5-61 垂直落下の飛ばし読み
ガロアンディアンの四方を囲む死人の森は『こちら』に対する『あちら』とされており、つまりは冥府だ。
埋葬からの連想で地下空間と重ね合わされることが多い冥府と、神話的に死後の世界と紐づけられた死人の森には概念的な連続性がある。少なくとも、テキストベース・サーキットにおいては地続きのコースだ。
『ティリビナ人問題について考えさせられる』ロードデンドロンによる主役級の輝きは森という領域で最大限に発揮されたが、ティリビナ人はその死生観ゆえに冥府を苦手としている。樹木人たちにとって死後とは土に還り新たな命となって巡る新生。冥府は彼にとってアウェーだ。
『それでも彼ならば』と人々は期待する。
天主を自称するロードデンドロンの力は破格だ。
常人には不可能な同時召喚や強敵の撃破を彼は難なく実現してきた。
この男なら、ここでもやってくれるのではないか。
『考えさせられる』回想によって急増したファンたちは、対抗するように勢いを増してきたダークホース、クリーナーという難敵をロードデンドロンがどう退けるかで大いに盛り上がったが、すぐにその期待は萎んでいった。
「なんとクリーナーは転生アプリのユーザー登録をしていたんだ。これまで使っていた占術は今の肉体の主、クリーナーの力だよ」
一方、試合展開と平行してアストラルネットに投下された解説動画の中で、ぷるぷるした四角い頭のちびシューラとちびセスカがのんびりと会話をしていた。
「ということは、新しく出てきたあの真っ黒な魔導書は違うのですか?」
「そうだね。あれは前世の魂が持ち込んだ第五階層の至宝、『死人の森の断章』に違いないよ! もしかしたら、第五階層に挑んで果てた探索者だったのかも」
「しびとのもりのだんしょう? それって何ですか?」
「何でセスカが知らないの! いちばん詳しくないとダメでしょ! もー、仕方ないから知らない人のためにもシューラがわかりやすく解説するからね!」
寸劇を交えながら背景知識が補足され、間接的な援護射撃に助けられながらクリーナーが加速する。
斜め読みのジグザグ飛翔。
ながら作業派や結果だけ知りたい勢による緩い応援に背を押されながら、クリーナーが仕組まれた通りに最後の加速を重ねていく。
まるで、全ての力を振り絞るかのような壮絶な加速だった。自殺に等しい行為は、最終盤に差し掛かったこのときだけ正しい選択肢となる。
ロードデンドロンは得意の森林ステージが後半に差し掛かってもまだ距離を詰められずにいる。一方で死を統べる魔導書から力を借りているクリーナーはますますその速度を増してトップ集団へと迫っていく。
いつの間にか、追い風はロードデンドロンではなくクリーナーに吹き始めていた。
周囲に死の気配が色濃くなり、森が闇に包まれると共に世界はそのあり方を変えていく。木々を躱すという左右の移動が、奈落に落ちていくという真下への移動に置き換えられていく。飛翔は墜落に。落下は死に。ゴールは闇の向こうにある。
シームレスなステージの変遷。
いよいよ冥府下りが始まったのだ。
闇へと突き進む箒たちを追うように、無数の光点が落下していく。
一見、燃え尽きる流星のように幻想的な光景だった。
だが人々はすぐにその美しさの裏側に隠されていた意味を悟り、鋭く息を呑んだ。ある者は眉をひそめ、ある者はその滑稽さを笑う。
燃え落ちていく光の全てが、精子だったからだ。
命の可能性が、恐るべき勢いで冥府へと落ちていく。
レメスが定めた法則下では『動物なかよし』こそが真実の善にして美にして愛。
しかし万人がレメスのごとき超人として偉業を成し遂げられるわけではない。
無為に放たれ尽きていく子種。
確信が足りず邪視生殖が叶わぬ交わり。
