2.8 南地語
話を聞けそうな動物探しを再開したが、目ぼしい情報は得られなかった。
さすがは高級住宅街と言うべきなのか、道は綺麗に整備されており、野良猫が隠れて生活していそうな場所は見当たらなかった。ゴミ集積所も対策が万全で、ゴミを荒らしに来るカラスからの情報も期待できない。
何より、家の外で放し飼いされている犬がさっぱり見つからなかったため、碌に情報が集められなかった。室内で飼っている家が多いのかもしれない。
「この写真の高橋君が向かっている方向に行ってみよっか」
北山がそう発案し、とりあえず3人は写真が示す先へ行くことにした。道を真っ直ぐ進んでいくと、やがて高級住宅街を抜け、広い河原が目の前に広がる。青葉川。この町を流れる、最大の川だ。
「さて、河原まで来たのはいいけど……どうしましょうか」
北山は辺りを見渡しながらそう言った。
「河原に出没する動物と言ったら熊だけど……」
「んなもん出てきたら大事件ですよ。というか会話できるんですか? 襲われないんですか?」
「興奮状態じゃなければ大丈夫だよ。前に、動物園で話したことあるし」
当時の恐ろしさが蘇り、声のトーンが落ちた。
「……動物苦手なのに動物園行ったんですか?」
「北さんの勧めでね。半ば強制的に」
南地は責めるような目つきで北山を見る。西空は呆れた視線を北山に送った。
「お蔭で能力の詳細が大分分かったでしょう。どういう条件で能力が発動するのか、どんな動物と会話できるのか知ることは探偵活動に絶対必要な事」
だが北山は2人の視線を受け流し、しれっとした態度で言葉を返した。
「ま、まあ……そう、ですけど」
でも、あの強引さは酷かったんじゃないか。そう北山に訴えようと思ったが、言い負かされそうな気がしたので口を噤んだ。
「あ、済みません。南地さんの異能の詳細ってのをオレも知りたいんですが」
南地は話していいかどうか、尋ねるような視線を北山を送る。北山が頷き、OKの意を示してくれた。
「えっと、ウチの能力は。その……」
いざ説明しようとすると、初っ端から言葉に詰まってしまった。何故かうまく言葉が出てこない。南地は能力を自分の口で説明するのが初めてだった。
「っていうかさ、西空君は大丈夫なの対人恐怖症。ウチと面と向かって話してるけど」
話題を変え、時間を稼ぐ。
「あ、もう大分慣れたんで大丈夫です。南地さんは今は危害を加えてきそうな人じゃありませんし」
「そ、そっか……」
時間稼ぎ10秒にも満たず終了。
ヤバイ。何から話すべきかさっぱり分からない。ウチってこんなに口下手だったっけ?
「……南ちゃんの能力の発動には確か条件があったね。何だったっかしら?」
見かねた北山が助け船を出してくれた。北さんホンとすんません。
「発動条件? そんなのがあるんですか」
「あ……その、動物と会話するには、目を合わせないと駄目なんスよ。最低なことに。目を合わている間、動物の口から人間の言葉が出てくるんスよ。さらに、ウチの言ってることも分かる様になるみたいなんスよ」
「これは私の推測にすぎないのだけど、言っていることが動物語に翻訳されるという訳じゃなく、自分の考え、イメージが動物に伝わっているのでしょう。所謂テレパシーみたいなもの」
そもそも、動物に言語なんて存在しないしね。北山はそう付け加え、南地は北山の言葉に頷いてから、説明を続ける。
「ただ、自分の言いたいことが上手く伝わらないことも多々あります。例えば時間とか」
「時間? 時間位動物にだって理解できると思うんですが。夜行性の動物とかいますし」
「あ、いや、時間というかなんというか」
「南ちゃんが言いたいのは時刻。1時、2時、3時っていうのは人が勝手に決めたことでしょう。そういう人間間でのみ共有されている概念は動物に伝わらないらしい。だから曜日や日付とかも理解されない」
「うん。北さんの言うとおりです。あ、物の数とかも伝わんないことが多いです。5つぐらいまでは大丈夫なんスが、それより大きくなると沢山になります」
「成程。要は、文化的なものは基本的に理解されないんですね」
西空は少し間を置いてから、さらなる質問を浴びせてくる。
「そういえば、会話できる動物って限定されるんですか。さっきは犬と会話してましたが、例えば猫とか、それ以外の動物は?」
「哺乳類だったら大体は大丈夫だけど、ネズミとか、余り頭の良くない動物は会話が成り立たないことも多いスね。同じ種類の動物でも、頭が良ければ良いほど難しい会話もできます。あ、哺乳類に限らず、ワニとかの大型爬虫類も割と大丈夫」
会話は遠慮したいけど。南地は小さく付け加えた。
「じゃあ、鳥類は大丈夫なんですか?」
そう言って、西空は青葉川を指差した。そこにはカルガモの親子が気持ちよさそうに川の反対側を泳いでいた。
