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幻想再帰のアリュージョニスト  作者: 最近
第2章 もしサイバーパンク世界の住人がオカルトパンク世界に転生したら
9/272

2-5 王獣カッサリオ

 

 

 

 

 

 

 巨大なイッカクだ、とまず最初に思った。

 牙が螺旋状に変形、発達して角のように見えることが最大の特徴の、小型のクジラだ。


 だがその全身が露わになるにつれ、俺の推測が誤っていることが判明する。

 そのイッカクには、四本の脚と蹄があったのだ。


 上空から現れたということもスケール感をわかりづらくしている感があった。小型のクジラというか、下手したら体長十メートル以上はあるんじゃないだろうか。


 落下と共に、凄まじい衝撃。床の陥没具合から見ると、百トンは堅い。なにしろ乗っている自動二輪が跳ね上がった程だ。

 

「あぶなっ! 横転するかと思った!」

 

「やばいよーよりにもよってカッサリオだよー死んじゃうよー」

 

 さすがにやや興奮気味の俺とは対照的にトリシューラは虚ろな口調である。え、何そんなにヤバイのあれ。

 第六階層は多種多様な異獣の領域で、人狼と巨大狼ばかりだったかつての第五階層に比べると様々な異獣を目にする。


 複合種や悪鬼などはよく目にする種族だが、あんなに巨大な異獣は見たことが無かった。

 かなり奧のフロアに配置されている精鋭種エリートか、迷宮を徘徊して積極的に探索者を喰い殺すという固有種ユニークだろうか。


 最悪なのは、俺がまだ見ぬこの階層の権限掌握者、つまりかつて戦ったエスフェイルと同じ『魔将』であるパターンだが。

 答えが返ってくるより先に、絶望的な現実がお目見えした。


 カッサリオというらしいイッカクっぽい生き物は、意外にも機敏な動きで落下の際にできた窪みから抜け出すと、まず真っ先にコルセスカにその特徴的な角(牙?)を向けた。


 長大な独角が一瞬、ぶるりと震える。次の瞬間、角が向けられた直線上の空間を、不可視の衝撃が走り抜けていく。迷宮を揺るがすような轟音がその確かな実在を知らしめる。螺旋を描くような破壊の渦が加速度的に拡大していき、その巨大な輪郭を浮かび上がらせた。衝撃波は床も地面も、斃れていた悪鬼や三報会の構成員たちも一切を区別せずに抉り取って、ずたずたに引き裂いていった。


 当然、狙いを向けられたコルセスカも無事では済まない。

 直撃を受けた肉体が胸の辺りを中心に螺旋状に歪み、ねじ切られていく。美しい衣装もそのか細い身体も、圧倒的な威力によって無慈悲に蹂躙される。


 大量の血を撒き散らしながら、コルセスカは無数の肉片になって飛散していった。

 衝撃波はコルセスカの背後にあった無数の氷柱や壁までも巻き込んで破砕する。幾つもの壁を貫通していき、迷宮の遙か彼方まで突き抜けていった。


 大量の血液が雨のように陥没した床に降り注ぎ、血河となって流れゆく。

 粉塵と瓦礫がそこら中に散らばっていた。

 流石に、言葉が出ない。


 コルセスカの無残な最期はトリシューラにも見えていた筈だが、動揺どころかむしろ当然といった口調で彼女は解説を始める。

 

『王獣カッサリオは、破壊力だけなら上位の魔将に匹敵するの。『散らばった大地の時代』にいにしえの言語魔術師が作り出した生物兵器で、召喚者以外は皆殺しにするっていうのが謳い文句の殺戮マシーンだよ!』

 

 知らない単語だらけだが、後半聞いただけで禄でもないことがよく分かった。

 上位の魔将に匹敵するというのがどの位の強さなのかイマイチ判然としないが、俺が戦ったことのある魔将はどのくらいの位置づけなんだろうか。

 

『魔将エスフェイルは中の上もしくは上の下って所だね。世界槍の中心である第五階層を任されていただけあってそれなりに強かったみたい。で、カッサリオとの比較だけど、厄介さとしぶとさと面倒くささではエスフェイルが勝ち、単純な破壊力ではカッサリオが勝ち、って感じかな』

 

 ヤバさは充分伝わった。逃げよう。

 あの恐るべき魔将エスフェイルを(ほぼアズーリアの功績だが)曲がりなりにも倒した俺より格上のカーインが逃げ隠れするレベルの強さであるコルセスカを一撃でバラバラにする魔将クラスの怪物カッサリオ。インフレが激しすぎてついていけない。


 はっきり言って戦力の規模が違いすぎる。あそこまで巨大で大火力だと、俺が殴った程度でどうにかなることは確実に無いだろう。

 恐らく俺の百倍以上強いであろうコルセスカがああもあっさりと死んでしまったのだ、これはもう逃げるしかない。

 

「というわけでもっと速度出せないのかこれ!」

 

「なにが『というわけで』なのかわかんないけど、目一杯出してるよこれでも!」

 

「あ、やばいトリシューラ、角がこっち向いてる。射線から離れて離れて! カーブ! 蛇行して!」

 

「この速度でそれやったら確実にアキラくんたちが振り落とされるよね?!」

 

 お互い必死なせいか言動が支離滅裂だった。車体に必死に掴まりながら背後を窺うが、カッサリオの注意は完全にこちらに向いている。あの状態で衝撃波を放たれたら三人まとめて即死だろう。

 

「いいからやれぇー!」

 

 絶叫と共にトリシューラが大きく曲がる。慣性に従って抱えた少年諸共にトリシューラの側に倒れかかるが、男二人分の重量をものともせずに逆にこちらを支えてくれた。性格は最悪だが頼もしいことこの上ない。戦場となっていた広間の出口を抜けて、別の部屋へと滑り込むことに成功。強引なカーブに次ぐカーブ。絢爛豪華な装飾が流れて行く。部屋を幾つも通過して、今度こそカッサリオの視界から完全に逃れたと安心した次の瞬間。

 

『やばいよ、伏せて!』

 

