1.2 西空零司
広瀬大学。
M県S市の都心部から離れた、自然豊かな区域に本部を置く国立大学。
大学入学初日の一教室にて、一人の青年が陰鬱な顔で溜息を吐いていた。
壁に掛けられた時計の短針が12時を示している。
西空零司はつい先程のやり取りを思い出し、本日5度目の溜息を吐いた。
「ん、何か用?」
「……べ、べべ別に」
「そう?」
別にってなんだよ別にって。何キョドってんだよ情けない。
オリエンテーションにて、どれが必須の授業か、進級するためには単位を幾つ取ればいいか、そういったことを大学職員と先輩から説明された後のことだった。
『ちょっとよく分からない所があったから、教えてくれないか?』
そう聞くだけのことが、どうしてできないんだろう。
大学入学に合わせて、ぼさぼさだった髪を切った。髪型を変え、金に染めた。服装にも気を遣った。オレは今までの自分とオサラバし、大学を機に再スタートするつもりだった。大学デビューというやつだ。
が、見た目を変えようとも相変わらず人と面と向かって話すのは苦手、というか怖い。どうしようもなく怖い。怖くてしょうがない。檻に入れられてない猛獣より遥かに怖い。
だから、なるべく大人しくて人の良さそうな奴をロックオンし、オリエンテーションに関する質問という免罪符で話しかけ、あわよくば仲良くなろうという魂胆だった。
しかし、結果は先の通り。先程話しかけた人は既に別の人と仲良くなっている。
自分の不甲斐なさを改めて痛感し、本日6度目の溜息を吐いた。
それと同時に誰とも話さずに済み、何処かホッとしている自分もいた。
教室から出た後、西空はなるべく人気のない場所を求めて階段を昇った。オリエンテーションは1階と2階でしか行われていなかったため、それよりも上の階に人は居ないだろうという判断だ。3階でも人は居なかったのだが、どうせならと最上階の4階まで昇った。
階段を昇り終え、正面に休憩スペースを発見した。休むにはちょうどよさそうだ。
「だから待てよ! 無視すんなって!」
椅子に腰を下ろしたタイミングで、男の悲痛な叫び声が聞こえてきた。足音がこちらの方に近づいてきたため、何となく目立たない奥の方へと移動する。
やがて、廊下の角から一組の男女が姿を現した。
「なあ、何度も謝ってるだろ。いい加減機嫌直せってー」
男は女の正面に回り込み、手を合わせて謝罪の意を露わにした。だが、女は男の顔を一切見ること無く、そこには何も存在しません空気しかございません、と言わんばかりに、男を素通りした。
「んだよ……ホンと訳分かんねえよ! こっち向けって! なあおい!」
それでも男は無視され続け、女の姿が階段下へと消えた。残された男は「クソッ」と叫びながら腹いせに何度も地面を蹴っ飛ばした。やがて自分の行動がいかに不毛であるか気付いたのか蹴るのを止め、こちらの方を振り返った。
「あ……」
男と眼が合ってしまった。男が気まずそうな顔をしながら近づいて来る。
「……見てたか?」
「な、何も見てないです」
「嘘吐くな。明らかに見てた反応だ。うわぁ恥ずかしい」
男はその場に頭を抱えしゃがみ込んだ。
「そ、その、元気出して下さい」
当たり障りのない無責任な言葉を掛けると、男は俯けていた顔を上げ、西空の顔を正面から捉えた。西空も男の顔を正面から見ることになる。その顔には見覚えがあった。
「ん、お前もしかして一年か。俺が受け持ったオリエンテーションに居なかったか?」
相手も気付いたらしい。薄暗くて顔が良く見えなかったから気付けなかったが、男はオリエンテーションの時にいた先輩だった。確か名前は高橋大樹。
「はい。高橋さんの言うとおりです」
「やっぱりか。目立つ金髪だったからよく覚えてるぜー」
