5-65 ③
『可能性を減らそう』という発想を最初に実行に移したのはルスクォミーズだが、発案者は未確定だ。
不明、ではない。答えはゆらぎの中にある。神話では、地母神キュトスが槍によって貫かれたことで母なる大地は空に分かたれたという。
それが最初の『大断絶』だ。
天地を司る二大主神が世界の主権を握っていた調和の時代が終わり、七十と極小にして極大なる一の『散らばった大地』が生まれ、ゼオーティア世界の礎となった。
『空』であるアルカェに満たされた『 』に浮遊する『有』は小さな大地の群れだ。数多の記述と歌が紡がれては風に流れていき、原初の吟遊詩人たちの語る『歴史』となって広がりゆく時代。奔放に揺れ動く世界は軽やかで可能性に満ちていたが、同時に限りない分岐と矛盾は不安定で、文明圏の維持には適していなかった。
英雄と武勲。勝利と栄光。
戦乱と衝突。悲劇と惨劇。
詩歌と物語。歌劇と浪漫。
戦。死。夜。語られし美と語り尽くせぬ悪。
統一の願いは、平和と安定への祈りでもある。
誰かの切なる想いが可能性の収束という結果を引き寄せた。第十大地ルスクォミーズによる第七大地シャーネスの補食は、極大なる人類すべての無意識下で生じた願望の反映であり、子らの救済を望む母たちの総意でもあった。
愛しい姉妹か、愛しい子か。
キュトスの姉妹という大地の総体は、愛すべき家族愛の狭間で引き裂かれた。
全ての妹を守護するさだめの九姉たちは七十一姉妹の維持を選択し、家族愛の宿命から脱した十番目の妹だけが大いなるキュトスに回帰するという選択を背負った。
統一の夢は半ばで潰えたが、最初の死は成った。
擬人化された大地の化身たちの個我が残った一方で、断絶されていた数々の文明圏は繋がり、矛盾史は風の中に流れていく。
残されたのは不完全な安定と統一。あるいは不完全な可能性と分岐。人と神の願いはどちらも叶わず、どちらもわずかに叶ったのだ。
「何もかもが途上なのだ。我々は継がねばならない」
繰り返し到達した奈落の底で、ミブリナ=ミブレルはそれを当の本人から聞いた。
キュトスの姉妹の反逆者、ルスクォミーズ。
彼女は七つの風の主シャーネスを喰らい、その存在と可能性そのものを取り込んだ。ならば、この冥府で彼女と見えたのは必然だったのかもしれない。
他の三人はここまで至っていない。
オーブルディース、ボール、クガルヤイム。熾烈な競争の果てに亡きクロウサーの当主と対面した四人の血族は、確かにダウザールから始祖の血を授かり、冥馬チェダラーテの蹄鉄を我がものとした。
だが冥界行には続きがある。
暗がりの果て。死の行き着く先に待ち受けていたのは光。下降と落下の向こうには上昇と飛翔がある。
奈落への旅路は、昇天に等しい。
「底を突き抜けて飛び続けろ。記録を更新しろ。限界を突き破れ。果てなどない。速さの先にあるのは白。天界の曙光だ」
あるいは、天に上り続けた先には更なる世界が広がっているのだろうか。もしかすると、空間的な『下』や『上』など本質的には無意味であり、それらは等しいのかもしれなかった。地や天を超えたもの。それが真実の『空』。
「私という大地を超えていけ、ミブリナ。あるいはミブレル、愛しく憎い妹よ。我々はお前がここに来るのをずっと待っていた」
「我々? それは誰?」
「血脈の果て。冥界の底を知る、真なる空使いたち」
闇を突き抜け、上昇し、光の中を飛ぶ。
そこに、古い巨人たちの姿があった。
モーエン。ダウザール。そしてレメス。
比類なき超越者たちの真の魂は、この先にある。
逆さに屹立する天の御殿。
紀神エクリーオベレッカの中に。
「ミブリナ。お前には期待している。統合からの逸脱を。分岐からの収束を。その矛盾と閉塞を打破する希望を」
「それはルスクォミーズの願い? それとも、クロウサーの? あるいは、最初に私たちが漂着した大地の」
「その全てが答えだ。七つの風を辿り、藍の海を超えろ」
冥府の底にあるダウザールの亡骸。
それは残骸に過ぎず、クロウサーの真実は遙か彼方にあった。その真実に到達したミブリナは次を求めた。
飛翔。挑戦。更なる情熱の獲得。
灰色の世界はふたたび色づき始めた。
魔女として再誕したミブリナは、もういちど挑戦者として戦うことができる。『空使い』としての勝利を重ね、魔女としての位階を高め、師としてて弟子を鍛え、その刺激を受けて更なる速度を追い求める日々。
魔女ミブレルとして振る舞い、パーンを鍛え上げた。
子供に希望を見いだし、素質のありそうな者を探しては弟子にとった。強者を探し、挑戦を続けた。
充実した日々だった。終わらない輝きがあった。
「おいババア、勝負だ。今日こそは俺が勝つ。ミシャルヒ、記録係を任せるぞ。箒の調整は万全だ、記録の更新も狙えるだろう。歴史的瞬間を見逃すなよ」
出会った頃より背が伸びた少年と、彼によって盟約の鎖から解き放たれた黒衣の麗人がミブリナの前に立ちはだかる。少年は今も熱を失わずにミブリナをあの力強い眼で見てくれている。そのことが、たまらなくうれしかった。
「かまわないが、その子も連れて飛ぶのか?」
黒衣の幽鬼はパーンの手にした箒にしがみつく子供を指さして指摘する。元気の良い少女はよくパーンになついているが、ただそれだけというわけでもない。
「おそらのかけっこ! メーヤもやるの!」
「ええい離れろガキ! 誰だこんなバカを連れてきたのは! 他の弟子どもに面倒を見させろ! 俺は子守をしに来たのではないぞ!」
「メーヤまけないもん! ざこいパーンおにいちゃんはメーヤのおけつをおいかけるんだよ!」
「いい度胸だクソガキ。格の違いを教えてやる。準備運動にはちょうどいい」
パーンは勝ち気な妹弟子にまとわりつかれて苛立ちを露わにするが、意外にも付き合いが良いため子供受けが大層良かった。この少女以外にも複数の子供たちがパーンに挑み、競争の中で高い目標に向かって切磋琢磨を続けている。ミブリナが作り上げた場所は、理想的な空気を維持することができている。全てはパーンのおかげだ。
弟子。未来。希望。
パーンに連なる意思の全ては、ミブリナにとっての可能性だ。
「天空の果て、上昇の彼方に待ち受けるのも既知の結末だ。どこまで行っても檻の中、魂は雲に融け、肉体は血に融ける。ならばその先は。さらにその向こうは」
もっと先へ。もっと次を。壁の向こうは。
全てを乗り越えた、無限の虚空を進んだ先を。
求め続ける。それは飢えにも等しい衝動だ。
もはや失意と退屈さえ前提でしかない。
終わらない。挑戦は決して終わらないのだ。
ミブリナは歓喜の中で飛翔を続けた。
今も、まだ。




