3.5 東海心矢
「あ、お帰りなさいです」
部室に入ると、南地が一番に声を掛けてきた。
「それでどうだった?」
北山は期待の表情だ。
西空は部室の隅から横目でチラチラとこちらの様子を覗っている。
「轢き屋……いや、"ヒキガヤさん"について色々分かったよ」
「本当! さすがは我が事務所が誇る東海心矢ね。愛してるわ結婚して」
「そういうのは止めろっつーの」
東海は追い払う仕草を北山に向ける。
「でも"ヒキガヤさん"って誰のことですか?」
南地が首を傾げた。
「じゃあさっそく"ヒキガヤさん"について教えてくれないかしら」
「無視っスか!」
「南地さん。さすがに察しが悪すぎると思います」
「どういうこと。ウチ、マジで分かんないんだけど」
「轢き屋の隠語ですよ。警察がそう呼んでいたんでしょう。後近づかないで下さい怖いです」
「すんません。ホンと察しが悪くてすんません」
へえ……大分打ち解けたんだな。
正直、対人恐怖症だと聞いて正直大丈夫なのかと思ったが、これなら心配なさそうだ。
「それでどうなの。何が分かったのかしら?」
東海は近くのパイプ椅子に座り、新田から聞いた話を説明していく。
「まず"ヒキガヤさん"……轢き屋は名前の通り、車を使った殺し屋だ。車でターゲットを轢き殺す。轢逃げは全て夜間に行われており、目撃者は皆無。しかも殺しに使った車は全て盗難車だ。入念に下準備をしての計画的犯行で間違いない。ターゲットの日常を調査し、轢き殺すのに最適な場所を決めているのだろう。"ヒキガヤさん"自身がターゲットを轢き殺す場所に誘い出すこともあったかも知れない」
東海は一息入れてから続ける。
「何よりも恐ろしいのはその殺しの手口だ。恐ろしいことに全ての被害者は轢かれたことが直接の死因となっていない。"ヒキガヤさん"はターゲットを轢き殺すのでは無く、ターゲットを轢いた勢いで橋や崖から突き落とすんだ。本当の死因は溺死、餓死、衰弱死、食中毒、野生動物に襲われたなど。"ヒキガヤさん"はターゲットの体の自由を奪い、川や樹海に放り込み、命の奪取は自然に任せる。不確定要素の多い犯行手口だが、今の所全て成功している」
「な、何でそんな殺し方をしてるんスか?」
南地が口を挟み、東海がそれに答える。
「警察の見解では、事件発覚を遅らせ捜査を攪乱するためだろうって話だ。現に、今まで起きた事件も発覚まで多くの時間が経過していた。しかも被害者は轢かれた後、不自由ながらも助けを求めて移動するから、遺体は実際に轢逃げに遭った場所から離れた位置で発見される。そんなだから轢かれた場所、車の特定も極めて困難で、轢逃げに使われた車が未だに特定されていないケースも多いらしい。警察は"ヒキガヤさん"が何者なのか全然分かってねえんだ。さらに、この特徴的な殺人は10年ぐらい前から連続して発生している。つまり、"ヒキガヤさん"は最低10年前から活動している」
「……10年も前から殺人を繰り返してやがんのか」
西空が不快そうに呟いた。
「あくまで警察の推測だから、実際の所は分からねえけどな。ただ、"ヒキガヤさん"は間違いなく存在する。そして"ヒキガヤさん"は間違いなく運転のプロだ。だから警察はタクシーやトラック、バスの運転手を優先的に捜査していたが、成果は得られてない」
「"ヒキガヤさん"は10年間ずっと活動していたのかしら。活動停止期間は無かった?」
「流石北ちゃん。察しの通り、"ヒキガヤさん"は4年前に活動を停止していた」
「ということは、つい最近活動を再開したということか」
「ちょ、ちょっと待って下さい。何で北さん活動停止期間があるって分かったんスか?」