ある者は愛玩動物の奪い合いで命を落とし、ある者は病に倒れ、ある者は猛獣に喰われていく。相反する文明と野生の交錯は悲劇を生んでいく。
果敢な挑戦は快楽だけを追求する結果となり、それは文化や慣習、常識や宗教と一体化して世界は少子化という袋小路に迷い込む。
結果として残るのは強者の可能性のみ。
より多く子種を残せる血脈だけが次代を繋ぐ。
すなわち、クロウサーだけが世界の担い手となるのだ。
闇を切り裂く精子の流星雨は、世界が壊れる合図。
まもなくレメス・クロウサーが全てを変革する。
万の可能性を切り捨て、大なかよし時代を創るために。
狂気満ちる冥府の中で、更なる狂気が芽吹いていく。
まずクリーナーが動いた。
彼は形式すらも放棄していく。ジーゼロやファーガストのような演出さえ取り払ったむき出しの情報群。単純なテキストの羅列による『割り切り』。
彼の回想は箇条書きだ。
・クリーナー
・博打好きの敗北者
・酒と賭博に満ちた人生
・妻と娘に対する罪悪感
・逃避としての転生アプリ使用
・有力探索者の魂とマッチング
・偶然にもリーナ・ゾラ・クロウサーの亡父
・共感と同情、人生の失敗の埋め合わせに協力
それはテキストベース・サーキットという世界において認められている最大の価値、『テキスト』の毀損。
男は神秘に対する挑戦と冒涜を始めたのだ。
それも、他者を盛大に巻き込みながら。
『クリーナー』というどうしようもない博徒が行き詰まり、似たような魂と共鳴してレースで一発逆転を狙うという筋書きは、ロードデンドロンあたりと比べるとあまりにも薄っぺらい。
薄さとは軽さだ。『またしても回想』ではあるが、回想シーンに特有の場面転換や停滞がない。さっと流し読みが可能な回想ゆえに、回想飽和が発生しない。
そして問題となる『前世の魂』がレースを牽引するリーナと深い関係を有しているとなれば、観客たちは自然とそちらのドラマに注目する。
「あー、そういう系の感動演出ね」「リーナちゃんの試合を彩る盛り上げ役って感じ?」「よく知らんけど親子の絆とか泣ける~」「全義国が泣いた!」「クズでも最後にいいことやったら帳消しになってウケる」
まず『泣ける』の価値が暴落した。
流れ弾で大けがをしたのはエンハとナックスだ。
この兄弟は『病気の子供たちに勇気を与えるために飛ぶ』という過去の約束を回想として準備していた。
クァヒート家は分家とはいえクロウサーの血族。
その力をもってすれば地上世界を巡ってあらゆる病床の子供と面会することが可能だ。複数の状況にあわせて病状、種族、哀れ度合いの調整をすることで、エンハとナックスは呪文によるイメージ戦略でも勝利を重ねてきた。二人の『手術待ち児童ストック』はゆうに百を超える。
ところが、そのうちの一人が兄弟のサイン色紙をオークションに売りに出していたことが判明。そこに『安上りなドラマの舞台裏』という暴露呪文攻撃の追い打ち。とどめにクリーナーによる『泣ける』の雑な消費が追加されたことで、エンハとナックスは用意していた回想を事実上ほとんど潰されてしまったのである。
混乱の中で順位が変動し、前と後ろが入れ替わる。
その中で前に向かって勢いを増していくのはクリーナーだけではない。人と馬の心身が一体となった、箒とも人馬ともつかぬ異形が闇の中を駆け落ちていく。
「ラーテ! もっとだ、もっと俺を感じてくれ! 俺とお前で、犬より馬がいいってことを世界に伝えるんだ!」
「ああ、私のファーガスト、もっと求めてちょうだい!」
愛馬と合一する恍惚感を霊的な変性意識状態へと接続する呪術飛翔法、『エクスタシー・トランス』の奥義によって新世界に適合していく暴空族は、冥府へと落ちていく中でこれまでの自分を殺し、生まれ変わろうとしていた。その霊的位階はこれまでの比ではない。準英雄級とされていた探索者は、ひとつの壁を突破しつつあった。
