第一章 あなたしかみえない 〈2〉
3
いかにモヘナの身体が軽いと云っても、そのまま病院まで運ぶのは骨が折れる。
おれはひとまず駅前の駐輪場わきにある小さな公園へ移動した。公園とは名ばかりの、ベンチと水飲み場しかない小さな空き地だ。
公園は線路と表通りへ面する商業ビルの裏手にあった。
せまい路地はビルの落とす影で日中もほとんど光の射すことがないため、暗くて寒くて人通りも少ない。
おれはビルとビルの隙間からかろうじて陽の当たるベンチへモヘナを座らせた。
彼女に持たせた水筒を軽くゆすると、まだ中身がのこっていた。
「ゆっくり飲んでください。落ちついたところで救急車をよびますから」
彼女は静かにかぶりをふった。
「……それはダメ。と云うかムリ。それより……」
彼女の言葉をグギュルキュルキュルクルクンクン……と、仔犬の鳴くような音がさえぎった。正体は彼女のお腹だ。
熱をおびてほんのり上気している白い頬がことさら桜色に染まる。恥ずかしげにうつむく彼女を気にもとめないそぶりで(バレバレだろうけど)おれは云った。
「あ、弁当ありますから。ちょっと待ってて」
スポーツバッグの中から弁当箱をとり出して箸をわたすと、彼女はそれを逆手のグーでにぎった。
箸の持ち方すら知らないところをかんがみるに、やはり外国暮らしが長いのだろう。
身体をかがめるのも大変そうだったので、弁当箱を彼女の食べやすい高さへかかげた。母さん手製のノリ弁で、おかずは定番(昨夜ののこり)の鳥の唐揚げ、ポテトサラダ、黄色い卵焼きである。
彼女はおかずの中で一番やわらかい卵焼きを選んで箸に刺した。おぼつかない手つきで口へ運ぼうとしたら、卵焼きが箸からぬけ落ちた。
おれはとっさにその卵焼きを手のひらでキャッチした。もちろん無意識の反射的動作である。食べ物を粗末にしてはいけませぬ。
「……すみません」
モヘナは一言つぶやくとおれの手をとった。彼女はごく自然な動作でおれの手のひらへ口をつけると、そのまま卵焼きを食べた。
彼女の少しかさついたくちびると、卵焼きをからめとるやわらかい舌のぬるく湿った感触がくすぐったく……て云うか、コレなんかエロくないか!? 女のコがおれの手のひらからモノを食べるって、なんかエロくないか!?
いやいやいやいや、待て待て待て待て。行き倒れのいたいけな女のコ相手に、おれはなにを場ちがい筋ちがいな興奮をしておるのだ!? 落ちつけおれ、しっかりしろおれ!
……などと内心動揺しまくるおれを尻目に、彼女はゆっくりと卵焼きを咀嚼し、嚥下した。
「おいしい。……この黄色いのはなんと云う料理ですか?」
「え? あ、はい。これは卵焼きと云って……」
いかに外国人とは云え、卵料理であることくらい想像がつきそうなものだ。
はたして彼女は深窓の令嬢か、はたまた世間知らずの箱入り娘か、などと考えていたら、モヘナの瞳が険しく光った。
紺碧のまなざしはおれではなく、おれの背後へ向けられていた。
ふりかえると、おれとモヘナはスコブルつきでアヤシイ連中にとりかこまれていた。
「なんだ、コイツら……?」
おれたちのぐるりをとりかこんでいたのは、ドリル状にねじれた細い角のような頭飾りをつけた赤いショートカットのゴスロリ少女と、光る槍をたずさえた6人の着ぐるみザコキャラ戦闘員(?)だった。
特撮の戦隊モノに出てくる悪役でなければ、コスプレの変態モノであろう。どちらにしろ、かかわりあいになるのはゴメンだ。
集団のリーダーらしき赤い髪のゴスロリ少女はまだしも、6人の着ぐるみザコキャラは、だいぶ人の姿を逸脱していた。
まず頭部がなかった。モシャモシャとした毛でおおわれた胴体の真ん中に大きな原色の仮面がついていて、あり得ない角度から紫色の光沢を放つ黒い手足が生えていた。
アフリカかパプア・ニューギニアあたりの精霊とか妖怪とか云う感じだ。CGならまだしも、着ぐるみでこのクオリティーはスゴイ。
これだけアヤシイ連中がいると云うのに、公園わきを通る人たちはこちらを見向きもしなかった。ここまで見事にシカトされると逆に爽快ですらある。ひょっとして、こりゃ壮大なドッキリか?
