3-24 十三階段
事象改竄系過去遡及呪文【叙述悪戯】。
語りの焦点をずらし遠近感を狂わせ、時間を遡って過去の事象を再解釈し、『実はこうだった』という事実の開示(に偽装した過去改変)を行う類推呪術の一種。
性別誤認、年齢誤認、人物誤認、数量誤認、状況誤認、時間誤認、動機誤認、行為誤認――
それらは発覚した瞬間、『今までそうだと思っていた確かな事実』を歪め、『実はそうではなかったという気付き』によって事象を上書きしてしまう。
『信用できない時制と語り手の解決』と呼ばれる呪文の基本。
私はそれをハルベルトの指示に従って応用し、この状況に最適な呪文を構築したのだ。
「殺せて無かった――?」
はじまりの歌が鳴り響くのを呆然と見ていることしかできないマリーは、ようやく状況を受け入れることができたようだった。
「でも、どうして。確かに、体内から骨の槍が」
「無いものをあると言い張ってしまうのは邪視者の悪い癖。それはきっと、何かの見間違い」
私は冷たく言い放った。
夜の民は自らの正体を隠匿することで神秘性を増幅させ、呪力を高める。呪力に満ちた黒衣の内側は呪術を働かせ易く、それゆえに自在に変身したり心の抽斗に持ち物を格納して即座に取り出したりといったことが可能である。
「――そうか、黒衣!」
マリーはやっとその単純な事実――呪術の根幹を成す『類推』に思い至ったようだ。
似ているもの、共通項で括れるものは、呪力を宿す。
情報を媒介する摸倣子が『同じ属性である』と機械的に認識するがゆえに呪術の基本法則だが、これを利用する事で『事象を錯覚させる』のがこの呪術の特性だ。
私とハルベルトの、黒衣とフードという共通項。
そして私たちは、同じハルベルトという名前を記号として行き来させる『お遊び』をついこの間やったばかりだ。
私は黒衣のアズーリアでマリーでハルベルト、あっちも黒衣のヴァージリアでハルベルト。都合良く使い分けて周囲の現実を馬鹿にする悪ふざけ。
昨日、体内から骨の槍を突き出させたのは私だ。
そして、パレルノ山でガルズが自ら看破した通り、私の身体は疑似細菌によって形成された万能細胞によって作られており、死霊使いが視覚的な死のイメージに依存して操る対象――つまり骨や肉が存在しない状態に変化可能だ。
だとすればあの現象はおかしな事だらけ。
私が変身してそう見せたのか、それとも私の言うことは嘘で本当にハルベルトが死んでしまったのか。ならばステージにいるのは誰だろう?
「な、なら夜の民に特有の死をイメージして――あ」
「それはもうやった。そして私はそれを乗り越えた。それに、だとすると骨の槍って一体何の事? 同じ相手を無駄に二回も生贄に捧げようとした事を認める?」
「え、えと――その、ち、違いますっ、やっぱりおかしいのは貴方です! そんなの言い張ってるだけ! まず最初に私が殺したという結果があって、それは」
「それは? どうやったの?」
う、とマリーが言葉に詰まる。
「はいはい! 真相は私が解き明かしたよ! あらゆる感知呪術に引っかからない不可視の暗殺者、その正体にね! それは美食家どもの盲点! 地上には、公然と死霊使いが操作可能な死人たちが沢山いるんだよ! つまりその鍵は台所」
「あ、リーナやめて。そこから大まかに二つに分岐するから確定させないで」
「え、ええええええ折角頑張って調べたのに?!」
帽子の中から小さめの手帳を取り出して調査結果や推理を披露しようとしていたリーナが悲痛な声を上げる。もうちょっと音量抑えてくれないと歌が聞こえないんだけどなあ。
――いや、そうじゃなくて。
この後、リーナが続けることが可能な台詞は大体二つだ。
『――台所にいる、【法の外】にして【平和喪失】状態に陥っている、秩序から爪弾きにされた小さな【生ける死体】たち――トントロポロロンズや羊少女といった食用奉仕種族たちだ!』
あるいは、
『――台所から毎日運ばれてくる、色々な死体。綺麗に彩られてばらばらにされて火を通されているその死体とは――調理されたお肉やお魚だ!』
とかそのあたりだろうが、まあ方向性は一緒だ。
全ての死は等しく空虚だと断定し、生命の根源的な恐怖心と生存欲求を邪視によって支配するガルズは、常識的に考えれば死霊使いが操れないものまで操れる。
墓の下から這い出す腐肉と白骨、半透明な亡霊。
死霊使いの典型的なイメージはこうだが、そこに日常的にも程がある彩り豊かな食卓が並ぶ。
初めて遭遇した時、彼が描いていた絵では死者達が躍動的に日常生活を送っていた。それこそが彼の世界観だったのだ。
もちろん二つの推測が正しいとは言い切れない。
前者だとしたら、初日の昼食会が全てのはじまりだった事が理解できるし、ガルズの地上の歪な秩序に叛逆するという目的にも適い、地上においては同じような立場である哲学的ゾンビのマリーを使役しているという事とも繋がり、わざわざ私ひとりだけパレルノ山で直接襲撃してきた事にも一応の説明が付けられる。
けれど、だとするとそんなわかりやすい共通点があるのに誰もその事に気付かなかったのはちょっとおかしい。
――実は『彼ら』が呪術的な洗脳を解除されれば地上に叛逆することも可能。
その事実が明らかになれば、確実に規制や安全管理の問題に発展するだろうし、なにより今まで見過ごしてきた『それ』がそもそも正しいのかどうかという議論が教会内部で持ち上がるかもしれない。
これまでの状況に『味を占めた』権力者たち。
彼らはそれを嫌ったのだろうか。
混乱を招きかねない事実を隠蔽したい地上側の思惑。
早い段階で明らかになっていた真相は隠蔽され、ガルズを闇に葬ることで全てを無かったことに。
そういう仮説も立てられるけれど、証拠は何も無い。
なによりそれが正しかった場合、言い当てた誰かの口を封じようと刺客が放たれるかもしれない。それはまずい。
そして後者の推測――支配可能な対象が『食卓の全て』とかだとちょっと面倒だし、相手が反則級に強力なことになってしまうのであまりはっきりさせたくない。
それに、真相がどうであっても構わない。
執念のなせる技か、リーナはほとんど全ての現場に居合わせ、その詳細を記録に残していた。
クロウサー家の名前を振りかざして念入りに現場を調べ、接触感応を駆使する捜査官たちに煙たがられながらも情報を聞きだし、様々な資料を当たり、被害者たちの過去を調べ共通点を洗い直して行く内に、彼女はその事実に気がついたのである。彼女は調査結果と先程の推理を手帳に書き記し、私に見せてくれた。
一見したところ、筋は通っている。
もしかしたら私たちが知り得なかった事実が発覚して、真相は最後から二番目の真実となり、全てがくるりとひっくり返されてしまうかもしれないけれど。
私のような一人称系呪文使いにとっては、記述されたことだけが確かな現実。
そして同時に、その確かな現実は行間という隙間だらけで描写不足も甚だしい不完全な代物だ。私はどう足掻いても全知全能にはなれない。
結論から言えば、リーナが書き記した記録、発見した証拠、展開される推理、驚きの真相、ガルズとマリーが不可解な殺害を実行できた理由、そうしなければならなかった必然性――そんなものは、全てどうでもいい。
何故か?
リーナが普段から適当な事ばかり言っている、『信用できない語り手』だから。
ハルベルトの指摘に全員がなるほどと頷いたが、リーナは酷く憤慨した。ひどい言いがかりだ名誉毀損だと言っていたが、続く私の指摘で今度こそ沈黙する。
『犯人』であるガルズと個人的に繋がりがある事。
心情的にはガルズに同情的である事。
っていうか実際どうなの、やっぱりそういうあれだったんじゃないの?
