【白銀の国/戦闘/精霊】人形劇の館・第三夜
第一夜・第二夜あらすじ
一時の吹雪しのぎに館に入った私は館主サラキアの四妹とティベルタス家の子息ディスタス=ロウ=ティベルタスと一緒に、行方不明となったサラキアの長姉サラウンの痕跡を探すことになった。しかし、最初の夜には次女バービィが失踪し、第二夜には四女アクロシィが泥化した無惨な姿で発見されたのだった。残された四人はお互いを疑い、三日目の会議の場で二つの嫌疑を投げかけた。ディスタスはサラキア五姉妹が偽者の姉妹であり化物が混じっているという嫌疑を、三女のユンデラはディスタスか私のどちらかが人を泥に変えて殺す泥魔道士であるという嫌疑を出したのだ。議論を深化させていくうちにディスタスがバービィとアクロシィに襲われていたことを暴露し、その真偽に焦点が移っていくが結局満足な解答が出ることなく話は平行線のまま三日目の夜に入ろうとしていた。
サラウン、バービィ、ユンデラ、アクロシィ、ニアのサラキア五姉妹のうち、生き残っているのは三女ユンデラ、五女ニアの二人。それにディスタスと私を加えた四名が食堂の卓に座っていた。食卓の中央には白銀の燭台が置かれ、煌々と永遠に消えない光を浮かべている。外の吹雪は収まったようだ。
「もういいだろう。ここで言い争っていても仕方ない」
犬面のディスタスの低い声が食堂に満たされた。
「バービィとアクロシィの二人を手にかけたお前がそれをいうか!」
ユンデラが怒鳴った。
「本当にすまなかったと思っている。だが、大事なのは今後の僕らの身の安全だ。
僕を泥魔道士だと疑うなら結構。僕の金属器を全て君達に預けよう。魔道士は金属器がなければ魔法を使えないのは周知のことだろう、今後の君達の安全を保証するよ」
「そういう話ではない!」
「まあまあ、ユンデラ姉さん落ち着いて。ディスタス様の言うことも尤も、『誰か一人が魔法でやりたい放題出来てしまったら』その人は私達の命を握っているも同然よ。それが親しい間柄のディスタス様でもこうして危うい状態なのに、部外者の方もいる状態では心休まらないでしょう」
「ということだよ」
ニアが私を流し見ながらした発言をディスタスが肯定し、胸に飾られた『狼』模様の銀勲章と、鞄から取り出した銀の匙の二つの金属器を食卓に置いた。
この場は私も出さなければ不公平だろう。私は背負い袋に入っている道具を全て広げ、金属器以外のものを順番に戻していく。金属板と一対の¬棒〔かぎぼう〕、そして青錆びた万力鋏の三つが卓上に残った。
「これで全部だよ。一旦ユンデラさんに全ての金属器を預けておけばいい?」
ユンデラは不満そうに顔を上げた。
「姉さんは気分が優れないようですから、私が代わりに仕舞っておきます」
「なら今日の料理はそこの……君がたのむよ」
「あっはい」
「くれぐれも食べられるものを頼むよ」
成り行きで私が今日の食事を作ることになってしまった。
私は最初に手渡されたカードを見返した。天使の0。大きな輪を背負い、翼を広げた天使の姿が木製のカードに描かれている。このカードを受け取ったせいなのか、私はこの館では天使というあだ名になっている。頭の膜翼が空を羽ばたく者に見えるのも一因らしい。
ユンデラとニアの二人が泥の化物でないことは短刀で手首を切ることで既に証明し、ディスタスと私が泥魔道士でないことも金属器を手放すことで証明された。もう議論は出尽くしているはずだ。
後は狼の味方をするか、それとも敵となるか。どちらが私にとっての正解か決めることだけだ。
だが、今夜だけはまだ猶予がある。このまま私が日和見を決めれば、もう一夜だけ様子を見ることが出来るだろう。
……いや、選択肢はもう一つある。吹雪の音は止み、この鍋の煮え立つ音以外はもはや聞こえないのだから。