 咄嗟に頭を下げて無かったら、今頃は頭が吹っ飛んでいたか禿げ上がるかしていた筈だ。

 嵐でも通り過ぎていったのかと思うほど凄まじい音が響き渡り、背後から押し寄せた衝撃波が迷宮の壁を根こそぎ破壊しながら頭上を通過していく。


 直撃こそ免れたものの、衝撃の余波に耐えきれなかったのか、自動二輪の前面装甲が剥がれ、思い切り横転する。当然乗っていた三人は投げ出され、身体をしたたかに床に打ち付けることになった。


 咄嗟に少年を抱えて庇ったが、そのせいか右肩と腰を強く打ってしまう。ついでに風邪が更に悪化しており、鼻水が思い切り垂れていた。惨めすぎてしんどい。


 腕の中の少年はというと、幸せなことに意識を失ってすやすやと寝息を立てている。この状況で目覚めないのは薬でも飲まされているのか、眠りのまじないにでもかかっているのか。


 細い睫毛と目を瞑っても美しい容貌は、ここが戦場であることを忘れそうになるほど現実感を失わせてくれる。

 見た限り少年に傷一つ無いことは、俺に今この瞬間がかつて設定した目的と繋がっていると実感させてくれた。


 彼を無事に連れ帰ればそれはきっと未来に繋がるのだ。

 歯を食いしばり、倦怠感を無視して少年を担ぎ上げ、立ち上がる。

 この一帯はもはや迷宮の体を成していない。


 広範囲を破壊するカッサリオの衝撃波は、壁も通路も等しく更地にしてしまうから、この場所はもうカッサリオがいる広場と連続した空間なのだ。

 一刻も早くこの場所から離れなくてはならない。


 トリシューラは俺たちから少し離れた場所で斃れていた。

 彼女の負傷は俺より更に深刻だ。

 衝撃の余波を俺たちよりも間近で受けたのだろう。致命傷でもおかしくはない。まさか、コルセスカに続いて彼女まで死んでしまったのだろうか。


 ふと、奇妙な違和感。

 トリシューラの身体は、どこかおかしいような気がする。

 というより、俺にとってはむしろ違和感が無いような、どこもおかしく感じられないような――だというのに、傷ついたその姿はどうしようもなく、この世界から浮き上がっていた。


 ひび割れた、というか破損した顔面。服はおろか皮膚までもが引き裂かれて露出した肉体。その色は筋肉や内臓の色ではなく、艶めいた黒と銀――金属のものだった。


 それはまるで、俺の右腕のような材質であり、つまり彼女は。

 

「全身義体なのか」

 

『正解と言えば正解だけど、ちょっと誤解があるかなあ。シューラは、フルスクラッチだから。アキラくんとは似て非なるというか、成立過程が違うというか』

 

 眼窩が削られて剥き出しになった眼球が小さな駆動音と共に俺を見る。人体模型めいて若干不気味だが、その眼球運動にも言動にも明確な意思が感じられる。


 高度な知性があるのだとすれば、それは驚くべきことだった。

 俺は右腕が義肢であるというだけの、広い意味でのサイボーグである。

 トリシューラも場合によってはそのように定義することもできるが、この場合はこのように表現した方がわかりやすい。


 人造人間。ロボット。自動機械。

 あるいは、アンドロイド(女性型だからガイノイドが正確なのかもしれないが、現代日本においては過度に性的なニュアンスが多分に含まれている用語なため、使用が躊躇われた)。


 そして俺の直感が正しければ、俺の耳元で囁き続けているこの小さな二頭身のアバターは現実に存在する本体と同期しているように思える。

 だとすれば、トリシューラの本質とはアンドロイドである以上に、その人格、知能にあるのではないか。

 

『その通り。『星見の塔』の技術力の結晶。魔女によって作り出された人造の魔女。創発的人工意識によって出力される形象、それがシューラ。このちびシューラも、そっちのトリシューラも、等しくシューラであって、トリシューラという現象の一部だよ』

 

 トリシューラの正体はそれなりに衝撃的ではあったが、今は彼女の素性について詳しく問いただしている暇は無い。


 横転した自動二輪の下へ向かう間に、遙か彼方のカッサリオがこちらに狙いを定めていたのだ。

 このままではまずい。


 一度この少年をトリシューラに預けて、俺が囮になって奴を撹乱すべきか?

 やぶれかぶれのアイデアは即座に自分で却下。敵の狙いは主にトリシューラのようだし、衝撃波による破壊は広範囲に及ぶため、横に薙ぎ払われれば三人まとめて吹き飛ばされる。


 今度こそ万事窮すか、もう破れかぶれの突撃でも試してみるかと考えた時、三度目の衝撃波が放たれた。

 迫り来る死に、逃げることも立ち向かうことも許されない状況。


 俺が少年に覆い被さり、トリシューラが何かを自動二輪の下から取り出そうとした瞬間、その声が響いた。

 

「凍れ」

 

 言葉と共に、衝撃波が凍った。

 俺たちの間近にまで迫っていた不可視の破壊力が、ぴたりと停止しているのだ。

 こんな常識外れなことを実行可能なのは、俺の知る限りでは一人だけだ。

 

「おっそーい! 復活超おそいー! 元はと言えばセスカの敵なんだからちゃんと相手してよー!」

 

 かろうじて原形をとどめている片方の頬だけを膨らませて、いかにもな『私、憤慨してます』アピールをするトリシューラの視線が向かう先、そこには以前と変わらない超然とした姿の魔女が立っていた。

 

「コルセスカ、生きていたのか」

 

「『キュトスの魔女』はそうそう死にませんよ」

 

 事も無げに言って、手の指輪を見せびらかす。氷のブリリアントカット。直前に血を吸っていた筈が、中の赤色はだいぶ色褪せ、総量を減じさせている。

 

『他人の生命をストックしておいて、自分が死んだ時に代わりの生命力にするっていう高位呪術だね。いにしえの言語魔術師ゾートが生み出した『生命吸収』の秘儀をあそこまで使いこなせる魔女は、現代では多分セスカだけだと思う』

 

