4.10 北山来々留
注意!!
この話は特定の障害を持つ者を貶めるものではありません。
この話は特定の障害を持つ者を差別するものではありません。
「正宗様は勃起不全に悩まされておりました」
「……は」
五十嵐が暴露した正宗の性機能障害に、一同は言葉を失った。
二葉は不愉快そうに顔を歪め、南地は恥じらい俯き、東海は己の股間に目を向け青ざめ、北山は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「それで、正宗さんが勃起不全であることと、あんたが工藤さんを殺そうとしたことに何の関係があるんだ?」
西空が睨みを利かせ、五十嵐はそれだけでビクビクと体を震わせた。
「こらこら脅さない。政治家じゃないんだから、野次を入れずにまずは最後まで聞きましょう。五十嵐さん、気にせず全部話してください」
五十嵐は紅茶が注がれたカップを手に取るが、口に付けず、元の場所に戻した。その後、一度大きく深呼吸してから、一つ一つ丁寧に言葉を紡ぎ始めた。
もう一度言いますが、正宗様は勃起不全に悩まされておりました。非常にプライドの高い方ですから、誰にもそのことを打ち明けておらず、医者にも行っておりません。わたくしがそれを知ったのは、正宗様が酷く泥酔したときにポロリと口を滑らせたからでございます。
正宗様は自らのご病気のため、女性の方に苦手意識を御持ちのようでした。想像ではありますが、過去に女性とトラブルがあったのかもしれません。ですから、正宗様はずっと独身でおられました。
ですが50の時、突然静歌様とそのご子息、一郎様、二葉様、三郎様を屋敷にお連れし、家族として迎えると宣言したのです。わたくしは面喰ってしまいました。もしかしたら、正宗様のご病気を理解して下さる女性が現れたのかと微かに期待しましたが、残念ながらそうではありませんでした。
正宗様が静歌様とご結婚なさったのは、見栄のためでございました。美術商の会合で、妻一人娶らず孤独でいることを馬鹿にされたらしいのです。
プライドの高い正宗様のことです。馬鹿にされたことが我慢ならなかったのでしょう。しかも思い立ったらすぐさま行動に移す方です。本当にあっという間のことでした。当時のことは二葉様もよく覚えておいでではないでしょうか。
そして、見せかけだけの結婚生活が始まりました。静歌様は正宗様のお心に近づこうと努力されていたのですが、正宗様にその気がまったく無いことが分かると、その仲は急速に険悪なものになりました。
唯一の救いは、正宗様は3人のご兄弟については邪険に扱わなかったことです。正宗様は若者に対してはお優しい表情を覗かせることがあり、当時年若かったご兄弟についても例外ではありませんでした。
……ですが、それがますます静歌様を追いつめたのでしょう。いつの日からか、静歌様は自分の部屋に引き籠り、益々おかしくなっていきました。わたくしにはどうしようもありませんでした。
そして……その……遂にというか、起こるべくしてと言うか、事件が起きてしまいました。
正宗様が静歌様を殺してしまったのです。正宗様は正当防衛だと仰っておりました。
わたくしは運悪くその現場を目撃してしまい、後始末を手伝わされました。勿論拒否しようとしましたとも。そのような恐ろしい事なぞ手伝えないと。ですが正宗様は、従わなければトモダチにお願いして、貴様とその家族に地獄を味あわせてやると、わたくしを脅してきたのです。
実を言いますと、正宗様は裏の世界に生きる者と少なからず交流があり、わたくしもそれを重々承知しておりました。ですから逆らうことなぞできなかったのです。
ですが、今思えば、あの時ほんの少しでも勇気を出して通報していれば……
「だからそれが工藤さんを殺そうとしたことと何の関係があるっつうんだよ!」
西空の怒号。五十嵐は声を上げて怯える。
「さっきからグダグダグダグダと関係ない話ばっかしやがって何のつもりだ! オレが聞きてえのはあんたが工藤さんを殺そうとした理由なんだよ」
「ちょっと!」
