1.ジェノバ・フレイル(2)
ジェノバ・フレイル。アトルリアの西南部にある港町であり、帝国内でも指折りの国際的貿易港、諸外国との窓である。いち「タウン」でありながら特定の領主の支配を受けず、独立しているに極めて近しい自治権を確立しており、人々は自由を謳歌して暮らしていた。
市街地では交易の恩恵により中央貴族同様の富を持った富豪たちの豪邸が一定区画ごとに構えてあり、小帝都と言っても過言ではないほどに繁栄している。一方郊外では移民受け入れのための開発が進み、港湾の埋め立てや干拓等も利用し着々と町の規模を拡張していた。
市場や出店に並んだのは世界中から選りすぐられた品々で、話される言語、町を行き交う人々は多種多様。一見すると珍しい東洋の血を持つ凛も雅も、この町では何ら特異な存在とは見做されなかった。
「・・・それで、依頼主ってのは何処にいる」
異国語で押し売りをしてくる商人や纏わりついてくる娼館の蝶達にいい加減うんざりしたように、レノの相方である黒装束の青年、ミヤビ・ド・エルニス・リヴェルディは言った。
彼がこういう賑やかで人の多い場所が苦手なのは知っている。対照的なほど楽しそうに、凛はそこらへんをちょろちょろと蛇行運転しているけれども。
「この町のナンタラ貿易会社だってさ。あとは行ってから聞け、って」
まあつまり、例の悪徳情報屋の高額請求に手が出なかったってことだけれども。
雅はハアと大きなため息をつき、仕方なく呼吸を抑えると気配を絶ち、完璧に自分と他者とをシャットアウトしてしまった。
・・・やめてくれないかなぁ、そうやって足音消して雑踏に溶け込むの。何だか背中がすごく気になって、こっちとしても気味が悪くなる。
「見て見て、あっちにお店がいっぱいあるよ!」
肩下から聞こえた興奮したような女の子の声に、レノはやれと首をすくめると、最早その「お店」の方にベクトルが向いている少女の手足に魔力で編み出した念糸を括り付け、自分の下へと手繰り寄せた。おっとっと、と糸に釣られてきた彼女を羽交い絞めにし、その額を人差し指で突っつく。
「こーら。お仕事が先だって言ったでしょ?」
「えーっ。でも、ちょっとくらい・・」
「リンちゃん?」
「・・・はぁい」
一瞬拗ねたように口を尖らせたが、物分りのいい凛は大人しく従った。そしてレノと手を繋ぎ、ぐっともう片方の手を握り締めて言った。
「なら、はやくやっつけてね。マモノ」
いや、魔物がいるかどうかなんてまだ解らないんだけどさ。
そうやって戦隊モノのヒーローでも見るように自分を見上げる彼女に苦笑し、レノはその手を引いて港への足を速めた。
「(ヒーロー・・・ね)」
ある意味、自分はソレと一番かけ離れた存在かもしれない。
首から提げた十字架の熱と拍動を感じながら、レノは自嘲した。
***
港に幾つか並んだ商館のうち、最も立派な(というか無駄に贅沢な)建物に目的の会社は在った。
はじめ、その館に入った際は怖い怖いおじさん達によってつまみ出されそうになったが、情報屋『ルーシア』の名前を出した途端態度が一変。やっぱり彼女の信用はこういう世界でも大きいんだ、と思うと改めて彼女を見直し――たくは別にならなかったけれど、便利なものだな、と思った。
「ようこそ、お待ちしていました」
その館の最奥の部屋、一番高そうなデスクに座っていた恐らくここのボスと思われる男性は、これぞ「お偉いさん」という格好で来訪者たちを出迎えた。
机に両肘を突いて指を組み、値踏みするような目で相手を眺める。否、見下ろす。
・・・座っている人間が立っている人間を見下ろすなんて、いっそ残念な試みでしかないと思うけど。
「さて、お話はうかがっています。なんでも、あの『電脳魔女』が推薦された悪魔祓いだとか」
『電脳魔女』か。ルーシアもまた色んな名前があるものだ。
ちなみにレノも雅も「えくそしすと」ではない、というか全く別物なのだが、説明しても解ってもらえなさそうなので敢えてそこは何も言わなかった。
「ああ、あれですか。もしかして、本物かどうか“テスト”が必要だとか」
「いえ、そういうわけでは。ただ、思ったより随分お二人ともお若かったもので」
若い≒素人。確かに、その考え方は特に間違っちゃいない。
お偉いさんは少し考えた後、腹を決めたように二人に向き直った。いやむしろ腹を決めたっていうよりは、当たるも八卦、当たらないも八卦、ってな感じだろう。
「それではさっそくお仕事の話に移らせていただきたいのですが、良いでしょうか」
はい、と(厭らしいほどの作り笑顔で)好意的に促すと、お偉いさんは部下に指示して何か資料のようなものを持って来させた。
重厚な茶封筒に入っていたのは何枚もの写真と、報告書。机に並べられていくそれらを見て少々苦い顔をし、レノは棚の上に飾ってあった舟の模型で戯れていた少女を強制的に後ろに下がらせた。
そこに広げられた写真に写っていたのは、一口に言えば、死体。しかも写真と同じ数、おびただしい量である。中に写っている死体は老若男女問わず一様に首と両手両足を無惨に切断され、所謂「達磨」になった状態で事切れていた。
レノはそのうちの一枚を拾い上げ、フウと息を吐いた。
「・・・・・なるほど、これは大変だ」
白の青年を一瞥した後、お偉いさんはじっくりと考え込み、一分弱は間を溜めてから話しはじめた。
「・・・この様な猟奇的殺人が始まったのは今から半年前のことです。内々に捜査はされていたのですが、何しろここは国際都市。混乱を恐れてジェノバ評議会も表立った対応は取れず・・・そして、先週ついに、我が社からも被害者が出たのです」
それが、何を隠そう、この会社のジェノバ支部の代表であったのだという。
レノは「こちらです」と渡されたその遺体の写真を眺め、思案を重ねるために軽く瞳を伏せた。
「これは我が社、いえこの町にとっても由々しき事態です。長期に渡り、ジェノバ行政府もこの事件について緘口令を敷きそ知らぬふりを通してきましたが、人の口に戸は立てられぬもの。このままでは、事件の風評が広がりこの町自体の破滅にも繋がりません。ですから私どもとしては、一刻も早くこの事件を終結させたいのです」
「それは、我々にこの犯人を捕まえる・・・あるいは“消して”ほしい、と?」
「はい。・・勿論、こちらとしても援助・報酬は惜しみませんし、対象の生死は問いません。それにあなた方が行うことの補償と責任は全て我が社が負います」
・・・これはこれは、また。
「随分至れり尽くせりですね」
「それだけ我々も手を焼いているということなのです。それで・・・・・この条件でお引き受けいただけますか?」
レノは伏せていた瞳を開け、相手に気付かれないように密かに感覚網を廻らせた。此処に不穏な気配、大きな魔力の気配は感じない。それに、どうやら目の前の人物は一応人間らしい。
・・・一応は、だが。
「(――滑稽・・・というよりはむしろ茶番、の方が近いか)」
レノは相手を見据えるとにっこりと口端を釣り上げ、いつものように、素晴らしく爽やかな表情をその人へ向け、片手を差し出した。
「お受けしましょう」
その笑みは、相手が向けてくるのと同じくらい、胡散臭く偽物らしいモノであった。