 と、解説のトリシューラさん。

 コルセスカがやたら強くて不死身っぽいことだけ理解した。

 その調子であのでかい陸クジラを倒してくれないだろうか。

 

「申し訳ありませんが、今の私ではあれをせいぜい数分間足止めするだけで精一杯です。それともう一つ悪い知らせがあるのですが」

 

「悪い知らせ? これ以上状況が悪くなることなんてあり得るのか? 今が底じゃないの?」

 

「私にとってはさほど。ですが、貴方とトリシューラにとっては今以上に厄介かと。騒ぎが大きすぎて、『上』に見つかったようです」

 

 うわ、という呻きは、俺とトリシューラから同時に発せられた。

 遠くから金属のこすれるような音が近付いてくる。これは甲冑の音だ。それも複数。走っているのか、それなりの速度で接近しているようだ。話し声まで聞こえてきた。俺に向けて喋っているわけではないため、何を言っているのかは不明だ。


 しかし俺の拙い語学力が『殺す』とか『処分』とかいう不穏な単語だけを正確に拾い上げてしまう。半年の間、この手の語彙に触れる機会が多かったので多分間違えてない。

 

「おいこれ、退路絶たれてないか?!」

 

 カッサリオから逃げようとしても聖騎士たちと鉢合わせする可能性が高い。案の定、まだ破壊されていない通路の先から、ぞろぞろと吐き出されてくる聖騎士が六人。こちらを示して、逃がすなだの殺せだのと物騒な事を叫んでいる。

 

「いたぞ! シナモリ・アキラも一緒だ! まとめて捕縛しろ!」

 

 俺も狙われていた。ご丁寧に、俺にも通じる日本語で喋ってくれている。

 前門の虎、後門の狼、とか言いたくなるがこんな異世界で故事成語が通じるとも思えない――いや、この言葉の場合は普通に意味は伝わるか。虎も狼もいるようだし。普通に文脈から判断できる性質の成句だろう。

 言ってみた。

 

「まさに前門の虎、後門の狼といったところだな」

 

「よし、準備できた! アキラくんはバカ言ってないで左腕出して! あと下系のネタほんとやめてキモイ!」

 

「今のは下ネタじゃねえよ?!」

 

 愕然と叫ぶ俺に構わず、先程から何かを準備していたらしきトリシューラが俺を引き寄せる。


 自動二輪に取り付けてあったのか、細長いケースは車体の下敷きになっていくらかへこんでいた。とはいえ中身は無事なようで、トリシューラは素早い動作でキーを叩いて電子錠を解除、その中身が露わになる。

 それは、艶やかな金属の輝きを放つ義腕だった。

 

『もう一度聞いとくね。アキラくんは力が欲しい? 戦う為に、道を切り開いて、自分の足場を踏みしめるための、貴方の身体に根ざした力を望む?』

 

 停滞した時間の中で、再び魔女の誘惑が俺の目の前に立ち現れる。

 だがもう迷いは無かった。


 戦う為に使っていた右腕は、現在守るべき相手を抱え込むので精一杯だ。

 脚は当然踏み込みに使うわけだから、今の俺には文字通り手が足りない。

 さあ言ってみろトリシューラ、契約の対価はなんだ? 魂? 命? それとも運命?


 上等だ、俺の全てを賭けて、この窮地を乗り切ってやる!

 

『現在の第五階層の基軸通貨を治癒符とした時に、本体価格がおよそ二千七百枚で、取り付けや整備、保証なんか諸々含めて三千枚ってとこかな。格安だよ、やったね!』

 

 えっ、お金ですか。

 

『当然だよ。これは普通に呪術医として、患者さんに義肢の使用を勧めてるだけだから。開発製造販売も私なので、お金は全て私に回収されるけど、まあわかりやすくていいよね』

 

 悪魔の契約は? 絶妙なタイミングで人の弱みにつけ込んでおいてやることが商品のセールス?

 

『上等だ、俺の全てを賭けて、この窮地を乗り切ってやる(キリッ)! きゃーアキラくんかぁっこいいー!』

 

「――」

 

 悄然とうなだれながら無言で左腕の断端をトリシューラに向ける。

 どこか望遠鏡を思わせる、円筒状の義肢だった。一応関節が有り、曲がる機構を有しているみたいだが、ずんぐりむっくりとしていて右の義肢より一回り以上太い。


 巨大な筒の中に俺の左腕が差し入れられ、肩までがすっぽりと覆われる。

 生身と接触するソケット部はシリコンなどではなく、柔らかな流動体だった。断端に冷たい感触。形状に合わせてソケット部が変形し、俺の肉体に最適化される。視界の確認表示に了承を返すと、間髪入れず僅かな痺れが走り、ソケット部が固化する。


 固定帯が二の腕と肩へと伸び、しっかりと巻き付く。一連の調整作業までものの一秒もかかっていない。

 がっしりとした圧迫感。腕が完全にホールドされていることを理解した。

 

『神経電位接続も断端の筋電読み取りも無しでやるから、今回はその左腕は『右腕で』動かして。これは貴方のハンドジェスチャーで手動操縦可能な、強化外骨格みたいなもの』

 

 視界内でデフォルメされたちびシューラがわたわたと走り回っている。何やらでかいソフトを勝手にインストールしているようだ。いやまあ、多分この義肢を動かすためだろうから文句は言わないけど。

 

『マニュアル転送するから、見ながら戦って!』

 

 視界端を流れていく大量の文字列。高速で頭の中に流れ込んでくる情報を飲み込みながら、俺は目の前の現実に立ち返る。

 敵は六人。『上』の聖騎士は頑丈な甲冑で武装しており、それぞれが槍や戦棍、槌矛などで武装している。


 これを相手取るには右腕一本では物足りない。

 少年を背後のトリシューラに預けて、俺は聖騎士達に相対した。

 コルセスカが時間を稼いでいられるのもあとわずかだろう。速攻で終わらせる。


 右手の指がまるで架空の鍵盤を叩くかのように動く。それと連動して、巨大な左腕が俺の感覚からは離れて自動的に肘を曲げ、ファイティングポーズをとった。


 コマンドの入力から義肢の可動まで、タイムラグがほとんど無い。

 おそらくは脳内のちびシューラが処理の高速化を図っているのだろうが、それにしても凄まじい精度だ。


 これなら行ける。

 この義肢に指は三本しかない。そこそこの精度でものを掴んだりできるらしいが、戦闘中に使う機能ではない。そのため、モードを切り替える。

 