などと、アキラについて訊ねられた時のお返しのつもりで言ってみたら本気で泣かれてしまったので平謝り。
流石にこの状況で言うことではない。言動が不用意過ぎる私は最低だった。そして今度食事を奢ると言ったら例の推理の直後だったので断られた。
とにかく、それゆえに彼女の記述がどれだけ現実に即していようと、その推理がどれだけ真相を言い当てていようと、情報の確度は極めて低い。
リーナが思い描く『真相』は『事実』ではありえない。
信用出来ないという認知のバイアスは、リーナの言動の確かさを引き下げていくからだ。
例えば、動画の情報ソースとしての確度は再生回数によって変化する。
高位の言語魔術師はこれを利用する。
クラッキングを仕掛け、再生回数を見た目上減少させることで現実の確かさを曖昧化することが可能なのだ。
それと似た現象が、リーナの手記を利用して引き起こされていた。
連続した殺人の全てが曖昧な過去の中に沈んでいき、ハルベルトの死もまた同様に破綻していく。
厳密に詰めていけばあちらにも反撃の余地は存在する。
だから、相手側から真相を確定させる前にこちらから力業で現在の状況を押し通すだけ。
今、この瞬間に世界に響いている歌が。
この歌を確かに耳にしている全ての人が、現在を受け入れてしまえば私たちの勝ちだ。
「た、食べ物、を――」
マリーが震える声で抵抗をしようとするが、私はその内容を察知して即座に切り捨てた。
「ならどうしてわざわざ私だけを【静謐】で解体したの? どうして私だけ殺害の時期が早まったの? パレルノ山という邪魔されにくい場所で襲撃するためじゃないの?」
「理由なんて、なんだっていいじゃないですか」
「必然性の無い行動は確からしく無いし誰にも信用されないよ」
「それは、だから、信仰というか、呪術的な、その――そう、執着っ、貴方に対して執着していたからっ、だから楽に暗殺するのではなく、正面から殺そうとしたんですっ、ほら、ちゃんと筋が通ってますっ」
「――その挙げ句、無意味に死んで、目的も果たせないまま、身勝手に仲間に重責を押しつけているわけだ。自らの下らない拘りのせいで、仲間たちに救ってもらった命を無駄に散らした大馬鹿者。ああ、確かにガルズの言う通り死は空虚だ。お前たち【骨組みの花】の死には何の意味も無かったと、他ならぬ無能なガルズが証明したのだから。英雄になれなかった男というのは、確かに似合いの異名――」
「黙れっ」
なるほど。
そこで怒るのか。
あれはミルーニャたちと金箒花を採集しにパレルノ山に行ったときの事だ。
哲学的ゾンビの群れをミルーニャが呪石弾で攻撃した時、彼女は確かに哲学的ゾンビたちを人格のある『人間』だと見なして殺すことを選択していた。
地上――つまり大神院は哲学的ゾンビを異獣だとみなしている。
実世界では人と何も変わらないが、アストラル界から見ると抜け殻に過ぎないと言われる彼ら。だがそうさせているのは最初からそうだと信じ込んで認識にバイアスをかけている方ではないのか。
パレルノ山という過酷な環境下で荒廃した精神。心をすり減らしてしまった哲学的ゾンビたちを、ただ虐殺されるだけの弱者だとミルーニャは見なしていたのかもしれない。
私はガルズが看破した通り人とは違う生き物だ。
この存在を保てているのはハルベルトが、そしてみんなが私という存在の振る舞いを外側から見て、確信してくれているおかげ。
だとすれば、私とマリーは――
「マリーをいじめるのはそのへんにしてくれないかなあ」
聞き覚えのある、穏やかな青年の声。
そんな馬鹿な、彼は確かに死んだはず――なんて驚きはまるでない。
持ち去られた頭部と魔導書の事を考えれば、十分に想定可能。
「ほら、リーナまでなんだか落ち込んだ顔になってしまっている。強い言葉で感情を揺さぶるのが得意なようだけれど、仲間の事もちゃんと考えてあげないといけないんじゃないかな?」
マリーの長い髪を掻き分けて、後頭部から浮かび上がったガルズの顔が私たちを見上げていた。
切り裂かれもはや何も見えていないであろう両目。鋭く裂けた鼻、耳、顎下。
傷だらけの顔面は、完全に死者の蒼白さとなっていた。
異様な光景に私とリーナが息を飲み、メイファーラが槍を虚ろな眼窩の前に突きつける。
マリーが空の民の一人の肉体に潜んでいたように、ガルズもまたマリーの中に潜んでいたのだ。
このような、顔だけの無惨な姿になってまで。
メイファーラの槍に頭部を貫かれ、リーナの【空圧】に逆らって骨折し、私の拘束によって全身を軋ませながら、それでも強引にガルズはマリーから這いだした。
浮き上がった顔の後ろで金色の輝きが踊り、それは突如として膨れあがる。
私たちはガルズを中心にして放射状に迫り出した墓石をかろうじて回避する。
墓石の下で膨張を続ける雲。
その内側で、巨大な呪力が収束していき、声が響いた。
「イェツィラー」
トライデントの細胞がひとつ、右目としての能力。
四つの禁呪のひとつ、融血呪の使用。
青い流体が突如として雲の周囲を取り巻き、その内側に存在する何もかもをまとめて融け合わせていく。
私たちだけでなく、その場にいた空の民たちもまた一斉に邪視や呪文で攻撃をしようとするが、全方位に放たれた金色の光がそのことごとくを無力化していく。
やがて雲が晴れると、そこには以前見た全身に金眼を輝かせている姿よりも更におぞましく復活したガルズが浮遊していた。
巨大だ、とまず感じた。
七人分の体積が渾然一体となって絡まり合い、歪に広がって奇形の胴体を形成している。
融け合って多関節となった腕は長く、先端で手指を蠢かせている。
放射状に広がった脚部は胴体よりも高く伸び、山なりになって下に伸びる。もちろん空の民である彼は大地には触れず、浮遊したまま無数の足が蠢くのだ。
頭部は八つ。
それぞれが虚ろな眼窩と死相を晒して、異形の手足で空中を這う。
それは浄界によって甦った【骨組みの花】の七人とガルズが融合してできた、死人の蜘蛛だ。
八つの顔の一つ、ガルズの傷だらけの顔が出ないはずの声で呟いていく。
「光によって死を感じることができなくなっても、僕は自らの死という闇だけは感じることができた。それはなにより確かな死の光景――僕の浄界。邪視は外に向けて発動させるよりも体内に向けて発動させる方がずっと容易いからね。僕の浄界は思い描いた死の景色で現実を塗り替え、【骨組みの花】の仲間たちを甦らせる事ができる。残った頭部を死体を操作する要領で動かしていたんだよ。今の僕は半死人――まあ、一応かろうじて生きてはいるのかな。呪力が尽きるまではだけど」
完全に死ぬ直前に、半死人となった自分を強引に死体と見なして死霊使いとしての術で操作する。
可能なのかどうかもあやふやな絶技だが、それでは浄界が解除されればガルズもまた完全な死を迎える理屈だ。
大雑把に計算しても1,036,800秒――十二日もの間邪視の奥義である浄界を維持し続けたということになる。
完璧な精神集中と揺るぎない自らの世界観への確信が無ければ決してできない狂気にも等しい偉業だ。
確実に地上の邪視者にとっての限界であるという第六階梯に届いている達人級の――いや、もしかすると第七階梯にまで届き得るのではないか。
せいぜいアストラル投射と入神が可能な第三階梯の私とは比較にもならない。
「もうやめようよっ、なんで、そんな姿になってまで戦わなくちゃならないのっ」
リーナが悲痛な声を上げながら【空圧】を放つ。
続けて周囲からも次々と呪術が雨あられと降り注ぐが、ガルズは背中にマリーを乗せて跳躍して回避していく。誰も逃げようとはせず、真っ先に外敵を排除することだけを考えているようだ。
この場所にいるのは恐らくほとんどが腕に覚えがあり、自らの無事を強く確信している者たちだろう。
ゆえに、その自負心に従って各々勝手に攻撃を仕掛けてしまう。
結果として、連携もなしに四方八方から一点に向けて放たれた呪術は回避された後まっすぐに直進していく。
