幕間 『幻想再起のイリュージョニスト』
松明の騎士たちの視界映像は呪動装甲もしくは寄生異獣を制御する金鎖によって記録されている。それは金鎖システム上で共有され、エルネトモランの本部へと送信されることになっていた。この辺りは呪波汚染帯ゆえに即時に届くことはないが、それでもアズーリア、メイファーラ、ペイル、ナト、イルスの五名がこの夜に体験した事はこの一帯から出た瞬間に松明の騎士団と大神院の知るところになるだろう。
言語魔術師ハルベルトがそれを妨げなければの話だが。
死闘の後。その夜に起きた記録の欺瞞を激戦と平行して行っていた彼女は、五重の改竄処理を一括して管理実行している。ゆえに作業が繁雑になることなく、戦闘に集中することができたのだが、それでも『重い』ことは確かだ。呪文詠唱の閃きが今ひとつだったことは否定できない。普段なら霊感によって詩情が降りてきて、適当な即興詩の一つでも組み込んで『遊ぶ』のだが、それすらできなかった。
年上の古馴染みの挑戦に対して、全力でぶつかってあげられなかったことを少しだけ申し訳無く思う。決して馴れ合うだけの関係ではなく、敵とも呼べる関係だが――それだけというわけでもなかったからだ。すぐにハルベルトは思考を切り替えた。それはそれ。アズーリアとメイファーラは問題ないとして、三人組をどう言いくるめようか。
さしあたって、メートリアンの処遇をどうしようか。
元々松明の騎士団とは無関係に起きた出来事である。勝負もまた勝手な私闘に過ぎず、勝手に探索をして勝手に探索者と揉めた、で片がつく話ではある。
問題はティリビナの民の処遇と、イルスの治療で一命を取り留めたものの重傷を負った二人の修道騎士に関してである。
ハルベルトはあまり事を深刻に考えていなかった。どうにでもできる。
ティリビナの民とは松明の騎士団に所属する以上何らかの対処をしなければならない。しかし、自分は智神の盾の一員でもある。その上、星見の塔から招聘された部外者だ。槍神教に邪神と見なされているハルベルトがその内側にいることを許されている時点で、そのおぞましき聖絶の理は絶対では無いのだ。
自分にしか出来ない解決方法がある。
いずれにせよプリエステラと出会ってしまった以上、もう知らぬふりは出来ないのである。メートリアン共々、どうにかしてやろうとハルベルトは決定した。
そして三人の男たち。あれは中々に面白い。このまま放り出すのもつまらない。資質もあるようだし、使えるようなら自らの勢力に取り込んでしまうのもいい。この訓練で彼らはアズーリアを良く刺激してくれた。ペイルには近接戦闘の訓練相手をさせてもいい。ナトは物質的な四肢と三本足を失ったが、それゆえにあれは化けるだろう。
茶番の訓練――メートリアンに当初絡ませる予定だった茶番用の競争相手はメイファーラであった。脳天気な素を丸出しにした絡み方で、そのあまりの大根役者ぶりに大丈夫なのかとメートリアン共々打ち合わせをしながら不安に感じていた為、予定外に現れて本当に絡んできたペイルは中々の掘り出し物だった。その後に現れたナトとイルスについても、偶然とは思えぬ程に面白い人材。
そう、イルスだ。
彼とプリエステラがここに居合わせたのは、果たしてどのような運命の導きによるものなのだろうか。
ハルベルトは振り返った。連れてこられたイルスは、覚悟を決めた表情で唇を引き結んでいる。
「言い訳をするつもりはない。覚悟は既に決めている。露見していると思ったがゆえに、あのような身の上話をしたのだ。後悔無く逝けるようにな」
死を覚悟した表情で黒檀の民の男は言った。
目の前に立つ黒衣の異端審問官。その役割は身内専門の処刑人である。
「異教徒の異端審問官――松明の騎士団の内側に巣くう病根を駆逐する最も容赦なき掃除屋。我々のような異質な外敵を理解できるがゆえに、誰よりも効率的に異端を狩ることができる恐怖の体現者」
畏れと共に吐き出された言葉に対して、ハルベルトは静かに息を吐いて否定を返す。
「あなたは異端というより異教徒。ハルの本来の役割からは外れる」
「何――?」
自らが異教徒であることを認めたイルスは、僅かに目を見開いた。
ハルベルトは静かに言葉を続けた。