幸いなのは今日は私が厨房担当となったことだ。
「手伝います。スープの番でもしますよ」
収納が終わったのだろう。タイミング良くニアがこちらに顔をだした。
「うんお願い。白銀の国の人達に失礼のない味付けとかわからないから、それも確認してくれると助かるな」
「はい、ニアにお任せください」
ニアは軽くスカートの裾をつまみ上げお辞儀した。こうして料理も手伝ってくれるし、ニアはいい子だ。
この食事が終わったら屋敷を出よう。夜更けの雪上を歩くのは想像するだけで身が凍るが、吹雪の中を突っ切るより遥かにましだ。いざとなったら即席の竪穴でも掘って凌げば何とかなるだろう。
私は目先の計画を考えながら木の大皿に洗った野菜と作り置きの硬いパンを無造作に盛り付けた。
ニアは鍋をゆっくりとかき回しながら、その間が暇なのか私に世間話をしてきた。
「ユンデラ姉さんはディスタス様のことが好きなんですよ。でもディスタス様が見ているのは一番上のサラウン姉さんだけ」
「それであのお犬様は長女の捜索に必死になっているわけ?」
「その呼び方、ディスタスが怒りますよ」
「ニアちゃんも好きだったりするの?」
「それは家族を除けば一番親しい人ですからね。もう殆ど兄弟に近いものですけどね。天使さんは好きな人はいないのですか」
「村にいた頃は兄弟感覚で親しかった子はいたよ。弟みたいでいつも私に面倒をかけさせるんだ。でも人買いに何処かへ連れていかれちゃった。私が旅をしているのも、彼を探すのが目的の一つかな」
「見つかるといいですね」
スープが煮立ったところで私達は今夜の食事を出した。
「何だこれは。やはり青銅出身の土人に頼むべきではなかったか。美的感覚というものがない」
私が時間をかけて作ったパンと野菜の盛り合わせはディスタスに一蹴された。
「スープくらいしか手をつけるに値するものがないではないか」
そう言ってディスタスはスープを木の匙で掬い飲み始めた。ずずず……という音が食卓に響き渡る。
いつの間にかディスタスの隣に椅子を移動させているユンデラは切り置かれた果物を手に取る。しかし、果物は切れ目が入っているだけで繋がったままだった。ユンデラも愚痴を零す。
「果物も満足に切れないとはひどいなこれは」
切れていると思ったのになんてことだ。果物の皮は肉よりも固いので見誤ってしまったのだろう。
ニアは独特な匙持ちでスープを掬いながら、音を立てずに飲んでいる。私は自分への料理の厳しい評価に落胆しながら、それを忘れるためキャベツを貪った。
皆今日の疲れを取るために安らかに食事を取っている……はずだった。だが、スープを飲んだディスタスが急に首を押さえてもがき苦しみ出し、全身を痙攣させて倒れた。
「ディスタス!」
ユンデラが近付きディスタスに声をかけるが、ディスタス倒れた姿勢のまま手や頭の微動をするばかりだ。彼はしばらく声になり切れない苦痛の喉音を発した後に動かなくなった。
不運なことに私達に医呪術の心得のあるものはいなかった。人体の扱いに精通した医呪術師は私の知っている限りでは天使しかおらず、残念なことに私は青銅の国〔てんしのくに〕から来ただけの偽者であったので、心得などあるわけがなかった。ディスタスが苦しみ出したことについて何も出来ることはない。
ユンデラもニアもそれは同じのようで、ただ慌てふためくだけで徒に時が過ぎただけだった。
ディスタスが動かなくなった後、ユンデラはスープを一舐めするとすぐに形相を変えた。
「今日の料理番はあんたかァーーー!!」
ユンデラは私に飛びかかった。
私の抵抗は失敗し、両手で押さえ付けられたまま馬乗りにされる。
「ま、待って。何かの間違……」
私は必死に弁明の言葉を探すが、それが見つかる前にユンデラは上着の下に隠していた四本の触腕を出した。
多腕の部族だ……!
