【青銅の国/戦闘/旅立前】海の人
いつものように村から森を抜けて浜辺に出た私は、浜に打ち上げられた綺麗な貝殻を見つけた。
それは大きな二枚貝の片割れで、桃色の綺麗な殻がチャームポイントだ。
私はそれを服で軽く磨き懐に仕舞った。
その日の海は雨雲のように色褪せて、いつもより高い波が立っていた。
私が他に何か良さそうなものはないかと探していると、小舟が私を捉え近付いてきた。
小舟から降りてきた三人は誰もが上半身裸に近い姿で、革のベルトを胸や腰に巻きつけていた。
左の男は頭に布を巻き付けたとても大柄な男だ。背は黒い皮膚に覆われその中央から一枚の突起が突き出している。彼は小舟の積み荷をその剛腕で抱きかかえた。
中央の男は腕、脚、頭、背にヒレを持ち、背に近い部分が黒い鱗に覆われていた。腰からは金属製の長刀。彼は堂々と小舟から降りた。
右の男は中央と同じヒレを持つ禿げ頭で、腕や脚を動かすたびにヒレがひらひらと舞う。彼は腰のベルトから下げていた金属製の短刀を手に取ると、小舟の先端から伸ばした縄紐を短刀の柄に縛りつけ、砂の上に突き刺した。柔らかい砂の上で、短刀が固定された。
三人組の中央の男が私に声をかけた。
「お嬢さん、この辺りの村から来たのかい?」
「うん」
「私はザフォール。後ろの二人はモンドゥスールとハゲ。我々は大陸航海者だ。
大陸を囲う海を渡りながら交易をしている。
君の村に案内してほしい」
「いいよ」
私は無言で村へザフォール達を案内した。
浜辺から森へ進む近道は獣道で、枝や木の根が道を遮る。私はそれらを手で掻き分けながら進み、途中で後ろを振り返る。私にはちょうど通れる隙間もザフォール達には狭すぎるようで、腰から引き抜いた長刀で枝を切り払いながら進んでいた。特に巨体のモンドゥスールはところどころで体が引っかかり、そのたびに素手で細木を薙ぎ倒していた。
太陽が頭上に来る辺りで森を抜け、私達は集落に着いた。日光はまだ薄い雲に遮られていた。
村へ戻った私はまず家に戻った。私は拾い子で両親がおらず、村長が親代わりとなり一緒に暮らしていたので、自然と行き先は村長のもとになる。
村長は家の戸口横の切り株に腰掛けて日光浴をしていた。村長の齢は50を越えており、髪も髭も真っ白だ。
「村長、お客さんだよ。航海者だって」
「ムラオサ様、私は大陸航海者のザフォール。航海中に物資が心許なくなってしまいまして、交易品の一部との売買あるいは交換をさせて戴けないだろうか」
モンドゥスールがむんずと荷を抱え直した。村長はザフォール達を一瞥し、ゆっくりと立った。
「入りなさい。中で話をしよう」
先頭を切って私が家に入ろうとすると村長は「お前は外で遊んでいなさい」と制止した。
私は立ち止まり、村長とザフォール達が家に入っていくのを見送った。
「姉ちゃん、あの人達誰だよ」
家の角からひょっこり顔を出す少年が私に声をかけてきた。マントだ。マントはこの村の子供で私も時々遊んでやっている。
「大陸航海者だって。向こうの浜辺に小舟を停めていたよ」
私は森の先を差した。
「舟!見たい!」
「私は歩いてきたばかりだからちょっと休みたいな」
「行こう!姉ちゃん!」
マントは強引に私の手を引っ張った。
「しょうがないなあ」
海岸に戻ると空は晴れ渡っていた。
