2.12 西空零司
目が覚めたら訳の分からないことになっていた。
北山に叩き起こされた次の瞬間、今から工藤の家へ行くから付いて来いと言われた。理由を聞くと、工藤の家にジョナサンが居るからだと言われた。
それを聞いて、西空は工藤がジョナサンを誘拐したという自説が正しかったと思った。だが、ジョナサンが工藤の家に居るのなら、そもそも探偵に捜索依頼を出す理由が無い。
ならば何故彼は捜索を依頼したのか。
さらにいえば、誘拐犯でありながら何故工藤は自分たちを家に招くのか。
疑問だらけだ。
大学から地下鉄まで20分掛けてバスで移動し、地下鉄で18分掛けて国鉄のある駅に辿り着き、国鉄から目的の駅まで30分、さらに駅から徒歩10分でようやく工藤の実家に辿り着いた。移動中、誰一人言葉を交わさずピリピリとした空気が辛かった。そして何より、人混みの中を移動しなければならなかったことが非常にきつかった。
「ここが俺の家だ」
家の玄関前にて、工藤は振り向きもせずそっけなく言った。立派な一軒家で、どうやら工藤はそこそこのお坊ちゃまのようだ。
「工藤先輩ここから大学通ってるんスか。ここに来るまでめっちゃ大変だったんだけど」
「いや、普段は大学近くのアパートで独り暮らししている」
「電気が点いてないようだけど、両親はご在宅じゃないのかしら?」
「ああ、親父たちは今出張中だ。暫く帰ってこない」
そう言いながら工藤はズボンのポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。ガチャリと渇いた音が鳴った。
工藤は「ただいま」と言ってから家の中へと入っていく。北山が当然のように工藤の後に続き、南地は少し控え気味に北山の後に続き、西空はなんとなく周囲を警戒しながら南地の後に続いた。
廊下を真っ直ぐ進み、居間に通される。片隅に犬用のエサ皿が置いてあるのを発見した。だが、当の犬の姿がどこにも見当たらない。それに、犬というのは人が帰ってきたら吠えたりするんじゃないだろうか?
「ありゃ? ああそうか気い遣って隠れたのか。おいジョナサン。出てきても大丈夫だぞ。こいつらは味方だ」
工藤がそう呼びかけると、数秒経ってから背後で扉の開く音が聞こえた。
「ああ風呂場に隠れてたのか。相変わらず頭いいなお前」
後ろを振り返ると、いま通って来た廊下に写真の老犬、ジョナサンが凛然と立っていた。
ジョナサンは西空達を一瞥してから、ゆっくりとした足取りで素通りし、高そうなソファーの上に腰を下ろした。その一連の振る舞いに、何処か気品すら感じられた。
「犬の分際で……」
西空がそう呟いた瞬間、ジョナサンがバウと低い声で吠えた。ジョナサンは機嫌の悪そうな目でギロリと睨みつけてくる。
「前にも言ったが、ジョナサン冗談抜きで人間の言葉を理解してるからな。あんまし馬鹿にすると噛まれるぞ」
次は工藤に向かって機嫌悪そうに吠えた。
「ああ、悪い悪い。お前はそういう下品なことをする奴じゃなかったな」
工藤がそう言うと、犬はクゥンと短く鳴いた。まるで、分かれば宜しいと言ってるかのようだ。頭がいいとは聞いてはいたが、これは頭がいいと言うレベルを超えてないか。
「ところで私達はいつから味方になったのかしら。誘拐の味方をする気はないかな」
北山が少し意地悪な声で工藤に問いかける。
「いいや、この話を聞いたらお前達は絶対に味方になる」
そう言いながら、工藤はジョナサンの隣に腰を下ろした。
「随分な自信ね。では、事情をお聞かせ願いましょうか」
北山は向かいのソファーに腰を下ろし、南地と西空もそれに倣った。
「そうだな。まず何から話すべきか……」
「っていうか工藤先輩口調が滅茶苦茶変わってませんか?」
「南ちゃん空気読んで」
「すんません。空気読めなくてホンとすんません」
「ああ、探偵に依頼するなんて初めての事だったからな。それにお前達を騙そうとしてた訳だから、変に緊張して、中途半端な敬語になっちまった。それだけだ。さて……」
工藤が腕を組み、瞳を閉じる。
「高橋が死んだことは知ってるよな。死因は何だったか知ってるか?」
眼を閉じたまま、工藤は念仏を唱えているかのような暗い声で語る。
「轢逃げ事故だって聞いてる」
「……轢き逃げ犯は?」
「まだ捕まってないらしいね。あら、もしかして轢逃げ犯を捕まえて欲しいって依頼かしら?」
「まあ……そうなんだが、違う」
「違う? まさかと思うけど、轢逃げ犯を見つけ出して殺して欲しいって依頼なら受けない。当然、貴方自身で殺すって場合も却下」
工藤は何も答えない。閉じられた瞳からは、彼が何を想っているのか窺い知ることはできない。
「ちょっと待ってください話がおかしいです。何で工藤さんがウチらに別の依頼するって話になってるんですか。ジョナサンの依頼は何だったんスか?」
「工藤君は私達のことをジョナサンを使って試したってこと」
「た、試した……?」
「そ。探偵を気取っては居るけど、私達はしがないただの大学生。普通の探偵事務所なら、評判をある程度知る事ができるけど、私達はほぼ無名の探偵事務所。だから、工藤君はジョナサンを使って私達の力量を図った。違うかしら? ジョナサンが工藤君の家に居ることを突きとめたら合格。そんな所かしら」
工藤は静かな声で、
「ああそうだ。不快な思いをさせたなら謝る」
と言った。
「え、ちょっと待ってよ。まさか本当にそうなの? かなり当てずっぽうで適当なことを言ったつもりだったのだけど……」
「当てずっぽうだったんですか!」
「いやあ、完全に当てずっぽうだったって訳じゃないんだけど、あはは。いやでも待って、まさか本当にその為だけに、私達の力量を図るためだけにジョナサンを誘拐したの?」
「いや、誘拐はしてない。ジョナサンは脱走したんだ」
「この家までジョナサンが逃げてきたってことですか?」
「それは無理。和水家から此処に来るまでかなりの距離だから、老犬には不可能だと思う」
「ジョナサンとは青葉川の橋の下で待ち合わせしたんだ。そして家に連れ帰った」
「ま、待ち合わせした? 犬と?」
「ああ。信じられないかも知れねえが、本当だ」
「ま、待って下さい! ジョナサンは誘拐じゃなく脱走で、ウチらの力量を図るためにジョナサンを利用した。でも本当は工藤先輩はウチらに轢逃げ犯を捕まえて欲しかった? ごちゃごちゃして、何が何だかよく分かんないです」
「あー、何て説明すりゃあ……」
「どうやら一筋縄ではいかない事情のようね。こういう時は、まず目的を述べることが大事。前置きとか理由とかそう言うのは一切いらない。まずは本来の目的を聞かせて」
工藤はほんのしばらくの沈黙の後、
「高橋を殺した奴が和水家である証拠を掴んでほしい。高橋は事故で死んだんじゃねえ。殺されたんだ。運転の過失だとか、断じてそういうのじゃねえ。殺人事件なんだ。高橋の事件は……計画殺人だ」