ユンデラはそれぞれの触腕を私の首に巻き付けて締め付けてくる。触腕に敷き詰められた吸盤は私の首にぴったりと吸い付き、物凄い圧力で絞ってくる。
こんなに力がある相手に襲われたら誰だって命の危機を感じる。まさかサラキアの姉妹たちが多腕の部族だとは思わなかった。ディスタスが他の二人に襲われた時も、こんな感じで隠し腕による不意打ちを受けて締め付けられたのだろう。
私は苦し紛れに足をばたつかせ、腹を蹴り上げた。
「ぎゃっ!」
ユンデラの両手の拘束が緩み、両手が自由になった。私はそのまま両手で触腕を掴む。引き剥がそうと力を入れるが、駄目だ……相手の方が強い。魔道さえ使えれば……。
「あ……があ…」
言葉にならない声をあげながら、私は強く念じた。炸〔からあ〕がれ。
途端、私の両手が熱を帯びてユンデラの触腕を焦がしていく。言葉も手の形もいつも通りではなかったが、案外何とかなるものである。焼けついたユンデラの触腕は焦げ付き、力を失った。
首元が緩んだところで私はもう一度ユンデラの腹を蹴りあげて彼女を下に転がした。
「天使さんこっちへ!」
ニアの手引きによって私達は食堂から抜け出し、客室に逃れた。
「どうやら『スープに毒が混入されていた』ようですね」
ニアは平静な顔で私に言った。
ちょっと待った。スープの番をしていたのはニアだ。
「毒を盛っておいて、よくもまあ他人事のように」
「フフフッ、その通りですね。私が毒を入れました」
「何が狙いでそんなことを……」
「一言で言ってしまえば、勝つためですね。どうですか天使さん、手を組みませんか。あなたと一緒ならユンデラ姉さんも怖くありません」
「私は早くこの屋敷から出たいんだけど」
「ならば尚更です。屋敷から出るならば金属器が必要でしょう。あなたの金属器の在処を知っているのは私だけですよ」
「そういうことか、やられたよ」
食事までのやり取りを思い出して私は後悔した。自分が事実無根であることの証明が、まんまと裏目に出たのだ。
「協力するよ」
「では始めから話しましょう。これはディスタス様とあなたには教えられていないことですからね。
天使さんが来る前から私達五姉妹は一つのゲームをしていました。ルールは簡単、ディスタス様がサラウン姉様を見つけ出す前にディスタス様の心を射止めた者の勝ち、ディスタス様がサラウン姉様を見つければサラウン姉様の勝ちというものです」
「やはりサラウン=サラキアも生きているのね」
「ええ、それでバービィ姉様もアクロスィ姉さんもディスタス様の心を射止めるのに失敗しました。お風呂と寝室、何をしていたかは想像に難くないです。ゲームに敗北した者が泥人形になるところまでは知りませんでしたが、このゲームを行うためにサラウン姉さまが館にかけた呪いの影響でしょう。ディスタス様が言っていた泥の怪物がいるというのは半分は正しいのです。私達の五人中四人は架空の存在で、おそらく泥で作られた体に心を宿しているだけなのですから。ただそれが、脱落者であることが確定するまで常に重なり合ったまま真実とならないだけなのです」
「重なり合っている?」
妙な言い回しに私はニアの言葉を聞き返した。
「はい。『シュレディンガーの猫』の精霊の言葉です。
私達は一人の身に五人の人格を有する、いわゆる多重人格でした。父と母がいた時はそれでも私達をあまり表に出さないことでなんとか凌いでいたのですが、『ある日突然父と母が亡くなって』しまいまして。一つの体に五人の人間を共有するこの体でどう生きればいいのか、真実を両親以外誰も知らないので途方に暮れていた私達の前にある日シュレディンガーの猫の精霊が現れてこう言ったのです。
『蠱毒入りの瓶が備え付けられた箱の中の猫が生きているか死んでいるか、それは観測者が箱を開いたときに確定する。箱を開くまでの間、生きている猫と死んでいる猫は重なり合って存在する言わば矛盾の状態にあるが、箱を開き観測されることでどちらかに収束し矛盾は解消されるのだ』
わかりますか? この館は箱で、サラキア五姉妹は猫、そしてディスタス様が猫の生き死にを定める蠱毒です」
「うん全然わからない。精霊はいつも通り何言ってるかわからないけど、それを受け入れているあなたも相当おかしいよ。例えも私が入っていないみたいだし、穴だらけじゃない」
