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4.11 轢き屋

 進藤直美は車内で遅めの昼食を取っていた。ハムサンド1個とカフェオレ1杯。味がしなかった。

 大樹が死んでから、何を食べても味を感じない。改めて、大樹と言う存在が自分にとってどれ程大きな存在だったか思い知る。時が心の傷を癒すとよく聞くが、時が経てば経つほど傷は広がるばかりだ。それどころか傷口は炎症し、更なる痒みと痛みを与えてくる。

 直美は胸に掛けたイルカのペンダントをそっと握った。大樹が遺してくれたもの。このペンダントだけが、今の直美の心の支えだ。大樹。どうかあたしに力を貸して。


 コツン。


 直美は閉じていた目を見開いた。年老いたゴールデンレトリバーが後ろ足で機用に立ち上がり、運転席の窓から車内を覗いてきた。そのゴールデンレトリバーには見覚えがあった。確か名前はジョナサン。和水正宗の飼い犬だ。確か行方不明だった筈だが、ここに居るということは北山たちが無事発見したということなのだろうか。

 ジョナサンは直ぐに窓から離れた。そして、路上駐車してある他の車に対して同じことを繰り返す。


「……何か探してるのか? いや、人を探してるのか?」


 ジョナサンは非常に賢い犬で、人間の言葉を理解できる。直美は大樹が言ってたことを思い出した。ジョナサンは和水家の人間に命令されて、人を探しているのかもしれない。そんな突飛な考えが浮かんだが、馬鹿馬鹿しいと一笑に付した。

 ジョナサンのことを目で追っていたが、すぐに視線を元に戻した。今は犬っころのことを気にしている場合ではない。あたしにはやるべきことがあるのだ。直美は気を引き締める。だが、今度は電話の着信音が邪魔してきた。北山からだった。


「もしもし――」

「直ちゃん大変! 五十嵐が逃げた!」


 通話ボタンを押した瞬間、北山の珍しく焦燥した声が鼓膜を震わせる。


「逃げた? クルちゃん何言って――」

「工藤君から聞いてるでしょう? 何故あんなことをしたのか尋問してたのだけど、逃げられた!」


 胸の奥に凍てついた炎が燃え上がる


「ホンと油断してたの。一瞬の隙を突かれて。何であんなことに……ああ、どうして私はいっつも詰めが甘いの!」

「クルちゃん落ち着いて。それであたしはどうしたらいいの」

「……ごめん。落ち着いて考えたら、直ちゃんを巻き込むべきじゃなかった。切るね。本当にごめんなさい」

「ちょっと待て! 詳しく話を聞かせて。あたしに何ができる?」

「でも、危険だよ。直ちゃんが危ない目に遭ったら、高橋君に申し訳が立たない」

「そんなこと気にしなくていいわ。危険は百も承知」


 北山の息を飲む音。直美は耳を澄まし、彼女の言葉を待つ。


「直ちゃんの家、和水家からそう遠くなかったよね。爆走する白いワゴン車通らなかった? ナンバーは――」


 北山が言い終わる前に、白いワゴン車が正面から現れ、隣を素通りした。運転手は燕尾服を着た白髪の男。顔もしっかりと確認した。間違いない五十嵐健三郎だ!

 直美は通話を切り、車のギアをバックにいれる。そしてアクセルを思いっきり踏み込み、ありえない速度でバックした。ギリギリ2車線あるかないかの狭い道路のため、素早いUターンはできないし、悠長にUターンしていては五十嵐を見失ってしまう。だから直美はバックで追跡することにした。

 五十嵐はウインカーも上げずに左折すると、直美はバックしたままハンドルを右に切ってに左折した。五十嵐が右折すると、ハンドルを左に切って右折した。バック走行であるにも関わらず、距離が離れることはなく、むしろ徐々に距離を詰めていた。

 直美のバック追跡に気付いたのか、五十嵐は車のスピードを上げた。直美も振り切れまいとスピードを上げる。五十嵐がスピードを上げても、左折と右折を何度繰り返しても、直美はコバンザメのようにピッタリと付いて行った。

 そして、この異様な追跡劇はあっけなく終わりを告げた。広い車道に出ると、瞬時に直美は車体をスリップさせ、くるりと車体を180度回転させた。直美はさらにアクセルを踏み込み、五十嵐の車に追突させる。五十嵐の車は大きくバランスを崩し軽くスリップ。直美はその隙を見逃さず、よりバランスを崩すべく車体をぶつけた。

 五十嵐の車は制御不能に陥り、片輪が宙に浮いた。トドメと言わんばかりに、直美は体当たりをかまし、五十嵐の車を掬い上げる。直美の猛襲に耐え切れず、遂に五十嵐の車は引っくり返る。屋根と地面が擦れ火花を上げ、数十メートル進んでからようやく停止した。もう車で逃げることはできない。