私は咄嗟にセリアック=ニアとリールエルバの前に立つと障壁を張って流れ弾を防いだ。防ぎ損ねた【炸撃】が大きすぎる護衛の肉の球体表面を軽く焦がして、くぐもった悲鳴が上がる。
同士討ちによって数人が負傷したようだが、一番多く呪術が直撃したサイリウスは微動だにしない。
「君にはしてやられたよ、アズーリア。けれどまだ終わっていない。サイリウスさえ倒せば必要な条件は整うんだから」
やはり、あちらの儀式は不完全でも発動するようだ。
折角全体を曖昧にしたのに、このままサイリウスの殺害を許せば確定した死が儀式を成功させてしまうだろう。
それだけは阻止しなくてはならない。
この場でガルズとマリーを倒す。
空中を素早く歩いていく死人の蜘蛛は、八つの顔に備わった虚ろな十六の眼窩から金色の光を放射して追撃の呪術を全て無効化する。
天眼の民の戦士が投擲した短槍がその胴体を貫くが、既に死んでいるその肉体は槍をずぶずぶと体内に飲み込んで行きながら移動を続ける。
マリーが後頭部を【修復】しつつ鑿と槌を振るって貴賓席に張り巡らされていた障壁を粉々に砕く。
「霞を食べて生きる貴方だけは、どうやっても暗殺することができなかった。サイリウス、ここで貴方を正面から打ち破り、僕は復讐を完遂する!」
ガルズが口上を述べている間にも、貴賓席から次々と呪術が放たれているが、上空から十六の【静謐】に晒されては即座に発動できるような単純な呪術では対抗できない。
ガルズが放つ黄金の邪視はサイリウスに直撃するが、長躯の老人は身動き一つしない。
それどころか、ガルズを見てすらいなかった。
彼が見ているのは、ステージの上にいる人物。
今もなお美しい歌声で会場の心を奪い、貴賓席の騒ぎを気取らせていない圧倒的な存在だけだ。
サイリウスは、あごひげを撫でながら厳かに唸った。
「うむ、良い」
そう言って、袖口から淡い青の光を放つ細長い呪術灯を取り出す。
「ぬ――快晴か。屋内であればな。まあ良いわ」
ガルズからの猛攻を完全に無視しながら、サイリウスは呪術灯を振り始める。いや、まあ昼間の屋外でも振る人は大勢いるけど――というかこの会場でもかなりの人数が同じように青い呪術灯を振ってるけど。
この日最大のイベントである歌姫Spearのライブは、活動の一時休止からの復活の上待望の新曲発表ということもあって注目を集めていた。
たった今歌い終わったの定番である【エスニック・ポリフォニー】だ。
続けて間を置かずに【冬色モジュール】の軽快なイントロが流れ出した。
この次は【三叉路の染色分体】で、その後からは怒濤の新曲攻勢。
【月明かりメモリー】、【心の迷宮】、【春色カレイドスコープ】、【手を取り合って】【鏡越しのマリアージュ】と続いていくことになっている。
司会進行とか喋りとかは一切無い。何度か用意した台詞を喋ってもらったのだが、想像以上に向いていなかったのだ。それならもうひたすら歌うことだけに専心する方がいいだろうという判断である。
私的な領域が一切不明な正体不明の歌姫、謎めいていて神秘的であるというイメージのまま押し通せば多分なんとかなる、と。
それが終われば一度休憩となり、しばらく時間を置いてから私たちにとって最も重要な後半――真の呪術儀式が始まることになる。
昨夜、一言だけ聞いたアキラの声を思い出す。
二つの結末。
悩むくらいなら辻褄なんか気にしないで、両方の要素を入れてしまえ。
彼の言葉に示唆を受けた私にとって――そしてハルベルトにとっての、本当の意味での戦い。
多分、順調にいけば彼の戦いの方が先に終わるんじゃないだろうか。
約7,200秒――二時間という長丁場が待ち受けていることを思えば、一刻も早くガルズを倒さなくてはならない。
無数の眼窩から邪視の照射を受けていることより【冬色モジュール】の華やかさの方がよほど重要だとばかりにサイリウスはステージに集中していた。
巌のような表情で白い呪術灯に持ち替える。
「時に、リーナよ」
「は、はい?」
ガルズが唸り声を上げながら呪力を放射するが、老人は眉一つ動かさずに歌姫のステージを見たまま言葉を続けていく。
「第五階層――【サイバーカラテ道場】と堕ちた英雄との戦いはどうだ。戦況は?」
――それは、ペリグランティア製薬がキロンの所属する病院修道会を弱体化させ、主力製品である治癒霊薬への依存度を高めて影響力を強めたいという思惑と、第五階層への進出を狙うクロウサー家、更には槍神教内部の派閥争いという複数の勢力の利害が一致したことで生まれた英雄殺しの陰謀だ。
星見の塔の派閥抗争において、リーナが所属しているのはカタルマリーナ派。
そしてクロウサー四血族のうち、近代以降ずっと当主を輩出し続けているゾラは呪文を得意とする一族だ。
呪文の派閥カタルマリーナ派、それと手を組むペリグランティア派、クロウサー家という呪術の一大勢力に目を付けられた奇跡の治癒能力を持つ英雄キロン。
その絶対的な存在は数多くの命を救い、厳しい地獄との戦いに赴く修道騎士たちの心を支え続けてきた。
その彼が、ただ利潤を追求し、それを妨げる者は暴力によって排除するという巨大企業の冷酷非情な掟によって陥れられ、貶められ、よってたかってなぶり殺しにされようとしていた。
ただ、巨大な規模の金銭を動かすためだけに。
私にとってキロンは恩人だ。
第七位に囚われて拷問にかけられた私を救い出してくれただけではない。
彼の奇跡のような医療の術を見たからこそ、私は死にかけたハルベルトを救うことができた。
その彼がアキラとどちらかの命が尽きるまで戦うという状況。
そうなるかもしれないとは思っていた。
裏切り者の討伐のために第五階層に向かったキロンがきぐるみの魔女トリシューラの使い魔となったアキラと激突するのは時間の問題だった。
先程、第五階層から合図があった。
状況を見ながら言語魔術師として支援するリールエルバは詳しい状況を高度な【心話】で映像と共に伝えてくれて、私は想像が当たっていた事を知る。
設定した条件分岐に従って、用意した物語素体の呪文は想定され得る幾つかのシナリオのうち一つを採用して現実と同時に進行していくだろう。
それは、アキラを勝利に導き、キロンを敗北に導く物語。
どちらにも死んで欲しくない。
そう思いながらも、私はアキラの側につかざるをえない。
星見の塔の勢力争いや大企業の思惑だけではない。
末妹選定において、私たちはトライデントに対抗する為に第五階層にいるトリシューラと一時的に休戦協定を結ぶことになった。
それは、いずれ第五階層でハルベルトが第二の呪術儀式を行わなければならない事を考えれば、当然の布石でもある。
こちらが協力する代わり、あちらからも一定の技術供与を行い、トリシューラとアキラがキロンに勝利して第五階層での足場を築く。
その後はペリグランティア派である【公社】と共同で第五階層を統治しつつ、次に行われるハルベルトの呪術儀式に全面協力する。
末妹選定に向けて入り乱れる勢力間の思惑の中で、私の恩義とか些細な感傷なんてちっぽけなものに過ぎない。
「えっと、今の所は互角――いえ、足場を飛び移りながらの空中戦に入ってから、ずっとシナモリ・アキラがやや優勢のままです」
その事に少しだけ安堵してしまった自分に気付いて、罪悪感を覚えた。
異形の悪役として貶められた英雄キロン。
私がそうなるように演出や描写を調整したのだ。
きっと地上や第五階層、そしてきっとこの会場内にも視聴者がいる。
美しい歌声を聞きながら、演出されたキロンの醜さに眉根を寄せ、優勢に戦うアキラが勝つことを望む。
そういう流れだと誰でもわかるから、観客の欲求は一つの方向に向かっていく。
映像の視聴人数が呪力を生み出していく。
天気予報と天気占いのどちらを選択するか。
その判断によって影響を受ける現実のように、第五階層の戦闘も人の欲求によってその結果が決定する。
きっと地上のあらゆる場所で、キロンに救われた人達がこんなのはおかしいと憤っているはずだ。
けれど、そんなことを知らない数多くの人達は、深く考えずに端末を操作する。