「そんなに目立ちますか?」
「あー、金髪が目立つっつうより、金髪にそぐわない服装と言うか……」
「どういうことです?」
「んー、一言でいうと、ダサい」
自分の足元にヒビが入る音が聞こえた気がした。
「何て言うのかなー。ダサいって言うより、パッとしないって言うか。いや、その服自体は悪くなくておしゃれな服なんだが、組み合わせがこう何だかおかしいと言うか。いやでも何処がおかしいんだろう。ははっ、自分で言っといて何だかわかんねーや」
侮辱という弾丸が絶え間なく足元に打ち込まれ、足元のヒビがどんどん広がっていく。
「でも、とにかく、何だか、全体的に、ダサい」
ついに地面が決壊し、奈落に落ちてゆくような感覚。何だか涙が出てきた。ほぼ初対面の野郎に、どうしてこんなに馬鹿にされなきゃならんのだろう。
「いやあー悪りい悪りい。そんなに落ち込むなって。ダサさもある種の個性だぜ」
「うるせえ死ね痴話喧嘩野郎! てめえなんかずっと彷徨ってろ!」
本日溜まりに溜まった鬱憤を一気に吐き捨て、一目散に駆け出した。
大学デビュー初日。友達は出来ず先輩には馬鹿にされる。
散々な一日だった。
***
そして一週間が経過した。
西空零司は友達作りに失敗した。自分から他者に話し掛けることはできなかったし、誰かが話し掛けてくることも無かった。最も、話しかけられたところで上手く対応出来る訳がないため、ある意味幸運だったのかもしれない。
西空は独り校舎裏の片隅に座り込み――このままではいけない。サークルに入ろうか。でもオレ何かがサークルに溶け込めるだろうか。そもそも入りたいサークルはあるか。そもそも友達を作ろうって理由でサークルに入るのはいささか動機が不純ではないか。大学生にもなって幼稚じゃないか。というかオレの性質上サークルに入ってもまともに活動できるとは思えない。やはり今まで通り人を避け独りで居た方が賢明じゃないか――等々と黙々と悶々と考えながら、一口ずつ昼食用の菓子パンを頬張っていく。
菓子パンが半月の形になった頃だった。
「よ! 一週間ぶりだな」
「痴話喧嘩野郎……」
西空のことをダサいと馬鹿にしてきた先輩が、何処からともなく現れた。
「その呼び方止めてくれ。軽く傷つくし、一応先輩だよ」
「じゃあ痴話喧嘩先輩」
「普通に高橋って呼んでくれ」
「じゃあチワワ高橋」
「急に可愛くなったな。もしかしてまだ怒ってる? 声が妙に刺々しいよ」
「さあどうでしょうね」
「やっぱ怒ってるな。ダサいって言ったことを謝ります。スミマセンでした。でもやっぱり何て言うかお前の服装……」
「さようなら」
スッと立ち上がり、高橋に背を向け歩きだす。
「わー! 無し無し今の無し!」
高橋が追い縋り、正面に回り込んできた。
「頼むから少しでもいいから話を聞いてくれよー。俺とお前の仲じゃないかー」
「ほぼ初対面の人間にそんなこと言われる筋合いはないです」
「確かにそうだけど……っていうか、先輩に対する態度じゃ無くない? 俺さすがに傷ついちゃう」
「じゃあ先輩として敬意を払えるように振る舞ってください」
「お前って見かけによらず辛辣だなー」
少し意外だと、高橋は小さく呟いた。
西空は足を止め、高橋の様子を覗う。高橋は聞く準備が出来ている、と判断し、話を続けた。
「ちょっと長くなるんだけれど……」
と、切り出されてから、ちょっとどころではなく、長々延々と話を聞かされた。しかも主にのろけ話。
高橋の話を纏めると、
1.高橋と直美(高橋の恋人)は高校の頃から付き合い始め、4年になる。
2.直美の誕生日に高価なイルカのペンダントを買ってあげた。
3.ちょっとしたサプライズとして、ペンダントを直美に直接渡さず、ある場所に隠した。