「亜大陸独立戦線、精霊再生協会、緑の同胞団――槍神教内部に深く浸透しているテロリストや企業の密偵、下方勢力の工作員や諜報員の存在は星見の塔や大神院も把握している。知っていて放置しているの」
「まさか、そんな」
「取るに足らない――ううん。そもそも、そういう秩序を維持するための判断力は大神院からは失われている」
体制批判じみた危険な発言――しかし、ハルベルトの牙は内側にこそ向けられるべきものだ。監査の魔女。その黒玉の瞳は何を見据えているのか。
「異教徒の異端審問官――その役割は、槍神教の内部を監査して組織の歪みを修整すること。異端と見定めたものを解体し、再構築すること」
「俺は明らかに槍神教の内側に巣くう病巣だ。その俺を見逃すと貴方は言う。では一体何を異端と見定めているのだ」
問いに、魔女の異端審問官はあるかなきかの微笑を浮かべた。認識を妨害する呪術によってフードの内側はイルスには見えなかったが――しかし凄艶な美しさの直観だけが認識を超えて彼を陶然とさせた。
月の下で、黒い麗人は目に映らずともただ美しい。闇の中に美を湛えて、ハルベルトは歌うように言葉を紡ぐ。
「ハルは異端を見つけた――歪み、曲がり、手段が自己目的化を繰り返し、信仰という呪術基盤が果たすべき本来の機能を見失った、暴走する空虚な中枢部」
「それは――」
まさか。イルスは息を飲んだ。
それは、天に刃を向けるかの如き意思だった。
大神院。槍神教、いや地上世界そのものとも言える最高の権威を、彼女は異端だと言ったのか。彼女が裁くべき異端が正統そのものであるならば、それは異端そのものの肯定ということになる。
否――異教徒の異端審問官。その在り方としては、この上なく正しいのかも知れない。しかし、槍神教に認められその敵を裁く身でありながら、その存在そのものを問い直す――あるいは破壊するような意思を持つ彼女は、余りにも異質に過ぎた。無論、内部に潜入した抵抗運動者であるイルスが言えた事でもないが。
「貴方は一体――」
「ハルは、この不毛な争いを――人にかけられた呪いを解きたいの」
「呪い――?」
「兎は【神々の図書館】のデータベースを管理し、世界の言語秩序を維持する種族。その王族であるハルが果たさなければならない使命は一つ」
月を見上げながらハルベルトは呟いた。第四衛星、太陰。散らばった無数の言語を集積したデータベース。その管理中枢。世界の意思を伝える媒介記号が集う場所。混沌の中の秩序。
月下には争いが絶えず、異質なものを排除し、峻別し、序列化し、否定し、そして誤解と偏見が積み重なって埋めようのない隔絶が深く深く横たわる。
それは地上と地獄のように。
その架け橋たる世界槍の内部で、血みどろの闘争が繰り返されているように。
言語支配者たちが打ち立てた絶対言語という理性は失われた。旧世界の崩壊で科学文明を唯一絶対とする杖の秩序は失われた。繰り返す愚かさの歴史の中で進歩史観は失われた。奪え、殺せ、勝ち取れ。野蛮へと絶え間なく後退し、停滞し続けることを人類は選択した。そうして、停滞の中で利益を貪り延命を続ける。革新や前進の意思は巨大な構造に圧殺される。終わりのない消費の螺旋の中で、世界は緩慢に死んでいく。
「【絶対言語】の再生。引き裂かれた言葉と意思を、再び繋いで語り直す」
高位の呪文使いである言語魔術師にはその先がある。
言語支配者。神話の時代に存在した言語魔術の王。
彼らが築き上げた【心話】の原型たる【絶対言語】は完全な言語であるという。伝承のみにその存在が示唆されているそれは、呪文の究極の形である。
失われた神秘。それを再びこの世界に取り戻すのだと、ハルベルトは宣言したのだ。
「そんなことが本当に――? いや、そもそもそんなことをしてまで、貴方は一体何がしたいのだ? 何が目的で」
「世界平和」
イルスは唖然とした。目を見開いて、口を開く。彼がこのような間の抜けた表情をするのは極めて珍しいことであった。しかし無理もない。ハルベルトの発言はあまりにも。
「ハルは、世界を救いたいの」
月明かりの下で、漆黒の闇がわだかまる。
だがそれはおぞましい醜悪さではない。恐怖と畏怖を秘め隠しながらも、未知の驚異と神秘を内包した、幻想という名の美しさである。
