくなったのよ。復讐を果たしても、大樹が戻ってくる訳じゃない。それを考えると、何もかもがどうでもよくなっていった。周りに心配かけまいと、表面上は大丈夫そうに振舞っていたけどね。でも、それも限界擦れ擦れだった。このプレゼントを受け取るまでは」


 そう言って、直美はイルカのペンダントを愛おしそうに見つめた。


「大樹が残してくれた最期の形見。これを身に付けていると力が湧いてくる。これを見つめている間は、心の痛みを忘れることができる」


 西空が高橋大樹の想いを聞き、紆余曲折を経て直美の手に渡ったペンダント。

 ペンダントは高橋の望み通り、直美の心を癒した。だが……


「そして、これは大樹からのメッセージなのよ。俺を殺した糞野郎共に復讐してくれと。だからあたしは何を犠牲にしてでも復讐を果たさなくちゃいけないのよ」


 同時に、直美の内に住まう悪魔まで癒してしまったようだ。




「……陳腐だ」


 西空が溜息交じりに小さく呟いた。


「陳腐だ」


 もう一度、今度は大きな声で、直美に聞こえるように呟いた。


「あんたの行動は酷く陳腐です。短絡的で感情的。やはり人殺しというのは総じて屑だ。ゴミ屑だ。クズゴミカスだ。高橋さんがあんたみたいなカス女と付き合っていたことが可哀想で仕方ありません」

「なによ。あんたに何が分かるって言うのよ!」

「そういうのが陳腐なんです」

「大樹は、お母さんが死んでからお父さんまで後を追うように死んで、どうしようもなくなったいたあたしを救ってくれた人なの。何よりも大切な人だった。それが殺されそうになっていたのよ。実際に殺されたのよ!」

「いいえ。陳腐です。陳腐過ぎて反吐が出ます」

「陳腐陳腐ってうるせーんだよ! 大樹を殺した極悪人なんて死んで当然よ! それの原因も遠因も全て死んで当然よ!」

「だからそういうのが陳腐だっつってんだよこのカス女!」


 西空は直美の顔を真正面から見据えた。対人恐怖症にはあるまじき行動だ。


「さっきからあんたは殺しの正当性ばかり主張してやがる。極悪人だから殺していい? 大事な人が殺されたから殺していい? 陳腐だ。陳腐にも程がある。どんな極悪人であろうとも、いや、極悪人だからこそ絶対に殺しちゃいけない。生かして罪に問わなきゃなんねえんだよ」

「何? そっちこそ陳腐じゃない。殺しはいけませんだなんて、小学生にだって言える」

「じゃああんたはその小学生以下だ。知能がまるで発達しちゃいねえ。それどころか脳が腐ってやがる。あんたは生ゴミの詰まった屑籠だ」


 西空が口汚く罵るたびに、直美のほおが紅潮させる。


「そもそも分かってんのか? あんたが正宗を殺さなきゃ、きっと高橋さんが殺されることは無かった。あんたが短気を起こした所為で、巡り巡って高橋さんが殺されてしまった」


 直美の頬は、酔っ払いのそれ以上に赤くなっていた。


「だから、高橋さんの死はあんたの所為――」

「ソんなの分かってんのよ!」


 空気を切り裂く金切り声が直美から発された。彼女は頬だけでなく目も真っ赤に充血させ、涙を流していた。


「分かってんのよ。正宗を殺さなければ、和水家の誰かが大樹を殺すことにはならなかった。分かってんのよ。半分はあたしの所為だってことぐらい。あの時、大樹に相談を受けたとき、一緒に警察に行ってればよかったのよ。分かってんのよ。だから……」


 そう言って直美は忍ばせていたナイフを取り出した。だが、西空が一瞬でそれを叩き落とした。


「だから復讐を果たしたら後を追うってか。陳腐だ」


 直美が憎々しげに西空を睨みつける。


「邪魔すんなよ! 大樹を失って、復讐も失敗して、もうあたしには生きる意味が無い」

「あんたに意味が無くても、社会にとっては意味があります。あんたは生きなければなりません。逃げることは許さない。そう易々と高橋さんの元へは逝かせません。あんたは高橋さんの居ない世界をしっかりと生きて下さい」