「天使さんは最初は毒かと思っていましたが、おそらく観測者でしょうね。この事件を見て、その顛末を……誰が本物のサラキアの一人娘であったかを決めるのがあなた。さしずめゲームの審判と言ったところかしら」
ああ言えばこう言う。精霊の飛躍した言説に耳を貸す者が狂ってしまうのは仕方のないことだが、そういう者に限って反論したがる節があるのかもしれない。
「毒を盛ったのは何なの」
「最初はユンデラ姉さんを殺そうと思ったのです。死が確定するまでの自分達が人として存在しているなら、毒も効くはずですからね。
誰が死んでもよかった。最初はそれだけの軽い気持ちでしたが、まさか『毒の審美眼を持つ』ディスタス様が食らってしまうとは。背徳感で胸が張り裂けそうです……」
「でもこれってゲームが続行不能にならないのかな」
「フフフ……まだゲームは続いていますよ。ニアにはわかります。おそらく姉さんたちも理解しているのでしょう」
廊下から何かを叩き付ける強い音が聞こえた。
「ユンデラ姉さんが動き始めました。おそらく気付いたのでしょう。ディスタス様が死んでしまったら、愛する相手はどうやって知るのかしら」
「そんなものわからないでしょ。死体は喋れない。あり得ないことを確認する手段はない」
「いいえ違いますよ天使さん。これもシュレディンガーの猫の入った箱なのです。確認されない間事象は重なりあい、観測されたときに始めて確定する。
思い返してください、私達は元々一人と言いましたよね。この館から出たときにおぞましい四体の泥の怪物が全て打ち倒されていたなら、誰が残った本物を愛していたことを疑うでしょうか。死人に語る口はないけれど、生きたものは彼を語ることができる。言い換えれば、矛盾さえ滅ぼしてしまえば世界が私達の意志が作り出した結果に従うのですよ」
「何となくわかったよ、シュレディンガーの猫が。裏向きのカードの束から一枚を引くようなものだってことだね。私がこの館で最初に引いた天使のカードもシュレディンガーの猫だったわけだ。そして、知らない者からすれば偶然の選択であったカードも、中身を知っている者からすればイカサマし放題ってことね。
それで、お姉さんの方はどうしようか。猫についてのんびり話してる場合じゃないよ」
私達が会話する間にも、どこかの部屋の壺が割れる音や棚が砕かれる音が聞こえてくる。
「食堂まで戻れますか。暖炉の先に隠し部屋への入り口があります」
「彼女が部屋に入った隙に入れ替わりで出ましょう。壁に張り付いて。戻れるかどうかはユンデラさん次第だけど」
「はい」
私達はドア横の壁に背をつけてユンデラを待ち構えた。
私達が気配を圧し殺している間にも石畳をコツコツと歩く音が迫ってくる。そして、扉一枚を挟んで足音は止まった。
視界は暗闇。扉の前の匂いだけが流れてくる静寂が、一瞬か一晩中か続いたと思ったときドアが蹴破られた。
「きえあああああ!!!!」
絶叫しながら部屋に飛び入るユンデラは二本の骨の長刀を、両腕と左の一対の触腕とで二刀とも両手持ち、右の触腕の一つで白銀の燭台を携えていた。触腕の一つは空いていたが、焦げた匂いが私の鼻を衝いたので悟った。先ほどの取っ組み合いで焦がして使い物にならなくなった腕だ。
「殺してやる……」
ユンデラは冷静さを欠いているのか私達には気付かず、歩きにくそうなドレス姿で立て付けから外れた扉に載せて踏み出した。足なりは強く、ガンッと地上で激突音が響いた。
「いまだ!」
私の号令で私はニアとともに部屋の外へ駆け出した。
「見つけた……殺してやる!」
ユンデラが一振りすると、長刀が部屋の壁を崩し戸口を広げる。ちょっとあの人本当に人間ですか。
「ニア、あんた姉妹の体は一つだったんでしょ。ああいう風に戦えないの?」
「無理です。姉妹に発揮できる身体能力の限界には格差があって、私はその中でも低いんです」
「ああもう! 全部私にやらせるつもりか!」
私は逃げながら財布袋を取りだし、その口を開けてほうりなげた。白銀陶貨が床にばらまかれ、そのいくつかは石畳にぶつかり砕け散って鋭利な破片となった。暗くてよく見えないが、陶貨の表面に描かれた白銀の国の女王シルベリアの顔は台無しになっていることだろう。