「過去の事例からそう推測しただけ。殺人に限らず、同じ犯罪を重ねる者は、必ずと言っていいほどその活動を一時的に停止することがあるの。病気や怪我だとか、別の犯罪で捕まったとかそういう理由でね。だから警察は活動停止理由を推理し、犯人逮捕に繋げたりするのだけど、残念ながら今回はそうならなかったみたいね。警察が十年間も手こずるわけだ」
北山がそう告げると、部室内が暗い沈黙に包まれた。"ヒキガヤさん"は自分達の手に負える存在じゃないのでは? 恐らく皆そう思っているのだろう。
「さて東君。話は以上?」
「いや、もう一つ言っとく事がある。高橋大樹を轢き殺した犯人が分かった」
「ハア!?」
西空が驚きの声を上げた。そして廊下の方にチラリと視線を向けた。
「もしかして、今日の警察からの依頼って、高橋君を殺した轢逃げ車両の調査だった、とか?」
「凄いな北ちゃん。その通りだ。凄い偶然で正直僕も驚いたよ」
「そ、それで高橋さんを殺した犯人は誰なんスか?」
「佐々木紀夫だ」
今度は南地が驚きの声を上げた。
「佐々木紀夫って、あの佐々木紀夫っスか! ウチらにジョナサン捜索を依頼した上、事務所を襲撃してきた」
「ああ。姿を見た訳じゃねえが、同姓同名の人物なんてそう居ねえし、間違いないと思う」
警察は車に残されていた毛髪と佐々木紀夫のDNA鑑定を実施する予定だ。DNAが一致すれば、佐々木紀夫は轢逃げ殺人の容疑で再逮捕されることになる。
「それはまた意外な人が……いや、そうでもないかしら」
北山が口元に握り拳を当てる。集中している時の彼女の癖だ。
「……東君。話は以上?」
「ああ。以上だ」
北山が右手拳を口元から離し、流れる動作でパチンと指を鳴らした。
「では、楽しい楽しいまとめプラス議論タイムと行きましょう。大丈夫。轢き屋こと"ヒキガヤさん"如き私達の手に掛かればお茶の子さいさいです」
「え? でももう"ヒキガヤさん"が誰なのか分かったんじゃ……」
「佐々木紀夫が"ヒキガヤさん"である、と?」
南地が頷く。
「だって高橋先輩を殺したのは"ヒキガヤさん"で、犯人が佐々木紀夫だって判明したんスよね。普通に考えて、佐々木紀夫が"ヒキガヤさん"だと思うんだけど」
「そう結論付けるのは早計です。一旦情報を整理しましょう」
北山が部室内にあるホワイトボードの前に移動する。
「まず、"ヒキガヤさん"は盗難車を使用した轢逃げ専門の殺し屋」
北山はホワイトボードに『ヒキガヤ=盗難車、殺し屋』と書き込む。
「犯行は夜間に行われ、目撃者は居ません」
北山は下に『犯行:夜間。目撃者なし』と書き込む。
「そしてその存在は10年以上前から存在を噂されていた」
さらに『警察は10年前から存在を把握』と書き込んだ。
「さて問題です。どうして警察は"ヒキガヤさん"という殺し屋の存在を察知したのでしょうか」
「んん? 普通に捜査中に判明したんじゃないですか? 同じ手口で人殺しを繰り返しているから、これはプロの殺し屋の仕業だろうって」
「それなら普通は殺人鬼として捜査するはず。そもそも交通事故なんてよくあることだから、偶々似たような事故が多発したと考えることもできる。でも警察はどちらの可能性も完全に排除し、"ヒキガヤさん"を轢き屋という轢逃げ専門の殺し屋だと断じてる。そうよね東君」
「ああ。間違いない。警察は"ヒキガヤさん"のことを殺し屋だと言ってた」
"ヒキガヤさん"について話している時、新田は殺し屋という言葉を何度も繰り返した。だが言われて始めて気づいた。何故警察は"ヒキガヤさん"を殺し屋だと確信しているんだろう。北山の言うとおり、無差別殺人鬼の可能性だって十分あるのだ。
「……依頼者が自白したんじゃないでしょうか?」
西空がボソリと、だがよく通る低い声で呟いた。
「その通り」
北山は『依頼者』と書き込み、『殺し屋』と『依頼者』を線で結ぶ。