つまらない、暇つぶしの娯楽として。
それでは余りにも無惨だから、せめてキロンを完全に否定しないために――悲惨な過去によって道を誤った悲劇の聖騎士という演出で、話の流れをアキラの勝利から動かさないまま、キロンの名誉を少しでも守れるような調整をした。
私がキロンを惨たらしく殺す為の手伝いをしていることはわかっている。
酷い欺瞞。最悪の偽善。吐き気がするような私のためだけの自己満足。
いっそ、キロンを完全な邪悪として描いて、ただアキラに蹂躙させた方がまだ道徳的だろう。
それでも、私は用意した物語素体の中に救いとなる呪文を用意せずにはいられなかった。
『呪文使いは言い訳ばかり得意』と揶揄されるのはよくあることで、いつもなら私はそんなことを気に留めたりはしない。
けれど、これは本当に言い訳だ。
ガルズとマリーの襲撃からハルベルトを助けたような人を救うための言い訳じゃない。誰かを陥れ、自分の罪悪感を和らげる為だけの言い訳。
安全な場所から運命に干渉する傲慢な特権者。それが私だ。
あるいは、と思う。
ガルズが憎む地上の歪みとは、このような心性なのかもしれなかった。
私の思いとは関係無く、現実と時間はただ過ぎ去っていく。
「ふむ。優勢か。では子供受けはしそうか」
「はい?」
「お前の目から見て、商品化はどの程度いけそうかと聞いている。英雄でも悪役でも良い。問題は偶像崇拝の呪力がどの程度引き出せるかどうかだ。かの歌姫と比較して、どうか」
サイリウスは冷徹な声でリーナに問いかける。
この老人にとって、第五階層への干渉を許可したのは単純に利益が生み出せる可能性があるからだ。
リーナの必死の懇願だけでは足りない。
アキラがクロウサー家に利する存在であると、積極的に示さなければならない。
「だ、大丈夫ですお爺さま。まさにその歌姫の新曲が彼を後押しします。連動企画である現実参照型のアストラルネット小説素体は現在進行形で戦況を読み取りながら自動更新中ですし、更に歌姫の新曲、その作詞を担当しているのは新進気鋭の迷宮小説作家にして松明の騎士団の英雄アズーリア・ヘレゼクシュ! これだけ注目される要素が揃っててコケるなんて有り得ません! どっちかっていうと一晩で対応してくれたウチの企画とか広報とかの人がヤバい! 目と声がイってて怖かったです!」
「優秀な者たちである。後でねぎらってやるがいい。お前が今後もクロウサー家で生きていきたいと望むならば、少しでも繋がりは広く持っておくべきだ。オルトクォーレンの姫君ともな」
一瞬だけ、老人の視線がセリアック=ニアの方を向く。
彼女は物怖じすることなく、真っ直ぐに長身の翁を見上げて言った。
「杖系統の義肢に対する観衆の忌避感を考慮して、『主演者』の両腕に幻惑ウィルスを仕掛けておきましたわ。同様の措置をこの貴賓席にも。少々の事ではライブが中断されることなどありえないでしょう。と姉様は仰っています。セリアもそう思います」
「うむ、見事である。リーナよ、良き友こそ得難い宝。未来を見据えるならば、まず周囲を見るのだ。余計なものに気をとられて振り返ってはならぬ。わかるな」
頭上では、ナトとガルズが激闘を繰り広げている。
リーナは唇を噛んで、「でも」と小さく声を出そうとして、けれど続く言葉がどうしても出てこない。
ガルズを自分の手で止める――その決意は揺るぎないものだけど、サイリウスが言った周囲の方を見ろという言葉も否定したく無かったからなのだろう。
リーナは私を見て、セリアック=ニアを見て、リールエルバを見て、離れたステージの上にいる歌姫を見た。
「割り切れ。その心は今日この場で捨て去るのだ。葬送とは元来その為にあるもの。過去への未練はあの空にでも置いてくるがいい」
サイリウスに答えを告げることができず、リーナは黙りこくってしまう。
その時、それまで沈黙を保っていた鰓耳の民の一人が立ち上がり、銛を勢いよく地に打ち付けて瞳を爛々と輝かせた。
「ちまちまと戦いやがって、邪魔くせぇんだよ、スピアちゃんの美声が聞こえねえだろうがクソども!」
鰓耳の民の目から放たれた光によって世界が凄まじい量の水で覆い尽くされる。虚空から押し寄せる波が貴賓席の周辺を消失させていく。
代わりに、見渡す限り一面の海という世界が広がる。
邪視者だ。それも、浄界が可能な第六階梯に到達している達人。
敵対者にしか影響力を及ぼさない仮想の大波がガルズに襲いかかり、更には空の民たちが邪視で捉えにくい不可視の大気を操作する呪術を一斉に放つ。
加えて、上空に回り込んでいたナトが鉤爪の付いた右腕を射出。
第一撃目をマリーが打ち払うが、跳ね返された先で直角に方向転換した腕が再び襲いかかり、左腕までもが射出されて二方向からマリーに迫る。
鰓耳の民の【波濤】、空の民の【螺旋】、ナトの【風蝕刃】が一斉にガルズを引き裂いていく。無数の脚でマリーを包み込んだガルズは邪視で【螺旋】を打ち消すことに成功しながらも、ナトの両腕に二本の脚と顔の一つを削り取られ、続く大波によって飲み込まれていく。
「愚か者めが」
小さく、サイリウスが呟いたのを私は聞いた。
そして私はその光景を見た。
ガルズの周囲で流動する融血呪が大波に、そして作り出された海そのものに溶け出し、逆に飲み込みつつあるのを。
小世界を浸食して体積を増していく融血呪は鋭い槍のようになると、そのまま術者へと突き進んでいく。
愕然とする鰓耳の民を一瞬で食らい尽くした融血呪は、強烈な輝きを放つとそのまま世界を漆黒の闇色に塗り替えていく。
「うっそでしょ、他人の浄界って乗っ取れんの?」
「というより、禁呪で融合したんだと思う――」
リールエルバが推測していた、呪術と呪術の融合。
自らの浄界に対抗して発動した他者の浄界をトライデントの内側に取り込んでしまうという、恐るべき使用方法。
あらゆる呪術に対して行使可能ならば【闇の静謐】すら超える最悪の対抗呪文になり得るが、空中に浮かぶ死人の蜘蛛は複数の頭を抑えながら苦痛の絶叫を上げている。
浄界という大呪術を同時に発動するという負荷にガルズはかろうじて耐えきったようだが、その消耗も激しい様子だ。
いつの間にか、広い会場は闇色の帳に包まれている。
天の御殿ごと浄界に取り込んだのか、逆さまの宮殿は変わらぬ威容のまま地上を睥睨し続けている。
その半透明の建造物を透過して、おぞましい月光が降り注ぐ。
天に輝く四つの月が、全て血のように赤い。
否――違う。実際に、血を零しているのだ。
空から溢れ出た血液が雨となって会場に降り注ぐ。
結界が観客席と舞台の真上で血の雨を遮るが、流れ落ちた血は大地に染み込んでいく。
やがて真下から血液が染み出し、赤い海面を上昇させていきながら異臭を立ち上らせる。
不気味さに悲鳴が上がり、歌姫のステージにも血の波が押し寄せていく。
だが――そのステージが中断されることは無い。
音響設備が異音を立てながら途切れるが、彼女は自らの歌に呪力を込め、些細な手の振りと歌とを組み合わせて呪文を発動し、会場の設備を強引に復活させる。
異常事態にも関わらず、高位の言語魔術師は己のやるべき事を一切迷わなかった。歌声が広がっていくと同時、会場の混乱は潮が引くように収まっていった。
「この二重浄界でその防御を突破してみせるぞ、サイリウス!」
「突然の窮地にも一切動じず、見事に立て直したか。流石よな――だが」
依然としてステージ上だけを見ていたサイリウスの瞳が、その時初めてガルズを見た。
闇が広がる中、頭上からこちらを見下ろす異形の蜘蛛。
その身体が、びくりと怯えたように後退る。
「完璧であったはずの舞台に傷を付けおったな。針も毒も持たぬ無害な虫と思い捨て置いたが――」
純白の翼そのものである耳が僅かにはためき、ふわりとサイリウスが浮かび上がる。その全身から、険呑極まりない気配。
図らずも不吉な空間にぴったりな、心を不安にさせるような不協和音が鳴り響いていく。咄嗟にリールエルバが誤情報を流した事で場の空気が和らいでいく。