夜明けはまだ遠い。あとどれだけの言葉を重ねたとて、朝の光は世界槍には届かないだろう。そして朝が来てもなお、悪夢のような争いの渦は終わらないのだ。
だがそれには留保がつく。
今はまだ、という。
ミルーニャとお呼び下さい、と白い少女は呟いた。
「メートリアンであることを捨てる気はありません。けれど、ミルーニャであることを否定する気もなくなりました。だから、今までのようにミルーニャとお呼び下さい。それに魔女としての名は『宣名』するときの為に秘め隠しておきたいですし」
私を掌の上に載せながら、ミルーニャは静かに告げた。その表情からは憑きものが落ちたように陰が消えている。幼げな表情が、少しだけ大人びている様な気がした。
影の世界から帰還してすぐに、私とミルーニャは身を隠した。気を失ったままのティリビナの民たちや負傷した二人の救護はハルベルトとイルスに任せ、少し離れた森の中に移動したのである。理由は無論、
「綺麗さっぱり負けちゃいましたし、潔くアズーリア様に従います。煮るなり焼くなり好きにして下さい」
「じゃあ、とりあえずこっちに来てこれからのことを話し合おう」
ミルーニャのしでかしたことは、探索者とティリビナの民が本来敵対しているとはいえ大事だし、その上修道騎士にまで敵対してしまっている。捕縛されてその場で処刑されることもあり得た。そして、私はそれを望んでいない。
だがどうすれば事を上手く収められるだろうか。ミルーニャは多くの人を傷つけた。私がそれを許しても、他の皆が許さなければ万事解決とはいかないのだ。
「ミルーニャは最低な裏切りをしましたからね。まあ殺されても文句は言えないと思っています」
「嫌。そんなことはさせない」
「はい、ミルーニャも嫌です。ミルーニャは、私は死にたくありません」
祝福が失われても、その髪色は白く、虹彩は赤いままだ。それは彼女の消えない傷痕なのかもしれなかった。瞳が揺れて、そっと呟く。
「貴方が教えてくれたから。だから、生きていたいです。普通に生きて死んで――それで、一杯長生きして、普通に歳を重ねて、できれば幸せに死にたい。そんな幸福を与えてくれたアズーリア様に、精一杯の恩返しがしたい」
私は何と言って良いものか迷って、そのまま無言で俯いた。何を言っても間違うような気がしたからだ。ミルーニャはそんな私を見て、そっと掌を顔に近づけた。縮んでしまった身体で見上げると幼い少女の外見もとても大きく見える。
「ありがとう。貴方は本当に英雄でした。小さくて素敵な、ミルーニャの勇者様」
そっと、その柔らかな頬に近づいた。寄り添うように、頬ずりするように、ミルーニャは小さくなった私の傍で目を閉じていた。
妙案は浮かばない。
メイファーラから伝わってきた感情は、自らが最悪の裏切りを受けたにも関わらず優しい心配と同情だった。瀕死の状態でなお、彼女はミルーニャの過去を悲しんでいた。彼女の接触感応能力は、その共感能力の高さゆえなのかもしれない。どこまでも優しい彼女は、きっとミルーニャを笑って許すだろう。確信があった。
プリエステラはミルーニャとわかり合おうとしていた。彼女が許せばきっとティリビナの民も強くは非難してこないだろう――そんな醜い打算もある。それでミルーニャを守れるなら醜くても卑しくても構わないと思えた。
問題は三人の修道騎士たちだ。イルスの治療によって一命は取り留めたようだったが、あれほどの大怪我をさせてしまったミルーニャと彼らがわかり合うのは絶対に不可能に思える。ほとんど敵対していたとはいえ、謝罪や償い、罪滅ぼしをしなければとも思う。ミルーニャを会わせて何かあってもいけないし、私にできることがあればいいのだが。といっても私と彼らはあまり仲が良くない、というか険悪である。
そういえば、勝負の結果はどうなるんだろう。今更と言えば今更である。勝負どころでは無くなってしまったわけだし、中断が妥当だろうか。
私はしばらく悩んだ挙げ句、決断を放棄した。
ハルベルトに相談しよう。
頼りになる私の師匠。彼女と話せば、きっといい考えも思い浮かぶだろう。何と言っても、彼女はいつだって私の危機に駆けつけてきてくれる。
ミルーニャは私の事を英雄だと言ってくれた。少しこそばゆい呼ばれ方。ならば、私にとっての英雄はきっとハルベルトだ。私の前を歩む人。美しく言葉を紡ぐ、綺麗な声の言語魔術師。それはひょっとしたら甘え、だったのかもしれないけれど。