 西空が冷酷に告げ、直美は放心し固まった。

 イルカのペンダントを握り締め、大樹、大樹と譫言のように大切な人の名前を呼びながら遠い空を見上げた。

 こんな状況下にも関わらず、空は美しい青空で、温かな日差しが直美のほおに触れた。

 直美は何故か、高橋が頬をなでてくれたような気がした。

 直美のことを許し慰めているように感じた。


 だがそれは気のせいだった。都合の良い妄想だった。

 直ぐ傍にいる高橋本人は直美に背を向けていた。

 背を向けたままただ一言、「別れよう」と告げただけだった。

 だが、幽霊を感知できない直美は知るよしもない。

 直美は空の向こう側に居る高橋が許し慰めてくれたのだと思い込んだまま。




 婦人警官の新田健が現場に到着し、直美を逮捕、連行した。北山は警察の余りにも早い対応に驚いていたが、東海があらかじめ彼女に計画を知らせていたらしい。

 取調べで直美は自らの犯行を、過去に行った分も含めて洗い浚い話した。また、サイトウと五六四七銀行についても話した。

 サイトウの存在については半信半疑の様子だったが、まあ無理もないと思った。五六四八銀行なんて、子供が遊びで考えたような組織名なのだから。2、3時間に渡る取り調べが終わり、直美は再び留置場に戻された。


 ***


「消灯」


 その掛け声とともに、照明が落とされた。就寝時刻の21時を回ったのだろう。こんな早くに寝かされるのは小学生以来だった。

 直美には一人用の留置室が割り当てられていた。ベッドの上に横になるが、眠れる気がまったくしない。暗い檻の中で独りきり。どうしようもない孤独感が直美に襲い掛かってくる。

 大樹に、大樹に会いたい。大樹がくれたペンダントを求めて胸もとに手を当てる。だが、留置場に入れられる前にペンダントは押収された。

 今、その事実を改めて認識し、孤独感がより一層増していく。


 ……どれぐらいの時が経過してからだろう。延々孤独感に苛まれる中、遠くから小さな足音が聞こえた。


 コツコツコツコツ……


 足音は徐々に近づいて来る。再び取り調べが行われるのだろうかと身構えたが、その可能性は薄いことに気付いた。


 コツコツコツコツ……


 何故なら、その足音は人のものとしては軽すぎた。それに足音の間隔もかなり短い。得体のしれない何かが、直美の元へと近づいて来ている。


 コツコツコツコツ……コツ


 足音が、留置室前で止まった。そこに何かが居る。

 直美は得体のしれない何かを確認すべきかどうか逡巡した。幽霊とか妖怪だとか、そう言った人外の存在を信じちゃいなかったが、それでも万に一つの可能性が頭を過り、直美は寝たふりを続けることにした。


 カタカタ……カタカタ……


 暫く寝たふりを続けていると、外に居る何かが鉄格子を小さく揺らし始めた。直美は驚きのあまり起き上がり鉄格子を確認した。


「ヒィッ!?」


 思わず悲鳴が漏れた。鉄格子の外には、うすぼんやりと光る2つの目がこちらを見据えていた。


「だ、誰か! 大樹!」

「落ち着いて下さい直美様」


 突如聞きなれた声が直美の耳に届いた。声の発生源は鉄格子の外に居る何かから発されている。

 直美は呼吸を落ち着けてから、恐る恐る鉄格子の方へと近づく。そして、鉄格子の外の、光る目の正体が判明する。


「ジョナサン?」


 その正体は年老いたゴールデンレトリバーことジョナサンだった。ジョナサンは行儀よく鉄格子の前でお座りをしており、気怠そうな目でこちらを見つめている。


「え? いや、でも、サイトウさん?」

「はい。サイトウで御座います」


 直美は酷く混乱した。留置場にジョナサンが居ることもそうだが、サイトウの声は間違いなくジョナサンから発されていた。つまり、サイトウの正体はジョナサンだった……?


「直美様。流石にそれは飛躍しすぎで御座います。ジョナサン様の首元をご覧になって下さい」


 再びサイトウの声が聞こえ、直美は言われた通りジョナサンの首元に目を向け、疑問が氷解した。


「ご理解頂けたようで何よりで御座います」


 ジョナサンの首元には携帯電話がぶら下がっており、サイトウの声はそこから発されていた。


「さて直美様。電話を御取りになって頂けませんか」


 直美はジョナサンの首元に手を伸ばし、携帯電話を受け取った。


「も、もしもし……」

「お久しぶりで御座います直美様。その後の御調子は如何で御座いましょうか? って聞くまでも御座いませんね」

「サイトウさん? どうして」

「無論。直美様を助けに来たので御座います。直美様の損失は、当行にとっても多大なる損失。助けに来るのは当然で御座いましょう」

「き、気持ちは嬉しいですけど、でもあたしはもう……」

「復讐を諦めるので御座いますか? まだ2人残っておいでですよね。五十嵐堅三郎、佐々木紀夫。主犯共犯の2人が。高橋様の無念を、そのままにして置くので御座いますか?」

「どうしてそれを……」

「長い付き合いではありませんか。それ位容易に把握できるので御座います。それにしても直美様。水臭いで御座います。直美様が望めば、このサイトウ、いくらでもご協力いたしましたのに」

