第一章 あなたしかみえない 〈6〉
そんなことより、さっきの感覚には心当たりがあった。ずっと気になっていたことのひとつだ。
すなわち、今朝のエロマンガ(仮名)との件である。
槍で刺し貫かれて瀕死だったおれ。炎と化したおれ。その後、無傷だったおれ。
「あのさ、モヘナ……」
おれが口を開くとモヘナの上体がかしいだ。おれの方へ倒れかかるモヘナの身体をあわてて抱きとめる。
スウェットごしに伝わる彼女のやわらかさや鼻腔をくすぐる甘い香りがおれの野性を刺激する。
思わずそのまま押し倒し、抱きしめてしまいたくなる衝動を全力でこらえる。
だーっ! まったく、病人相手になにを考えているのだ、おれは!?
おれはモヘナをベッドへ横たえると毛布をかけた。床に落ちた彼女の服を拾い上げ、適当な紙袋へ入れると押入れのタンスの上に置いた。
魔族のことなんてなにも知らないが、ちょっと服をキレイにするだけの魔法で気を失うなんてあり得ないはずだ。
モヘナの額に貼った冷却シートがぬるくなっていたので貼り替えた。その冷気でモヘナの気がついた。
「……すいません。この程度でクラッとするなんて」
「大丈夫?」
「ええ。貧血って云うか、立ちくらみみたいなものですから」
魔族の立ちくらみってフレーズ、なんかおもしろいけども。
「それはそうと、先程なにか云いかけていませんでしたか?」
「話とかして大丈夫なの?」
「ええ。私も少しお話ししたい気分なんです」
モヘナは小さく笑うと上体を起こした。
「そっか。……今朝、公園でイカレた連中に襲われて、おれ串刺しにされたじゃん。ほとんど死んでたよね? でも気がついたら、まったくの無傷でさ。あれってモヘナの魔法でしょ? 一体どうなってたの?」
「あなたを魔法に変換して再構成したのです」
「……炎のかぎ爪になったヤツ?」
よくわからないけど、つづきを聞いてみよう。
「そうです。私たちの魔力の源は世界に満ちている五大元素とよばれているものです。しかし、魔法を発動させ、その力を増幅させるには魂精とよばれる人間の魂から放出されたエネルギーを必要とします」
「人間の魂?」
なんだか話がキナくさくなってきたような。
「私は隻翼の上に魂精も尽きているので魔法が使える状況ではありませんでした」
「……セキヨク?」
おれは耳慣れない言葉のコンボに首をかしげた。
「私には魂精や五大元素をとりこむための翼が1枚しかないんです」
モヘナによると、ふつうの魔族は最低でも2枚の翼を有しているらしい。魔法の練度が高まれば魂精や五大元素をより多くとりこめるよう4翼や6翼にもなるそうだが、モヘナのようなタイプはきわめて稀なのだと云う。
また、魔法の強さにあわせて翼の輝きも変わるらしい。
先のエロマンガ(仮名)との戦闘で、モヘナやエロマンガ(仮名)の翼が輝いていたことに気づくだけの余裕はなかったが、黒・青・紫・赤・銀の段階で変化し、最上級の魔族は〈金虹の翼〉とたたえられるのだとか。
「かつて第3代魔王の座についた私のご先祖さまも隻翼でしたが、次元の破壊者〈金虹の隻翼〉とよばれるほど強い魔力を有していました。私が生まれた時も〈金虹の隻翼〉の再来と期待されたようですが、ちがいました」
モヘナはそうつぶやくと微苦笑した。彼女は隻翼にしては魂精や五大元素をとりこむ力が強いらしいが、それでもふつうの魔族には劣ると云う。
「……そのため私の魔法は戦闘向きではありません。ですが、あなたがエマの手下・ゲヘナムに殺されかけた時、一か八かの賭けに出ました。あなたそのものを魂精として魔法を発動させたのです。その間にすべての力であなたを消費する魔力以上の五大元素をとりこみ、あなたの肉体を再構成すれば、敵をしりぞけ、あなたの命を救うことができるかもしれない、と」
「そう云えば、想像以上にうまくいったとか云ってたよね?」
「ええ。いつもの感覚だと、あの時の私の力ではあなたの肉体を再構成させるだけで精一杯のはずでした。でも魂精としてのあなたは想像以上で、魔力の余剰が私自身のケガまで治してしまったのです」
「ケガだけ? 体力回復の魔法とかはないの?」
「魔力と体力は、力の源が根本的にちがいます。ですから、魔法で自分自身の体力を回復させることはできないのです。すいません。そのためにこんなご迷惑をかけて」
「いや、いいっていいって。モヘナこそ命の恩人じゃないか。ありがとう」
「……そんな。私が巻きこんでしまったのに、ありがとうだなんて」
唐突にモヘナの美しい碧眼から涙があふれ出した。彼女は両手で顔をおおうとすすり泣きはじめた。おれは内心あせった。
「……この3日間、もうダメだと思ってたんです。ひとりでこんな世界に放り出されて、魔法は使えないし、お腹は空くし。私にはたくさんの人の姿が見えるのに、だれも私には気づいてくれないんです。それがこんなに心細くて寂しいなんて、魔界にいた時は考えたこともありませんでした」
いきなり泣かれておどろいたけど、モヘナは今やっと自分でも気づいていなかった緊張から解き放たれたらしい。哀しみと安堵の入りまじった涙だった。
「駅前で力尽きて倒れた時、私はこの見知らぬ人間界でだれにも気づかれずに死ぬのだと思いました。ですから、あなたが私に声をかけてくださった時、どれほど嬉しかったか……」
嗚呼、あなたは砂漠の果てで見つけたオアシス、パンドラの箱にのこされた最後の希望、くらいの勢いで感謝されている。
ここまで女のコに手放しで感謝されるのは生まれてはじめてだ。慣れない状況に動揺したおれはてきとうに訊ねた。
「ところで、この3日間? 飲まず喰わずでいたみたいだけど、どうして?」
「どうして? ……って、私の姿はだれにも見えないんですよ?」
「だれにも見えないけど、この世界のものに触れたりすることはできるじゃん。食事したり、服着替えたり。だから公園の水飲み場で水を飲むとか、コンビニ弁当をパクっちゃうとか、ネットカフェとかホテルとかどっかの家とかで雨露をしのぐとか、いろいろできたんじゃない?」
……モヘナの動きがとまった。ややあって顔がトマトみたいに赤く染まる。
(あ、その手があったか。て云うか、どうしてそんな簡単なことに気づかなかったかな?)
意訳すると、そーゆー表情である。
「あ、あなたはなんて奸智に長けた方なのでしょう!? そ、そんな、自分の姿が見えないのをよいことに、人さまのものを盗んで食べるなどと云う、よ、邪なたくらみをいとも簡単に思いつくなんて……!」
完全に照れかくしの逆ギレだ。今泣いたカラスが笑いを通りこして怒っている。しかも一応、魔族のクセに云い草が敬虔な修道女みたいだし。
ドジっコ属性のお嬢さまキャラなんて萌えるではないか。
「ああ、ごめんなさい、ごめんなさい。おれも泥棒はよくないと思う。断じてよくない。ただ、ほら、モヘナの場合は非常事態だったわけで、ちょっとくらいなら許されるかな? とか、おれだったら許しちゃうよなーとか」
「……そ、それに、私はこの世界へ堕とされた時、身も心もボロボロで冷静に状況判断することが難しかったのです」
「それだ」
「……?」
おれの言葉にモヘナが首をかしげた。