第一章 あなたしかみえない 〈5〉
母さんにブーツが見えた理由や、両親にカンぐられずモヘナの姿が見えるかどうか確認する方法はないかとぼんやり考えながら部屋の戸を開け、待ちぶせていた光景に思わずおどろきの声をあげた。
「うわっ!」
碧眼の超絶美少女モヘナが、ほとんど生まれたままの姿で身体を拭いていた。
幸いと云うべきか残念と云うべきか、栗色の長い髪が胸元をしっかりかくしていた。ええ、見てません。見えてません。しくしく。
「なんだ、どーした?」
風呂の支度に寝室へ着替えをとりに行っていた父さんが、おれの背後から部屋をのぞきこんだ。
「なになに? どーしたの?」
折り悪しく、台所の検分をおえた母さんも着替えのために寝室へと階段を上がってくるところだった。絵に描いたような万事休すだ。
おれの目には突然の両親登場に狼狽し、胸元をタオルでかくしたモヘナが映っていたのだが、父さんは部屋を見わたすとこともなげに云った。
「なんだ? なにがあった? しのクン」
思わず部屋の中を身体でかくすように立ちふさがってしまったので、かえって部屋の中を意識させたようだが、両親にモヘナの姿は見えていないらしい。とりあえずセーフである。
……どうせなら、もう少し穏当な方法で確認したかった。いろんな意味で動悸が治まらない。
「……あ、いや。目の前をゴキブリが横切った気がして」
とっさのウソに父さんが失笑した。
「たかがゴキカブリごときで情けない」
「そーよ。そんなん、母さんなら食べちゃうわよ」
ちょっと本気っぽくてコワイ。ジャングルの奥地で少数民族相手にフィールドワークすることも少なくない母さんは、虫を食べることに抵抗がなかったりする。
あきれ顔の両親がその場をはなれると、おれもモヘナに背を向けながら部屋の戸を閉め、そのまま謝った。
「ごめん」
しかし、モヘナは頓着したようすも見せずに云った。
「夕食を食べおえたら急に汗がふき出してきて。やはり皮のベストは寝巻きに向かないようですね。蒸れて気持ちが悪かったので身体を拭いていました。……よかったら着替えを貸していただけませんか?」
「ああ、着替えね。はいはい」
おれは壁際にへばりつきながら押入れのタンスへ移動すると(おれがゴキブリみたいだ)Tシャツやらスウェットの上下やらを見つくろった。
魔族の女のコの下着事情は知らないが(いや、ふつうの女のコの下着事情だって知らないけど)当然のことながら、おれの部屋に女性用の下着はない。あったらスコブル変態だ。
モヘナの足元を横目でのぞき見ると、脱ぎ落とした洋服がつま先にのっていた。ブラウスの下はタンクトップであるらしく、ブラの類いは見当たらなかった。
問題は下だ。見ようと思って見てしまったわけではないが、彼女の下腹部をかくす悩ましき小さな白布は片方の腰で紐を結ぶ質素なものだった。
おれは学校・部活用のボクサータイプと、自宅用にくつろぎのトランクスバンツを持っている。つまり二者択一である(ノーパンと云う選択肢も含めると三者択一だけど)。
うしろ手にその2種類をさし出しておずおずと訊ねた。
「……あの、し、下はどっちに?」
「これはありがたい」
モヘナはそう云うと(なにがありがたいんだか?)おれの手からトランクスをうけとった。
押入れの中を整理しているふりをして時間かせぎをしながら、モヘナの着替えが済むまでそちらを見るまいとするのだが、シュルシュル、パサ、ポスなどと下着を履き替える衣ずれの音が甘美な拷問となっておれの自制心を挑発する。
ややあって着替えがおわったらしい。足元へ脱ぎ落とした洋服を拾い上げた気配にふりかえると、スウェット姿のモヘナがベッドに腰かけて着ていた服をたたんでいた。着替えおわったなら、ひと声かけてくれればいいものを。
「父さんたちに君の姿は見えなかったみたいで助かったよ」
「あなたのご両親でしたか。私の姿が見えていれば、ご厄介になっているお礼を申しあげましたのに」
いやいや。そんなことをされたら状況は絶望的に紛糾するばかりだ。
「あ、でも、玄関にあるモヘナのブーツが母さんに見えてるんだ。あれは一体どう云うこと?」
「私が脱いでしまったからですね」
「……?」
「私はいわゆる透明人間ではありません。もしも私が透明人間だったら、今もあなたにお借りした服だけが宙に浮いているように見えるはずでしょう?」
「モヘナが身につけているものとかは、モヘナに同化して見えなくなるってことだね?」
モヘナが首肯した。そうでなければ、さっき父さんたちにも宙に浮いたタオルや足元に脱ぎ落とされていたモヘナの服だけが見えていたはずだ。
てことは、よしんばモヘナの脱いだ服がモヘナのつま先に触れていなかったら、父さんたちはおれの部屋に脱ぎたてホヤホヤの女のコの服を発見していたわけだ。
……それって、すげえピンチだったんじゃねえの?
「きっと食事中のお皿とかも私が手に触れている間は見えなくなると思います。さすがにベッドくらい大きなものになると見えなくなることはないと思いますけど」
「じゃあ、その服も着ていない時はどこかへかくしておく必要があるのか」
些末なことではある。モヘナの服くらいなら押入れへかくしておけば問題はない。
「……洗濯はどうするかな?」
おれはつぶやいた。ブラウスやスカートはなんとか両親の目を盗んで洗濯することもできそうだが、皮製のベストはどうすればいいのだろう? などと考えていたら、モヘナがこともなげに云った。
「あ、それなら今できます。ただ、ちょっと、お力をお貸しいただきたいのですが」
「ああ、いいよ」
安うけあいしたものの、なにをするつもりなのか見当もつかない。しかし、彼女の口ぶりからするとたいしたことではなさそうだ。
「それでは、そこへ腰かけてください」
モヘナが彼女の座っているベッドのとなりを指さしたのでおとなしく座る。彼女との距離が近くて少しドギマギする。
「手を……」
白魚のようなモヘナの手がオレの手をとる。え、いや、洋服をキレイにするんですよね? どんな展開だ、これ?
モヘナはひざの上にたたんだ洋服へもう一方の手をかざすとささやいた。
「魔洗濯」
おれの身体の中のなにかが少しだけモヘナを通して彼女の洋服へと注がれた。それはベッドまでひろがり、緑の燐光を放つと、ふたたびおれの中へもどってきた。
見ると、彼女の洋服だけでなくベッドの毛布や枕やシーツまで、洗いたて干したてみたいにキレイになっていた。これが魔法か、と思う。
しかし、もう少しカッコイイ呪文とかないのだろうか?「魔洗濯」って。そのまんますぎると云うか「お洗濯」みたいでマヌケと云うか。