浜辺には小舟。そして沖の方に黒い船が岩のように鎮座していた。
「姉ちゃん、何だろうこれ。すごく固い」
マントは砂浜に突き刺さった金属製の短刀を触っていた。
「マントの力が足りないんじゃないの」
私も力をかけて短刀を引いてみるが、びくともしない。それどころか、短刀の持ち手に巻き付けられている縄すら微動だにしていない。短刀が突き立てられた砂浜の砂も沈む感覚がなく、岩の上を歩いているようだった。
「力がどうとかそういうものじゃないね……」
私は再度短刀を動かそうとしたが、やはり動かなかった。
「やっぱりこの金属器の魔法なのかな」
金属は魔法の力を持っている。中には危険なものもあり、天使様が金属器とその持ち主を管理しているおかげで私達は平和に暮らせているのだという。この短刀も、航海のために天使様から許可が出たとかそんな所なのだろう。
私は近場の岩に腰かけて少し休んでいた。マントは短刀を抜こうと悪戦苦闘を続けていたが成果は出なかった。
***
マントの遊びが一段落し、私は村長の家に戻った。私の家でもある。
私は拾い子で両親がいない。村長が言うにはキャベツの中に包まれていたのを冒険家のカイアスさんが拾い、この村に預けたのだ。まあ、子供がキャベツの中から出てきたというのは村長も疑っているので話半分にしておくよう私を諭してきたが。そんなわけで、口のいい冒険家に預けられた私はしばらくは村長に親代わりとして育ててもらっていた。寝泊りも村長と一緒だ。
私が家に入ると、ザフォール達は積み荷を広げて村長に金属製の首飾りを見せている最中だった。何人かの大人達が囲む形で彼らの話を聞いている。
「話をすれば……か」
ハゲは入ってきたのが私だとわかるなり顔をにやつかせた。
慌てた様子でイヴァドラが私の前に立ち塞がり、私を家の外へ連れ出す。
「ちょっと、あんたにやって欲しいことがあるんだけど」
いつもマントを連れ出していることもあり、この人は私のことを快く思っていない。棘のついた声質が私にも伝わってくるのだ。
「あのよそ者達を集会場の建屋に泊めることになったから、あんたはお湯を沸かして体を拭いて頂戴」
「はい」
「火は一人で点けられるわよね」
「できるよ」
私は共同の炊事場まで出た。炊事場は雨避けの屋根だけがしっかり木組みされた半屋内で、四つの竈が併設され、薪や火起こし諸々の道具も備えられている。
誰も使っていないようだ。
私は土鍋に雨水桶の中身を注いで竈の上に置き、乾燥した木枝を竈の下に広げた。その後、握り拳から人差し指と中指を立てて、それを竈の火起こしに向けて呪文を唱える。私に火起こし弓も棒も必要ない。
『炸〔からあ〕がれ』
私が簡単な呪文を唱えると、私が示した指の先にあった木枝がパチパチと音を立てて煙をたて始めた。大葉を扇いでそれを大きくする。
暫く待てば湯が沸き立つので後は待つだけだと考えてぼーっといると、マントが来た。
「姉ちゃん」
「どうしたの、こんなところまで来て」
「姉ちゃんこれから航海者達のお世話するんだろ。母ちゃんから聞いたよ」
「そうだけど、邪魔しにきたの?」
「僕もその航海者になりたいんだ。
だから姉ちゃんからあの人達にお願いして欲しいんだよ。
僕を連れていってくれって」
「マントは大陸航海者がどんなものか知っているの?
