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1.3 西空零司

「昼休み後の授業が終わった後、直美は食堂に来て、ここに座ると思うから」


 高橋はそう言ってから窓際のテーブル席を示し、そそくさと食堂から離れた。

 西空はそのテーブル席の隣りの席に腰を下ろし、傘地蔵のように微動だにせず、静かに高橋の彼女が来るのを待った。

 高橋からの依頼は、直美が今でもイルカのペンダントを身に付けているかどうか確認して欲しいというものだった。

 高橋曰く『もし俺にまだ気があるのなら、直美はこっそりとイルカのペンダントを身に付けているはず』とのことだ。

 席についてから約5分後、女子2人組が駄弁りながら食堂にやって来た。

 茶髪のショートカットと黒髪ロングの2人。茶髪女子の容姿は、高橋から聞いていたものと完璧に一致していた。間違いない。彼女が直美だ。黒髪ロングはその友人だろう。

 2人は迷わず高橋が示したテーブル席へと向かった。そこに腰を下ろすのかと思いきや、直ぐ傍に座る西空の存在に気づき、軽く一礼してから彼女達はテーブルを2つ跨いだ場所に移動し腰を下ろした。

 西空の視線に気付いたからではない。人の少ない時間帯なら、なるべく広々とスペースを使いたいというのが人情だ。それと、赤の他人同志はなるべく互いに干渉しないようにという、ある種の暗黙の了解。

 普段なら西空としてはとてもありがたいことなのだが、今日だけは違う。距離が離れたことで、直美がペンダントを身に付けているかどうか確認する、という任務の遂行難易度が数段跳ねあがってしまった。視力はかなりいい方のため、頑張れば確認できるかも知れないと思い、西空は目を凝らす。

 ……胸もとにペンダントは見当たらない。

 しかし直美は上着を着こんでいたため、下にペンダントが隠れてるという可能性は十分ありえる。可能ならそこまで確認したい。


「ちょっとここ暑くねー?」

「確かに暖房がききすぎてる感はあるかな」

「暖房の温度下げるように頼んでこようか」

「そこまでする必要ない。上着を脱げは十分」


 そう言ってから、黒髪ロングが上着を脱ぎ始めた。違うお前じゃない。上着を脱いでほしいのは向かいの直美さんだ。

 直美を横目で凝視し、脱げ、脱げ、上着を脱げと念を贈る。

 ………………あれ、もしかしなくても今のオレって変態じゃね?

 そう思った瞬間、上着を脱ぎ終わった黒髪ロングと目が合ってしまい、慌てて目を反らした。黒髪ロングは特に気にした風も無く、脱いだ上着を椅子に掛けてから視線を直美の方に戻した。

