5-56 自称、幼馴染リターンズ
神が去り、闇の中を呪詛が荒れ狂う。
ちびニアが連れてきたのは厳密に言えばディスケイム家だけではない。
クロウサー家と交戦中のディスケイム家が、戦場ごと移動してきたと言った方が実態に即している。
つまりクロウサー家の呪術師が増えており、状況の厄介さは更に増していた。
ディスケイム家とて安心できる実家というわけでもない。
ユディーアは自分が更なる窮状を呼び込んでいるだけではないかという疑念を振り払うことができなかった。
頭痛を堪えながら全ての懊悩を棚上げし、現実を直視する。
それしかやることがなかった。このユディーアとかいうやつはきっと暇人なんだと思う。他人事のように思わなければやっていられないほどの疲労感。
「それでユディーア、この後はどうするつもりなんです?!」
四方八方から飛来する呪術や使い魔を迎撃しながらメートリアンが叫ぶ。
クロウサーによる襲撃もディスケイムの介入も、本来の目的である『箒レースへの介入』から遠ざかるだけの寄り道だ。彼女にしてみればさっさとこの苦境を逃れたいところだろうが、まだその期待に応えることはできない。
ディスケイムが彼女たちを見逃してくれるはずもないからだ。
「私たちの価値をめいっぱいアピールして、ディスケイム側と交渉する。レメスの存在はあっちにとっても厄介な問題のはずだから」
要するに『実家を頼る』わけだ。情けなくて涙が出そうだったが贅沢を言える状況ではない。気持ちを引き締めて天眼の知覚域を拡大していく。
ここで重要なのは『誰と遭遇するか』だ。
祈りながら博物城の知り合いの顔を順番に思い浮かべていく。
(ノゴルオゴルオやティシリアは危険だし、クドラカーンやバジェントスとは同じ空間にいるのも嫌。話が通じる人がいい。可能ならサロおじさん。妥協してナサニアとケラトニア。同期組でもまあなんとかコントロールできそう。あーあ、キューちゃんとか癒し枠で来てないかな。そんなわけないか)
天眼による俯瞰知覚で混沌とした戦場を探っていくと、馬鹿げた量の呪詛と混濁した光景の向こう側がクリアになっていく。
浄界の押し合いと現実改変合戦を繰り広げている戦場の中心部から少し離れて、閉鎖空間の端から巨大な質量がゆっくりとこちらに接近しつつあった。
濃密な黒神を纏っているのが遠くからでもはっきりとわかる。
それは死と過去と復活の記憶を原動力として駆動する、巨大な呪動要塞だった。
絢爛な葬礼彫刻はザカリヘッドの移動式霊廟に特有のもの。
カイヴレーストの竜鱗が嵌葬された積層外壁、赤獅子ハーヴォストールを象った歩行柱脚、秩序の海妖サンシの女神像、ミニチュアの球殻都市装甲、食物神祭礼の屋根、蟻の紀人フリグメルタのレリーフ、『坂本』と刻まれた表札型墓標船。
それら全てが葬った魂を再利用するための機構だ。『戦い、喰らい、枯骸の王に捧ぐ』という単一の目的を達成するための殺戮墓標。
要塞の中央部で司書神を暗示する眼鏡の大門が二つのガラス窓を開き、その中から次々と杖の使い魔たちが飛び立っていく。
翼の生えた石像、ガーゴイル。
禍々しい爪と剛力で敵を引き裂く悪魔像の軍勢だった。
石像鬼の軍勢はクロウサー陣営の上空から絶え間なく雨樋吐息を浴びせ続けている。『矢の雨』ならぬ『雨の矢』が空の民たちを貫いていく。
当たりだ。ユディーアは思わずぐっと手を握った。
「やった、サロおじさん引けた!」
「幸運ですな。急ぎサロ殿のもとに向かいましょう」
反応したのはすぐそばにいたチリアットだった。
巨大な要塞の主は二人にとっての共通の知人。
博物城では浮いていたユディーアの父にとっての数少ない友人であり、幼いキニスに対しても良くしてくれた記憶がある。