たぶん危ないよ」
「あそこにあった船に乗って大陸中の海を冒険するんでしょ。
大丈夫、僕だって男だ」
「はあ……」
私はため息をついた。
「一応掛け合ってみるけど、期待はしないでね」
「姉ちゃん、ありがとう。
あ、村のみんなには内緒にしてくれよ。特に母ちゃんには知られたらなに言われるかわからないから」
「はいはい」
私は元気に駆けていくマントを尻目に火と水の番に戻った。
***
集会場に入ると海の香りがした。ザフォール達三人は既に集会場の床でくつろいでいた。
私は土鍋と布をその辺りに置き、布に土鍋の湯を吸わせた。
「体を拭きますね。ヒレや鱗のある人の好みはわからないのですが」
私が湯につけた布をそのまま広げると、ザフォールが答えた。
「なるべく水気は絞ってくれ。今日は寒いんだ」
海の部族もそんなものかと思いながら、布を絞って水気を飛ばす。
そして私は三人を順に拭いていく。
最初はモンドゥスールから。
まずは頭、次に背中、腕、腹ときて最後に足を綺麗に拭き取る。途中「下腹部はいいから」と言われたのでそこは飛ばした。彼は殆ど喋らなかった。
ザフォールの番になると、彼は体を拭いている間に色々と訊いてきた。私の名前、年齢、拾われ子であること、日々の生活。私はそれに一つ一つ答えていった。
「お前はあの砂浜で何をしていた」
「これだよ」
私は懐に入れていた貝殻を取り出して見せた。
「綺麗な貝殻は他のちょっとしたものと交換出来るからね。こうして集めているの」
「美しさだけが価値ではない」
ザフォールはそう言って私の頭を撫でた。彼の指が私の頭の膜翼に触れる。あまりの冷たさに私は首を左右に振って逃れる。
「そういえばマントがあなた達にお願いがあるって言っていたよ。
私より小さい子なんだけど」
「少年か」
「そう。彼が大陸航海に連れていって欲しいと言っているの。
村の人達には秘密にしてね」
ザフォールはしばし考え込んだ。その間にも私は土鍋で汚れを洗いながら、体全体を拭いていった。
「いいだろう」
「えっ?」
ザフォールは私を見て微笑んだ。
「少し待っていろ。ムラオサに色々と話しておくことが出来た」
私が足の先を一拭き終えると、ザフォールは集会場を発った。
「隊長の番は終わったろ。次は俺を頼むぜ」
ハゲは図々しく私の前にどっしりと座った。
「あ、俺は腹の下も頼むよ。大事なところだから丹念にね」
「はいはい」
私は二つ返事で引き受けた。
私がハゲのヒレを丁寧に布で拭いていると、ザフォールが戻ってきた。
「俺達は夕食を採ったらこの村を出る」
「ええ!?親分、久々の陸ですよ!」
「それで、夜中に小僧を連れてこい。太陽が登らない間は浜辺で待っていよう」
私は頷いてハゲの体の続きを綺麗にした。次はハゲの下腹部というあたりでザフォールの制止が入った。
「もう終わりでいい」
ザフォールは集会場の入口から覗き見ている少年の方を指さしている。マントだ。
私は土鍋と布を抱えて集会場から出た。
「姉ちゃん」
「いいってさ。
本当に行くの?」
「うん」
「長い間、みんなには会えなくなるんだよ」
「わかってる」
「色んな危ないことが待ってるんだよ」
「うん」
「わかったよ。後悔のないように支度するんだよ。
私から出せるものも用意しておくから」
「ありがとう、姉ちゃん」
「じゃあ、後で」
私はこの場はマントと別れ、夜を待った。
夕食はパンと前のスープだった。
空の帳が赤紫に染まる頃、ザフォール達は村から去った。
モンドゥスールが食糧を抱えている。三人で分け合えば一月分くらいになるだろう。
***
夜、格子窓から入る星明かりが大きな影に遮られる。マントだろう。
私はそっと仮寝入りから起き上がった。
村長は寝たままだ。
私は音を立てないよう貝殻の詰まった小袋、自分用の財布を手に取る。
ジャリ、と音がして私は全身を強張らせた。恐る恐る音の方を振り返ると、村長の枕元に金属製の首飾りが落ちていた。昼間ザフォール達と取引して手に入れたものだ。村長は寝返りをうってこちらを向いていたが、目を閉じていたのでまだ眠っているようだ。