4.ペンダントを隠した場所は秘密。だが、直美が絶対に気付く場所だ。
5.誕生日以降、何故か直美が高橋のことを無視するようになった。原因が分からない。
6.今も無視され続けている。
7.高橋には工藤と言う親友がおり、最近直美に急接近していて気が気じゃない。
8.一刻も早く仲直りしたい。
9.だから高橋と直美の仲を取り持って欲しい。
といった所だ。
途中、直美は写真が趣味で、高橋と直美のラブラブメモリアルが写真ボードとして部屋に飾ってあり、高橋の誕生日の思い出、直美の誕生日の思い出、遊園地、観覧車、花畑、湖、山やらなんやらの写真がうんぬんかんぬん……
と、はちみつを一瓶ぶちまけたパンケーキ的ぐで甘のろけ話を聞かされた。正直できるなら殴り飛ばして、ハチミツと一緒に熊の餌にでもしてやりたかった。
「む、無理かな……俺と直美との仲を取り持って欲しいってお願い」
「それよりも高橋さん。どうしてオレにそんなことを頼むんですか?」
「どうしてって……どういうことだ?」
「高橋さんの友達に頼んだりはしなかったんですか。もしくは、直美さん、でしたっけ。の友達に頼まなかったんですか」
「そしたら工藤や直美に感付かれるかもしれないだろ」
「そうじゃなく、新入生のオレじゃなくて、知り合いの2、3年の人に、もしくは教授に頼るって方法もあったと思いますが、違いますか」
「それは……」
高橋は口を開いたが、そこから言葉は出てこなかった。眼を泳がせ、困惑した表情を浮かべている。
俺はほぼ初対面の、それも新入生にこんなお願いしてるんだ? 表情がそう物語っていた。
「そー、だね。ごめんな変なこと頼んで。他を当たってみるよ」
「いえ、引き受けますよ。高橋さんのお願い。直美さんとの仲を、取り持ってあげます」
「へ?」
高橋は間の抜けた顔をした。鳩が豆鉄砲を食らった顔とは、こういうのを指すのだろう。
「えーっと……さっきの話の流れから、どうしてそんなことになるのかな?」
「気にしなくていいです。まあ……」
友達できなくて暇ですし。西空はボソリと呟いた。
「ああやっぱり友達いないんだね。ボッチな雰囲気醸しだしてるし、ダサいし」
「やっぱ辞めます。今の話は無かったことに―――」
「わー! ごめんごめん。でもさ、やっぱ話しかけ難い雰囲気があるよお前」
「どういうことですか?」
「うーん。そうだな、話しかけても無視される、みたいな雰囲気が出てるんだよね。俺に話しかけるんじゃねえ。一人にしてくれって感じ」
「そんな雰囲気が出てんですか?」
出てる出てる。高橋は笑いながら答えた。
「えーっと、そういやお前名前は?」
「西空です」
「西空君はさ、本気で友達を作りたいって思ってるのかな?」
思ってます、と答えようとしたが、どうしてか喉元で言葉が詰まった。
「これは俺の勝手な想像なんだけど、西空君、どこかホッとしてたりしない? ほら、友達付き合いって面倒に感じる時もあるからさ、どちらかと言うと友達いない方が気が楽だって思ってたりしない?」
「そんなことは……」
ある……かもしれない。いや、間違いなくそうだ。実際オリエンテーションの時、誰とも話さずに済んだことにホッとしていたじゃないか。高橋の言うとおりだ。
自分を変えたという気持ちは本当だ。友達が欲しいって気持ちも本当だ。しかしそれと同時に友達なんてできなくてもいいや、と思っている自分もいる。何とも矛盾した考えだ。
「ま、本気で友達が欲しいなら、サークルに入るのが一番手っ取り早いよ。でもちゃんとしたサークルを選ぶようにね」
中には殆ど活動してないものや、合コンしかしない、うんこなサークルもあるからさ。高橋は少し真面目な声色でそう付け加えた。