奇人変人危険人物を各種取り揃えた博物城の中で数少ない良識と常識を兼ね備えた真人間だ。考え得る限りで最良の援軍と呼べるだろう。
「メートリアン、あたしたちかなり運が向いてきたかも! ひとまずあの要塞に逃げ込もうと思うんだけど、大丈夫?」
「ちょっと待ってください、そっちのアカウントから引き継げてる呪文リスト確認させて下さい。チートスキルとかいうのは、ええと」
メートリアンはユディーアの服を無造作に漁って端末を取り出すと勝手に操作を始めた。転生アプリの使用時に獲得していたチートスキルを使って遠くの状況を確認しているようだ。チリアットを二人で流れ弾を防ぎながら画面を覗き見ると、箒レースの状況がつぶさにわかった。どうやら今は選手たちが精子になっているようだ。
「は?」
『おたまじゃくし』を凝視しながらユディーアは不条理への抗議を行った。
理解の拒否と空気を読まない下ネタへの軽蔑を込めた渾身の『は?』である。
ユディーアは次に紀人レメスの像か神殿を見かけたら破壊しようと決意した。
「私も同じ気持ちですが今は考えない方がいい。パーンやリーナといったトップ層はともかく、私たちにとっての本命は不安定に上位と下位を行ったり来たりしているから時間的にはまだ余裕があります。ディスケイムと交渉するのは構いませんが、合流地点に移動できることは絶対条件です」
「えーっと、トリさんは平気そう?」
「トサカにキてるみたいですけどバレてないから行けます」
「了解。じゃあすぐ移動しよう」
こちらの動きを察知したイナータルゴが追っ手を差し向けようとするが、即座に押し寄せてきた石像鬼の対処で身動きがとれなくなってしまう。既に状況は小競り合いの域を超えて、両陣営の全面戦争になりつつあった。
混乱する戦場のただ中を走る。
ディスケイムの石像鬼が飛び交い、クロウサーの人形兵と羊人奴隷たちが地面に転がっていく。上空を舞う絨毯から双子の魔女が『爆撃』を行うと、浮遊するホスト呪術師たちが絶叫と共に爆炎に呑み込まれ、その死体を足場にした死霊術士ネオレインが女を殴って鍛えた拳で使い魔を砕く。
常軌を逸した空間の中で、ふと知り合いの声が響いた気がした。
上空だ。にあにあした感じの猫なで声。
空飛ぶ絨毯に乗って風使いの鳥人と切り結んでいた双子の魔女がこちらに気付く。
その片方がユディーアを見つけてふわりと舞い降りてきた。
「久しぶりね、キニス。いまはユディーアだっけ? なんか縮んでない?」
「にあ! 助け呼べた!」
燃え立つ炎と共に、橙色の炎を纏った長いスカートが翻る。
炎色のドレスと三角耳が特徴的な若い女が、着地と同時に呪宝石で装飾された剣で湯気の巨人ラドリンを両断。更に無造作に放たれた数十もの『爆撃』が重なり、『炎上』と化して温泉浄界の評判をガタ落ちさせていく。『火無しの煙』による風評被害が炸裂し温泉宿は経営破綻、温泉の巨人は白目を剥いて昏倒した。
「久しぶり、助けに来てくれたんだ。えっと、ナサニア? それかケラトニア?」
比較的マシな方と遭遇した。ユディーアは安堵しつつ、知り合いの肩からこちらの胸元に跳躍してきたちびニアを受け止めた。
「ニアでいいわよ。どっちも変わらないんだから」
「いや、ニアちゃんはこっちにもいるから」
会話しながらも三角耳のディスケイムは恐るべき速度で剣を振るって迫り来るクロウサーの兵隊を斬殺していく。ノーモーションで放たれる『爆撃』は平均的な呪術師がよく用いる汎用呪術基盤だが、その発動数と速度はこの戦場で突出していた。