おれは内心いぶかしみつつアヤシイ連中からモヘナをかばうように立ちはだかると、背中で彼女へ訊ねた。
「コイツら、だれ? あるいは、なに?」
「おそらくは追っ手」
……追っ手? なんだかもうツッコミどころ多すぎてわけわからないのだが、彼女から伝わる無言の緊張感が冗談ごとではないように感じられた。
「オイ、小僧」
おれよりも年下と思しき赤い髪のゴスロリ少女が生意気な口をきいてきた。
「そこな女をこちらへわたすだお。すなおにわたせば、楽に殺してやるだお」
愛くるしい容姿と口調で、さらりと不穏当なことを云いくさる。
「ちょっと待て。ふつうはそう云う時「だまって見逃してやる」とか云わんか?」
おれとてすなおにモヘナをひきわたすつもりはないが、どうやってふたりで逃げるか考える必要があった。おれは時間かせぎをするべく話のつぎ穂をさぐる。
「うちらの姿が見えている以上、見逃すつもりはないだお。ただ、選ばせてやるだお。楽に死ぬか、苦しみぬいて死ぬか」
うちらの姿が見えている? そんだけ派手な格好をしておいて寝ぼけたことを云うな。見て見ぬふりをする方が大変だわい。
「しかし、殺されねばならない理由がわからん」
「〈冥土の巫女〉に手を出して、無事に済むと思うかだお」
……メイドのミコ? どうやら推理のピースがそろったようだ。謎解けたぜ。
ようするに、モヘナたちは秋葉原のメイド・カフェの従業員なのだろう。ふたりの服装はロックでもなく、パンクでもなく、ゴスロリのコスプレだったらしい。
おそらく、赤髪のゴスロリ少女は、巫女さんコスプレをイヤがって逃げたモヘナをつれもどそうとしているのだ。秋葉原のメイド・カフェが「足ぬけ不可」とは知らなかった。……うう、おっ母さん、東京はコワイとこじゃ。
「なんかカンちがいしてないか? おれは手など出しておらん」
「戯れごとを。胸に手を当てて考えてみるだお」
「オマエのそのたいらな胸にか?」
「……このエマロンガさまを愚弄するとは、よい度胸だお」
「エロマンガ?」
おれは耳を疑った。
「くっ、これだから日本語圏のヤツらはムカつくだお。そのゲスな冗談、万死に値するだお」
不憫な名前とあわれんだが、聞きまちがえたようだ。ゴスロリ少女・エロマンガ(仮名)の赤い髪が怒りにふるえていた。しまった! 調子にのって地雷を踏んだらしい。
光る槍をたずさえた六人の着ぐるみザコキャラが包囲網をせばめた。時間かせぎをするつもりが、かえって早めの窮地に立たされたかもしれない。
中学生くらいにしか見えないゴスロリ少女のエロマンガ(仮名)は問題外として、着ぐるみザコキャラの6人を相手にするのは、いささかめんどくさそうだ。
おれひとりなら中学高校とサッカー部で鍛えている自慢の脚力で逃げ切るのは雑作もない。しかし、行き倒れで体力もなく熱っぽいモヘナをかかえて走るのは酷だ。
複数人相手のケンカなんてしたことはないが、相手には着ぐるみと云うハンデがある。
やってやれないことはない。ここは男を見せるっきゃない。と肚をくくった矢先に、エロマンガ(仮名)が着ぐるみザコキャラの六人へ鋭く命じた。
「殺るだお」
おれは着ぐるみザコキャラの手にしていた光る槍で全身を刺し貫かれていた。