「そんな、私のラーテが。長く連れ添った私よりも、若く力強い男の方が良いというのか。おお、なんだこの感情は! 知らぬ心地だ、このダウザールがこのような」
背後で輝きを見せる人馬一体の光景に、老巨人が悲しみとも驚嘆ともつかぬ声を漏らす。それは屈辱と喜びが入り交じったかのような響きであり、さしものパーンも宿敵の異様な振る舞いにたじろいだ。
「ダウザール、まさか貴様がどこぞの寝取られ王のごとき戯れ言を口にするとは思わなかったぞ」
思わずそう言ってしまってから、奇妙な間が空いた。
奈落へと向かう旅路に至ればあとは決着を残すのみ。そんな場面で、本当にこの古老が醜態を晒すだろうか? 若き少年としてこの場に立つパーンは思わず口を押さえた。己の外見と紐づいた『未熟さゆえの迂闊さ』を引き出されたことに気づく。『寝取られ王』のごとき振る舞い。再演は呪術だ。であるならば、これは布石。
「ああ、脳が、脳が! 破壊される! 貪られる! 彼方が、未来が見える、破滅の口の奥が! 終端よ、貪りあれ!!」
ダウザールの目に輝きが宿った。
時間軸の交差路を象徴する、時十字の光が。
それが完全なものであるかはわからない。
だがクロウサーがその血脈にカシュラム人を取り込んでいた可能性はある。
その小さなとっかかりを用いれば、限定的ではあっても六王オルヴァの力を模倣することも不可能ではない。
神のごとき大呪術師ダウザール。
その瞳は過去の死を直視し、未来の誕生を見通す。
見えない獣の牙を避けるように、パーンが大きく身をよじった。
減速し、先頭グループから引き離されていく。
ダウザールの後ろにぴったりつけていた老婆ビルメーヤが、挑発とも激励ともつかぬ言葉を呟いた。
「またやられっぱなしかい、パーンのお兄ちゃん」
「小娘がよく吼える。あまり俺を舐めてくれるな」
もちろん、パーン・ガレニス・クロウサーとてこのままで終わる器ではない。奈落を飛翔するのもこれが初めてではなかった。
演技による呪術戦も同じだ。
「再演のまじないならば心得がある」
反逆者パーンの足下で光が膨張し、呪力のオーラと共に弾けた。
一面の黒の中で、緑と茶色が入り交じる森の色彩が蘇る。
パーンが使用する箒が姿を変えていた。物理的な変容ではない。記号操作による『重ね合わせ』の呪文だ。いまや彼の箒は古く、太く、力強い神樹の化身に等しい。神話と伝承から削り出された神々の遺物である。
「若きティリビナ人よ、不得手な戦場でよくここまで粘ったものだ。お前の勇敢さは古きティリビナの勇士たちにも決して劣るまい」
遥か後方へと語り掛け。唐突に、だが伝承を踏まえると自然な成り行きとして、パーンがロードデンドロンに声をかけた。
神話や歴史を知らずとも、直前にコルセスカが脳に叩き込んだゲーム配信によって、主人公パーンの仲間たちにティリビナ人と縁が深い人物がいたことが観客たちの意識に刷り込まれていた。極めて優秀なヒーラー兼バッファーとしてパーティの戦闘を支えていた『オーファ』と呼ばれるキャラクターである。
パーンは世界中を冒険する過程で、ティリビナ人の賢者に魔法の箒を授かったのだという。このレースは、その続きの一幕だ。
「ここからは、俺がお前たちの想いを背負って飛ぶ。我が盟友、『緑の御者』オファグリートとの約定に従い、この先の勝利の栄誉はティリビナ人に譲ると誓おう!」
敗色濃厚だったロードデンドロンにとっては救済となりうる宣言である。上位に食い込み、正式に緑天主の号を確かなものとして世界に知らしめればティリビナ人は呪術世界でより強い発言権を得る。遠ざかったかに思われた目的が、パーンの勝敗次第で近づく可能性があるのだ。