展開された浄界はただの演出に過ぎない。
流石に疑問に思う者もいるはずだが、致命的な騒ぎになりさえしなければ大丈夫だろう。本来ならば避難させるべきなのかもしれないが、それはハルベルトの呪術儀式の失敗も意味している。
「【三叉路の染色分体】か――新曲が始まるまでに終わらせてくれよう。リーナよ、第五階層の状況をよく見ておけ。いずれお前にはあの地を任せる」
「えっ」
サイリウスは勢いよく飛翔すると、透明な結界を展開する。
貴賓席の上空にサイリウスとガルズ、マリーだけが隔離されたのだ。
あれでは最初からサイリウスだけを狙っている相手の思惑通り――だけど。
何というか、私にはどうしてもサイリウス・ゾラ・グロウサーが敗北する未来が想像できなかった。
複雑に入り乱れる音の羅列を背景音楽としながら、両者の戦いが始まった。
否――これから行われるのは戦闘などではなく。
一方的な、蹂躙である。
サイリウスは白い長衣をばさりと脱ぎ捨てると、上半身裸となった。老人とは思えぬ程の鍛え上げられた肉体。
流石に厚みはペイルの方が上だろうが、全身に無数に刻まれた裂傷は幾度も修羅場を潜った経験によるものか。
クロウサー家当主ともなれば、日常的に命を狙われる事も必然。
そして、護衛に頼らず独力で刺客を返り討ちにする力を有していることも当然。
老人は深く息を吐き出していき、握りしめた両の拳を顎の辺りまで持ってくる。
大気を蹴って飛翔すると、目にも留まらぬ速度でその拳が放たれる。
腰や体幹からの力を使わない、軽い速度を重視した拳打。
腕の瞬発力のみで両の拳を次々と連打していく。
当然のことながら速くはあるが重くは無い。ガルズにはさしたる痛手にはならないだろう。
そう思っていたのだが、次の瞬間その戦いを見ていた誰もが目を剥いた。
死人が集合して出来た蜘蛛の手足が、胴体が、拳の先端が触れる度に大きくへこんでいく。まるで鈍器で思い切り殴りつけたかのような衝撃。
サイリウスは鍛え上げているとはいえ老人である。
その上、空の民は序列第一位。つまり呪術の適性は高いが肉体的には夜の民と並んで最も脆弱である。
肉体的には最強の霊長類が数人混じっている死人の蜘蛛をあのように一方的に力ずくで圧倒するなど、普通に考えたらありえないことだ。
「質量操作呪術だよ。極限まで軽くした腕で加速して、接触した瞬間だけ質量を増大させて威力を高めているんだ。多分、あのペイルってムキムキな人より速くて重いんじゃないかな」
同じゾラの血族であるリーナにはサイリウスの戦闘技術が理解できているらしい。呪文を得意とするゾラは飛翔するとき、重力や慣性などの数値を書き換えているというが、それを戦闘に応用するとあのようなことが可能になるらしい。
サイリウスはしばらくそうした『軽い』打撃を繰り出し続けていたが、ガルズの上からマリーが振り下ろした槌を軽く回避すると、今度は腰の回転を使いながら右腕を真っ直ぐに放った。
その拳が、巨大化する。
あまりにもその腕の振りが速く、威圧感があった為に錯覚した――始めはそう思ったが違う。
巨大な拳がガルズとマリーをまとめて吹き飛ばし、サイリウスが維持している透明な結界の端に叩きつけられる。
振り抜いた腕は、肩の先から段々と太くなっており、拳部分はサイリウス自身よりも遙かに巨大だった。
「呪文による質量操作に邪視を重ねて、『自分の腕がこんなに重いのにこの大きさなのは直観に反する』っていう確信で腕を重量に相応しい大きさに変化させたんだ。信じられない、あそこまで巨大化させられるゾラはきっとお爺さまだけだよ」
リーナが驚愕する間にも、サイリウスはもう片方の腕までも巨大化させて真横に薙ぎ払う。
結界の壁と腕に押し潰されて全身の骨を砕き肉を削りながらガルズが引きずられていく。
かろうじて攻撃を回避し、腕の上に飛び乗って疾走するマリーを、サイリウスは翼の両耳を羽ばたかせながら一喝する。
「頭が高いわっ」
【空圧】が発動。不可視の衝撃波がマリーの小さな身体を正面から押し返した。
ガルズは空洞の眼窩から無数の【静謐】を発動して巨大な両腕を元の大きさに戻そうとするが、サイリウスはこれを完全に無視した。
通用していないのではない。
先程までの攻撃も、微動だにしていなかったが攻撃が命中した瞬間は確かに衣服や肉体が傷付いていたはずなのだ。
だがそれは一瞬にして復元してしまう。まるで見間違いであったかのように平然と浮遊し続けるサイリウスは、治癒の術を使っているわけではない。
その周囲を漂う大気が、勢いよくサイリウスの口に吸い込まれていく。
勢いよく膨れあがる老人の身体は、長身を通り越して巨躯と呼ぶべきものになっていた。その身長がペイルを上回り、単眼巨人を超え、ミルーニャの石像や樹木巨人に届き、最終的にはその倍、ちょうど転移門を潜れる程度の巨体となった。
伝承によれば、転移門の原型というのは古代文明を築き上げた巨人の王に大きさを合わせて作られたのだと言う。
透明な大気が青白く発光する半透明の身体が腕を組みながら足下のガルズとマリーを睥睨した。
第六階梯の邪視者は浄界を発動させ小さな世界を創造することができる。
そして第七階梯――通常の人間には不可能と言われている高みに到達した者は、人間という段階から【魂の位階】を引き上げる事が可能になる。
邪視を極め、世界を意のままに改変し、創造し、巨大な身体で矮小なる人間を見下ろす超越的存在。
古い時代、人々は彼らを神と呼んだ。
現代では巨人という最強の異獣として知られる彼らは、強すぎるがゆえに地上から排斥されたのだ。
異獣と人を隔てているものは沢山ある。
それはたとえば個体としての強さであり、排斥されない立場を有しているかどうかでもある。
各国の来賓の目の前で巨人としての姿を晒すサイリウスを排斥できる者はこの地上にはいない。
その実力が高みにある事もその理由の一つだが――私は擂り鉢状の会場のどこかに隠されているもう一つの貴賓席に思いを馳せる。
警備上の理由で一部の者にしかその位置が明かされていないそこで、央都アルセミアから来た王族や大司教といった要人がステージを観覧しているはずだ。
国王の妻はかつての名をユリアーナ・ゾラ・クロウサーといい、サイリウスの娘の一人である。
更には周辺諸国、遠く離れた東方の諸国家にもクロウサーの血は広く浸透している。葉脈のように複雑に広がった血を地上に張り巡らせている第一位のクロウサーを、誰も異獣だと言って排斥することはできない。
何故なら、彼らは異獣かどうかを決定し、誰を排斥するかどうかを判断する特権者たちだからだ。
巨人の拳が余りにもちっぽけな反逆者を殴り、振り回し、叩きつけ、巨大な手で握りしめる。
そのまま真下に見事な一投。
結界を突き破って広々とした貴賓席のサイリウスがいた場所に叩きつけられた死人の蜘蛛は、もはや全ての脚をもがれて損壊したただの肉塊だった。
続いてマリーもボロ切れのようになってその上に叩きつけられていく。
巨体を元の大きさに戻しながら、ゆっくりと舞い降りてくるサイリウス。
白い長衣を身に纏う彼は、息一つ乱していない。
恐るべきは、あんな巨体で暴れておきながら会場の誰にも気付かれないように欺瞞結界を維持するその技量だ。
サイリウスは戦闘をしながら、平行して結界内部の出来事を観客だけに見せないように情報操作呪術を発動していたのだ。
戦いの前からサイリウスを認識していた貴賓席の人間には見えたはずだが、それ以外の者にはサイリウスもガルズもマリーも認識できなかったに違いない。
サイリウスは冷酷な瞳で足下のガルズを見下ろしながら告げた。
「リーナよ。お前が殺せ」
「え」
呆然とした様子のリーナ。
彼女はきっと、それを覚悟してこの場に挑んだはず。
けれど、それは多分お互いに死力を尽くして戦った後の事で――こんな風に、余りにもあっけなく殺せとだけ言われても困惑するしかないのだと思う。
「過去を切り捨てて見せよ。お前の意思を、ゾラの血族としての決意を一族の者らに知らしめるのだ」
