表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/48

3.3 水ノ森新之助

 一介の学生が頻繁に、それも凶悪犯罪を扱う刑事部に出入りすることは、正直快く思われていない。素人がプロの仕事に口出しすることは、刑事達のプライドを刺激することは火を見るより明らかであるし、守るべき一般市民が凶悪犯罪に関わってくることを職務倫理的に許せないのもあるだろう。

 だが、東海心矢がもたらす情報は、それらの声を全て黙らせてしまうほどに恐ろしく有益だった。特に、重要未解決事件を扱う特命捜査対策室に置いては。


「準備オーケーです。そちらは?」


 車を背後に、鑑識用の手袋を嵌め終えた東海が尋ねてきた。


「こっちも大丈夫だ」


 水ノ森は部下に準備させたノートパソコンの前で構える。これから東海の発言を逐一記録していくのだ。


「では始めます」


 東海は車の方に向き直り、優しく丁寧に、指先を運転席の窓ガラスに這わせる。


「20XX年5月19日、15時23分に製造完了。車種はビット。生産工場はT県A市S町X-XX。マニュアル車」


 東海が説明書を朗読するように言葉を紡ぎ、水ノ森は即座にタイピングしていく。


「持ち主は五十嵐卓巳。値段は当時税抜180万。五十嵐卓巳は月5万のローンで購入。購入した日に運転席外側の扉に10円玉で傷付けられている。傷つけた者は木村吉住、30後半の男性で……あー、事件と余り関係なさそうな情報ですがどうしますか」


 東海が振り返りながら尋ねた。


「そうだな。そこは後回しにして、まずは乗車した事がある者を調べてくれないか」

「車内に入っても大丈夫ですか」

「問題ない。存分に調べてくれ。一応、汚さないように注意はしてくれよ」


 東海は運転席の扉を開き、背を屈めてハンドルに触れ、朗読を再開する。ハンドルに書かれた文字を逐一読み上げているかのように見えるが、ハンドルには何も書かれてはいない。だが、東海の目には文字が見えているのだ。


「ハンドルのブランドはソルトブレイブ。重さ2.6キロ。型番B-01210。製造工場は車体と同じ場所」


 東海心矢は物質に残された情報を文字通り読み取る事ができる。よく知られた超能力の一つであるサイコメトリーの一種である、と説明すると分かりやすいかも知れないが、一般的に知られるサイコメトリーは映像情報であることに対し、東海の場合は文字情報であるという大きな違いがある。

 東海曰く、物に手を触れると、触れた箇所を中心として、あぶり出しをするかのように文字が浮かび上がるそうだ。その内容は、それが何時どこで製造されたか、どこで売られていたか、所有者・使用者は誰か、どう使われたか、等々。ざっくりと言えば、物の履歴が分かる。


「五十嵐卓巳がこの車を買った後に運転席に乗ったことがある者は4名。五十嵐卓巳、五十嵐舞子、佐々木紀夫」


 五十嵐卓巳はこの車の持ち主。舞子はその妻である。だが、3人目の佐々木紀夫には驚かされた。佐々木紀夫は先日、広瀬大学の部室棟を襲撃した人物。現在拘留中だ。


「そして高橋大樹。以上です」


 だが、佐々木紀夫以上に意外な人物の名が呼ばれ、飛び上がるほど驚いた。東海に再度確認させるが、以上の4名で間違いないとのことだった。


「あの、何か問題が?」


 東海が不安そうに聞いてくる。


「……いや、まずは調査を進めよう。高橋大樹と佐々木紀夫の乗車した日時は分かるか?」

「高橋大樹、3月23日午前乗車。佐々木紀夫、3月23日から24日の深夜にかけて乗車」


 3月23日深夜は高橋大樹が殺された日だ。高橋大樹を殺したのは佐々木紀夫でほぼ確定。だが解せない。何故高橋大樹本人が、自身が轢き殺された車に乗っている。

 まさかとは思うが、鑑識の見立て違いで、この車は高橋大樹を轢き殺した車ではないのか? 一抹の不安が過ぎる。


「いったん外に出て、フロント部分を調べてくれないか?」


 東海はフロントに触れ、3月23日、時速94kmで高橋大樹が衝突、と読み上げた。水ノ森は見立てに誤りが無かったことに安堵したが、不可思議な点があることには変わりない。