南地が今にも殴り掛かりそうな西空を止めようとするが、北山はそれを制した。北山の見立てでは、五十嵐は脅しに弱い。西空の恫喝で、話すつもりの無いことまでポロッと喋ってくれるかもしれない。
「なあ何でだよ。言えよ。何で工藤さんを殺そうとしたんだ。言えねえのか忘れたのかクズなのか空っぽのゴミ箱。忘れたんならショック療法で思い出させてやるよ。今度は外してやらねえからな。それにオレが聞きてえのはそれだけじゃ――」
「ひ、轢き屋だと思ったからです!」
五十嵐が割れた声で叫んだ。
「工藤が、轢き屋だと思ったからです」
そして五十嵐は早口で語り始める。
正宗様は偶然、静歌様が轢き屋という殺し屋に、電話で正宗様の殺害を依頼しているのを聞いたらしいのです。正宗様がそのことを問い詰めると、静歌様は声を荒げて襲い掛かってきた。そして弾みで殺してしまった。事故だった。正当防衛だった。そう仰ってました。
そのような経緯なら、尚更警察に通報すればよかったのではないかとお思いになるでしょう。ですが正宗様にそれはできなかったのです。実は、正宗様は別の犯罪に手を染めていました。それは絵画の不法売買、そして脱税です。当時既に警察にマークされていたらしく、彼等は家宅捜索の機会を虎視眈々と狙っていたそうです。そんな状況下で警察を頼れる訳がありません。
ですから、正宗様は静歌様の死を隠匿されました。その日の屋敷には正宗様とわたくしの2人だけ。死体の処理は造作もないことでした。それに、静歌様は日頃自室に引き籠っておられましたから、近隣の住民に不審がられることもありません。
ですが、やはり天罰が下ったのでしょうか。3月11日、正宗様が殺されました。その手口からみて、轢き屋という殺し屋の仕業に間違いありません。静歌様を殺したからといって、依頼が取り消された訳ではなかったのです。正宗様もわたくしも、その可能性を失念しておりました。
そして、3月23日。今度は高橋様が轢き屋に殺されました。さらに先日、一郎様が轢き屋に殺されました。ようやくわたくしは気付きました。静歌様は正宗様だけでなく、和水家に関わる者全てを皆殺しにしようとしていたのだと。そしてそれももう依頼済みなのだと。
殺人依頼の中に、わたくしも含まれているのではないか。今も轢き屋は虎視眈々とわたくしのことを狙っているのではないか。そう思うと、恐ろしくて恐ろしくて仕方ありませんでした。気がおかしくなってしまいそうでした。いえ、既におかしくなっていたのでしょう。工藤が轢き屋であると思い込んでしまったのですから。
突拍子もないと思われるでしょうが、理由がございます。わたくしは工藤が当屋敷の周りをうろついているのを監視カメラの映像で何度も目撃しているのです。轢き屋は殺す対象を入念にリサーチすると聞いています。もしかして、彼が轢き屋ではないか。そう疑い始めました。
そして、今日の11時頃だったでしょうか。もみじ動物病院からジョナサンを預かっていると連絡が来たのです。工藤と名乗る人物がジョナサンを連れてきたが、様子がおかしかったので念のため連絡を入れたと。
わたくしはすぐに病院へと車を走らせました。そしてちょうど駐車場に車を停めた所で、工藤が駐車場に入ってきました。その顔は、間違いなく当屋敷の周りをうろついていた人物と一致しました。
ご存じかと思いますが、ジョナサンは非常に賢い犬です。工藤はジョナサンを手懐け、殺しのターゲットであるわたくし達の情報を得ていたのです。やはり工藤が轢き屋で間違いない。わたくし達全員を殺そうとしているのだ。その時の私はそう思い込みました。いえ、今でも疑っています。
そして、これはチャンスだと思いました。工藤は無防備な背中を晒しています。今なら殺される前に殺すことができる。轢き屋が轢き殺される。何ともおあつらえ向きな最後だ。そう思い、わたくしはアクセルを踏み抜きました。
「後は皆様がご存じの通りです。工藤の殺害は西空様に阻まれてしまいました。わたくしは轢き屋を殺し損ねた挙句、関係の無い人を殺しかけました」
五十嵐は西空の方をチラリと見やりつつ呟いた。