双子の魔女ナサニアとケラトニアは博物城が人工的に再現した猫の取り換え子である。セリアック=ニアに使いをやる際に期待していた通りの展開で密かに安堵する。猫と猫で通じ合うものがあったようだ。
「可愛いわね、セリアック=ニアちゃん。魔竜の巫女の守護者だっけ? ニュースで見たわ。私たちの同族は少ないし、何かあれば頼りなさい。守ってあげる」
「にあ~。やさしい! ありがと! すき!」
ちびニアが懐いていることからわかるように、博物城では『サロおじさん』の次に話が通じる部類の人間だった。武闘派かつ気まぐれなので気分次第でどう転ぶかわからない所があるが、セリアック=ニアの存在がいい方に作用したらしい。
「この場は私たちに任せて行きなさい。サロなら悪いようにはしないはずよ。クロウサーへの対抗策があるのならなおさら急」
言葉が唐突に止まった。
目の前で三角耳の魔女が首を抑え、開いたままの口を無意味に開閉させて苦悶の表情を浮かべている。悲鳴は無い。音が頭部の周囲で途絶している。
『窒息』の呪詛だ。ただ大気を遮断するだけではなく、体内から酸素を引きずり出して絶命を早める高等技法まで使われている。
瞬く間に魔女を死に至らしめた呪術師が、倒れた女の向こうに浮遊していた。
異様な風体の男だった。
三対の白翼が生えた背骨だけの胴体、骨と繋がった頭部には白髪と黒目の無い瞳。
そして翼と連動して渦巻く膨大な数の『風』系統の呪術基盤。
ディスケイム陣営の猛攻でぼろきれのようになったネオレインやラドリンたちが戦場の後方に吹っ飛んでいく。異形の男は落胆の吐息交じりにつぶやいた。
「イナータルゴだけではこんなものか。まあいい。雲野郎とキノコ女が遅れているのは幸い。奴らが来るまでにレメス様への手土産を調達しておくとしよう」
「貴様、よくもナサニアを!」
交戦していた鳥人の追撃を振り切って、上空から双子の残った片割れであるケラトニアが異形の男に襲い掛かる。手にした剣が赤く輝き、纏わせた爆炎が膨張した。
「このフェジェンの前で炎を使うとはな。愚か者め」
六枚の翼がはためくと、大気がざわりと揺れ動く。
直後、上空で爆炎の花が咲いた。
三角耳の魔女は自分のすぐそばで炸裂した爆炎に呑み込まれて焼死体と化していた。炭化した肉体がどさりと落下し、双子の死体が地面に並ぶ。
呪術の暴発、ではない。高位の風使いのみが可能とする炎の呪術に対する干渉呪文。おそらくフェジェンという男は酸素を自在に操っている。
更なる強敵の登場に焦り、ユディーアは仲間たちに呼びかけた。
「うわっ、ナサニアとケラトニアが死んだ! まあいいや、先を急ごう!」
「にあ?! ドライ過ぎて引く! ひどい!」
「あなた、いくら実家との関係性が冷え切っていてもそれは」
仲間からの苦言を気にしている場合ではない。初手で双子の魔女が瞬殺されるということは、このフェジェンという男はかなりの強敵だ。
さっさと誰かに相手を押し付けて逃げるに限る。
ユディーアとしては当然の判断をしたまでだが、友人からの失望の視線がやや痛くて悲しい。特にちびニアにその反応をされるのは理不尽だと思う。
「お二人とも誤解をされているようですが、後で説明すればよろしいかと。それよりも早く移動を。ここはこのチリアットが食い止めます。先に行ってください」
チリアットだけが優しかった。レメスの同類疑惑があるものの、世の中は多様性の時代になりつつあるのでユディーアはあまり気にしないことにした。レメスのように世界の危機レベルで周囲に迷惑をかけていなければなんでもいいだろう、という気持ちになっていたのも大きい。
「逃がすと思うか? ステランプ、クロリヌス、この一帯にまとめて殲滅呪詛を投射しろ。ファルキノン、捕獲対象は眠らせて拉致。フルオロは引き続き後方支援を」