 東海に指示し、再び車内を調べさせる。だがそれ以外事件と関わりありそうな情報は得られなかった。今回の件でベールに包まれた"ヒキガヤさん"の正体に近づけるかもしれないと、微かな期待を抱いていたが、それが脆くも崩れ去った。

 だが、水ノ森の頭に突飛な考えが浮かぶ。それは妄想や言い掛かりに近い物だった。

 もしかしたら、高橋大樹が"ヒキガヤさん"だったのではないか。

 たとえそうじゃなくとも、彼には何かある。


 ***


 供述調書(甲)

 本籍 Y県●●市●●区●●丁目●●番地

 住居 M県△△市△△町△△番地△△号

 職業 会社員

 氏名 五十嵐卓巳


 上記の者に対する20XX年3月23日に発生した轢逃げ事件につき、20XX年4月10日M県中央警察署において、本職はあらかじめ被疑者に対し自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げて取り調べたところ、任意次のとおり供述した。


1.まず、私が友人に車を貸したとき、及び返された時の状況についてお話します。友人は自分の車を修理に出しているため、車を貸して欲しいと話してました。私も妻もしばらく車を使う予定が無かったため、友人に車を貸すことを約束しました。そして3月23日の午前10時頃、自宅に来た友人に車の鍵を渡し、友人は車を発進させました。どこへ向かったかは聞いてません。


2.3月23日から車を返される3月24日までの間、友人から連絡は一切来ていません。


3.3月24日朝の7時頃、自宅の駐車場に貸した車が戻ってきていることに気付きました。いつ友人が車を駐車場に停めて行ったのかは分かりません。駐車場へと確認しに行くと、停められていたのは間違いなく私の車でした。車は鍵が付いた状態で停められていました。エンジンは切られていました。この時、ボンネットの部分が凹んでいることに気付きました。


4.直ぐ友人に何事かと電子メールを送りましたが返信は来ませんでした。私は友人が何らかの事件に巻き込まれたのではないかと怖くなり、車を処分することを決意しました。今現在も友人と連絡は取れていません。


5.友人は真面目な男で、轢逃げをするような人物では決してありません。


6.次に、轢逃げ事件当日の私の状況についてお話します。私は3月23日の21時に仕事を終え、そのまま同僚と一緒に虎丸横丁の居酒屋の『ほへと』へと徒歩で向かいました。確か21時12分頃に到着したと思います。居酒屋は0時45分頃までいたと思います。酔っぱらっていたため記憶が定かではありませんが、同僚もしくは店員に聞けば正確な時間が分かると思います。


7.居酒屋を出てから同僚と別れ、まっすぐ自宅へと徒歩で帰りました。


8.事故については警察から連絡があるまで全く知りませんでした。


9.また何かありましたら協力します。


M県中央警察署

司法警察員 警部補 新田健




「ん? 水ノ森警部が取り調べを行ったんじゃないですか?」


 五十嵐卓巳の供述証書を読み終えたらしい東海が言った。


「俺もその場に居たぞ。部下が主だって取り調べを行ったっつーだけの話だ」


 水ノ森は会議室の壁に背を預けたまま言った。


「なるほど。じゃあ始めます」


 東海は供述調書のコピーに人差し指を這わせる。真っ直ぐ線を描く様に、文章を一行ずつ、ゆっくりと丁寧に、その人差し指でなぞっていく。


「……まず、友人というのが嘘ですね。でも、友人という点以外は1番から5番の内容は嘘じゃありません。車を誰かに貸したことは本当みたいです」

「その貸した相手と五十嵐卓巳との関係性は分からないか?」

「今調べてます。ちょっと友人の形が複雑で……」


 東海のサイコメトリーにはもう一種類の使い道がある。文章に触れることで、その文章の内容の真偽か見抜くことができるというものだ。しかも真偽を確かめるだけに留まらず、より正確な情報を導き出すことができる。