「それで、ちょっと話を聞いてほしいんですけど……」
橋を跨いで川向うへと渡り、餌でおびき寄せることで、親1羽子供6羽のカルガモ親子との会話に成功した。餌は最寄りのコンビニで購入したパンを使用した。パンで釣られてくれるかどうか不安だったが、会話まですんなりと事を運ぶことができた。ただ……
「黙レカモ。余リワガ子タチニ近ヅクナカモ」
「パンホシイカモ」
「パンモットナゲテホシイカモ」
「クレナイナラヨコシテホシイカモ」
駄目ださっぱり会話にならない。親はこちらの言ってることを理解してくれてるみたいだが、警戒心マックスで会話に応じる気配がない。小ガモ達からは本能丸出しの言葉しか聞こえてこない。それでも、南地は辛抱強く会話を試みる。
「あげるから、お願いだからウチの話をちゃんと聞いて」
「パンクイタイカモ」
「モットクイタイカモ」
「ハヤクヨコセカモ」
駄目だ会話が成立しない。南地はため息をついた。
「ナゼクレナイカモ?」
「イミナイカモ」
「イミワカラナイカモ」
「イジワルカモ」
「イジワルスルカモ?」
「イジワルハイヤカモ」
「オ前達サッサト離レルカモ」
その言葉と同時に、カルガモ達がこちらに尾を向け離れようとする。
「待って! ほらほらパンだぞーう」
即座に細かくちぎったパンを撒いた。
「パンカモー」
カルガモ達はすぐさまUターンし、我先にと地面に落ちたパンの欠片を啄んでいく。
「オイチイカモー」
「早ク食ウカモ。罠カモシレナイカモ」
「もしかしなくても苦戦してる?」
気遣うような声で、北山が話しかけてきた。
「はい。小ガモ達が全然話を聞いてくれなくて」
「親はどう?」
「言葉は通じてるみたいなんスけど、警戒心が高くてまともに取り合ってくれないです。北さん、どうやったら皆話を聞いてくれるんスかー?」
縋るような情けない声が口から零れた。
「まずは対象を絞って親とだけ会話しましょう。全員同時に会話するのは、人間が相手でも難しいでしょう」
分かりましたと短く言い、今度は親ガモとのみ視線を合わせる。子ガモ達の言葉が聞こえなくなり、親の声だけに集中できるようになる。
「マダ用ガアルノカモ? サッサトアッチ行ケカモ」
「ごめんね。パンを上げるから、話を聞いてくれないかな。大丈夫、子供達には何もしないから」
「パンハ欲シイカモ。本当ニ何モシナイカモ? 約束カモ」
南地は頷いてから、脅かさないようにゆっくりとした動作で写真を親ガモに差し出す。親ガモが写真を注視すると、興味を持ったのか子ガモ達も写真の表の方へと回り、首を伸ばして写真を覗き込む。
大分人馴れしたカルガモだな……
「カモ? カモカモ? オ前ハコイツノ代ワリニ来タノカモ? ナラ最初カラソウ言エバヨカッタカモ。ソレナラ安心カモ。最近ゴ無沙汰ダッタカモ」
「え、代わりってどういう意味!」
思わず大きな声を出してしまい後悔した。案の定、親ガモの警戒心レベルが急上昇していた。小ガモ達も先程とは打って変わり体を細め、逃げる体制を取っている。
「コイツノ代ワリニパン持ッテキタンジャナイノカモ? カモカモ? コッチノ毛ムクジャラモイナイカモ」
毛むくじゃら。ジョナサンのことだ。
「ソウイエバ毛ムクジャラ誰カニ連レテ行カレタカモ。パン野郎ハドウシタカモ」
連れて行かれた……まさか、ジョナサンはこの川で攫われた?
「ねえ、その毛むくじゃらは誰に……」
「サテハオ前モカモ? オ前ガ連レテッタノカモ」
「不思議カモ」
「オカシイカモ」
「怪シイカモ」
「危ナイカモ」
カルガモ達が徐々に離れていく。
「ちょっと待って!」
再度大声を出してしまった。自分の学習能力の無さに嫌気が刺す。
「逃ゲルカモー!」
カルガモ達は一目散に川の方へと逃げ、あっという間に反対側の岸へ行ってしまった。警戒心を露わにした14の目が南地達をじっと見つめている。もう彼等から話を聞くことはできないだろう。
「それで、首尾はどうだった?」
「あ、はい。高橋さんはジョナサンと一緒に、この辺りに割と頻繁に来てたみたいです。さっきのカルガモに餌をあげてたみたいで。それと多分なんスけど、ジョナサンはこの川で何者かに攫われたっぽいです」
「素晴らしい。よく頑張ったね。じゃあ決まり」
北山は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。その美しい笑顔を見て、同性ながら思わずドキリとしてしまったが、それと同時に嫌な予感がした。北山がこういう笑みを浮かべるときは、大抵無理難題を言う時か、悪巧みをしている時だ。
「決まりって、何がです?」
何も知らない西空が北山に尋ねる。
「工藤君を尋問する」
笑顔のまま、北山はそう言った。
何故唐突に工藤の名が出てくるのか、南地には皆目見当付かなかった。