男の号令の下で、更なる増援が参戦していく。
イナータルゴに代わってクロウサー陣営をまとめ上げたフェジェンという男は、瞬く間に劣勢を立て直した。
恐るべき強さと統率力には舌を巻くほかない。
逃げきれないかもしれない。
不安が頭をもたげたその時、戦局がまたしても動く。
新たな『軍勢』が別方向から押し寄せ、霊廟要塞と挟撃する形でクロウサー家を強襲したのだ。槍と盾で武装した人間サイズの蟻型人間たちがずらりと並んでいる。
大波のような巨大蟻の大群が流れを変えた直後、彼方から飛来した槍がクロウサーの統率者フェジェンの頭部に直撃する。
瞬間、槍を中心にして静止時空が広がっていく。
天眼の民の奥義、『三眼瞬知』。
ユディーアとチリアットは同時に速度域に適応したが、熟達した加速者である二人はその槍が展開した加速倍率についていくことができない。
重たい身体と知覚でどうにか認識できたのは、異常な光景だった。
神速の投槍の軌道に沿って細長く伸ばされた汎用浄界をトンネルとして利用し、彼方から空中を走ってきた男がいる。
自分で投げた時空加速槍に追い付くという離れ業は移動手段に過ぎなかった。
男は敵将に命中させた槍を掴んで追い打ちをかけた後、握っていた傭兵冥銭をばら撒き、触媒として亡霊の傭兵団を『招集』する。
戦場のど真ん中に突如として出現した亡霊の軍勢はシャルマキヒュを称える戦歌を響かせながらクロウサー陣営を蹂躙していく。
加速状態から通常の速度域に戻った槍使いは頭部を破壊した敵将フェジェンが再生を始めているのを確認して使い魔たちに追撃を命じつつ、こちらを振り返って快活に笑ってみせた。
「どうやら一番乗りは私のようだね! 久しぶりだなユディーア! 定期報告会の時よりも背が縮んだんじゃないか? キニスだった頃のようで愛らしくて素敵だよ。私の次にキュートだと言っても過言じゃない」
自信満々、不敵な笑み。誰よりも自分を強く美しく見せていないと気が済まないし、そういう扱いをされないと不機嫌になる困った男。
つまり扱いが簡単だということだ。
ユディーアは尊敬の念を込め、普段よりも高い声で応じた。
「わわっ。ココは相変わらずだね。助けてくれてありがとう」
テンションについていけない両隣の友人たちが何か言いたげにこちらを見ているが、ついていけないのはユディーアも同じだった。この男は昔からこうだ。
ピンクブラウンの長い髪に凛々しい顔立ち、常に笑顔できらりと光る白い歯。
長身かつ屈強な肉体は天眼の民戦士の理想形と言えるが、特徴的なのはその装い。
ココと呼ばれた男は女装していた。
軽甲冑とスリットスカート、丸みを帯びた胸のプレートに頭の羽飾りといった神話の戦乙女を思わせる衣装はやや露出が多めで、屈強な男性の二の腕や太腿が露になっている。
かつて小ペルネーの王と戦士たちは祖たる戦乙女ムーフォトールに倣って女装をして戦場に赴いたという。天眼の民が行う『戦乙女盛装』は仮装によって神話を再現する杖の奥義、『化身』の最も典型的な形態である。
天眼の民の傭兵向けに規格化された基本奥義を全て使えるという点ではユディーアと一緒だが、その練度にはかなりの開きがある。
基本的な天眼の民戦士としての技量では明確にユディーアが下であると認める必要があった。しばらく会っていないうちに差がついており少しショックだ。
何かを勘違いしたのか、自信に満ちた表情だったココは目を伏せてしまう。
「すまない。君が自信を喪失していないといいのだが」
めちゃくちゃいらつく、という本心を表には出さず頬をぷくーっと膨らませた。
「むー。すぐに追いつくもん」