リーナは唇を噛んで、螺旋綴じのノートを手に取った。
ページを千切ることで発動する、使い捨ての自作魔導書。
その一枚でガルズを攻撃すれば、全てが終わる。
「その耳という障壁を乗り越える事は容易くないぞ。私は【空使い】を長子ではなく末子である娘の愛人の子、つまりお前に継がせた。お前こそが相応しいと信じたからこそだ。私の見立てが間違っていなかったということを見事証明して見せよ」
サイリウスが語る、私の知らないリーナの事情。
クロウサーという巨大な血族の中にいる彼女の気持ちは私にはわからない。
その『家』のおぞましさに追い詰められたガルズの苦しみも。
「――わかり、ました」
絞り出すような声。
ガルズを止める。その後はどうするのか。それをずっと訊ねる事ができなかった。罪を償うといっても、きっとガルズは間違い無く死刑になるだろう。
そして、彼は既に死亡しており、浄界によってかろうじて肉体を維持しているだけの動く死体でしかない。
リーナにできることは、苦しみに満ちた生を終わらせてあげることだけ。
彼女は顔面を蒼白にしながら、震える手でノートに手を伸ばす。
ページを千切るだけでいい。
そうすれば、彼女の戦いはようやく終わって、きっと新しい未来に向かって歩き出せるに違いないのだ。
なのに。
その為の第一歩が、どうしても踏み出せないというように、リーナはいつまでも固まっているだけ。
サイリウスは無言のままリーナを睨み付けている。
息の詰まるような時間がただただ過ぎていき、いつしか歌姫Spearの待望の新曲が発表され、会場の盛り上がりは最高潮に達していた。
「休憩まで待とう。それまでに覚悟を決めない場合、私が処刑する」
サイリウスはそれだけ言うと、【月明かりメモリー】の叙情的な歌詞に合わせた淡い黄色の呪術灯を取り出して振り始める。
そしてリーナに残された猶予は歌という明白な尺度によって目に見えて――否、音に聞こえて減少していく。
【心の迷宮】、【春色カレイドスコープ】、【手を取り合って】――次々にプログラムを消化していく。
そして前半最後の曲【鏡越しのマリアージュ】が始まる。
その時リールエルバから状況の報告がされる。
リーナの様子とステージが気になって私が目を離していた間に、第五階層でも状況の変化があったらしい。
リールエルバによると、アキラは一時劣勢になったがトリシューラの援護によって持ち直したとのことだ。決定的な一撃を放ったことにより、ほぼ状況は決したとのこと。
『その戦いの様子がちょっと凄くてね――アストラルネットでは、まるで松明の騎士ソルダ・アーニスタのような戦い振りだとちょっとした騒ぎになっているわ。まあ、とりあえずあっちはもう大丈夫そう。いい加減疲れたから私はちょっと休みたいわぁ』
無理もない。リールエルバは高度な呪文を並列して幾つも使用しながら【心話】まで使って私に状況を伝えてくれていたのだ。
私が礼を述べると、リールエルバは半透明の身体をぐったりとさせてセリアック=ニアに後ろから抱きついた。
戦いは終わる。
地上でも第五階層でも、無慈悲に残酷に、余りにあっけなく命が消えていく。
やがて歌が終わり、この上なく盛り上がった観衆は、前半の終了と休憩の告知を聞いて残念がりながらも満足した表情で後半の開始を待ち望む。
そしてリーナは。
「お爺さま、マリーを、マリーだけでも第五階層に逃がしてあげる事はできませんか。彼女はまだ生きています。だから――」
「ならぬ」
サイリウスは呪術灯を袖口にしまうと、ゆっくりと振り返った。
威圧するようにリーナの前に移動すると、厳かに言い放つ。
「リーナ。お前は地上の秩序というものを理解しておらぬようだ。我々クロウサーという特別な存在の振る舞いがどのようにあるべきか――それを、見せてやろう」
サイリウスはガルズとマリーをそれぞれ片手で掴む。軽々と(質量操作で実際に軽くしているのかもしれない)持ち上げると、そのまま浮遊していく。
「待って、待ってよ、お爺さま!」
戸惑いながら制止する声を無視しながら、クロウサー家の当主は舞台の上に降り立った。舞台から捌けようとしていた歌姫が擂り鉢の出入り口で驚いて立ち止まる。状況が掴めていないのだろう。
サイリウスは異形の肉塊とマリーを浮遊させ、更には指を鳴らすと二人の拡大映像がその場にいる全員に見えるように会場の上方を浮遊する積層鏡に映し出される。そのおぞましさに、悲鳴や嫌悪に満ちた声が上がった。
「私はクロウサー家当主、サイリウス・ゾラ・クロウサー。不躾にも騒ぎを持ち込んだ事は本意ではありませぬが、この場にいる全ての方々にはこれから行われる決定に関わる権利がございます」
サイリウスは翼耳によって声を拡大しながら会場全体に響き渡るように叫ぶ。
それから、二人が会場を襲撃し、罪もない人々の命を奪おうと企んでいたテロリストであることを説明する。
それだけではない。
ガルズの素性、つまりクロウサー家の一員であるということまで明かし、血族内部の勢力争いによって陥れられたという過去、その為に地上に復讐を誓った悲劇的な人物であるのだと語っていく。
どこかで小さく、「かわいそう」という声が上がった。つられるようにして、同情の声が次々と上がる。
「これも全ては身内の愚行を止められなかったこの老いぼれの力不足ゆえ――せめて己の手で捕らえ、松明の騎士団に引き渡すべきかとも考えました。しかし既にその身を生ける死体と化してしまったこの者は、絶え間ない苦痛に苛まされ続けているのです。いずれ力尽きて死ぬことが決まり切った肉体を、復讐の一念のみで動かし続けるのみ。私は悩みました。私にとって一族の者は孫も当然。情に従って楽にしてやるべきか、それとも法に従って引き渡すべきか――だが引き渡した途端に死んでしまうやもしれぬ。それともまた再び息を吹き返して牙を剥くやもしれぬ」
感情を込めて声を張り上げる老人の顔が鏡に映し出される。深い悲しみに包まれた老人の表情はくしゃくしゃに歪み、瞳は憂いに揺れていた。
「そこで気付いたのです。何の咎も無いというのに、我々の愚かさに巻き込まれてしまった皆様方――この会場にいる一人一人にこそ、この者の処遇を決定する権利があるのだと! この者を楽にしてやるべきか、それとも法に従って苦しめるべきか――どうかこの愚かな老いぼれに、その意思を聞かせては貰えないでしょうか」
サイリウスの拡大された声にはどこか魔性の響きが感じられた。情感豊かな言葉は会場に浸透して同情を引き出していくと共に、提示された選択肢と組み合わさって思考の方向性を誘導していく。
関係の無い自分たちの命を狙っていた、悲劇的な過去を持つテロリスト。
死ぬのはどちらの選択肢でも時間の問題で、あるいは隙を見てまた自分たちに襲いかかってくるかもしれない。
最初は小さく、ぽつりぽつりと上がっていた声が、次第にその数を増していく。
「かわいそうだねー」「見て、とても苦しそう」「あんな姿になってまで」「もう楽にしてやった方がいいんじゃないのか」「いや、ちゃんと逮捕して裁判にかけるべきだろ」「だからその前に死ぬってよ」「責任とれよジジイ」「やめなよ可哀想だよ」「悲しいけど地上ではよくあることだもんね」「許されるわけではないが、同情の余地はあるな」「楽にしてやるべきだ」「仕方無いよね」「かわいそう」「かわいそう」「かわいそう」「かわいそう」「かわいそう」
――例えば。
これが自分たちの命を狙った邪悪なテロリストを晒し上げ、全員で殺せと大合唱して処刑する――というような流れであったならば、私はまだ感情の行き場をどうにか用意できた。
けれど、これは。
「何、何なの、これ――」
リーナが震えながらその光景を凝視する。
多くの人に死を望まれるガルズ――それは彼のとった行動の結果として十分にあり得る結末だったが、サイリウスによってその性質は色合いを変えた。
哀れみと同情によって、求められる死には意味付けが行われていた。
ガルズの主張するようなただ空虚なだけの死ではなく――『仕方無く』『慈悲としての』『正しい』といった性質を持った死への変化。