『戦闘モードに移行するよ! 兵装選択、『斧』!』

 

 ちびシューラが腕を振り上げ、デフォルメされた赤いボタンを押すと、左手のマニピュレータが反転した。

 ぐるりと裏返って表側に出てきたのは、禍々しいフォルムの斧だ。


 手斧というべき大きさではあるが、思い切り振り上げてから叩きつければ、それが甲冑であっても無傷ではいられないだろう。

 騎士の一人に狙いを定めると、無造作に振り下ろす。


 狙いがわかりやすいだけに当然のように防御される。騎士たちの共通装備である盾が持ち上げられ、ごく自然な成り行きとして斧と盾が激突。

 そのまま一気に下に抜けた。


 破壊の音すら一切無かった。

 盾、鎧、肉体、それら全てを一刀のもとに両断して、斧は騎士の胴体半ば深くに埋まって停止する。


 異常なまでの切れ味、圧倒的な破壊力だった。

 この斧の前では、あらゆる防御が意味を成さない。

 

『第十四の杖『ヴァレリアンヌ』は空間の断層を作り出して相手を攻撃するよ。基本的に防御不可能だけど、燃費がものすごく悪くてエネルギーが切れるとただの手斧になっちゃうのが欠点かな』

 

 過剰に思えるほどの殺傷能力だった。義肢の下部から円筒状のカートリッジが排出され、視界内の『残り使用回数』が九から八に減少する。

 

『つまり攻撃可能回数があるから気をつけて。出力を攻撃の瞬間だけ最大にして稼働時間を長くするための措置なんだけど、補給無しだと九回までしか使えないの。あとそれ一個一万ね』

 

「はぁっ?!」

 

 思わず肉声が出てしまった。戦いの最中にいきなり奇声を上げた俺に周囲がびくりとするが、それより今トリシューラが聞き逃してはならないことを言った。

 

『え? いや常時最大出力だとせいぜい十秒くらいでオーバーヒートしちゃうしエネルギーも持たないんだよ。可能な限りの最大効率を実現してようやく確保した九回であって――』

 

 いやそこじゃなくて、一個一万ってどういうことだよ、義肢の本体価格の三倍以上あるじゃねーか! 九回も使ったら数ヶ月分の生活費が吹っ飛ぶだろそれ。

 

『仕方ないよ、兵装開発にはコストがかかるの。補給も整備も大変なの。戦うって、消費活動なんだよ』

 

 俺に支払い能力があることが前提になってるんだけど、トリシューラさんは俺の社会的信用度をどのレベルで見積もってるんだろう。

 

『私の見たところ貴方はそれなりに優秀な前衛だよ。大丈夫、死にかけてもシューラが直してあげるから、けっこう回収率は高いと思うの』

 

 逃げることすら許されない予感がした。どちらにせよ借金確定じゃねえか。言いたいことは山ほどあったが、今はとにかくこの場を乗り切らなくてはならない。しかし。

 

「貴様、よくもっ」

 

 仲間の仇、とばかりに槌矛を振るってくる相手の攻撃を回避しつつ、斧を下段から跳ね上げる。

 斧の過剰な攻撃力を警戒してか、さっと後退していく騎士。


 数で上回っている以上、集団で一気呵成に攻めれば有効打を与えられる筈だが、確実に一人は死ぬという条件が重武装の騎士達を攻めあぐねさせている。


 そして攻めあぐねているのは俺も同じだった。

 対集団戦では先手必勝、先制攻撃が基本で、乱戦に持ち込んで各個撃破と回避による同士討ちを狙うのが大まかなセオリーだ。


 加えて、今の俺にはトリシューラが『ヴァレリアンヌ』とか呼んでいる強力な武器がある。こちらから攻めていかない理由は無い。無いが。

 一回攻撃するだけで一万。


 治癒符が一万枚溶ける。あと五人殺すとしても五万である。

 命に大した交換可能性を見出さない俺であっても(あるいは俺だからこそ)、できれば殺人に大きなコストはかけたくない心理が働いているようだった。できれば人を殺す時は安上がりに済ませたいものだ。


 まあケチって自分が死んでも仕方がないので、使わなくてはならないのだろうが。

 まったく、心が痛む。


 人を殺すのに一万も使わなくてはならないというだけで、こんなにも大きな抵抗感が生まれるのか。


 ――うん?


 奇妙な、そして耳や目の奧から何かがねじくれていくような違和感。

 俺はかつてと比べて何も変質していない。

 だというのに、何かが自分の中で『運動』しているという感覚がつきまとって離れない。


 視界の隅で、ちびシューラが戯画化された微笑を湛えている。

 くすくすという笑い声。

 悪魔との契約。魔女の寄生。

 決定的な瞬間を、気付かずに素通りしてしまっている、ような。

 アラートが鳴り響く。


 『サイバーカラテ道場』が敵の動きを感知。

 状況は俺に緩慢な思考を許してくれない。騎士達の一人が、槍を手にこちらへと迫る。


 時間差で戦棍が両脇から突き込まれる。回避した先で槌矛が迫り、さらに後退した所を鋭い刺突が襲う。

 徐々に追い詰めていく事を主眼とした連携。


 攻めることに臆病になった俺は次第に追い詰められていく。

 ついに槍の一撃が俺の隙を突こうというその時、両者の間にさっと飛び出す者があった。

 槍が胸を貫通し、鮮血が流れ出る。

 

「トリシューラ!」

 

「今だよ、アキラくん!」

 

 胸を貫く槍をその手でしっかりと掴んで、トリシューラが叫ぶ。

 俺は迷わずその陰から飛び出して槍の使い手に斧を叩き込む。

 絶命し、槍を手放す騎士。


 トリシューラは残った槍を強引に引き抜いて放り捨てた。赤い血が勢いよく噴き出すが、彼女は気にした様子もない。

 常人であれば心臓がある位置だが、そんな箇所を貫かれて平然としているトリシューラはやはり生身の人間とは体構造が異なる『機械』なのだろう。


 にもかかわらず、人工血液がいやに赤々しく、『生身』をイメージさせるのがやけに印象的だった。

 自分でもこんなステレオタイプを抱えているということが意外だった。

 アンドロイドの血が赤くないなんて、一体だれが定めた偏見だ?