「殺し屋に限らないのだけど、営利殺人って実行者にとってすっごくリスキーなの。バレたらお縄になるのは勿論だけど、大金を払うことを嫌がった依頼者が実行者を脅迫することが間々あるらしい。お前が殺したことをばらすぞ。それが嫌なら金は諦めろ、って感じでね」
北山は『依頼者』の下に『警察』と書き、『依頼者』と『警察』を下矢印で結んでから、矢印の隣に『告発』と書いた。
「さて、私達は"ヒキガヤさん"のことを依頼犬のジョナサンから情報を得た。さて問題です。ジョナサンはどうやって"ヒキガヤさん"のことを知ったのでしょうか」
少し間を置いて、南地が驚いたように述べる。
「もしかして、和水家の誰かが轢き屋と話しているのをジョナサンが聞いたってことっスか」
「その通り」
そもそも当人たちは聞かれたとすら思ってないでしょうけどね。北山はそう付け加えた。
「つまり和水家の人間が依頼人ってことか。和水正宗の遺産目当てで、正宗本人と負担付遺贈の権利を持つ高橋大樹を殺すよう轢き屋に依頼――」
「ま、待って下さい! それはあり得ないです」
突如西空が身を乗り出し大声を出した。西空は一瞬だけ視線を扉の方に向けてから、話を続ける。
「正宗さんについてはまだしも、高橋さんを殺すよう依頼したなんてありえません」
「断定はできねえが、可能性は十分あり得るだろ」
「ウチも北さんの言うとおりだと思うけど」
西空は首を横に振り、2人の発言を否定する。
「いいえ違います。だって高橋さんは遺贈を完全に放棄しているんですよ」
「放棄? どういうこと」
「なんでそんなことおまえが知ってんだ?」
「本人から聞いたんです。遺産の遺贈を放棄した。代わりにジョナサンの面倒を見続けるから、今まで通りのアルバイト代を下さいって」
「いやちょっと待て。本人から聞いたってどういうことだ。いつ聞いたんだ。というかおまえ高橋と知り合いだったのか。何で黙ってた」
「つ、詰め寄らないで下さい。ここ、怖いです」
「いいから答えろよ」
「はい東君ストップ。ちょっと落ち着こうか」
北山が東海と西空の間に割って入った。
「でも北ちゃん」
「デモもクラシーも置いて取り敢えず座ろっか。丁度いい機会だし、今"説明"して貰うから」
東海は北山の"説明"の意味を理解し、悪かったと一言言ってから腰を下ろした。
そう、西空も異能者だった。先程の話も異能で知ったのだ。さて、一体どんな能力なのか。
「……えっと、じゃあいいですか?」
どうぞ、と北山が答え、3人の視線が西空に集まる。
「余り凝視しないで下さい怖いです」
やっぱ面倒くさい奴だ。
「まあ、何となく想像ついていると思いますが、オレ幽霊が見えます。さっきの話も、幽霊になった高橋さんから聞きました」
「ゆ、幽霊と会話できるってこと?」
「はい。普通に話すことができます」
「成程な。じゃあその幽霊高橋からいつ聞いたんだ」
「昨日工藤さんの家に行ったときです。普通に家の中で寛いでて驚きました」
「え゛。マジっスか?」
「マジです」
南地が怯えた表情を浮かべる。そういや心霊系の類いが少々苦手なタイプだった。
「北ちゃん。そん時気配とかそういうのは感じたか」
「いいえ。残念ながら何も。霊感無いみたい」
「まあだろうな。しかし幽霊、ねえ……」
東海は訝しげな声を上げる。
「や、やっぱ信じらんないですよね」
「ああわりいわりい。別におまえの話を信じないっつー訳じゃないんだけどよ。でも僕はそういう類いのインチキ野郎を沢山見てきたから、ちょっとな。こっちは見ることも話すこともできねえ訳だから確認のしようがねえしよ」
「見せることはできませんが、会話することはできますよ」
「へ?」
「オレが仲介役になれば可能です」
テンポは少し悪いですが。西空は小さく付け加えた。
「ま、まあ機会があったらな」