 西空は鞄の中から法学の参考書とノートを取り出し、何かを書くふりをしながら、ちらちらと横目で直美たちの様子を覗う。

 2人は楽しそうに談笑していた。


 いいなあ……


 仲睦まじそうにしている2人を羨む。そのうち2人は会話を止め、互いにノートを出し合い勉強を始めた。

 ふと思った。オレにも親しい友達が出来たら、ああいう風に笑って雑談できるのだろうか。ああいう風に、共に勉学に励む日が来るのだろうか。想像もできないが。

 いつの間にか伏せていた顔を上げ、再三2人の様子を覗った。そして気付いた。黒髪ロングが居なくなっている。トイレだろうか。


「ねえ君」


 突如背後から声。反射的に冷や水を掛けられた猫のように飛び跳ねた。


「そんなに驚かなくていいじゃない」

「ええ、あ、すす、スミマセン」


 なるべく相手の顔を見ないようにしながら振り返ると、そこには黒髪ロングが立っていた。


「そんなに怯えないでよ。安心して。別にセクハラとか言うつもりはない。こっち見てたみたいだけど、私達に何か用かな?」

「べ、別に……」


 驚きと、焦りと、恐怖と恐怖と恐怖で、思考が警告色の赤で塗りつぶされていく。

 頼むから、もう少し離れてくれ。どっか行ってくれ。オレを見ないでくれ。これ以上話しかけないでくれ。


「本当に? 何か言いたそうな顔だったけど」

「その、ち、ちらちら見て、スミマセン」


 手が震える。目が泳ぐ。全身から汗が噴き出す。動悸が激しい心臓バクバク。顔が熱い真っ赤になってるんじゃないか恥ずかしい。自分でも大変挙動不審な動きをしている。でもどうしようもない。気分悪い気持ち悪い。離れて離れろ離れろ離れろ。だから落ち着け冷静になれ震えよ止まれというかどうしてこの女はオレに話しかけてくるんだやっぱりウザかったかキモかったかだよねオレなんてどうせ変質者扱いされるようなクズゴミカスなんだからだってそうだしこんな根暗で挙動不審で対人恐怖症なカス野郎が生きてるなんて恥知らず甚だしい……


「ねえ、大丈夫? 顔が真っ青だよ」


 黒髪ロングが顔を覗き込んできた。眼が合ってしまった。

 全身に怖気が走った。


「聞いてる? 保健室に……」

「ごごご、ごめんなさい!」


 裏返った声でそう叫んでから、尻尾を踏まれた猫の如くその場から逃げ出した。


「何で逃げるの。君、待ちなさい!」




 西空は走りながら後悔していた。とにかく、いったん、落ち着こう。

 足を止め、近くの柱に寄りかかり呼吸を整える。

 我武者羅に逃げた先はB棟だった。食堂のあるA棟から距離はさほど離れていない。だが1キロ全力疾走したような疲労感があった。


「君!」


 ビクリと背筋から脳髄にかけて電流が走った。恐ろしいことに先程の黒髪ロングが走って来ているではないか。っていうか何で追いかけてくんの。どうしよう、やっぱりセクハラで訴えられるのか。


「君……はあ、何で逃げるのさ」


 黒髪ロングは軽く息を切らしながら問うてきた。


「な、なな、なん、何でって……」


 西空は一切目を合わせずに、辺りをキョロキョロ見回した。そして、人が一人か二人は入れそうなくらい大きなゴミ箱を発見し、服が汚れるとか臭いが付くとかそういったことを一切思い浮かべず、躊躇無くそのゴミ箱の中に飛び込んだ。幸い、清掃員が片付けたばかりなのか、ゴミ箱の中は空だった。悪臭は残っているが。