「友人ではない。だが赤の他人という訳でもない。友人ではないが、繋がりはある。でも特段親しい仲でもない。同僚……違う。上司……違う。部下……違う。会社関係ではなさそうだ」


 東海はこの能力をジグソーパズルに例えていた。文章がパズル全体で、文章を構成する言葉はパズルピース。文章中に嘘のピースがはめられている場合、全く違う形のパズルピースが無理矢理はめられているような違和感を覚えるらしい。東海はそのパズルピースを取り外し、しらみつぶしに別のピースを当てはめていく。そして、ぴたりと一致するピースが見つかった場合、それが真実であるとのことだ。


「息子……違う。娘……違う。父……違う。母……違う。言葉の範囲が狭すぎるか。じゃあ、家族……違う。けど、さっきより形は似ている。もしかして身内関係? 身内? 親戚―――」


 東海の表情が明るくなる。どうやら正解を見つけたらしい。


「分かりました。親戚です。五十嵐卓巳は親戚に車を貸したみたいです」

「成程。親戚か。だとすると車を安易に貸したことにも納得できるな。直系か傍系か、父系か母系とかは分かるか?」

「これ以上絞り込むのは無理ですね。元の言葉が友人と範囲が広いですし」


 そして、東海は残りの供述についても調べ、6番から8番の退社後の行動について嘘偽りないと告げた。9番の「また何かありましたら協力します」というのは真っ赤な嘘ですと真面目な顔で言われ、水ノ森は思わず笑ってしまった。




「警部! お話が!」


 会議室の扉が乱暴に開かれ、1人の若い警官が慌ただしく室内に入ってきた。


「五月蠅いぞ新田。もう少し落ち着けといつも言ってるだろう」

「申し訳ありません。直ぐにでも耳に入れたいことがありまして。また轢逃げ事件が発生しました。犯人は恐らく――」

「オイ!」


 水ノ森は大声で怒鳴り、新田の言葉を遮った。水ノ森は顎で後ろを指し、東海の存在に気付いた新田は己の軽率な行動を恥じた。


「も、申し訳ありません。とにかく早く来てください。詳しいことは道中説明します」

「分かった案内しろ。すまねえなシンちゃん。何か聞きたい事があったらしいが、また後にして貰えるか」


 東海はすぐには返事をしなかった。分かりました。片付いたら連絡お願いします。お仕事頑張って下さい。いつもなら、真面目な東海はこんな感じで聞き分けのいい返事をしてくれるはずなのだが。


「……もしかして、轢き殺されたのは和水家の人ですか?」

「な、何故それを!」


 水ノ森は軽率な新田の脇、急所にあたる部分を肘で小突いた。新田は苦しそうな呻き声を上げた。


「そして、その犯人は轢き屋ですか?」


 水ノ森も思わず驚愕の声を上げそうになったが、寸でのところで飲み込んだ。


「ゴホッ……どうしてその名を。もしかして"ヒキガヤさん"について何か知って―――」


 水ノ森は全力で軽率過ぎる新田の頭を引っ叩いた。だが……

 痛がる新田を脇に、水ノ森は東海と目を合わせる。

 敵意こそ感じないが、鋭い目つきでこちらを見つめてきている。思わず引っ叩いてしまったが、新田の言うとおり東海から話を聞く必要がありそうだ。


「さてシンちゃん。どこまで知っている?」

「轢き屋は車を使って人を轢き殺す者、ってくらいしか知りません」

「ほう。誰から聞いた?」

「言えません。理由は察して下さい」

「今聞いた轢逃げ事件についてはどうだ。それも誰から聞いたか言えないのか?」

「はい。同じ理由で言えません」


 広瀬大学異能探偵事務所と水ノ森はある種の契約を結んでいた。それは東海の能力行使による捜査協力の見返りに、水ノ森は警察内部でしか知り得ない情報を教えるというというものだ。