 

「借金一万追加か、もう全員ぶち殺すまで退けねえなっ」

 

「死ぬのは貴様だっ」

 

 勢いに乗って斧を振り上げる俺と、気勢を上げる騎士たちが激突する。

 攻めることを躊躇わなくなった俺は一人、二人とその命を刈り取っていく。だんだんと、自分のなんということのない行動に伴って『大金が溶けていく』という現実が足下をふわふわと頼りないものにしていくようだった。

 実際に手元にある資産ではなく、将来的にそれを作って返さなくてはならない。その契約は情報としてのみ記録されるのだ。身体性との乖離が斧の使用を軽くする。


 金が溶けるということの恐怖が感情制御アプリによって切り離され、価値に対する感覚が麻痺し始めていた。

 優勢はいつまでも続かない。


 残り二人となった騎士のうち、リーダー格とおぼしき相手が異様に手強い。

 もう一人に何か指示を出すと、部下らしき騎士は後退し、代わりにリーダー格の騎士が前に出てくる。


 突き出された槍を躱す。腕が伸びきった所で一気に距離を詰めて仕留めようとするが、響き渡ったアラート音を警戒して咄嗟に後退。

 直後、俺の足下で床が破裂した。

 真下から、もうひとつの槍が俺を串刺しにするべく伸び上がってきたのだ。


 槍はくにゃりと硬さを失うと、しなやかな動きで床下に戻っていく。

 そして俺は気付いた。敵の騎士、その腰の辺りから途方もなく長い、尾のようなものが垂れ下がっていることに。その先端は槍の穂先のように鋭利で、もしアレを自由自在に操れるとすれば脅威だ。

 

『異獣憑きは厄介だから気をつけて! 追加された寄生異獣の部位だけじゃなくて、身体能力そのものも強化されてるから!』

 

 寄生異獣。アズーリアがそうだったように、この騎士も何らかの異獣をその身に寄生させているのか。

 だが強敵との対峙は、その直後に割り込んできた衝撃波によって強制的に中断される。


 運が良かったのか衝撃は目の前の空間を床ごと抉り取っただけで通り過ぎていく。視線が脅威の発生源へと向かう。一角の異獣カッサリオが、その巨体を揺らしながらこちらへ突撃してきている。


 と、同時に引き裂かれたコルセスカの上半身が此方へ転がってくる。下半身はカッサリオがその巨大な足で踏みつぶした所だった。


 わりとショッキングなゴア映像だが、コルセスカは平然と脚を再構成しながら立ち上がる。指輪から流れ出る血液が人の形を成し、凝結したかと思うと次の瞬間には衣服ごと元通りになっていた。

 

「すみません、抑えるのに失敗しました」

 

 突進を続けるカッサリオを見ながら謝罪するコルセスカ。

 カッサリオの脚を中心にラグのようなものが走り、その動きを少しではあるが阻害しているのが見て取れた。現在進行形でコルセスカは呪術を行使しているのだろう。


 しかしそれでもあの巨獣は止まらない。

 再び角が震え、衝撃波が走る。即座に空間が凍り付き、破砕の波が一瞬停止するが、堤防が決壊するかのようにまた破壊が溢れ出す。

 コルセスカが稼いだ時間を使ってなんとか回避したものの、辺りは滅茶苦茶に破壊されていた。


 その間にも異獣の進行方向にいた松明の騎士の一人があっけなく踏みつぶされて命を落とす。最後の一人となった異獣憑きの騎士がその長い槍のような尾を伸ばして攻撃するが、あまりにも分厚い皮膚に阻まれて先端が弾かれてしまう。


 防御力まで圧倒的となるとかなり分が悪い。

 

『アキラくん、それはシューラが今用意できる手持ちの兵装で一番破壊力がある強化義肢だよ』

 

 つまり、接近さえできればなんとかなるわけだ。

 迷っている暇は無い。カッサリオは既にこちらに狙いを定めている。

 恐るべき事に、カッサリオは既にコルセスカの呪術を見切り始めていた。


 睨み付けるだけで相手の動きを凍り付かせる呪術を、その巨体を器用に『揺らす』ことで視線を定めさせず、長大な角先をぶれさせるというフェイントによって進行方向を錯覚させる。


 直後、それまで隠していた本来の最大速度を発揮して意表を突き、その視界から外れてみせる。

 繊細かつ緩急をつけた体捌きによる視線の誘導。


 そう、『見ただけで発動する技』に対抗する為にはそういう高度な技術が必要だ。俺自身、仮にコルセスカと相対することになったらどうするか、と考えた時に選択肢のひとつとして想定する手段でもある。


 しかしそれを象ほどもある巨体で行うなどと、誰が思うだろうか。

 圧倒的な質量が、意識の隙をついてコルセスカの死角に潜り込んだ。

 敵を見失い、一瞬動きが停止するコルセスカ。

 

「左だっ」

 