「俺はダウザールを打ち破ることができればそれでいい。俺の箒はティリビナの叡智より生まれたもの。ならばこの俺の勝利はお前たちのものだ」
このレースは元々現クロウサーの当主であるリーナとよみがえった反逆者パーンとの対決という構図だった。
優勝候補の本命がティリビナ人の命運までも背負うとなれば、ふたつの『流れ』がひとつに合流すると言っても過言ではない。
「このパーン・ガレニス・クロウサーの名において認めよう。ロードデンドロン、お前こそが緑天主であると!」
敗色濃厚だが人気のある選手に勝利の栄誉を譲り、自身は仇敵との決着のみを望む。『死票』になりつつあった声援を強引にかっさらいつつ好感度を上げていく狡猾なイメージ戦略はこの場では会心の一手となった。
パーンとティリビナ人が裏で結託していた、あるいは卑劣な取引があったに違いないという推測がアストラルネットを駆けめぐる。しかしタイミングよくロードデンドロンの唖然とした表情が激写されたことで流れがまた変わった。実際、これはパーンのアドリブである。
「勝手に天主を増やすな。貴様にそのような権限はない」
竜導師マルガリータによる厳しい視線をものともせず、パーンは堂々たる飛翔によって遅れを取り戻していく。マルガリータの箒と接触事故を起こしそうなほど肉薄し、熾烈な競り合いを繰り広げた。
「敗退すれば全ては無意味。現状を理解できている? 恥をかく下準備、ご苦労様」
「負けはない。俺を誰だと思っている?」
「潰してやる、まがいものめ」
パーンとマルガリータが猛然とトップグループの三人に迫り、その後ろをクリーナーとファーガストが果敢に追いかける。劣勢のエンハとナックスが互いに何か言葉を交わして新たに作戦を練り直す。
敗色濃厚となったロードデンドロンとジーゼロはともかく、この終盤に至ってまだ多くの選手にチャンスが残されている状況だ。生が浪費され、死が満ちていく冥府への旅路。その中で闘志が燃え上がり、殺意に近い視線が邪視となって火花を散らす。
そんな修羅場の先頭で、誰を睨みつけるでもなくリーナが悲劇の連鎖を憂いた。
なぜなら、彼女が望む箒レースとはこのような血なまぐさい憎しみに満ちたものではない。暗闘と工作ばかりのものではない。もっと自由なものであったはず。
「私、バカだからむずかしーことわかんないけど、それっておかしいと思う!」
師である老選手の願い。本来の彼女のキャラクター。そこから導き出された必然的なスタンス。なによりダウザールのイメージするリーナとはこのようなことを口にする女だった。腹話術の要領で上位者は傀儡を誘導する。
「戦うとか、誰かを負かすとか、何かの資格があるとか。きっと大事なことなんだって思うけど、レースはもっと純粋に競い合うべきだよ! 私は、誰かを傷つけたり、死なせたりするような箒レースは認めない!」
美しく正しい者がそこにいた。
リーナこそクロウサーという天の支配者を導く者。
雄々しき英雄レメスや厳かな賢者ダウザールという家族に支えられるクロウサーの『顔』が完成していく。
「絶対に負けない! 勝って、お姉ちゃんを取り戻す!」
明快な主張は、わかりやすい感情の発露もあって観客たちに好まれた。殺伐とした呪術戦闘の中で純粋に競技者として振る舞うクリーンなイメージの若者。高貴な血統と裏腹の庶民的で親しみやすい振る舞い。そして家族を助けたいという大多数が共感しやすい動機。
「私、バカだからむずかしーことわかんないけど、それっておかしいと思う!」
特定の印象的なフレーズに絞った宣伝が準備されていた段取りに従って展開。
こざかしい理屈を振りかざす専門家を単純さでやりこめるイメージが音楽と共に素材として切り貼りされ、面白おかしいミームへと加工。