友人たちから凄い目で見られているが気にしないことにする。
ユディーアは博物城で培った『魔窟で生き延びるための嗅覚』を思い出しつつあった。体に染みついた『最適解』を無意識に実行する。
「他の女性陣にも申し訳ない! 男である私の女装姿が女性であるキミたちよりも美し過ぎてショックを受けているかもしれない! だが安心してほしい、私が特例なのだ! 私の美貌で自信を喪失する必要はない、私以外の全ては二番手ゆえに!」
仰々しい振る舞いで天を仰ぐ女装男を少し呆れ混じりにからかう。軽く茶化すくらいの距離感を相手が求めているからだ。
「あいかわらずナルシストだー」
「誤解されがちだが、私は自分を客観視できるだけだよ」
緊張感のないやり取りと並行して、蘇生したフェジェンがもう十回以上は斬殺されている。超一流の天眼使いは背後を見ることなく片手間で敵を殺戮可能だった。
とはいえ、混乱の極致にある戦場では褒められた態度ではない。
度重なる死に激昂し、切り札である浄界を構築したフェジェンを中心に雲の上に築かれた王国という幻想的な光景が広がっていく。
不死者級の巨人による大規模な呪術行使によって形勢は逆転するかに見えた。
「ぐだぐだバカ言ってんじゃねえよカスども。サボってっと殺すぞココ」
実際に形勢は逆転した。だが、そこから更に『逆転』が発生していた。
浄界を発動したクロウサーの巨人フェジェンは優位な状況からあっさりと転落し、洞窟の天井に向かって真っ逆さまに墜落していく。
広がろうとしていた浄界は異なる世界観に塗り潰されていく。朱神にも似た複合彩域が活性状態で周辺に広がっている。浄界の押し合いではなく、別系統の法則を重ねることで有利な状況を作り出しているようにも見えた。
いつの間にか、ユディーアの視界の隅に少年が現れている。
逆さまの状態で浮遊している、ふわふわした黒茶の巻き毛とカールした角の羊人。
温和な気質の者が多いという種族のステロタイプを裏切って、額に寄った皺と引き結ばれた口もとが不機嫌さを主張していた。
「まともに任務もこなせねえのかよクソ女。俺がいねえと何もできねえな昔っから」
向けられた鋭い視線は邪視さえ放射する勢いだったが、彼の真っ赤な瞳が現実を改変することはなかった。にもかかわらず、上下が反転した視界に映った全てのクロウサー陣営が一斉に邪視を奪われている。
自在に宙を歩む空の民たちが、生来の自由を奪われてしまったかのように天井に落下していく。奇妙な言い回しだが、それは確かに上昇ではなく墜落なのだ。
「な、なんでそんなひどいこというの」
ユディーアは涙目になって怯えを滲ませながら相手を睨んだ。
この際、反抗の感情を強めにするのがコツだ。
相手はそれに食いつき、ここぞとばかりにこちらを叩いてくる。
「うぜえよクソユディーア。手間かけさせやがって。ザコがよ」
「なによ! ザラのばか! きらい! せっかく助けてくれたお礼を言おうって思ってたのに! もう知らないからね!」
メートリアンとちびニアの呆れた目が痛い。
だが待って欲しい。アズーリアの前でのメートリアンの振る舞いや、分裂して知性が低下したちびニアの言動も大概ではないだろうか。
ユディーアだけが責められるのは理不尽と言うべきだ。
「ココルデリコ、ツァルヴリス。二人とも戦場で喧嘩はやめましょうね。せっかく久々に同期で顔を合わせられたというのに、少しは再会を喜んではいかがですか?」
落ち着いた声が響いて、更なる闖入者が悠然と姿を現した。
古めかしいデザインの呪動甲冑はファンタジー小説や中世史の資料から抜け出してきたかのよう。だが手にした自動小杖と呪文サーベル、多機能な情報処理を可能とする兜という武装様式は規格化・近代化されている。