 俺が叫ぶより早く、横薙ぎの衝撃波が至近距離からコルセスカをバラバラに引き裂いていく。

 当然のようにその背後にいる俺も巻き込まれかけるが、咄嗟に転がって回避することで難を逃れた。


 無防備になった俺に異獣憑きの鋭利な尾が迫る。ふたたび前に出て俺を庇ったのはトリシューラだった。腹部を貫通した鋭利な尾を掴んで足止めの意思を示す。


 彼女の意を汲んで即座に走り出す。この場で一番厄介なのはカッサリオだ。

 まずは俺があの巨獣を倒さなくてはならない。


 飛散したコルセスカの死体を通り越して疾走する。大振りの攻撃直後で無防備になったカッサリオの胴体に斧の一撃を喰らわせようと腕を下段に構えた。


 しかしカッサリオは更に予想を超えた行動を見せた。

 完全にあさっての方向を向いている角がまたしても震え、低出力の衝撃波を放つ。


 その方向には敵が存在していないのに、だ。

 カッサリオの目的は攻撃ではなかった。

 回避だ。


 衝撃波を放った反動をあえて脚から床に逃さず、自ら大きく体勢を崩す。

 それによって俺の狙いが外れ、カッサリオは致命的な一撃を回避してのけたのだ。


 倒れた後、そのままぐるりと回転し、受け身をとるようにして再び起き上がってみせるカッサリオ。巨獣とは思えない身のこなし、そして自重で肉体が壊れないのが不思議なほどの無茶な動きだった。


 あるいは、この異獣の本領は、超威力の衝撃波を放っても反動で潰れず、無茶な動きをしても平気な肉体の頑健さにあるのかもしれなかった。

 舌打ちして追撃に移ろうとする。


 寸前でその目論見は挫かれる。カッサリオが口から大量の小石、瓦礫を吹き出してきたからである。

 自らが衝撃波で破壊した床、その細かな欠片を転がった時に口に含んでいたのだろう。およそ行動に隙というものが見当たらない。


 高速で撃ち出された礫が次々と迫り来る。弾道予報の起動が辛うじて間に合い五発まで弾いたが、残りが身体中に命中していく。まるで散弾だった。

 腕二本で防御したぶん致命的なダメージは防ぐことができた。しかし俺の行動は確実に一瞬止まる。


 その隙を、カッサリオは見逃さない。

 一角が、俺を正確に照準していた。

 死を予感したが、礫の命中で体勢が崩れた俺は回避行動に移れない。


 弾道予報に代わって残心プリセットを終了させてしまった為に死を前提にした行動も無理だし、そもそもあの衝撃波が直撃したら義肢も含めて全身が木っ端微塵になるだろう。


 絶体絶命の状況。

 角が震え出す。

 甲高い絶叫が迷宮に鳴り響いた。


 カッサリオが苦痛に呻き、衝撃波は不発に終わる。

 巨獣に痛撃を与えたのは、意外な人物だった。

 

「悪いがその男はこちらの獲物だ。私が殺す前に殺されては困るのだよ」

 

 ロウ・カーイン。

 直前まで敵対していたはずの、いつの間にか姿を消していた敵の刺客がカッサリオの胴にその貫手を埋めていた。


 カーインは巨獣の肉体の構造、弱所を見抜いてでもいるのか、分厚いはずの皮膚にその親指がずぶりとめり込んでいる。のみならず、その周辺の皮膚から血管が浮き上がり、激しく脈打っていた。


 六淫操手、その異名を思い出す。

 カッサリオが激しく暴れ出して、カーインは素早くその場から離れる。

 巨獣は凶暴さを増しているが、その動きは明らかに精彩を欠いている。先程までの鋭利な判断力も薄れている可能性があった。


 おそらく、何かしらの病に罹患したのだ。

 意外な展開は俺にとって有利な局面を生んだが、カーインという敵の再来ももたらした。


 呻くカッサリオとカーイン、どちらと相対すべきが一瞬だけ迷う。

 その時、トリシューラの足止めから抜け出した松明の騎士がカーインを俺たちの味方だと判断したのか、奴に攻撃を加える。


 カーインは槍の刺突をあっさりと回避し、懐に飛び込んで胴に貫手の一撃を加える。

 しかし相手は甲冑に身を包んでおり、更に異獣憑きであるため常人よりも肉体が頑健だった。


 点穴を突くという絶技も、全身が甲冑に包まれた相手には通用しない。カーインにとってこの松明の騎士たちは鬼門なのだ。

 複数の勢力が入り乱れた乱戦で、相性による有利と不利が発生していた。


 手応えの無さに舌打ちして、カーインは蹴り技に移行する。威力のある奴の蹴りならば威力を甲冑の内部にまで届かせることが可能だ。

 しかし腕と比較して隙が生じやすい中段から上段の足技は、カウンターされた時に即座の回避がしにくいという難点がある。


 持ち上げた右足の反対側から襲いかかってきた異獣憑きの尾を、カーインは咄嗟に回避できない。軸足として踏みしめた左足で回避を試みることすら遅すぎた。カーインの死は確実であるかのように思われた。


 鋭利な先端がカーインを貫く直前に、俺の左腕が割って入らなければ。

 カーインの上段蹴りが騎士の頭部に炸裂し、腰を低く構えた俺の右掌が甲冑の腹部を陥没させる。


 続けて肘、肩と同一箇所に向かって全体重を片端からぶつけて異獣憑きを吹き飛ばす。

 鋭い視線と問いかけが投げかけられる。

 

「何の真似だ、シナモリ・アキラ」

 

「それはこっちの台詞だろう、ロウ・カーイン。借りを作ったまま殺し合いができるか」

 

「ほう、それはそれは。義理堅いことだ、悪鬼羅刹の顔を見せたかと思えばそのような可愛げも持ち合わせていたか。ますます面白い奴」

 

「底が知れた、とかぬかしていただろう、お前」

 

「何だ、根に持つな。あれは予断だ、許せ。それに君はどうやら天井のほうが高いと見たぞ」

 

「良く回る舌だな。唾液の代わりに油でも分泌してるんじゃないのか」

 

「私ならばそうすることも可能だがね。何だったら君の身体で試してみても構わない」

 

「いいだろう、やってみろ」

 

 一触即発で睨み合う俺とカーインめがけて、横合いから狂乱したカッサリオが突進してくる。

 

「邪魔だっ!!」

 

 五回目の斧による攻撃がその右眼を引き裂き、首筋に打ち込まれた貫手が螺旋状の衝撃を体内に叩き込む。

 壮絶な悲鳴と共に、油分の多い唾液を口から垂れ流すカッサリオ。

 