私とミルーニャはそうして暫くの間身を寄せ合って、それぞれ思考の中に沈んでいた。そんな時間もやがて終わる。ミルーニャは掌から顔を離して、まじまじと私を見つめた。
「でも良かったですぅ。帰ってきた途端、黒衣ごと縮み出した時は心臓が潰れるかと思うほど心配しましたけど――」
「限界を超えて呪力を使ってしまったから。今は夜だし、しばらくこのまま月光を浴びていればそのうち元に戻るよ」
天使を撃退する――改めて思い返しても恐るべき難事だったが、その為に私は自らの実力を超えて呪術を行使し、文字通り身を削って呪力を放出してしまった。
私は物質的な属性が強い霊長類や他の眷族種たちと比べてずっと呪術寄りの存在だ。大神院が定めた眷族種の序列は高いほど呪的霊的な性質が強くなる。序列第二位の私達はほとんど非実体みたいなものだ。実は二位というのも昼間は弱体化するという性質の為であって、一位の空の民よりも純粋な呪術生命体に限りなく近い。
そんな訳で、現実の肉体を維持できなくなった私の実体は見る間に縮小してしまったのである。ミルーニャの掌の上に乗るくらいに。
「はー、前もちっちゃくて可愛らしかったですけど、今もやっぱり可愛い♪ その上、汚い男とかうんざりする女とか、しがらみばっかり作る性別などに囚われない――うん、ミルーニャやっぱり決めました」
ミルーニャは決然とした瞳でこちらを見た。
そして、厳かに告げた。
「おかとーさまとお呼びしても」
「やめて」
「えーっ」
「意味が分からない」
「えへへっ、だってアズーリア様は父の遺志と探索者証を受け継がれたんでしょう? なら、ミルーニャの家族同然です! ミルーニャのお家は、アズーリア様のお家ですぅ!」
「それは――保護者的な意味でってこと?」
「え? 生涯の伴侶的な意味ですけど」
これは、代償行為なのだろうか。彼女の家庭は既に失われてしまっている。その欠落を塞ぐ役割を、私に期待しているのかも知れない。
彼女はティリビナの民が結束するのを見て、それは弱さだと否定した。その言葉はきっと間違いではない。けれど、否定されるだけのものでもない。彼女がそう思ってくれたのだとしたら、それはとても幸せなことだと思えた。
「とまあ冗談はここまでにして」
「冗談だったんだ」
「こほん。ここまでにして、ミルーニャを――この白のメートリアンを打ち破った以上、アズーリア様にも権利が生まれたことになります」
「権利?」
唐突に何を言い出すのだろうか。文脈が読めず、首を傾げる。
ミルーニャ――メートリアンとしてこちらを見据える彼女の瞳はとても真剣で、私は思わず居住まいを正した。
「現在アズーリア様は黒のヴァージリア――呪文の座の末妹候補ハルベルトから使い魔として勧誘をされていると思います。このへんの事情は把握しておられますよね?」
「うん、大まかな所はハルから聞いてる。ミルーニャも候補だったんだよね。で、予備の候補としてハルを陰ながら支えつつ控えとして待機もしていると」
「はい。そして虎視眈々と取って代わることを目論んでもいました。今はもうそんな気はありませんけどね。ちょっとしか」
「ちょっと?」
「ほとんどでした。間違えました。ほんとですよ」
あ、目を逸らした。これは多分、隙あらばハルベルトを倒すことを考えているな。
まあいいか、と私は思った。それはそれで、彼女らしい。そして、その時はきっとハルベルトも真正面から受けて立つだろう。
「それでですね。予備候補というのにも序列というか、成績で順位が付けられてるんですよ。私は杖の座の候補としては二位、呪文の座の候補としては四位でした」
「それって、結構凄いんじゃないの?」
杖の座の正規候補者とは最後まで競り合ったということだ。それに、複数の分野で上位に食い込むなんて中々できることではない。
「それなりに策も練りましたからね。結局及ばなかったわけですが――話が逸れました。とにかく私の『優先順位』は予備候補の中でもかなり上位だったのです。そして、予備候補が予備候補を倒せばその順位は入れ替わります」
何が言いたいのか、未だによくわからない。
この話は、一体何処に繋がるのだろう――?