「協力って……こっちから連絡しようにも、サイトウさん連絡先教えてくれないじゃないですか」

「確かに連絡先はお教えしておりません。ですがそれは関係ないので御座います。ワタシ達五六四八銀行は、お客様がお望みに成ればこちらからお電話を差し上げる仕組みになっているので御座います。つまり、直美様は五六四八銀行の協力は不要とお考えになられていたということで御座います。サイトウ。とても悲しゅう御座います」

「サ、サイトウさん?」

「ですがこうして再びお話しすることができました。サイトウ。感無量で御座います」


 相変わらずサイトウの言うことは理解を超えている。


「さて直美様……そこから出たくありませんか?」

「そ、そんなことができるんですか?」

「はい。可能で御座います。直美様がお望みに成れば、このサイトウ、そこから出して差し上げましょう」


 にわかには信じられなかった。だが現に、留置場と言う隔絶された場所からサイトウと連絡が取れている。あたしをここから脱出させることも、容易いことなのかもしれない。


――復讐を諦めるので御座いますか?


 先程のサイトウの言葉が蘇る。


――まだ2人残っておいでですよね。五十嵐堅三郎、佐々木紀夫の2人が。


 その名を聞くと、腸が煮えくり返る思いだ。


――高橋様の無念を、そのままにして置くので御座いますか?


 そうだ。大樹のためにも、あたしはあの2人を殺さなければならないんだ。


「……お願いします。あたしをここから出して下さい」

「承りました。では、これから指示致しますので、言うとおりにして頂けますか?」

「分かりました。どうしたらいいですか」

「まず、ベッドに掛布団と枕が有りますよね。枕をベッドの中央に置いて掛布団を掛けて頂けますか?」

「……できました」

「そうしたら、布団の皺を中央に寄せて、直美様が寝ているように見せかけて頂けますか?」

「できましたけど、古典的過ぎませんか?」

「問題ありません。少し時間を稼げればいいので御座います。さて、直美様。鉄格子の前に来て、ジョナサン様の正面に立っていただけませんか?」

「……来ました。正面に立ってます」

「ジョナサン様の背中に鍵を預けております。見えませんか?」

「あ、はい。暗くてハッキリ見えませんが、銀色に光ってるものが見えます」

「手を伸ばして取って頂けないでしょうか」

「分かりました」


 直美は膝を折り、ジョナサンの背中に手を伸ばす。ジョナサンはこちらの意図を理解したのか、鍵を取りやすいように体を伏せてくれた。

 だが、鍵は背中というよりジョナサンの腰のあたりに括り付けられており、手を伸ばしてもギリギリ届かない。


「ごめんジョナサン。もうちょっと、腰をこっちに寄――」


 突如ジョナサンが立ち上がり、首を振り上げた。突然のことに驚き、直美は尻餅をついてしまう。


 ちょっと動かないでよ!


 そう言おうとしたが、言葉が出てこなかった。喉元が異様に熱く、触れるとベトリと粘着質の液体が手の平に付着した。遅れて半田ごてを直に当てられたような激痛が走った。

 ジョナサンの口には鋭い刃物が咥えられており、刃先から赤い液体がポタリポタリと滴っていた。その刃物で喉を切られたことは明白だ。だが、直美は未だに事態を理解できていなかった。


「直美様。大変申し上げにくいのですが、殺人融資を受けている会員が必要以上の殺人を犯すことは、当行の利用規約に反しているので御座います」


 直美の手から携帯電話が滑り落ちた。


「利用規約に反した場合、お客様に事前に通知、予告することなく利用サービスの一部または全部を停止、会員資格の喪失、その他必要な措置を取ることができるものとしているので御座います」


 床に落ちた携帯電話から、無機質なサイトウの声が響く。


「また、会員は退会後または会員資格取り消し後に置いても、当行の守秘義務を負うものとし、これに反した場合、当行から相応の対応をさせて頂いているので御座います」


 直美は少しでも出血を抑えるため喉に手を強く押し当てる。だが、その程度で収まる出血量では無かった。


「直美様は利用規約及び守秘義務に違反されました。協議の結果、直美様には人生の破産手続きを行って頂く所存で御座います」


 直美が助かろうと足掻く中、サイトウはお構いなしに言葉を続ける。


「なお、今回の人生破産により直美様の返済は完了したものとさせて頂きます。当行から直美様の親類、友人、その他関係者に返済を迫るような事は致しません」


 もう直美にはサイトウの声は届いてない。だが、サイトウは手続き通り言葉を続ける。


「進藤直美様。このような結果に終わり、サイトウ、大変残念で御座います」


 そしてサイトウは最後に、窓口での去り際や、ATM取引終了後に聞く、ありきたりの定型文で言葉を結ぶ。


「ご利用。ありがとう御座いました」

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