私はその首飾りも持っていくことにした。村長を起こさないようゆっくり近づき、拝借する。
家を出るとマントが待っていた。私は森まで彼を連れ出してから、そこで品物を渡した。
「まず貨〔たから〕、お小遣い程度だけど旅の足しにして。
次にこの貝殻、綺麗だから困ったときに交換材料になると思う。
最後に金属器。本当は村長のものだけど持ってきちゃった。旅は危険が一杯だから、いざという時にはこの首飾りに頼ってね」
私はマントに首飾りをかけた。
そのまま森を渡り浜辺に出ると、ハゲが一人で待っていた。月がハゲの頭を照らし、虹色のヒレと合わせて幻想的な光景が私達の視界に広がった。
「来たよ」
「おう、御苦労様……と言いたい所だが、本当の苦労はこれからだぜ!」
ハゲは砂に固定されていた金属製の短刀を易々と引き抜くと、それを私に向ける。
「何をする気!」
「隊長に小僧を連れてこいとは言われたが、嬢ちゃんを見逃せとは言われてないんでね!」
ハゲが私目掛けて突進してくる。
「姉ちゃん、逃げろ!」
私とハゲの間にマントが飛び入り、腕を広げて庇った。そして短刀に貫かれた。
あまりに突然の出来事に私は声を出すことしかできない。
「マント!」
「ちっ、外れか」
ハゲは苦渋の表情を浮かべて舌打ちすると、短刀を持っていた手を離した。
短刀による傷を負ったマントは、私を庇った無理な姿勢のままゴトリと砂の上に転がった。
「何をしたの!」
「安心しな、小僧には少し石になって貰っただけだ。
俺の短刀『悠久の時を停止者』はどんなものも貫いただけで止めてしまうことができる。固まっている間はあらゆる傷も痛みも受けず、破壊もされない。そしてその効果は俺が引き抜くまで持続する。他の誰にも扱えない俺専用の金属器よ。
この短刀を抜く時の傷はついちまうけどなぁ~」
ハゲは下種た笑みを浮かべ、寂しい頭に残る豪奢な一枚のヒレを掻き上げた。
「さあ、邪魔者はいなくなったぜ。船に上がる前に少しお楽しみと行こうじゃないか。こっちも隊長に一人で番を命じられて気が立ってるんだ。面倒を引き受けている手前、少しくらい良い思いもさせて貰わないとなぁ~」
「くっ……」
足が動かない。あと一絞りの勇気さえあれば、逃げ出せるのに。
ハゲは石化したマントを避けながらにじりよってくる。
一か八か。
私は握りこぶしを作ってから人差し指と中指を立てた。人差し指をハゲに向け、焦点をハゲの顔に合わせた。
『炸〔からあ〕がれ!』
私が呪文を唱えると、ハゲの左目で火花が弾けた。
「ぐあッ……!」
ハゲは目を押さえて怯んだ。
その隙に私は走って森の中へ逃げた。
「くそ、どこかに金属器を隠し持っていやがるな……。今は分が悪い」
ハゲは後ずさり、身構えていた。左目は閉じたまま、顔はそこに皺が寄せられ歪んでいたのが見えた。
早く村に行かなければ、その一心で足元の根を飛び越え、垂れ落ちた枝を潜り、獣道を抜けて村へ戻った。
ハゲは追ってこない。
村に戻ると外をイヴァドラが歩いていた。何かを探しているようだ。
「大変なの、マントがハゲに……!」
「何ですって!」
続いて私は村長を起こし事情を話し、その後村中の家を回って大人達を呼んだ。大人達はハゲにマントが刺されたことを知るなり、石斧、弓矢、陶片槍などの武器を準備して森の前に集まった。
私は村の大人達を浜辺まで先導した。
浜に着く頃には海は朝焼けの朱に染まっていた。
浜辺にはハゲもマントもいなかった。砂の上で重い彫像を引き摺ったような跡が残っているだけだった。
沖で遠ざかっていく黒い影。船は私達を嘲笑うかのように水平線の先へ消えていく。
イヴァドラは顔を涙で汚しながら私に掴みかかった。
「あんたが連れていかれるはずだったのよ!!
なのに、どうして!!
どうしてここにいるのよ!!」
「どういうこと……」
「そういうことだ」
村長が答えた。
航海者達が人買いであったこと。
村で私を売ったこと。
ザフォールが私を気に入ったこと。
私の心の水桶は怒りと悲しみとやるせなさで溢れ出し、私はただ泣くことしか出来なかった。