第一章 あなたしかみえない 〈4〉
ひとまずおれにできることは、ふつうの人が風邪をひいて熱を出した時と同じ対処法だけだった。発汗をうながすための麦茶を沸かし、風邪薬やタオルを用意した。
腹が減ったので、ちゃっかり持ち帰ってきたノリ弁のおかずだけのこしてたいらげた。
のこした弁当のおかずはモヘナ用だが、スマートフォンでおかゆの作り方をインターネット検索した。行き倒れの病人には消化吸収にすぐれた食べ物の方がよいはずだ。
よしんば、彼女が真性の悪魔で「体力回復にはニワトリの生き血が一番じゃ。頭からかけろ。ドバッとかけろ」とか云われたらお手上げだけど。
インターネット検索した「卵雑炊風おかゆ」なるものをつくり、お盆にのせて部屋へ上がる。それをひとまず机に置いたところでモヘナが目を覚ました。
「……ここは?」
ベッドから上体を起こしかけたモヘナを片手で制すると、おれは答えた。
「おれんちだから安心して。……熱があるみたいだけど気分はどう?」
モヘナは額の冷却シートに軽く触れると、ふたたび枕へ頭を沈めた。追っ手とやらのアジトではないと理解してもらえたらしい。
「まだ少しだるいです。……助けてくれたのですね。ありがとう。……ところで、あなたは何者ですか?」
ああ、そう云えば、自己紹介もまだだったか。卵焼きの説明とかする前に自己紹介くらいしとけって感じだよな。
「あ、ごめん。おれの名前は鹿香しのぶ。高校1年生。15歳」
「……カノカ・シノブ」
モヘナが音の響きをたしかめるかのように、ゆっくりとつぶやいた。
「そ。しのぶ。女のコみたいな名前だろ? 両親が文化人類学とか民俗学の人でね。名前を国男にするか信夫にするか迷ったあげく、ひらがなで「しのぶ」にしたんだって。……って、こんなこと云ってもわかんないか」
柳田国男と折口信夫は日本民俗学の二大巨頭だ。下手すりゃクラスメイトにも通じない話題が彼女に通じるはずもない。
おれの両親はふたりとも、うちから車で20分ほど行ったところにある県立坐浜歴史民俗博物館の学芸員だ。
父さんは日本の祭祀が専門で、母さんは海外の少数民族文化を専門にしている。
父さんは国内をちょこちょこ、母さんは海外へ年に1~2回フィールドワーク(現地調査)で家を空けるが、この時期は博物館の秋の企画展示の準備もおわり、フィールドワークもたいした残業もなくほぼ定時で帰宅する。
おれはそれまでにモヘナの基本情報を押さえておく必要があったのだが、病人相手に急かすこともできなかった。
「おかゆつくったんだけど、食べられるかな? 体力をつけるためにも少しは口にしておいた方がいいと思うんだけど」
「……そうですね。食欲があるのかどうかもわかりませんが、そうすべきでしょう」
モヘナが天井をぼんやりと見つめながら首肯したので、おれは彼女に手を貸して上体を起こさせた。
ふだんベッドのサイドテーブルがわりに使っているキャスターつきの台に、おかゆやらおかずやらを配したお盆を載せた。エモノは箸ではなくスプーン&フォークだ。
モヘナは慣れた手つきで食事を載せたお盆をベッドの上へ移すと、おかゆをスプーンで一口すする。彼女は陶然と目をつむり、しみじみと云った。
「……五臓六腑にしみわたる滋味、そして美味。人間界の食事とは、かくもすばらしいものでしたか」
……感動してもらえるのは嬉しいが、云うほどたいした料理ではないのでちょっと気恥ずかしい。
それと、どうせならもう少しカワユく感動してほしかった。今時、女のコが日常会話で五臓六腑とか云うか? 五臓六腑とか?