その現代の騎士の背後から次なる脅威が迫り、瞬時に敗れ去った。
背後で毒ガスを散布しようとしていた巨人がぐらりと倒れ、地に伏せることなく霧散していく。 自動小杖『パレルノ四八型』の引き金を引くと同時に刻印呪石弾が起動し、ビーンズ式の詠唱によって巻き起こった旋風が毒ガスを一点に集めていった。それは騎士の乗騎の前で滞留する。
「ララ、処理をお願いできるかな?」
「ぷるるーん!」
騎士が座る鞍の下で、白い四角形がぷるぷると嘶いた。
豆腐の樹に実る優美な生命体、四角い果樹獣トントロポロロンズが有害な呪毒をちゅるるんと吸い込んでいく。
事も無げに巨人を打倒したのは上下の大地に名を轟かせるデッサ聖騎士。錬金術師が作り出す霊薬や錬成造物、呪石弾などを駆使して戦う西方の杖使いである。
「パルくん、久しぶり。また会えて嬉しいよ」
「お久しぶりです、ユディーア。僕も会えて嬉しいですよ。ララも喜んでいます」
単眼の意匠をこらした邪視兜の内側で柔和に微笑む黒髪の少年は、糸のように細い目でユディーアを見つめる。その紳士的な態度と優しさにメートリアンとちびニアが『おっ』とか『ようやくまともそうなのが』みたいな反応を見せたのがわかったが、ユディーアはあえてノーコメントとすることにした。
「えへへ。パルくんはやさしいね」
「ユディーアの危機とあらば、僕はどんな場所であろうと駆けつけるつもりです」
好意的な笑顔を向けられる。空気が一瞬だけ華やいだように感じられるが、その一方で聖騎士の下でぷるぷるしているトントロポロロンズのぬぼーっとした表情がなんとなく険しくなったような気がするのはユディーアの気のせいではない。
ちなみにこの『ララ』というトントロポロロンズは雌らしい。
正直、この相手がいちばんこわい。嫉妬に刺されそうで。
戦況は一気にディスケイム側の優位に傾いていた。
突出した戦力であるユディーアの同期生たちが現れたこともあるが、最大の要因は最初に押し寄せた『軍勢』の尽きることのない勢いだ。
妖精王フリグメルタが従えていたという『不妊の軍勢』。
蟻型人間たちの勢いは、古代の北方辺境を席巻していた妖精王の暴虐を現代に蘇らせたものだ。博物城の叡智を結集した『紀人候補』が高位の風使いたちを捻じ伏せながらその場に顕現する。無数の小さな蟻たちが寄り集まって人型を形成し、それが見る間にアヴロノに変身したのだ。
「間に合ったようだな、ユディーア。怪我はないか」
茶褐色髪で浅黒い肌の少年は、飾り気のない口調で言った。
手足のみを覆う虫態甲殻の具足にサンダル、それらを固定する帯に腰布だけという古代の闘技奴隷じみた装い。野性味に溢れる筋肉質な身体はしかし決して品性を損なうことなく、博物館に展示された美術品のようだった。
それもそのはずだ。先ほどのパルが聖騎士なら、こちらは『王子様』なのだから。
「ふぇっ?! ノノまで来てくれたの?」
抜かりはない。既に袖はだぼついている。
幼児退行によって縮んでいく身体は衣服とのミスマッチを起こしており、これまでは邪魔にならないように袖をまくって活動してきた。
だがこの相手、ノノと相対するなら話は別だ。
やや袖余りの指先だけが見えた『萌え袖』の状態。ノノ相手ならこれがベストだ。
「あのっ、ありがとねっ。また、ノノに助けてもらっちゃったね」
目を潤ませ、萌え袖状態の両手を胸の前で合わせる。
反応は素っ気ないものだ。少年はちらりとユディーアを一瞥したあとはすぐに目を逸らし、周囲の敵に視線を送る。
ユディーアにはわかる。これは『興味ありません』のアピールだ。
なぜかこうするとノノはとても優しくなるのだ。何故かはわからない。
