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第四章 あなたしかみえない 〈9〉

 呪印によってあやつられ、心ならずもおれのところへ身を寄せていた数日間が、モヘナにとって屈辱の日々だったのかと思うとおれは哀しかった。いや鹿だけに……て云うか。


「なあ紀里香。おれどうやったら人間にもどれるんだ? ずっとこのままってことないよなあ?」


「さあ? 人が鹿に変身したなんて話、聞いたことないし。人間にもどれなかったら、この山で暮らせば? 観光の目玉になっていいかも。『神使の白鹿に会える神秘の神社』とか」


「え~、お姉ちゃん。お兄ちゃん、うちで飼おうよ。のどかがちゃんとお世話するから。トイレとかのしつけもちゃんとするから」


「んなもん、自分でできるわ!」


 どうやったら人間にもどれるかと云う話をしているのに、どうして白鹿としての今後を協議されているのだろう?


「お疲れさま、モヘナちゃん、しのぶくん。お腹空いたでしょ? みなさんもよかったらお昼食べていってくださいませんか?」


 社務所から出てきたほのかさんが〈冥土(メイド)巫女(ミコ)〉たちにも声をかけた。はて、どうしましょう? と悩んでいる〈冥土(メイド)巫女(ミコ)〉たちモヘナが勧めた。


「せっかくですから、およばれしていきましょう。みなさんご存じないかもしれませんが、人間界の食事はとてもおいしいんですのよ」


 モヘナがそう云うなら、と〈冥土(メイド)巫女(ミコ)〉たちがほのかさんに頭を下げながら、社務所へ向かった。その列のうしろについたほのかさんにのどかがすがりついた。


「ねえ、お母さん。お兄ちゃんうちで飼ってもいいでしょ? のどか、ちゃんとお世話するからいいでしょ?」


「う~ん。そうねえ。いい、のどか。生き物を飼うって云うのは、ひとつの命をあずかるって云うのは大変なことなの」


「だから人を拾ってきた犬猫扱いすなっ!」


 ほのかさんの言葉をこくこくとうなづきながら訊いているのどかへツッコミを入れると、


「しのぶくん、人間にもどりたくないの?」


 ほのかさんが真顔で訊ねてきた。


「さっきからその方法を訊いてるんですってば」


 ……ホンット疲れる、この母娘(おやこ)


「人間の姿にもどれ! って思ってもどれない?」


「え? そんなんでいいんですか? ……人間の姿へもどれっ!」


 おれは心からさけんでみたが、なんの変化もなかった。天使の通りすぎたような沈黙が流れる。


「ねえ、お母さん。お兄ちゃん飼おうよ~」


「今夜はジビエ料理で鹿肉のローストって選択肢もあるけど」


「やかましい! 縁起でもないこと云うなっ!」


「あ、そうだ。もっぺん三方鳥居の滝に打たれながら、人間の姿にもどれ! って唱えればいいのよ」


 ほのかさんがぽんと手を打って云った。


「……もし、それでだめなら、明日、鹿用の檻をつくりましょう」


「わぁい! やったあ! ありがとうお母さん!」


「あんたたち、あきらめ早すぎっ!」


 のどかのペットとして余生をすごしてなるものかと思いつつ、三方鳥居の滝へ移動した。ほのかさん母子とモヘナとエマがついてくる。


 おれが滝壺の水へ足を入れると、紀里香がぽつりとつぶやいた。


「……かえって白鹿の姿が定着するとかないよねえ?」


「たのむからこの後におよんでコワイこと云わないでくれる? おれマジびびってんだからね」


「そん時はおいしく食べてあげるって」


「食・う・な!」


 おれはおそるおそる冷たい滝壺へ身体をひたした。まだなんの変化もない。三方鳥居をくぐり、滝に打たれながらおれは心の中で唱えた。……人間の姿へもどれ!


 三方鳥居が光に包まれると、おれは白い着物を着た人間の姿にもどっていた。お~っ! と小さな歓声が滝壺の外からもれる。


「あ~よかった。一時はどうなることかと。冷たっ!」


 おれが滝壺から出ると、のどかがむくれた顔で云った。


「お兄ちゃん、お背中乗せてくれるって約束したのに。のどか、お兄ちゃんで空とか走ってみたかったのに」


「ああ、そっかそっか。もどる前に乗せてやればよかったな」


「もう白鹿に変化できないの?」


「どうなんだろ?」


「やってみれば?」


 紀里香の言葉をうけて、おれはためしに心の中で唱えてみた。……白鹿モード、チェンジ!