「食欲があるのかどうかもわからない」と云っていたモヘナだったが、ゆっくりと順調におかゆとおかずをたいらげた。病人である以前に腹ぺこだったらしい。
食事をおえたモヘナから空になった食事のお盆をうけとりながら、おれは軽薄をよそおって訊ねた。
「あの~、つかぬことをおうかがいしますけど、ひょっとしてモヘナさんは悪魔だったりするのかな?」
万が一にも、おれの推測がまちがっていた場合、冗談としてごまかすための布石だったのだが、モヘナの答えはあっさりしていた。
「悪魔よばわりは心外ですが、おおむねその通りです。正しくは悪魔ではなく魔族です。〈無能種〉のあなた方とは異なり、魔法が使えると云う高位な存在でしかありません」
そこはかとなく上から目線であることはさておき、人に仇なす者ではないらしい。一応、魔法少女の線で正解だったようだ。
「もしかすると、その魔族の人たちの姿は、ふつう人間には……?」
「見えません」
「じゃあ、どうしておれにはモヘナたちの姿が見えるのかな?」
「それは私が訊きたいところです」
「ごめん。おれにもわかんない」
「そうですか。私はなにも知らないあなたを巻きこんで……しまったの……です……ね……」
モヘナはそう云いながら、くたりと眠ってしまった。まだ熱があるようだし、腹もくちくなったのだから仕方ないか、と思う。
おれは彼女の身体へ毛布をかけなおした。
ほかにも訊きたいことは山のようにあったが、とりあえずおれの選択がまちがっていなかったことに安堵した。警察や病院に駆けこんでいたら、おれが狂人扱いされていたところだ。
また、彼女をおれの部屋でかくまっていることが両親にバレないらしいだけでも僥倖と云えよう。
6
しかし、ピンチはすぐにやってきた。
時計の針が午后6時半をまわり、両親が職場の博物館から車でそろって帰宅すると、台所から出てきたおれに向かって、母さんが開口一番こう訊ねた。
「しのクン、お友だちきてるの?」
「はひ?」
思わず声がうわずった。おいおいおいおい、いきなりバレてる!?
「玄関のブーツ。ひょっとして女のコ? もしかしてカノジョ?」
ブブブ、ブーツっ!? たしかにモヘナを家に上げた時、玄関でブーツだけは脱がしておいたが、魔族のモノは見えないんでないの!?
「ん、んなわけないだろ、女のコなんかきてないって。あ、て云うか、今日、急きょ部活が「落とし」になってさ、早くおわったから、と、友だちが寄ったんだよ」
灰色の脳細胞をフル回転させながら、思いつくよりも早くウソをならべあげていく。ブルース・リーも云っている。
「Don't think. Fell(考えるな。感じろ)」
ちなみに「落とし」とは、部活が軽めの調整だけでおわる日のことだ。
テストや試合の前後とか急な職員会議とかで、顧問の先生が部活を見られなくなった時にある。……って、今はそんな説明をしている場合ではない。
「……そいつがカノジョにプレゼントしたブーツなんだけど、な、なんでもサイズがあわなかったとかで、交換しに行くって持ってきたのを、そのまま忘れて帰っただけだよ。まったく、しょーがないなー、あいつは」
あいつってどいつだ? と自分自身に心の中でツッコミを入れながら、舌先三寸でまくしたてた。
「そう云えば、新品だったね。……とか云ってホントは、しのクンが女のコにプレゼントするために買ったんじゃないの?」
母さんがにわか迷探偵ぶりを発揮する。玄関の靴をそろえなおしながらチェックしていたらしいが(女ってコワイね)おれは平然と否定した。
「プレゼントだったら、玄関にむき出しで置いとくなんてあり得ないだろ」
「そう云や、そうね」
よっしゃ、なんとか云いくるめた。しかし、胸中を一抹の不安がよぎる。モヘナの姿が母さんにも見えるとしたら、あとあとなにかとめんどうだ。
「なんだ、風呂沸かしといてくれたのか。気が利くなあ、しのクン」
おれと母さんの会話には加わらず、洗面所から出てきた父さんが云った。
風呂を沸かしておいたのは、モヘナが寝入ってしまい、閑を持てあましていたためだ。父さんは鼻歌を歌いながら2階の寝室へ着替えをとりに上がった。
「晩飯にクリームシチューをつくっといたから食べて。おれもう先に食べたから」
「あら、そうなの? ありがと、しのクン。……どれ、毒味してしんぜよう」
おれのつくったシチューの仕上がりを確認すべく、母さんが台所へ向かった。
シチューにしたのはモヘナに栄養豊富で消化吸収のよいものを食べさせてあげようと考えた結果であり、汁物ならモヘナの食べた分を労せずしてごまかすことができるからだ。
おれも自分の部屋へと階段を上がった。