不思議だなあ、とユディーアは呑気に考えつつ四人の操縦計画を練っていく。
「無事ならいい。俺はクロウサーどもを蹴散らしてくる。後でまた話そう」
「あぅ。もう行っちゃうの? あっ邪魔してごめんね! また後でね、絶対だよ!」
『もっとお話ししたいよ~』という感情を滲ませながら無数の蟻になって散らばっていく少年に手を振ったが、蟻たちがその意味を理解できたかは定かではない。
『超個体』と呼ばれる少年の在り方は尋常な知性体の常識から逸脱している。
『女装貴公子』ココルデリコ・ペルネア・ディスケイム。あだ名はココ。
『酩酊の魔人』ツァルヴリス・トラスタリ・ディスケイム。あだ名はザラ。
『秘匿騎士』パルガレード・ダゥ・オグロサーリ。あだ名はパル。
『蟻王子』ノノンナンノン・メルタ・ディスケイム。あだ名はノノ。
ココ、ザラ、パル、ノノの四人はいずれも博物城時代の同期だ。
幼いキニスだった頃、共に切磋琢磨した記憶を共有している。
灰色の思い出の中で、少年たちはどこかそわそわとした視線を小さなキニスに向けていた。そのような感情はユディーアが成長し、たまに顔を合わせる度に薄れていくかに思われたが、意外にもまだ消えていなかったらしい。
「男友達が多いんですね」
「にあ。ノーコメント」
友人たちの厳しいご意見に何かいたたまれないものを感じる。
このままでは『男好き』の烙印を押されてしまう。
焦ったユディーアは言わなくてもいいことを口にした。
「うん、同期の女の子もいたことはいたけど死んじゃったから」
空気が死んだ。
メートリアンとちびニアだけでなく男子たちもどこか気まずそうだ。
『よし、ごまかせたな』と気を取り直す。
敵勢力はほとんど押し返すことができた。
このまま安全圏まで離脱できれば、ひとまずこの混乱した状況も立て直すことができるだろう。レメス神の顕現や選定レースの状況など気になることは山積みだが、今は少しでいいから休息をとりたかった。
思った以上に疲労が蓄積していることを実感する。
『実家からの助けが来た』という状況は、ユディーアが思うよりも安堵をもたらすものだったのかもしれない。それを厭わしく思うのと同じくらいに、ディスケイムという存在は彼女にとってただ『大きい』のだった。
だから、弛緩した意識が『それ』を知覚した時には既に遅かった。
状況が、次の段階へと移行していく。
幾つかのことが同時に起こった。
異なる局面、異なる情勢が大挙して洞窟内部に押し寄せてきた、と表現するのが適切かもしれない。結果として、制御不能な状況は本格的に混乱を増大させていく。
クロウサー陣営を押し返すディスケイムの軍勢。
呪いで満たされた戦場に、複数の巨大な呪力反応が迫る。
「アルテミシア=フレウテリスの名において命ず。絶息し、大地に呑まれよ!」
まず石化邪視が地表を薙ぎ払い、クロウサー側の世界を固めていく。
実行したのは白い女。下半身が蛇で上半身は霊長類系、天眼で捉えたその中身は岩肌種のものだ。
しかし、女の正体はユディーアにとって不快極まりないものだった。
「なんつってな。安心しろユディーア。おめたつの味方だよ」
女の声に重なって聴こえる、おどろおどろしい双頭の怪物の唸り。
ノゴルオゴルオの『片首』。おそらくはディスケイム側の増援として現れたのだろうが、これで一気に動きにくくなる。
だが、それとほぼ同時に別の動きが合流する。
それはアルテミシア=ノゴルオゴルオの背後から猛追してきたクレイと、箒と同化したキノコ人という奇妙な取り合わせだった。ちびニアが跳躍して飛びつく。
「にあ! クレイ来た! おそい!」