それは呪文――私が物語を利用してキロンを陥れたことに対する言い訳にも似た、綺麗な死。
あるいはそれは、葬送式典という華やかさに彩られた死の祭典に相応しいのかもしれなかった。
それは憎しみではない。
同情、共感、悼み――命が終わるということに対する人の感情。
ありふれた、ごく自然な心性。
「――感謝します。無関係の者を傷つけようとした罪人に対して示された皆様の優しさに、私は深い尊敬を覚えずにはいられない」
サイリウスははらはらと涙を零し、感謝の言葉を述べていく。
そうしながら、彼の目の前に巨大な呪力が収束していく。
渦巻く風は圧縮されていき、弾丸として解き放たれる瞬間を待ち望む。
「ありがとう、ありがとう――皆様方の慈悲に感謝します。この者の罪深き魂が、どうか天の御殿にて浄化されんことを」
サイリウスはリーナに地上の秩序、クロウサーの振る舞いを見せると言った。
私はそれを、槍神教の恐怖による支配、上から抑え付けることによって従わせるようなことか、あるいは殺せ、奪え、勝ち取れという霊性複合体や複合巨大企業群の利潤だけを追求していく精神に関係したことだとばかり思っていた。
けれど、あの老人がリーナに教えようとしていたのはそんな単純なことではなかった。
あれは、そういったものよりもずっと言い訳がきかない、何か別のもの。
人間の本性。
善とか悪とかを超えて、高みから生物の活動を見下ろして観察するような、冷たく無機質な瞳。
感情が込められているはずの老人の瞳の奥に、どうしてかいい知れない恐怖を感じた。
サイリウスは振り返り、大仰に手を振って風の弾丸を解き放つ。
リーナが悲鳴を上げて、肉塊が弾け飛び、夜闇の浄界が軋んでいく。
天上で四つの赤い月に罅が入っていく。
それと連動するかのように、ガルズは今度こそ完全な死を迎えていた。
多分サイリウスはこういう所の詰めを誤ったりはしない。
完璧に計算して、完全な結果をもたらす。
老人の呪術は死体だけではなく死体を操作する魂を打ち砕き、今度こそガルズに復活を許さない死を与えたのだ。
全てが終わってしまった。
リーナがふらついて、後ろからセリアック=ニアがそれを支えた。
震えながら縋り付くリーナの頭を、セリアック=ニアは何も言わずにそっと撫でる。私もリールエルバも何も言えず、ただその場には沈黙が落ちる。
「老いたわね、サイリウス」
ひどく冷ややかな声が響く。
何事かと思って振り返ると、そこにあったのは兎たちが運んでいた駕籠。
御簾の奥にいて姿の見えない女性が、落胆したような口調で呟いていた。
「あの程度の罠にかかるとは――いえ、術者の捨て身の覚悟をこそ褒めるべきなのかしらね。拙いけれど、力強さは本物みたいだし」
「あの、何を」
「死には応報――加害者には被害者の報いを。自爆して道連れなんて、テロリストとしてはむしろありがちな手法。よく見なさい、アズーリア・ヘレゼクシュ」
私は舞台の上を見て、そして慄然とした。
未だ崩壊していない浄界の闇空の下、屍を晒す肉塊。
その肉塊の中に同化して、苦痛と恐怖に顔を歪めながらサイリウス・ゾラ・クロウサーが蠢いていた。
「え?」
蠢く肉塊の中に囚われて、余りにも強大に見えた老人は哀れみを誘う声を上げながら捕食されていく。
死体の中に取り込まれ、霊体を喰われ肉体を取り込まれ肉塊の一部となっていく。その口が、ガルズの名を何度も呼ぶ。
何だっけ。
私は、これに似た光景を見たことがある。
第五階層。エスフェイルと交戦し、全員が散り散りになって、アキラと最初に再会したあの時だ。
エスフェイルを罠にかけて殺害することに成功したカインは、相手の死の呪いによって肉体を狼の胴体に同化させられて、初期化された戦闘用哲学的ゾンビになりかけていた。
どうして、あの時の事を思い出したんだろう。
サイリウスが絶叫と共に肉塊に飲み込まれた。
そしてゆっくりと浮遊した肉塊は、周囲から大量の大気を吸い込んで凄まじい風の渦を作り出す。
マリーもまたその中に吸い込まれていき、肉塊は大気を取り込んでさらに膨張し続ける。
まるでサイリウスが巨人となった時のように。
膨れあがったそれは屍肉と半透明の大気が混在した斑の巨人とでも言うべきものだった。実体と非実体の怪物はサイリウスの巨人形態よりも更に巨大化し、そのまま浮遊する積層鏡を透過して上昇し、長大な手を天に伸ばした。
その腕が、逆さまの天の御殿に届く。
「何をしているんでしょうね、あれは。いかに優れた死霊使いであっても、天の御殿に記録された死の履歴を全て参照することはできない。目当ての死者でもいるのかしら――この包囲された状況を覆せるような」
女性の声で気付いた。修道騎士の一団が巨人の方に向かいつつあった。
そして、リーナもまた箒を手に飛び上がろうとしているのに気付き、私は走りながら叫ぶ。
「私も行く!」
セリアック=ニアとリールエルバを放置するのはどうかとも思ったが、セリアック=ニアは背後の巨大な肉の球をつんつんとつつきながらそっぽを向いて、リールエルバは手で行くように促している。
ごめんなさいと小さく謝って、私はこの前のように箒に乗る。
リーナは私が目の前に座ったことを確認すると、一切間を置かず浮遊、飛翔して最大限に加速した。
空に向かって飛翔したあの時のように、私たちはあっという間に会場の中心、巨人が手を伸ばす天の御殿の近くまでやってくる。
速度を落として周囲を回っていく。すると、リーナがそれに気付いた。
「アズーリア、あれって」
リーナが指差す先にそれはあった。巨人の掌と比べるととてもちっぽけな、しかし途轍もない呪力を放散しながらひとりでに項がめくられていく黒い魔導書。
「【死人の森の断章】――この時の為に、温存していたんだ」
「やあ、遅かったじゃないか、リーナ、アズーリア」
どこからともなく響く、ガルズの声。
大気そのものが震えているのは、今や彼が大気と同化した存在だからだろうか。
サイリウスと同化することで殺害し、死人として浄界で操作するという強引な手段によって、ガルズは一時的に死した巨人となっていた。
「両者の相似に基づいて――殺された瞬間に、殺人者を身の内に取り込む。魔将エスフェイルの道連れ呪術だ。君は良く知っているはずだ。何しろ君が詳細にこの魔導書に記録してくれたのだから。それだけじゃない、槍神教にも報告し、その情報は修道騎士の間で共有された。二度と同じ事を繰り返さない為に」
やはり、ガルズが使ったのはエスフェイルと同じ呪術だったのだ。
でも、どうやってそれを知ったのだろう。
偶然? いいや、サイリウスは正面から倒すには強すぎた。最初からこうする計画だったとしか考えられない。
私は彼が無謀な第六階層への攻略に赴く遠因を作ってしまった。
もしかしたら彼はそのことで私について調べて――そうしていく内にこの呪術の存在を知り、この計画を思いついたのだろうか。
本来ならば絶対に不可能なはずの、サイリウスの殺害。
それを実行する為に。
「【死人の森の断章】にはその時の描写がしっかりと記されていた。君はその呪術で返り討ちにされないように、きちんと解析して解体したね――その記録は、解析の補助に使用されたこの魔導書に詳細に残っていたよ」
私がエスフェイルを【静謐】で解体したことが、結果的に彼と【骨組みの花】を追い詰め、今は助けになってしまっている。これほどの皮肉があるだろうか。
「僕は夜の民のように影だけ分離させることはできないが――これでサイリウスは死んだわけだ。君もまた一度死んでいる。生贄はこれで十三人揃った!」
「何を馬鹿な! ハルベルトなら生きて」
「何を言っている? 知らないなハルベルトなんて。僕が名簿に載せた名前は歌姫Spearだ。知ってるかな、かの歌姫の最初の名は『カタルマリーナ』というのさ。不吉だと言われて炎上しただけで一度消えてしまったから、知らないのも無理はないかもしれないけど、僕はカタルマリーナ時代の彼女の歌も好きだったよ」