 おれはあっさり白鹿になっていた。モヘナに折られた角も生えかけていた。ちょっとかゆい。


「ほらね。今度は人間にもどってみなよ」


 ……人間モード、チェンジ!


 おれは音もなく人の姿へもどっていた。濡れた着物も乾いている。


「お~!」


 おれは思わず感心した。


 しかし、冷静になって思う。こんな能力、日常生活ではなんの役にも立たんぞ。


 人の姿のままで空を走ることができれば、ちょっとエスパーみたいでカッコイイけど、それができないことは感覚的にわかる。


 そもそも、白鹿姿が非常識だ。履歴書の特技欄にだって書けないし。


「よかった~! あとでぜったいお背中乗せてね!」


「わかったわかった」


 とどのつまりは、のどかの遊び道具か、と力なく笑うおれたちの頭上で空間がゆれた。紀里香のどかがほのかさんを背に身がまえ、おれもモヘナとエマの前に立った。


「みんな大丈夫だお」


 エマが云うと、4翼の美しい〈冥土(メイド)巫女(ミコ)〉があらわれた。細く三つ編みされた長い金髪がふわりとゆれる。


 モヘナとエマが片ひざをついて配下の礼をとった。


「人間ども、頭が高いだお! このお方をどなたと心得るだお。(おそ)れ多くも〈冥土(メイド)巫女(ミコ)綺煌統女(きこうとうじょ)ベラメッチョ・ナメマンダラ・サクソ・メイ・ヨシノさまにあらせられるお」


 顔を上げずに印籠(いんろう)でも出しそうな勢いでまくしたてるエマの言葉を4翼の〈冥土の巫女〉がやさしく制した。


「よいのです、エマ。ふたりとも顔を上げなさい。……みなさん、私は〈冥土(メイド)巫女(ミコ)〉を()べるベラメッチョ・ナメマンダラ・サクソ・メイ・ヨシノです。ベチョとおよびください」


 ……いやいや、そこはふつうにベラでよくないか? ベチョってなんかヤな擬音なんですけど。


「こたびは光輝(こうき)たる魔宗六家および我が〈冥土(メイド)巫女(ミコ)〉の不始末で、みなさんに多大なご迷惑をおかけしたこと、心より謝罪申しあげます」


 魔宗六家のひとつでもあるヨシノ家のベチョさん(云いにくいな)がおれたちへ深く頭を下げた。


「どういたしまして」


 ほのかさんが柔和な笑みで礼をかえした。おれたちもつられて頭を下げる。ベチョさんが厳しい表情でモヘナたちへ向きなおった。


「モヘナ・ペルセポナ・レメディオス・アキバ。今回の事態はあなたの不覚です」


「……よもや常食のタコヤキチャーメンに呪印の罠が仕掛けられていたとは。どのような処罰も覚悟しております」


 ……ちょっと待て。常食のタコヤキチャーメンってなに? それってどんな珍味だ? ふだん魔界でなに食ってんの、モヘナさん!?


「エマロンガ・ミロンガ・ロロガンバ。魔宗六家にかかわることゆえ憶測での報告をためらったことはわかりますが、しばしば持ち場をはなれ、無断でゲヘナムまで召喚して動いていたことは規律違反です」


「申しわけなく存じますだお」


「ただし、あなたの探偵でドッチラ家の野望の証拠を押さえることができました。よってあなたの罪は不問に付します。……しかし、モヘナ」


「はい」


「あなたは困ったことをしてくれました。アッチラ卿を輿(こし)もろとも消滅させてしまうとは、いつものあなたらしくありませんでしたね。おそらく、ドッチラ家は今回の件をアッチラ卿の独断狂騒と云い逃れることでしょう」


「……申しわけなく存じます」


「それに、これまで極秘だった金虹(きんこう)隻翼(せきよく)の封印を解いてしまったことで、その存在がドッチラ家に知られてしまった可能性もあります」


 ベチョさんはそう云って紀里香を横目でチラ見した。言外に(とが)めているらしい。


「それは私じゃなくてお母さんなんですってば!」


 紀里香の反駁(はんばく)をさらりと流してベチョさんがつづけた。


碧血(へきけつ)の存在が明るみに出たかもしれない以上、今後もドッチラ家や邪悪なくわだてを持つものたちが彼のことを狙いつづけるは必定です。……しかも天駆ける白鹿なんて萌え萌え属性つきだなんて、きゃー!」


 ……なんか後半おかしなことをつぶやいていたような。ベチョさんは表情をひきしめなおすと毅然(きぜん)とした態度で命じた。


「そんなわけで、あなたが魔界へ還ることは許しません。人間界で〈碧血(へきけつ)鹿香(かのか)しのぶの警護を命じます」

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