「うお、マジでやりやがった」

 

「どうだね。『六淫操手』の名は伊達ではない」

 

 もうなんでもアリだなそれ。

 さて、この男との決着を着けたいのはこちらも同じなのだが、その前にあの巨獣を倒しておきたい。


 勢いで同時に攻撃してしまったが、この流れで一時的な休戦あるいは共闘という状態に持ち込めれば俺にとっては都合がいい。

 相手も同じようなことを考えていたのだろう、一瞬なんともいえない『間』が横たわる。


 互いに自尊心が高いせいか、相手の方から共闘を持ちかけてくるのではないか、という期待を双方がしてしまったものと思われた。

 両者待ちの姿勢で自分からは行動をしないという、達人同士の睨み合いにも似た瞬間――。

 

『他人事みたいに言ってるけどアキラくん、それ意思疎通が下手なだけじゃないの』

 

 ちびシューラの指摘は的確だったが、俺はあえて聞かなかったことにした。

 とにかく無駄な時間が浪費され、その間にカッサリオが体勢を立て直していた。


 俗に、手負いの獣が最も危険だと言う。

 カッサリオもその例に漏れず、痛みにのたうつ巨体を荒れ狂わせるままに振り回し、衝撃波を無差別に乱射し始める。


 狙いが大雑把、というか既にこちらを狙ってすらいないので危険さは先程より薄れていたが、迷宮内部は更に滅茶苦茶になっていた。

 区画内は既に廃墟のような有様で、壁は軒並み破壊されて迷宮というよりただの広大なスペースになっている。


 柱も無いのによくフロアが崩落しないものだと思ったが、もしかしたら崩れる寸前なのかもしれない。

 ぞっとするが、真の危険は天井や床ではなく、迷宮の遙か奧からやってきた。


 カッサリオの長大な一角、その震え方が、いつのまにか今までと異なっている。

 破壊を伴う衝撃波ではなく、不快な耳鳴りを伴うか細い音に変化していたのだ。


 その響き、周期性に、どこか既知感を覚える。

 聞いたのは半年前だ。

 宝箱を開くカイン、鳴り響くアラーム、退路を埋め尽くす人狼たち。音の高さこそ違うが、リズムが全く同じだった。

 

『やばいよ、アラームトラップを再現してる! ここに他のエリアの異獣を呼び寄せるつもりだよ!』

 

 このフロアは異獣モロレクの領域であり、他の異獣の姿は無かった。

 悪鬼どもは俺があっけなく倒せるほどに弱い、数が多いだけの異獣だ。だからといって第六階層の異獣がすべて弱いということはない。


 むしろ、第五階層の人狼や巨大狼よりも危険な異獣が数多く守りについている、厄介な階層であると言える。

 ちびシューラが言うように、この状況はまずい。


 恐るべきはカッサリオだった。狂乱しているように見せかけて、本当の狙いを派手な動きの中に隠していたのだ。

 周囲に衝撃波を乱射したことで閉鎖された空間が開けてしまい、更には呼び声によって無数の異獣たちが迫りつつある。


 見れば、俺とカーイン相手に接近戦を挑むことを避ける為か、反転して遠くへ離れようとしている。

 距離をとって呼び寄せた異獣たちに前衛を任せ、自分は後衛となって衝撃波で俺たちを仕留めようとしているのだろう。


 適切な状況判断と言えた。

 感心と共に確信する。

 あれは、今ここで仕留めておかなければならない相手だ。

 

「トリシューラ、マニュアル見た限りこの斧は取り外し可能みたいだが、その後も空間の断層とやらを発生させることはできるのか」

 

『できるけど、なになに、なんかするの?』

 

「簡単だ。これを投げる」

 

 『弾道予報2.0』は石、ナイフ、火炎瓶、手榴弾から砲丸、槍などあらゆる形状のものを最適な軌道で投擲することが可能なアプリである。

 当然、手斧も想定されている。

 

『大丈夫? 一回しか投げられないよ? ミスったらおしまいだよ?』

 

 ちびシューラは心配しつつも、斧の刃に空間断層の揺らぎを付与。義肢からカートリッジが排出される。

 大丈夫かどうかは俺ではなく、このアプリの信用度が決める。


 ユーザー評価平均星五つ(満点)を獲得した優良アプリの導きに従って、左腕から排出された手斧を右手で握ると、大きく振りかぶって投げる。

 渾身の一投は狙い違わずカッサリオの巨体に飲み込まれていった。弾道予報の力はノーコンを最高の投手に変える。ものの例えであって別に俺がノーコンとかではない。


 すさまじい切れ味を発揮した斧が旋回しながら尻から胴までを引き裂いていき、肉と言わず骨と言わずそれが空気か水であるかのように突き進んで体内を蹂躙していった。


 しかし、そのまま頭部まで抜けていくという期待は儚くも裏切られる。

 身体の中程で、斧の動きが止まってしまったのだ。刃の部分は破格の切断力を持っているようだが、側面はそうではなかった。筋肉や内臓との摩擦によって運動エネルギーが減衰してしまったのだろう。


 それでも普通の獣ならば尻から身体の半分を滅茶苦茶にされれば絶命は必至である。

 しかしながら、カッサリオは普通の獣ではなかった。


 斧の柄を身体から生やして瀕死の重傷を負いながらも、王獣はその歩みを止めないままだ。

 入れ替わるようにして、次々とこちらへと向かってくるのは無数の異獣だ。


 それもあらゆる方向から、俺たちを包囲するような形で。

 攻撃は失敗した。

 その上、今までどうにか無視して戦ってきたが体調の最悪さが限界に来ている。


 ロウ・カーインに移されたウィルスは俺を着実に蝕んでいる。

 体力的にこれ以上戦いを続けるのは無理だと、俺は判断した。

 

「トリシューラ! 退路を確保しているなら、一度そちらへ向かうべきだ! 囲みを突破するから彼を頼む」

 