過去の念写動画が今になって拡散され、『痛快』と持ち上げられる流れが発生。
「私、バカだからむずかしーことわかんないけど、それっておかしいと思う!」
リーナといえばこの台詞、この台詞を言っているのはこの顔、このシーンといえばあの名前、という連鎖により『興味はないけど聞いたことはある』『見覚えがある』というレベルの知名度へと押し上げられていくリーナ。
「私、バカだからむずかしーことわかんないけど、それっておかしいと思う!」
大学教授の偏った思想を美人女子大生社長リーナ・ゾラ・クロウサーが論破するシーンは事後捏造のフェイク映像だ。旧大神院と繋がりが深い歴史学教授は不正疑惑(冤罪)で逮捕済み。強引な工作により使いやすい定型句としてSNSで大流行。流行っているのではなく、『流行っているらしい』という世間の印象によって流行っている状況が事後的に構築されていた。
「私、バカだからむずかしーことわかんないけど、それっておかしいと思う!」
それはもはや呪文として用いられていた。
主に反対意見を根拠不在のまま否定するために。
空気と数。それこそがクロウサーの掲げる強さ。
リーナは若者たちにとっての『権威には見えない権威』となっていく。
善なる者による敵対者の封殺。清浄な正しさの成立。
クロウサーの否定とは正しさの否定。
動物なかよしの否定は少数者への弾圧。
もしわずかでも批判的なことを口にすれば、その人物は差別主義者であり古く間違った教えを妄信する狂信者として扱われることになる。
古き迷信が打ち破られた善き世界において、動物たちと交わる愛はどのような場面でも否定することを許されない絶対的な教理となったのだ。
世界の改変は、まもなく成し遂げられる。
他者を飲み込む、血脈という名の波濤によって。
「私、バカだからむずかしーことわかんないけど、それっておかしいと思う! 動物と『なかよし』することの何がいけないの?! 人はもっと自由でいいはずだよ!」
冥府に精子の雨が降る。
人の種はまもなく絶え、獣の可能性が洞窟に芽吹く。混沌の血脈は世界と人類のあり方を根底から覆し、新たな可能性を開花させようとしていた。ダウザールとレメスが追求する可能性は、善悪の地平を超えた先にある。
それは播種の道。
絶望を打ち破るための、希望の試行錯誤である。
生存競争の様相を呈し始めたレースが加熱する中、選手たちは速度を増しながら洞窟の奥へと潜っていく。
最初に異変に気づいたのは先頭集団だった。
否、正確を期せばトリシューラたち運営側は状況を把握していたのだが、意図して伏せていたのだ。前方の状況を素直に明かせばレースの中断か進路の変更を余儀なくされただろうし、それでは計画が破綻してしまうから。
よって選手たちは必然的にその場面と遭遇する。
闇の中で繰り広げられる戦い。
飛び交う破滅的な呪力。
無数の巨人が飛び回り、世界を創り、壊し、生死さえもたやすく覆される恐るべき来訪者たちの戦場。
クロウサーとディスケイムが激突する死地は、今まさにテキストベース・サーキットと交錯しようとしていた。
その瞬間、レースに乱入する者が現れた。
否、むしろ合流と言うべきだろう。
白い少女が空を舞う。
金色の瞳を輝かせながら、黒衣の男に肉薄する。
小さな赤毛の女王は、その光景を見守りながら小さく呟いた。
「転生だから不正じゃないよ。だってルールは私の手の中にある。転生アプリによる選手交代ならビルメーヤの前例もあるし。機械女王おっけーでーす!」
もちろんこれは運営ぐるみの不正だ。
だがその事実が糾弾されることはない。
全ての裁定は運営者に委ねられている。
ゆえに困惑が広がる。
脈絡がない。予兆がない。理解できない。
観客たちは全てを俯瞰する上位者ではないため、目の前の光景を唐突なアクシデントだと判断した。