「き、君。何してるんですか……」


 黒髪ロングの唖然とした声。


「あ、あああん、あんたこそ、何の用ですか!」


 声を震わせ、どもりながら質問を質問で返した。


「いや私達に用があるのはそっちでは? 私達のことずっと見てたでしょう」

「別に、見てないです。ボーっとしてただけです」


 下手な嘘だ。ゴミ箱越しでも、相手の呆れた様子が分かる。


「というか、何で追っかけてきたんですか。何で話しかけてくるんですか。普通、引きますよね。こんなゴミ箱野郎」

「それは私が決めること。君こそ、何でゴミ箱なんかに隠れてるのですか?」


 まあ何となく想像は付くけど。黒髪ロングは小さく呟いた。


「オレは……」


 声は裏返りっぱなしだったが、西空は喉奥でつっかえている言葉を何とか捻り出す。


「い、生きている人が、こ、怖くて……怖くて……対人恐怖症ってやつなんですけど」


 潰れた蛙の断末魔を思わせる醜い声だった。恥ずかしくて、死にたい気分だ。


「やっぱり。しかも結構重症みたいね。よく大学に来れたね」

「しょ、正面から目を合わせたり、話しかけられたりしなければ、ある程度は大丈夫です」

「そ。じゃあ、ゴミ箱に隠れてる今なら大丈夫ってわけね。私は君ともう少しお話したいのだけど、いいかな?」

「な、何で? こんな厄介なゴミ、相手にしても、時間の無駄じゃない、ですか?」


 震える声で、遠まわしに拒絶する。だが、黒髪ロングは一歩も引かなかった。


「んー、単なる好奇心かな。君、やっぱり私達に用があるみたいですし、ちゃんと聞いておかないと気になるから」


 変な女だ。ゴミ箱に隠れている自分が言えたことではないが。


「それで、本当に用はないのかな?」


 ふと思いついた。彼女にペンダントのことを聞けばいいのでは。


「ぺ、ペンダントを付けてるか、確認してました」

「ペンダント? 私が?」


 違う、と小さく否定する。


「い、いえ、直美さんが、ペンダントを身に付けてるかどうか確認してました。そう、頼まれたので」

「誰に?」

「それは、依頼人の意向から、言えません」


 西空はゴミ箱の中から顔を半分出した。が、思ったより黒髪ロングの顔が近くにあり、慌てて引っ込めた。


「依頼人って、あなたその依頼人とはちゃんと話せるの?」

「は、話せるかどうかは、時と、場合によります」


 滅茶苦茶な言い訳だ。だが、黒髪ロングは不思議なことに怒りも呆れもしなかった。


「そう。因みにどういうペンダントか分かる?」

「い、イルカのペンダント」

「イルカのペンダントね。良ければ私が聞いてきてあげようか?」

「クルちゃーん。どうかしたー?」


 直美が近づいてきた。西空はビクリと体を震わせ、それに同期してゴミ箱も震えた。


「直ちゃん。丁度良かった、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、今ペンダント身に付けてる?」

「ペンダント?」

「イルカのペンダント? あたしそんなもの持ってないけど」

「そう。持ってないって」

「クルちゃん? 何でゴミ箱に話しかけてるの。ちょっと引くわ……ってウエっ! 何であんたそんな所に入ってるの」


 直美が思わず叫び、西空もひときわ大きく体を揺らしたため、ゴミ箱がまるで生きているかのように蠢いた。


「この子、対人恐怖症で、顔を合わせるのが嫌みたい」

「はあ? 意味分からないし、ゴミ箱に隠れるなんてありえねーだろ。それよりもクルちゃん早く戻ろう。どの喫茶店に行くのか早く決めようよ」

「そうだね。またね、ゴミ箱君」


 離れていく二人の足音。


「……本当にペンダントを貰ってないんですか」


 去りゆく2人に向けて、西空は小さく、でもハッキリとした声で問いかけた。


「何あんた。そんなゴミ箱の中からじゃなく、ちゃんと面と向かって話しかけろよ」

「ナオちゃん。その子対人恐怖症らしいから」

「対人恐怖症だか何だか知らないけど、人に尋ねるなら面と向かって聞くのが礼儀ってもんでしょうが」

「ほ、本当に、ペンダント、貰ってないんですか」


 西空は声を震わせつつも、ゴミ箱の中から直美に再度尋ねた。


「話にならないね。さよなら」


 直美が踵を返す。


「直美さんの誕生日、3月24日に高橋大樹からイルカのペンダントを貰っていませんか!」


 西空はゴミ箱の中から顔を出し、首を締められた鶏を思わせる、悲痛な声で叫んだ。


「本当は貰っているんじゃないですか! でも工藤さんが居るから、気を遣って……」


 振り向いた直美の表情は鬼の形相だった。西空は小さく悲鳴を上げ、再びゴミ箱の中に頭を引っ込めた。


「何であんたがあたしの誕生日を知ってるのよ」


 直美が足を鳴らしながらゴミ箱へ近づいて来る。


「何であんたが大樹のことを知ってるのよ。工藤のことまで……」


 直美の足が、ゴミ箱のすぐ傍で止まった。


「イルカのペンダントって何よ。あんた何なの。何を知ってるの! 何か知ってるの! 隠れてないで答えなさいよ!」


 直美がゴミ箱を蹴り飛ばす。


「ちょ、ちょっとナオちゃん。落ち着いて!」

「出ろよ! 出ろっつってんのよ」


 直美は手を伸ばし、襟首を掴み西空をゴミ箱の中から引きずり出す。

 だが、西空は泡吹いて気絶していた。


 直美の悲鳴が、空高く轟いた。

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