 だが五十嵐は諦めが悪かった。後部座席の窓を蹴破り、そこらかしこがベコベコに凹んだ車体から飛び出し、逃走を試みる。だが、直美にとって、その逃走は好都合だった。寧ろこの瞬間を待ち望んでいたのだから。

 直美は再び車を走らせ、逃げる五十嵐を猛追する。結果は言うまでもない。五十嵐は逃走叶わず、体が大きく跳ねあげられた。赤い液体がフロントガラスに付着し、直美はワイパーでその液体をふき取りつつバックミラー越しに五十嵐を確認した。

 だが、それでも五十嵐はまだ生きていた。苦しそうに何度も咳き込んでいる。まるでゴキブリのような生命力。だが、もう立ち上がる力は残されていないようだった。

 直美は悩んだ。さっさと止めを刺してもいいが、奴には聞けるのなら聞いておきたいことがあった。きっとこれは神が、いや、大樹が与えてくれたチャンスだ。直美は車から降り、五十嵐の元へ向かう。

 五十嵐は往生際悪く、地面を這いずり逃げようとしていた。直美の頭が急速沸騰し、駆け寄り五十嵐の脇腹を蹴り飛ばす。


「何逃げてんだよ!」


 五十嵐の背を右足で踏みつけ、昆虫標本のようにその場に釘付ける。右足に全体重を掛け、五十嵐は苦しそうに呻き声を上げた。


「逃げんじゃねえよ。あんたには聞きたいことがあんのよ」


 直美は五十嵐の背中で地団駄を踏む。ぐえぐえぐえと、醜いアヒルのような声。


「どうして工藤を殺そうとしたの?」


 五十嵐は何も答えない。


「あんたが大樹を殺したの?」


 五十嵐は咳き込むのみ。質問に答える気配は微塵もない。


「もういい……殺す」


 時間の無駄だった。さっさと車で踏み潰しミンチにしてしまおう。運よく人気のない所まで来たが、いつ誰がやって来るか分からない。目立つカーチェイスを繰り広げたから、警察が追ってくる可能性だってある。今はまだ捕まるわけにはいかない。最低でも、二葉と三郎を殺さなければならないのだから。


「何故、オレを殺そうとしているんですか。もしかして……あなたが轢き屋なんですか? 女のあなたが?」


 車に戻る途中、五十嵐が背後から声を掛けてきた。


「確かにあたしは轢き屋よ。正体が女だったのは意外?」


 振り向きざまに、直美は冷たい声で語る。


「あたしは人を轢き飛ばし、死に至らしめる殺し屋。でも勘違いしないで。あたしは依頼を受けたからあんた等を殺すわけじゃない」

「えぇ? 静歌様が、依頼したんじゃ?」

「正宗のことはともかく、あんた等を殺す依頼は受けてない。あたしはあたしとしてあんた等を殺す。だから轢き屋のルールには則らない」

「……ではどうして?」

「しらみつぶし」

「どういう意味ですか?」

「そのままの意味よ。あんたの次は、二葉と三郎を殺す。それであたしの復讐は完結する」

「もしかして、高橋さんが殺されたことに対する復讐ですか?」

「そうよ。だからもう一度聞くわ。あんたが高橋大樹を殺したの?」

「……はい。保身のためにぶち殺しました」


 その言葉を聞いた瞬間、直美の血液が沸騰した。耳の穴から血液が噴出すのではないかと思うくらいに、全身の血液が頭に昇る。

 殆ど無意識に、直美は五十嵐の下へ近づいた。

 そして五十嵐の頭目掛けて足を振り下ろした。

 車に戻る時間すら惜しい。

 今すぐに息の根を止めてやる!


 だが、振り下ろした足が目的を果たすことはなかった。直美の足は、宙でピタリと停止していた。五十嵐の手で止められたからだ。振り下ろした瞬間、五十嵐の手が伸びたかと思うと、直美の足を易々と捉えていた。


「離せ!」


 拘束を逃れようと暴れるが、五十嵐の腕はビクともしなかった。しかも暴れるやいなや、ものすごい力で足を捻られ、直美は痛みと共にバランスを崩し転んでしまう。

 いつの間にか、両足をガッチリと脇に挟まれ、腕立て伏せに似た、屈辱的な格好をさせられている。無論抵抗したが、万力のような力で全く歯が立たなかった。

 直美は首を後ろに回し、五十嵐の顔を見た。そいつは五十嵐じゃなかった。今の一悶着で白髪のかつらが脱げ、五十嵐の振りをしていた者の正体が明らかになる。


「あんた……西空?」


 西空零司。大樹のペンダントを見つけてくれた恩人がそこに立っていた。

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