「ちょっと待って……それってわたしとサブも轢き屋に狙われてるってこと!」
「恐らくそうなのではないかと……」
「一郎さんが殺されたことから、その可能性は高いですね」
予知の中で、轢き屋は和水二葉と和水三郎を名指ししていた。2人が轢き屋に狙われているのは確実だろう。
二葉の顔が青ざめていく。
「二葉さん落ち着いて下さい。取り敢えず家から出なければ大丈夫です」
「そんなの分からないじゃない。直接この家に乗り込んでくるかもしれないじゃない」
「大丈夫です。轢き屋は車で轢き殺すのが殺しの手口です。屋内には来ないでしょう。それに、当面のターゲットは五十嵐さんですし」
北山が冷たく言い、五十嵐の顔が青ざめる。
「……でも、五十嵐が殺されたら、次はわたしかサブが狙われるってことでしょ」
「大丈夫です。そうなる前に、私達が轢き屋を捕まえて見せますから」
「あんた達にそれができるっていうの」
「できます。むしろ、私達だからこそ捕まえることができます」
北山が胸を張る。
「やはりあの工藤って男が轢き屋なんですね。工藤と知り合いである貴方方が工藤を罠に掛けて――」
「さて五十嵐さん。どうして五十嵐さんは毒を仕込んだのでしょうか?」
五十嵐の話を遮り、北山が冷たく問いかける。
「ハイ?」
唐突な話題転換に、五十嵐は暫く言われたことを理解できないでいた。
「しらばっくれないで下さい。五十嵐さんが毒を仕込まれたのでしょう?」
「な、何の話をしているのですか」
「ですから、二葉さんと三郎さんの殺害を目論み、リビングの湯沸かし器に毒を仕込まれたのは五十嵐さんですよね? 正直に仰って下さい」
そして自らが疑われていることを理解すると、顔を赤くして反論する。
「違います。わたくしは断じて違います。毒なんて仕込んでません。お二方を殺そうなんてもっての外です!」
「あら本当? 皆が使う湯沸かし器に毒が仕込まれていたのですよ。何時仕込まれたのかは分かりませんが、使用人である五十嵐さんなら容易いのではありませんか?」
「違います! 湯沸かし器に毒を入れることなんて誰にだってできます。何時仕込まれたのか分からないのなら、前日に他の使用人が仕込んだ可能性だってありますよね」
「本当に? 湯沸かし器に毒を仕込んでない?」
「断じてありません!」
どれだけ五十嵐が否定しようとも、彼が毒を仕込んだことは東海の能力で分かっている。だが、それに証拠としての力は無い。だから犯行を本人に認めさせる。
「でもおかしいですよ。どうして五十嵐さんは毒を仕込んでいないとしか主張されないのですか?」
「ハイ? そんなのわたくしが毒を仕込んだ犯人ではないからに決まってるじゃないですか」
「ですから、犯人でないのなら、何故五十嵐さんは毒を仕込んでいないとしか主張されないのですか?」
「な、何を仰ってるのですか。わたくしは犯人じゃない。そう言ってます」
「だって、毒はいつ仕込まれたのか分からないのですよ。それも皆が使用するリビングの湯沸かし器に。なのに五十嵐さんは毒を仕込んでいないとしか主張されておりません」
「一体何を言って――」
「普通ならまず、自分も毒を飲んでしまったのではないかと不安に思う筈。ですが五十嵐さんはその可能性を露ほども思っていらっしゃらないようです」
五十嵐の言葉を遮り、北山が優しく冷たく五十嵐に尋ねた。
「そ、それは、毒が回っていたら、わたくしはとっくに倒れているはずですよね。だから大丈夫だと」
「私がいつ即効性の毒だと言いました? ゆっくりと体を蝕む毒だって存在しますよ。それにですね、即効性にしろ遅効性にしろ、毒と聞いたら普通は誰だって不安に思います。ですが五十嵐さんは自分は毒を接種していないと確信しています。さて何故でしょう」
北山が意地悪く笑う。
「そ、そう思い込んだだけです。だって、貴方が湯沸かし器湯沸かし器連呼するから。わたくしは今日湯沸かし器に一切触れていません。だから――」
「嘘はいけません。湯沸かし器に十分なお湯が入ってましたよ。五十嵐さんが給水したということですよね」