「っ~た~~~~~!!!!」
ユンデラは陶貨の破片を盛大に踏み抜きショックで足をすくめた。
「こざかしい真似をして!」
しかし、すぐに床を抉りながらの長刀の一薙ぎが放たれ、私がばら撒いた陶貨は全て払いのけられた。
「天使さん、こっちです!」
ニアは火の消えた暖炉から首を出し私を招く。
「すぐ行く!」
もうユンデラを振り返って眺めている余裕はなさそうだ。そんな隙を見せていたらすぐさま切り伏せられてしまうだろう。私はユンデラに背を向けたまま走り出した。
「行かせるかッ!」
ユンデラも同様に走ってくるが、同時に空を切る音と太刀筋の風が背中を圧迫してくる。一歩遅れるだけで切られるという恐怖で背筋が凍る。
「くらえーーー!!」「天使さん掴まって!」
暖炉のニアが四本の触腕をぐねぐねと伸ばしている。これに掴まれということか。ユンデラに首を絞められた時の苦しみを思い出すとやや忌避感があるが、気色悪いなんて文句を言ってられない。私は床を思いっきり蹴り跳躍してニアの触腕に飛び込んだ。ニアはこれをがっちりと捕まえると勢いよく私の体を引く。そのまま暖炉の裏の隠し廊下でニアが尻もちをつく。廊下はすぐに下り階段となっているが、暗くて先は見えない。
暖炉を挟んだ向こう側では壁にぶつかる長刀の刃の打撃がグワングワンと響いた。長刀を投げたってことか。壁をたたき切る腕力の持ち主だ。もし当たっていたら怪我では済まなかったかもしれない。
「ユンデラ姉さん、もうこんなことはやめましょう。『ディスタス様もこんなことは望んでいない』はずです」
「どの口がそれを言うか! ニア、あんたが大法螺吹きなのはみんな知ってるんだよ!」
「交渉決裂ですね」
「あんた達が裏で示し合わせてディスタスを殺ったんだろうが! 初めから交渉の余地などないわ!」
ユンデラは暖炉に長刀を突き刺し狭い炉の中を匍匐の状態で這い進んできた。二本の腕で炭を掻き分けながら、残りの触腕は自在に動き、一本は長刀を構え直し、もう一本は私に向かって伸びた。
もう袋には何も残っていないし、武器と馬鹿力に勝てるとも思えない。もはやここまでか。
「天使さん、あれをやっちゃってください。ユンデラ姉さんを一度倒したあれです」
ニアの声で最後の手段を思い出す。そうだ、金属器がなくとも私は魔道を使えるじゃないか。しかもユンデラのいる場所は火を起こすにはお誂え向きの場所だ。やるしかない。私は両手の平を暖炉とその中のユンデラに向けた。
「やらせるかーーーーー!!」
ユンデラは触腕を振り回し長刀を投げつける。長刀は私めがけて宙を舞った。
「燃えろぉ!!」
私が念じると暖炉の火が燃え盛った。炎は壁になり、暖炉を抜け出そうとする骨の長刀を焼き尽くした。
「ぐわあーーーーっ!!」
ユンデラは熱さに苦しみもがきながら必死に私達のいる側へ這い出そうとするが、炎から出ようとする手に対してニアがすかさず蹴りを入れて妨害した。ユンデラは暖炉の中で暴れるが、進むことも戻ることも叶わず全身を焼かれて動かなくなった。
暖炉の火で焼成されたユンデラの体がどろりと溶け、それはすぐさま陶器の人形になり動かなくなった。先程まで血が通っていた人間だとは思えない焼き物がその場に残った。ニアはそれを一蹴して粉々に破砕する。
「さあ、先へ行きましょう」
ユンデラの残骸から拾い上げた消えずの燭台を掲げてニアが階段を照らした。
地下室で待っていたのは体が半分泥と化したサラウン=サラキアだった。
彼女は手入れされていないボサボサの長髪と薄汚れたドレスという出で立ちで、体は痩せこけ、眼窩には深い隈ができている。彼女は床に描かれた方形陣の中央に座り、私達のことなど意に介さず触腕で金属製の人形を動かしている。といっても彼女の周囲には千切れた腕と人形が放り出されたままになっており、残る触腕と人形は一つだけだ。
ニアが口を開いた。
『お人形遊びの時間は終わりですよ、サラウン姉様』
ニアの綺麗な声と重なり、サラウンの口がもぞもぞと動き低い声で小さな声を出した。
『ゲームの勝敗は決したのです。ディスタス様は私に心を射止められ、他の三人は拒絶され泥となって消えました。姉様への愛とともに会いに行ける体を失ったディスタス様はもう私の虜。あなたは負けたのですよお姉様。