しかし、それは全ての状況を把握する者にとっては『とばし読み』に等しい。これまでの経緯を跳ばし、ここに至る流れを飛ばす。ゆえに彼らは空を飛ぶかのように時間と空間を超えてこのレースの終盤に合流した。
ワープによる高速飛翔への乱入。
博打に等しい作戦は、刹那の間に成功した。
クリーナーという生命に付与された個性は、この瞬間の乱数を調整するためだけに設定されたものだ。
「お疲れさまでした、クリーナー」
錬金術師メートリアンは、もしもの時のためにアズーリアの疑似細菌を採取、培養していた。最悪の事態が発生した場合、ふたたび彼女の再生を試みるためだ。
これはその応用。
観客に聞こえないほど小さく、真実が囁かれる。
「あなたはこの瞬間のために錬金術によって作り出された汎用模倣性人造人間。さあ役目を果たしなさい。指定呪文を展開、演技終了後に全人格データを初期化。保存していた私のミームを再生し、転生アプリによって私との同期を実行」
「お、俺は作り物だったのか? 俺の人格と記憶が?」
計画を聞いたユディーアは『ちょっと~人道~』などと言っていたがもちろんメートリアンは『どの口で』と返した。錬金術師が使い魔であるホムンクルスを道具として使うのは当然のこと。チートスキル『ストリームスナイプ』による追跡でタイミングは完璧。彼女の準備に抜かりはない。
これこそは今もその機能を残している『富』の断章を核にして駆動する人造生命。
金錐細胞と疑似細菌が持つ模倣性をベースに錬成されたホムンクルス。
『カヴァエル・アルタネイフ・ゾラ・クロウサー』と名付けられた死者を言理の妖精によって語り直す、再演型の死霊術。
クリーナーは転生による交代を前提とした『錬金術師のスペアボディ』である。
『父親との和解と命のバトンパスっぽい感動演出』の呪文を呪石弾に装填。お涙頂戴の人気取り。メートリアンは地下アイドル時代に自分の需要を分析済みだ。
現代では徐々に変わってきているが、それでも箒レースの主要な観客層は中高年に多い。この年代にアイドルとしての商品価値を訴求するなら欲望の対象か庇護愛をかきたてる対象にするのが手っ取り早いと彼女は判断した。
性的魅力に乏しい自分に向いているのは『父と娘』の情愛であるはず。かつ父との再会、死別、悲劇性を強調。寂しさと苦境に負けない心の強さをアピール。父目線での『応援してやりたい』『守ってやりたい』を引き出せたら勝ち。
必要ならなんだってやるつもりだった。
過去も家族も傷も痛みも、全て使い倒して売りさばけ。
古傷の痛みごときが、いまここにいるリーナの価値に及ぶはずもないのだから。
かつてアズーリアが言理の妖精で語り直した『父の想い』をパッケージに詰めてラッピング、可愛く健気にリボンを巻いて出来上がり。
応援したくなる娘のような少女が、これよりクロウサーに挑戦する。
父の遺志に報いるため、そして妹を魔の手から救うために。
「行ってらっしゃい、メートリアン。幸運は祈らないけど、成功するって信じてる」
「にあ! ばとんたっち! 転生力ばっちり!」
仲間の声を背に受けて、メートリアンは同期していく男の肉体を本来あるべき白い娘の形へと変えていく。
更に、クリーナーの謎に包まれた機甲箒がそのヴェールを脱ぐ。
神滅具ヒュドラボルテージと一体化した箒はまるで生命と機械の融合体だ。
「あるけみ☆レーサーメートリアンは最高に可愛いヒロイン!」
『撃鉄』の名を冠した鶏が、やかましく燃える翼を広げた。
燃える命の流星と化して、メートリアンは声援に応える。
「勝ちますよ。私を誰だと思ってるんですか?」
威風堂々と、声高らかに。
最後の選手が参戦する。
「お待たせしました。新しい私ですよ!」