「嘘じゃありません! リビングに置いてある湯沸かし器はいつでも使えるように、常に十分な水を入れています。今朝確認した時、ほぼ満水だったので補充しませんでした」
「なるほど。それは信じます。ですが、湯沸かし器に触れてないというのは嘘です。あなたが今日、湯沸かし器に触れていることは東君が確認済みです。午前10時5分にあなたは湯沸かし器の蓋を開き、毒の元を一本入れてます」
「でたらめだ! わたくしがやった証拠はあるんですか。わたくしはタバコなんて入れてません」
「あら、いつ私がタバコだと言いました?」
北山が優しく暖かな笑顔で告げる。だが声は突き放すような冷さだった。
「不思議ですね。青酸カリとかヒ素とか、よく知られた毒を話題に出すのならまだしも、あえてタバコですか」
「そ、それ、それ、そ、そ、そう」
五十嵐は反論しようと口を開けるが、言葉は出ず、間抜けな息が吐き出されるのみだった。
「さて、今日の出来事について、順を追って明らかにしましょう」
狼狽する五十嵐を余所に、北山は舞台に立つ役者のように、身振り手振りを交えつつ語り始める。
「五十嵐さんは今日、二葉さんと三郎さんに毒を飲ませるつもりでした。ですがそれは、殺すためではありません。2人を暫くこの家から追い出すためです。本来の計画では、ニコチンを煮出すのも程々に毒水を飲ませ、病院送りにするつもりだったのでしょう。ですが、もみじ動物病院から連絡が入り、慌てた五十嵐さんは湯沸かし器に入れたタバコを放置したまま外出してしまった。そしてもみじ動物病院駐車場にて、衝動的に工藤君の殺害を試みるが、西空君のファインプレーにより失敗。我に返った五十嵐さんは慌ててその場から逃げ出します」
「時間が経過しお昼過ぎ。私達は病院からジョナサンを引き取り、和水邸へと訪れます。二葉さん達はジョナサンとの再会に大喜び。お礼がてら、私達に紅茶を振る舞います。ですが、三郎さんは五十嵐さんが仕込んだタバコ入りの湯沸かし器、たっぷりと時間を掛けて煮出された致死量レベルのニコチン水で紅茶を淹れてしまいました。幸い東君がすぐに気付いてくれたため私達は飲まずに済みましたが、三郎さんは時すでに遅し。彼は紅茶を淹れた時に、味見がてら毒茶を口にしてしまっていたのです。ですが、私達の応急処置により一命を取り留めます。さて、所変わりまして正宗の書斎……」
そこで北山は一旦言葉を止めた。
このまま馬鹿正直に話したら、西空がこっそり正宗の書斎に入っていたことがばれてしまう。という訳で、嘘を吐くことにした。
「……正宗の書斎に、病院での診察を終えた西空君が迷い込んでいました。何故他人の敷地に、しかも正宗の書斎へと勝手に足を踏み入れたのか? それはこういう理由です。西空君には診察の結果が問題なければ、そのまま和水邸へ来るように言っておきました。西空君は正門で呼び鈴を鳴らしますが誰も出てきません。私の携帯に電話しても、一向に出る気配がありません。それもそのはず。その時私達は毒紅茶騒ぎの真っ只中だったのですから。西空君は不審に思います。彼の鋭い直感が、何かまずいことが起きているのではないかと警鐘を鳴らします。そして、悪いことだとは思いつつも、その卓越した身体能力で邸内へと侵入しました。邸内はかなりの広さのため、偶然にも西空君は正宗の書斎に迷い込んでしまいます。さらに偶然が重なり、轢逃げ犯の五十嵐と鉢合わせします。五十嵐も、とある目的で正宗の書斎へ訪れていたのです。正義感の強い西空君です。工藤さんのことを轢き殺そうとした五十嵐を見るや否や、捕まえようと追い駆けます。追う西空。逃げる五十嵐。そして2人は私達のいるリビングへ飛び込んできました。後の展開は私達の知る通りです」
一しきり語り終えた後、北山は振り返り、五十嵐に向けて蠱惑的な笑顔を向ける。
「さて五十嵐堅三郎、ここまでで訂正することはありますか? これは私の推理に過ぎないので、間違いがあれば訂正して頂けると助かるのですが」
五十嵐は無言だ。だから北山は語りと騙りを続ける。