今からサラキアは私が本物に』
ニアの言葉が止まった。サラウンがニアを凝視していた。そのままサラウンの口は動いた掠れた声で続きを言う。
「……しが………の…、私が……本……だ……」
ニアはその時だけはいつものおすまし顔を崩しており、サラウンから目を離せないまま恐怖に染められていた。目には涙が浮かび、サラウンの前から一歩さがる。
「私が本物だ!」
最後の叫びとともにサラウンは立ち上がりニアの方へ手を伸ばした。ニアは恐怖のからか腰を抜かし、床に尻をついてガタガタと震えた。ニアのドレスと地下室の石畳が少し湿り気を帯びた。
サラウンの行動はそこまで。その体は方陣から出た先からぐずぐずに溶けてやがて全身が泥になって地下室に泥だまりを作った。サラキア五姉妹のかつての本物の体はこの人形たちを動かしていたサラウンだったのだろう。敗北者にかかる呪いとは非常なものだ。
「ありがとうございます」
気を取り直すまでに数刻。完全に立ち直ったニアはお辞儀をした。
「これで五人のわたくしから、残るべき一人が決定しました。
改めて自己紹介致します。私の名前はニア=サラキア、両親亡き今このサラキアの家をたった一人で守っています」
「でも良かったの? ディスタスさん死んじゃったよ」
「ええ問題ありません。私はお気に入りのものを見つけるとつい手に入れたくなる性質でして。
そうですね、金属器も返さねばいけませんし、私の部屋へ行きましょう」
ニアの部屋は香草の匂いで満たされていて、壁際には透明な金属の箱が並んでいた。箱のうちの二つには壮年の男女が納められている。男女は水気が抜けたみたいにカサカサの状態で納められており、腐れ落ちていないだけましという状態だ。二人とも着付けと化粧は立派にされている。
「私のお父様とお母様です」
ディスタスの死体を運びながら、ニアはさも当然という素振りで微笑み私にそれらを注視させた。
「知っていますか? 人は殺すと死んでしまうんですよ」
最初、何を言いたかったのか理解できなかった。言葉を字面通り受け取って、殺すと死ぬの違いは主体と客体の違いだと言いそうになる。そうではない、ニアの口から二人は亡くなったと聞いていたはずだ。確かディスタスも言っていた『先日葬儀が終わりサラキアの領主達の棺を埋葬したばかりだ』と。なら何故ここにあるのか。全てニアがやったのだ。
「そして死んでからが最も美しく、愛しい。生命なんて一瞬きのうちに失われる短く薄汚れたものです。死後の永遠にこそ変わらぬ美と温もりが残り続けるのです」
ニアはおそらく冷たくなっているであろうディスタスの死体を空いている透明な箱の中に納めた。着付けを整えたり、胸に勲章をつけ直したり、香草を軽くまぶしたりといった行為で先客と同じような状態へと仕立て上げていく。
私は自分が渡した三つの金属器を回収した。金板も¬棒も万力鋏も無事で一先ずほっとする。その後、四つの金属の人形に目を向けた。それらは目がないのっぺりとした顔で、肩や腕などの主要な関節が十字刻みの部品で止められ、曲がるようになっている。
「そういえばこれ、地下室から持ってきたけどどうしようか」
「人形ですか、それは天使さんに差し上げます。『私達』にはもう必要ありませんから。
あなたのおかげで最も幸福な結末を迎えることが出来ました。本当にありがとうございます」
もし生き残ったのが他の姉妹だったら、最も幸福な結末はどう変わっていたのだろう。
私は金属で人形を持ち物に加えた。廊下にばら撒いて割れてしまった陶貨は、女王の顔が割かれたものについてはやはり売買には使えないということだったので、それで買ったと思えば気も紛れることだろう。
その後私は後片付けを手伝い、朝を迎えるまで休んでから屋敷から出た。いつ私も殺されるのだろうかと少し心配だったが、私の寝ているうちにニアが部屋を尋ねることもなく、ぐっすりと眠ることができた。
「じゃ、縁があったらまた会いましょう」
家主にそう告げて、私はサラキアの屋敷を後にした。
屋敷の外は金属のように光を照り返しており、空気は肌寒くなっていた。三日間降り積もった雪は日の光を照り返して辺りは白銀に染まっている。私は新雪を踏み道なき道に足跡をつけながら旅に戻った。