「つまり、アズーリア様には三通りの道があるのです。一つはこのまま星見の塔とは関わりなくご自身の目的に向かって進むという道。もう一つはハルベルトの使い魔となって、呪文のグロソラリアとして共に進むという道。そして最後の一つが――」
メートリアンは、そこで一度言葉を区切った。
その僅かなひととき――それは世界が変わる直前の静謐。
破壊の前の平穏だった。
「呪文の座の予備候補、澄明のアズーリアとして、ハルベルトの襲名をかけて黒のヴァージリアと対決するという道です」
「は――?」
この日最大級の驚愕が、私の小さくなった身体を駆け抜けていった。
メートリアンは真剣そのものの表情で言葉を続けていく。
「別に他の候補者に挑んでもいいですけどね。とはいえアズーリア様の適性からして呪文の座しかないでしょう。混乱させてしまったかもしれませんが、これも公平さを期するためです。貴方にはその権利があり、行使する自由がある。すべてアズーリア様の意思次第です」
「一体何を言って」
「ま、コキューネーお姉様の脳髄洗いで綺麗さっぱり記憶操作されたんですから、覚えていないのも無理はないですよね。黒百合の子供たちの中であの頃の記憶があるのは私とヴァージリア、それにもしかしたらあの三つ目も――」
「だからっ、何を言っているっ?!」
耐えられなくて、私は強く叫んだ。
何か、信じていた確かな足場が崩壊していくような感覚。
自分の事がわからなくなっていく。これは一体、どんな刑罰なのだろう。
積み上げられた不安定な卵の上。落ちて壊れて中身を零す――。
「フォービットデーモン。キュトスの姉妹第二位【燦然たる珠】ダーシェンカお姉様の解けない呪いによって生み出された大呪石【彩石】が照らし出す影。彩度の十六体と明度の二体から成る情報構造体。資質のある子供たちがそれらをアストラル空間で使役し、競い合いました。そして最も優れた一人を十九番目の完成体【万色】と定める――最も優れていたのは彩度第十六番、澄明のヘレゼクシュ。姉妹第二位の後ろ盾と文句なしの傑出した才覚。呪文の座の正規候補者、その最右翼。綺羅、星の如く居並んだ候補者たちの中でも黒のヴァージリアや朱のサンズ、紫のティエポロスや明暗の妄想姉妹と並んで将来を有望視されていた天才」
「何の――何の話なの」
「私、散々ぼっこぼこにされて結構へこんだんですよ? 勿論、最後まで競い合って負け越してたあの黒いのもそれは同じだったでしょうけどね」
「知らない。そんなことは、知らない」
「貴方はグロソラリアでありながら末妹の予備候補でもあるということですよ。あの冬の魔女がゼノグラシアでありながらも同時に末妹の正規候補筆頭であるようにね。二つの資格――きっと、そうやって運命が幾つも折り重なるからこそ貴方たちは英雄足り得るんでしょう」
英雄――その言葉は、どこまでも私について回るようだった。
私には目的がある。迷宮を攻略し、地獄にいる妹を取り戻す。
それは揺るがない。けれど、その過程は――道は一つではない。
世界はこんなにも多様で雑多で不確かだ。
「貴方とヴァージリアは最も優れた呪文使いとして、幻想者と呼ばれていました。あの妄想姉妹が妄想者と呼ばれていたのに引っかけてね。全ては懐かしき黒百合宮――そしてあの無窮の世界、アストラルの蒼穹に置き去りにした、儚い思い出です」
失われた記憶。
色がわからない。顔がわからない。声が出せない。言葉が紡げない。実体が確定しない。私はひどく不安定だ。曖昧であやふやで、輪郭すら定まらない夜の迷い子。
自分が何者であるのか。
それは、当たり前のようで答えることがひどく難しい問題だ。
無性に気になった。
私はどんな顔をしているんだろう。
霊長類の顔――それを異質な生命である私が正確に捉えるのはひどく難しいけれど。今だけは、その自己認識がどうしようもなく欲しかった。
アズーリア。その名の意味を、私はまだ知らない。
知りたい。私は、どんな形をしている?
私は何色なんだろう。
美しい黒。可憐な白。人には様々な色彩がある。翼を広げた時のように、それは正しく青なのだろうか。ならば、その青にはどんな意味があるんだろう。
四つの月が皓々と照らす森の中。
子供のような疑問が、ぐるぐると頭の中を回り続けた。