 俺が言葉にするより早く、彼女は気を失ったままの少年を担ぎ上げていた。

 モロレクのテリトリーは上に繋がる階段からそう離れていない。全力で走れば、包囲されて圧殺されるということもないはずだ。


 だが、一度傾いた流れは、そうそう元には戻らないものらしく、旗色は更に悪くなっていく。

 集結する異獣の群れが、何故か俺たちと一定の距離を保ったまま円形の包囲を崩そうとしない。


 襲いかかってくるでもなく、ただ包囲して、俺たちの動きに追従するようにして移動する。

 不気味な挙動に、悪寒を覚えた。

 『複合種』は第六階層を象徴する異獣である。


 種とは言うものの、その形態は一様ではない。複数の生き物がごちゃごちゃに混ぜ合わされたような、キメラのごとき異形で、その姿や性質も個体ごとに大きく異なる。


 はっきり言って、その手強さは第五階層の人狼たちとは一線を画している。まさに『レベルが違う』のだ。


 決まった対処法、確立された戦術というものをことごとく無効化してしまうため、熟練の探索者でも苦戦する難敵である。ゆえに第六階層の攻略は難航しており、数多くの探索者や松明の騎士たちが屍を積み上げ、あるいは手足を失って第五階層を彷徨うことになっている。


 『上』側にとっては幸いと言うべきか、複合種が第四階層の侵攻に参加することは無い。奴らは第六階層特有の呪力によってその命を保っている『魔将の眷属』らしく、基本的にはこの階層にのみ生息しているらしい。


 第五階層は人種の坩堝だが、複合種の姿を見ることはこういった事情から無い。

 その複合種に包囲されている状況ははっきり言って絶望的だが、相手が一斉に攻めてこないのなら活路は見いだせる。


 包囲しているうちの一体、行く手を阻む獅子と蜥蜴を混ぜ合わせたような複合種に、低い踏み込みからの渾身の一打。

 左、右と交互に撃ち出された掌が異獣の顔をしたたかに打ち据える。


 ひるんだ隙にトリシューラに脇を通り抜けさせようとしたその時、異獣の全身がぶるりと震え、口や鼻、耳といった至る所から青々とした体液が勢いよく噴き出した。

 俺が殴りつけた異獣だけではない。


 囲みを形成していた複合種たち、更には奧でこちらの隙を窺っていたとおぼしいカッサリオまでもが、その孔という孔から真っ青な血液を垂れ流していたのだ。


 全身から、血という血、水分という水分を絞り尽くそうとするかのように青い血が放出され、迷宮の床を染め上げていく。やがて体液同士が混ざり合い、融け合い、いつしかそれは一つの円環を形成していく。


 異様な光景だった。

 あきらかに自然な現象ではあり得ない。考えられるとすれば、何らかの呪術。

 その奇妙さから見ても、何者かによる正体不明の呪術攻撃を受けていることは間違いない。


 膨大な量の青い血液はやがて生き残っていた悪鬼たちまで取り込んでいく。青い血で繋がった異獣たちは流動性の肉体を持つ一個の生物になろうとしているかのようだった。


 複数の命が、一つの巨大な円環の中に取り込まれ、融合しようとしていた。

 トリシューラが、何かに気付いたように呟く。

 

「これって、まさか融血呪?」

 

「知っているのか」

 

「確証は無いの。実際に見たのは初めて。でも、だとするとこれは――」

 

 そう言って、自分の世界に入り込んで思索にふけるトリシューラ。

 今はそんな場合じゃないと思うのだが、逆に言えば窮地を無視して思索にふけるほど優先度が高い何かがこの光景の裏には存在する、ということもありえた。


 つまり、現状が俺の認識よりも遙かに危険だという可能性だ。

 

「やっぱり変だ、今回の競争相手はセスカだとばっかり思ってた。だけど違う、このやり口、やっぱりあいつの仕業――」

 

 トリシューラは、ここにはいない誰かを見ているようだった。

 一方で俺たちを包囲する奇怪な生命体は、流動する度に肉体を徐々に固めていく。


 このままいけば『完成』するだろう。

 その後どうなるのか。

 こちらに有利な展開になるとは考えがたい。


 肥大化した融合体、あるいは王獣カッサリオのなれの果ては途方もなく巨大だった。

 像やクジラと比較可能だったかつてのカッサリオはまだ俺の理解の範疇に収まってはいた。しかしこの生き物はすでにそんな域にはいない。


 見上げるような体高は既に天井を押し上げるほどであり、うねうねと不定形の肉体が触手のように伸びて前後左右に広がっている。広々とした第六階層の一画が、全て埋め尽くされてしまったかのようだった。


 殴ってどうにかなる、という問題では無いのかも知れないが、それでも俺にできることなどそれしかない。

 こういう時の定番は目か耳か鼻など感覚器の脆いところを狙って脳を破壊することだが、果たしてそれもどれだけ有効か。


 なにしろ複数の異獣を取り込んでいるのだ。心臓や脳も複数あるだろうし、それを一々しらみつぶしに破壊していくのは少々時間がかかりすぎる。

 その前にあちらの攻撃がこちらを叩きつぶすだろう。


 蠢く肉塊は俺たちの行く手を完全に塞いでしまっている。上層への道は閉ざされてしまっており、撤退するにしても他の道を探さなくてはならない。

 

「トリシューラ、他のルートはないか? 無ければ俺が強引にでも前に出るが」

 

 俺の問いかけにはっと我に帰ったトリシューラは、即座に答えを返した。

 

「えっと、確か近くに『泉』があったはずだよ」

 

「ならひとまずそこに逃げ込みましょう――『凍れ』」

 

 不意に割って入った言葉と共に、トリシューラが示した先にある肉塊が部分的に氷漬けになる。


 いつの間にか復活していたコルセスカが、変わらぬ姿で俺とトリシューラのすぐ傍に立っていた。その指に嵌った氷から、また血液が失われているのが少々気にはなったものの、無事な様子だ。

 凍結した肉塊はしばし時を置いて、コルセスカの合図と同時に粉々に砕け散る。


 包囲に穴が空く。

 その隙を逃さず、俺たちは囲みの外側へと駆け抜けていった。

 

 

 

 

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