「ああ。じゃあ丁度いいから今やりますか。余り気は進みませんが、本人も是非話してみたいって五月蠅いですし」
「え゛、ちょっと待って。何をやるんスか?」
「いやだから会話を」
「だ、誰とのだ」
「高橋さんとの。だって今そこにいますから」
そう言って西空は部室の扉の方を指差した。南地が小さく悲鳴を上げた。
「あ、だから西空君チラチラそっちの方を気にしてたのか」
北山の何気ない一言で、全身にサブイボが立った。
「じゃあ中に入って貰いますけど、いいですか」
「どうぞどうぞ」
南地が首を激しく左右に振っているが、北山はお構いなしだ。
「そんなに怖がる必要はありませんよ。幽霊はこっちに手を出せないんですから」
西空がドアノブに手を掛ける。
「い、いやでも、でもでもでも」
「どうぞお入りください」
そう言いながら、西空はドアをゆっくりと開けた。西空はそこにいるらしい人物を目で追いかける。
「ああ、幽霊は招かれないと入れないんです。高橋さんはこの部室に招かれたことは一度も無かったんですよね。だからです」
西空の視線は部屋の中央に向いている。つまり今そこにいるのだろう。だが何も気配は感じない。西空の視線の先を幾ら凝視しても何も見えない。
「はい? いやまあ当然無理ですよ。そんなあからさまに残念がらないで下さい。っていうか彼女さんが泣きますよ」
西空は今現在、高橋と会話しているらしい。だが、高橋の声が鼓膜を震わすことは無く、西空が独り言を呟いているようにしか見えない。
「え、嫌ですよ。というか犯罪です。諦めて下さい。このエロ幽霊。でもまあ露天風呂だったら屋外ですから頑張れば入れるんじゃないですか。別にオレは止めませんよ」
「ちょっと待て何を話してる」
西空は問いに答えず、南地の方に視線を移動させた。正確には、南地の隣の空席に。
「な、何?」
「いえ、隣に――」
南地は脱兎の如くその場を離れ北山の後ろに隠れた。
「お、おい。あんまふざけんなよ」
「別にふざけてるつもりは無いですが……」
「まあおふざけはこの辺にして、そろそろ本題に入りましょうか」
北山が両手をパンと合わせ、高橋がいるであろう席に向かって話しかける。
「始めまして。私は広瀬大学探偵事務所所長北山来々留です。高橋君の話はナオちゃんから聞いてたけど、こうやって会うのは初めてですね」
「さて、私達は今、轢き屋という殺し屋、"ヒキガヤさん"を追いかけてます。そしてそれは貴方の死に深く関わっていると思われます」
「被害者である貴方にこんなことを頼むのは酷だとは思いますが、ですがどうかお願いします。和水家とその遺産について、そして貴方が死んだ時のことについて、知っていることを全てお話ししては頂けないでしょうか」
そして北山は深々とお辞儀をした。
「あの……北山さん。大変言いにくいんですけど、今そこに高橋さんはいません。東海さんの前で変な踊りを披露しています」
凄く申し訳なさそうな様子で西空は言った。いきなりそんなことを言われた東海は血の気の引く思いだ。今、目の前に幽霊が立って、しかも踊っている? そんな気配は微塵も感じない。
「……盆踊りでもしているのかしら。死霊だけに」
「さあ……変な踊りとしか。マイコージャクリン?」
「……とにかく、高橋君。気が進まないのは重々承知ですが。力を貸して頂けませんか?」
北山は体の向きを変え、再度深々とお辞儀をした。
「済みません。北山さんの隣に移動しました。一緒にお辞儀しています」
「ねえ西空君。悪霊をぶっ飛ばす方法ってないの?」
「ありません」
「と、とりあえず塩撒こうぜ」
「効果ありません」
「お、おおおお経を……ナムアミダ――」
「それ念仏です」
「じゃあハニャハラー」
「適当過ぎです。それじゃ逆に寄ってきます」