ぞっとした。
私以外にもあの頃の歌姫を知っている人がいた。
そのことは、普段だったら嬉しくなることのはずだけれど。
それは、私が詭弁を弄した時の裏返し。
「そして、歌姫なら殺したじゃないか――僕らが力を合わせてね」
歌姫Spearは歌姫カタルマリーナ。
そして、私たちは確かにパレルノ山で【死の囀り】カタルマリーナを殺害した。
それらは厳密には違うものだ。
けれど、言葉の上で少しずつ繋がったイメージが、微かな繋がりによって一つの形を生み出してしまう。
「屍の階段はここに積み上げられた――締め括りはこの上なく理想的な公開処刑! 貴賓席の人間だけでもよかったんだけど、まさかここまで完璧な処刑になるとはね。まったく上手く行きすぎて怖いくらいだ!」
実体の無い天の御殿内部に入り込んだ巨大な腕、その掌の上で魔導書が一際強い光を放った。
何かが始まろうとしている。
私は槌矛から光を伸ばして魔導書を奪い取ろうとするが、荒れ狂う暴風と天の御殿から放出される呪力の嵐によって拘束帯は弾き返されてしまう。
「ガルズ! この馬鹿! こんなことして、何になるんだよっ」
リーナの悲痛な叫びには一切頓着することなく、ガルズはただひたすら愉快でたまらないというように哄笑する。
「十三段目――ここが僕の処刑台にして新たな旅立ちの為の入り口だ!」
天の御殿が鳴動する。
夜空が歪曲し、四つの赤い月がぐるぐると空を巡り、大地からは血の海の代わりに大量の死者が這いだしてくる。
腐った身体でただ目の前の動くものに襲いかかることだけを考える死者。
そして天空には無数の霊魂――半透明の浮遊霊たちが乱舞する。
十三の光が魔導書から放たれ、一つは巨人の方へ、残り十二は全て天の御殿に飲み込まれていく。
そして、十二の生贄が生み出した呪力に導かれ、想定しうる限り最悪の災厄が出現する。
魂を逆流させて大量死を引き起こす、あるいは死者の軍勢を従える。
どちらの状況でも対抗できるように、松明の騎士団はそれらに対する備えをしていた。もし起こってしまっても迅速に対応できるように作られた指示書は頭に叩き込んである。
だが、そんな想像はあまりにも楽観的だったのだと、私は理解する。
「さあ、死の舞踏を始めよう!」
大気が圧縮し、巨人を取り込んだガルズは新たな肉体を得て復活する。
実体を持った、ごく普通の空の民――いや、以前とは違う。
その身体に抱きしめられていたマリーが顔を赤らめたことに気付いて、ガルズは優しげに微笑んだ。
裸の肉体が泡立ちながら溶けたかと思うと、瞬時に皮膚が盛り上がって衣服を形成する。
漆黒の長衣に同色の魔導書を持ったガルズの周囲を、無数の呪力の泡が浮かんでは消える。
そのイメージが、ひとつの名前を連想させる。
泡沫のハザーリャ。
既視感があったのも当然だ。
ガルズの雰囲気の変化は、二つの加護を同時に使いこなすハルベルトにそっくりだったのだ。
天の御殿から舞い降りる死霊と虚空に浮かび上がる泡がガルズの周囲に浮かぶ。
死霊と泡が接触すると、死霊は実体を持った存在となり、確かな形でこの世に甦っていく。
再生者――甦った者。
失われた十三番目の眷族種。
そして、次々と復活していく再生者たちが浮遊する巨大な積層鏡の上に降り立っていく。
六角形の床面に並ぶ異形の中で、見覚えのある影は一つ。その他は松明の騎士団が共有する映像記憶でしか見たことが無い。
聞き覚えのある、不快な声が私を貫いた。
「く、はははははは! ああ、よもやこのような機会が死後に訪れようとは! 久しいな狂信者ぁ、貴様を殺す為、天の頂から甦ってきたぞ!!」
「嘘、でしょう」
ぴんと立った三角の耳、その威圧感に反して小さな身体、茶色の毛皮。
そして、影と繋がった闇色の脚。
「エス、フェイル――」
天の御殿に刻まれた死の記憶。
そこから甦る、これまで倒されてきた十二の魔将。
殺すこと無く地上側に取り込んで寄生異獣にされた第一から第三魔将の姿は無い。死んでいないのだから、死霊使いに操れないのは当然だ。
死体を寄生異獣として利用しているかどうかは関係が無い。
天の御殿は死を観測し、記録し、保存するだけのシステムだ。
私が存在を否定されただけで一度死んだように、肉体とは関係なく死は訪れる。
「さあ、存分に暴れるがいい終末の獣たちよ。僕はここで、君たちの存在を完璧に維持してあげようじゃないか」
ガルズの言葉に各々は鼻を鳴らしたり舌打ちをしたりするが――逆らおうとする様子はまるでない。
ただ、再び得た生で地上との戦いを――地獄のための戦いをまた始められるという歓喜だけがそこにあった。
第四魔将、万殺鬼アインノーラ。牽牛種の将。
第五魔将、銀霊サジェリミーナ。銀霊種の将。
第六魔将、石喰いのベフォニス。岩肌種の将。
第七魔将、楽想のアケルグリュス。有翼人魚種の姫君。
第八魔将、優美に泳ぐ蝶ハルハハール。闇妖精種の将。
第九魔将、賛同のピッチャールー。旧世界の古代兵器。
第十魔将、三つ首の番犬サイザクタート。虹犬種の将。
第十一魔将、光の幻姿ユネクティア。幻姿霊種の将。
第十三魔将、朱大公クエスドレム。ジャッフハリムの王族たる色号使い。
第十四魔将、痩せた黒蜥蜴ダエモデク。黒蜥蜴人の将。
第十五魔将、闇の脚エスフェイル。人狼種の将。
――そして第十二魔将、網膜を灼く稲妻ズタークスターク。
エルネトモランの真下にある地獄の帝都ジャッフハリム。
そこから遙か北に存在する別の世界槍で、地上の北辺帝国と熾烈な争いを繰り広げている地底都市ザドーナ。
哲学的ゾンビたちの軍勢たる方舟軍を統べる冥王の一人は、劣勢のジャッフハリムに援軍を派兵した。
その天才的頭脳で地上の北辺帝国に快勝を続ける最強の冥王アリスの名はこのエルネトモランにも轟いている。
正式な名を【賢天主】言理の魔女。
その身体を恐るべき稲妻の呪文によって再現した、自律型仮想使い魔。
人の形をとった雷光の魔女が、天空で莫大な呪力を放出しながら覚醒する。
史上最悪の大魔将。
かつてたった一人で松明の騎士団を壊滅寸前にまで追い込んだ最強最悪の怪物。
死霊使いが嗤い、十二の凶獣が復活の雄叫びを上げる。
その日。
エルネトモランに、天より十三の災いが降臨した。
これより地上は闇に包まれ、未曾有の絶望が終末をもたらす。
天に最も近い場所で繰り広げられる狂乱の宴。
偽りの夜が明けることはなく、血色の月光がただ空虚な死を照らしていく。
夜明けは来ない。
今はまだ。
ディスペータお姉様による『あとでテストに出ますからね』コーナー
「はい、ボスラッシュですよー♪
というわけで今回からは『倒した記憶が無いのに恨み骨髄で襲いかかってこられて困る』という状況をなんとかするべく魔将紹介をしちゃいます。
といっても見た目もまだ良く分からないと誰が誰だか分からないでしょうし――まずは倒されていない一から三までをおさらいしておきましょうか」
「まずは第一魔将。言理の妖精でお馴染みのエル・ア・フィリス。出現した経緯は皆さんご存じでしょうから今更説明する必要もありませんね――ふふふふ。そうそう、実は地上に現れたのは一番目じゃなかったりします」
「第二魔将は変異獣モルゾワーネス。何にでも変身できてしまう一種の生体兵器で、ソルダの機転によってクラッキングされて今はフラベウファという少女になっています。妹と同じ名前なのは何か秘密があるみたいですね」
「第三魔将は破壊と再生のヴェイフレイ。とっても強かったんですが、ちょっとお馬鹿さんだったせいでソルダに言いくるめられた挙げ句聖遺物の中に封印されてしまって――今ではいいように使われているみたいです。ちょっと可哀想かしら? 新しく『フォグラント』という初代松明の騎士の名前を付けられているみたいですね。コルセスカの『使い手』だったと言われていますけど――どんな人だったのかしら?」
「今回はここまでですよー。一気に名前が増えて大変なので、次回は冒頭に簡単な名簿を作っておきましょうか。それではまた次回」