「さて、西空君のお陰で失敗に終わってしまいましたが、五十嵐堅三郎には2つの目的がありました。一つは書斎隠し部屋にある現金を拝借するため。五十嵐本人が語っていたように、正宗の隠し部屋には大量の現金があります。流石に全部を持ち出すのは難しいですが、札束数個でしたら難なく持ち出せます。海外への逃走資金に充てるつもりだったのでしょう。そしてもう一つの目的。それは証拠隠滅です。五十嵐は積極的にしろ消極的にしろ、和水正宗の悪事に加担していました。その最たるものが和水静歌の殺害及び死亡隠匿。正宗に強要されてたといえ、警察にばれたら罪は免れないでしょう。五十嵐本人が言ってたとおり、警察は和水家をマークしてました。警察が本気で捜査すれば、例の隠し部屋なんてあっという間に見つかってしまいますし、脱税の証拠だけじゃなく、冷凍庫に保管されている和水静歌のバラバラ遺体も見つかってしまいます」
「ちょっと待て北ちゃん。バラバラ遺体ってどういうことだ。それも冷凍庫の中? いつの間に見たんだよ」
「見てない。けど推理ならできる。あのね、人の死体の隠匿ってものすごく難しいことなの。あっという間に腐るし、大きさが大きさだから腐臭が凄まじい。隠すなら深く埋めるか腐らない場所で保管するしかない。そこであの大型冷蔵庫の出番ってわけ。隠し部屋自体は昔からあったけど、冷蔵庫の製造年月日は今から3ヶ月前だった。あの冷蔵庫は和水静歌の遺体を隠しておくための冷たい棺桶」
北山は西空に向けて小声で語る。
「そして西空君はそれを知っていた。いや、聞いたと言った方が正しいか。西空君は2階の調査中に、和水静歌の幽霊と出会い、正宗の犯行を聞かされていた。だからあの時、私達に向かって冷蔵庫は絶対に開けるなと命令した。私達がおぞましい物を見てしまわない様に。いや、見える西空君なら、死者の尊厳を守るため、というのも含まれているのかな? バラバラ遺体なんて、静歌さん的には見られたくないでしょうし」
「……まあ、概ねそんな所です」
西空が小さく呟き、肯定した。
「さて、五十嵐堅三郎」
北山が五十嵐に向き直り、作り笑顔を見せる。
「東君の言葉を借りると、あなたの行動は理屈に合わないのです。二葉さんと三郎さんを病院送りにしなくても、証拠隠滅及び現金持ち出しは2人が出かけた隙にいくらでもやりようはあった筈。あなたは他の使用人のシフトを調整できる立場ですから、屋敷に独りきりになる機会はいくらでも作れたはずです。ですが、貴方は慎重を期するあまり、異常とも言える行動を取っています。私を人質にしたこともそうです。ストレスからあなたは正常な判断力を失っているとしか思えない。いったい何を抱えているのでしょうか。いったい何を隠しているのでしょうか」
五十嵐は俯いたまま、わなわなと手を震わせる。
「何をそんなに焦っているのでしょうか。何をそんなに恐れているのでしょうか。ここで何が行われていたのでしょうか。ここで何をさせられていたのでしょうか」
北山は体をくの字に曲げ、五十嵐の顔を下から覗き込む。
「貴方が佐々木紀夫に高橋大樹を轢き殺すよう依頼したことと何か関係があるのですか?」
五十嵐の額から大量の汗が噴き出した。
「もしかして……隠匿した遺体は静歌さんだけではないのですか?」
そして、五十嵐は怪物の断末魔ような雄たけびを上げた。
***
北山、南地、二葉の3人で隠し部屋の冷蔵庫の中を確認することになった。西空の、というより静歌の要望で、どうしても遺体を確認するのなら、女性だけにお願いしたいとのことだった。
辛い物を見ることになるから無理しなくてもいいと2人に言ったのだが、南地は北山だけに負担を負わせたくないからと、二葉は部外者に任せっきりで良いわけがない、とのことだ。
「では、開けますよ」
北山が冷蔵庫の取っ手に手を掛ける。南地は両手を正面で合わせ祈り、二葉は胸もとで十字を切った。
冷蔵庫がその口を開けるが……
「あれ? 何もない……」
冷蔵庫の中はもぬけの殻だった。
しかし、北山の鼻は冷蔵庫の中から濃密な死の臭いを嗅ぎ取った。
間違いなく、この冷蔵庫には遺体が入れられていた。
ならば遺体は何処? 遺体を運び出したのは誰?