 捜査協力を依頼できるのは東海のみ。他のメンバーについては異能の詳細を知らされてない。それどころか、会ったことすらない。

 唯一、探偵事務所創立者の北山来々留とはそこそこ面識があるが、彼女の能力も不明だ。これだけ聞くと、東海が人身御供に出されたように聞こえるが、他のメンバーを関わらせないのは東海の意思らしい。


「俺が知ってるのは、和水家の人が今日の深夜に殺されたってことです。どっかの橋の上で轢き殺された、って言ってました」


 だが、今のように他のメンバーが知った情報を東海越しに聞くことはできる。東海としてはそれすら反対らしいが、それでは余りにも非合理的だと北山に説得されたらしい。

 これは水ノ森の推測でしかないが、東海は恐らく事務所メンバー、特に北山ともう一人を守りたいのだろう。昨日、北山が怪我したことを偶然耳にし、それを東海に伝えたら、見てて心配になる位狼狽えた。東海にとって、彼女達がとても大切な存在であることは確かだ。


「水ノ森警部?」

「ああ済まない。少し考え事をしていてな。"ヒキガヤさん"については、本当にそれ以上知らねえんだな?」

「はい。知りません」

「……まさかとは思うが、てめえら"ヒキガヤさん"を探そう、何て考えてないよな?」

「"ヒキガヤさん"って轢き屋のことですよね。そんな大それたこと考えてません。だって殺し屋ですよ。そんな危険人物と関わり合うのはこっちから願い下げです。ありえないです」


 水ノ森は一つ溜息を吐いた。


「シンちゃん……相変わらずだな」

「相変わらずって、何がですか」

「嘘吐くのがド下手糞だ」


 水ノ森は溜息交じりに言った。


「別に嘘なんて吐いてないですよ」

「いいやシンちゃんは嘘を吐いている。シンちゃんは、いや異能探偵事務所は"ヒキガヤさん"を探し出そうとしている。そういう依頼が来たんだな。そうだな?」

「違います。全然違います。そんな訳ないじゃないですか。そもそも、そんな危険な依頼が学生如きの探偵事務所に来るわけないじゃないですか。どうして僕達みたいに異能を持ってる訳じゃないのに、そんなことが分かるんですか」

「シンちゃん。前にも言ったことがあるんだがな、嘘や隠し事をするとき、やたらペラペラと喋るんだよ。どちらかというと、寡黙な方なのにな」

「そんなことないですよ。いつも通り普通ですよ。普通に喋ってるだけです。水ノ森さんの勘違いじゃないですか。そもそも僕は寡黙じゃ……」


 そこまで言って、自身が捲し立てるように話していることに気付いたのか東海は押し黙った。しかし、その沈黙はもはや嘘吐いていることの証明でしかなかった。


「シンちゃん……能力は凄く優秀なんだが、何て言うか、色々と残念だよな。正直、探偵業には向いてねえと思うぜ」

「うるせー」


 間違いない。東海達は"ヒキガヤさん"を探している。しかも依頼者が居る。その依頼者は一体何者だ?


「それで、依頼者については教えてくれねえのか?」

「それは言えません。曲がりなりにも僕は探偵を名乗ってます。依頼者の秘密保持は絶対です」


 またもや些か饒舌気味だ。何かを隠している。もしかしたら、依頼を受けた経緯が、他メンバーの異能に関わる事なのかもしれない。水ノ森はこれ以上の追及は止めることにした。東海以外の異能について深く言及しない。そういう契約だ。


「俺としちゃあ、余り危険なことに首を突っ込んでほしくはねえんだがな」

「僕も止めてるんですけど、北ちゃんが言って聞かねえから……放っとくと火の中に飛び込んじまうし」

「まあ、あの姫さん行動力が凄まじいからな」

「だから、轢き屋……"ヒキガヤさん"について知っていることを、差支えない範囲で教えて下さい。そうすれば、多少は大人しくしてくれると思うんで」

「……おい新田」

「はい!」


 新田が威勢よく返事をした。


「俺は現場に向かう。お前は"ヒキガヤさん"について軽く説明してやれ」

「了解しました。ところで説明って、どこまですれば?」

「そこはお前の判断に任せる。よろしく頼むぞエリート」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