クレイは無言で蛇女に肉薄し、舞うように手刀を振るった。
開かれた盲目の内側からこぼれる星の視線。
この世ならざる世界を映す再生者の眼は、女の内側に潜んだ怪物の姿を捉えていた。即座に始まった死闘は周囲の戦闘にも影響を及ぼしていく。
ほぼ同時にユディーアたちの至近距離に新たな人物が降り立つ。
迫る敵の使い魔を迎撃していたチリアットに助勢するように猛然と巨体を動かすその姿に、ユディーアは見覚えがあった。
配信映像で見た『マレブランケ』のひとり、ルバーブ=スカルミリオーネだ。
己の死と引き換えに暴走した参加者を鎮圧した大地の民が、冥府に再臨する。
「ご無事ですかチリアット殿。再生に時間がかかりましたが、これより助勢に」
ルバーブは言葉を途中で途切れさせ、洞窟の天井近くを凝視した。
薄暗い冥界に降り注ぐものがある。
隕石だ。洞窟内であるという前提を覆し、宇宙空間から飛来した隕石が大地に降り注いでいた。言うまでもなく呪術によって引き起こされた現象だが、『扉』による空間操作や占星術的なアプローチとは根本的に異なる匂いがした。
謎の隕石雨の正体は、『軍勢』だとユディーアの天眼は告げている。
それは全ての魅了を陳腐化させるほどの圧倒的カリスマによるもの。
『使い魔』呪術の極致たる『恋のおまじない』。
見ればわかる。だってあの隕石、みんな擬人化されてて目がハートだから。
「まさか、あれは」
意味不明な光景を、誰よりも震えながらルバーブが凝視する。
その視線の先に、何か得体の知れない『光』がいた。
ユディーアの天眼知覚では眩し過ぎて捉えることが難しい。
というより、正確に見てしまったが最後、その美しさに囚われてしまいかねないという恐ろしさがあった。
懸念は当たっていた。自身の美貌に絶対の自信を持つココが「そこの男! この私と決闘したまえ! どちらが女装が似合う美男子であるかをはっきりさせようではないか!」などと張り切っている。あの男がムキになっているあたり、人外の美であることは間違いない。直視すべきではないだろう。
複数の『流れ』が一気に冥府に集いつつある。
だが、その全てを押し流すほどの最大の激流は最後に現れた。
たったひとり。
囚人服に身を包み、手足を拘束された女がふわりと冥府に浮かぶ。
明らかにクロウサー陣営の援軍にもかかわらず、クロウサー側の呪術師たちの表情が一気に絶望に染まる。
「あ~あ、雑魚すぎぃ。フェジェンなにやってんの~おしおきだよ~」
直後、クロウサーの血族たちが一斉に恐慌状態に陥り、戦場のただ中で一目散に闘争を開始する。誰もがディスケイムの存在を忘れたように、囚人服の女から少しでも距離を置こうとしていた。
嫌な予感がする。
ユディーアはメートリアンとちびニアに退避を呼びかけたが、既に最悪の事態は始まってしまっていた。
「雑魚なんだからぁ~、チッセちゃんのぉ~、青い血におかえりだよぉ~」
緩い宣言と同時に囚人服が内側から急速に膨張、爆発して内部から大量の生命が躍動し、繁茂し、暴走を引き起こす。
ありとあらゆる眷属種の加護が溢れ、無数の種族の形質が融け合い、青い血と共に無秩序に混ざり合うキメラの大河となって洞窟内部を席巻していく。
それは自然界という名の混沌だ。
クロウサーとディスケイムの両軍を圧倒的な質量で無差別に押しつぶし、蟻の軍勢も恋する隕石もまとめて貪り内部に取り込む、それは天災そのもの。
チッセと名乗ったクロウサーはたったひとりで巨人がひしめく高位呪術師の戦場を完全掌握していた。あのノゴルオゴルオでさえ全力で身を護ることに専念しているから、その脅威の度合いがわかろうというものだ。
当然、ユディーアたちにも生命の濁流が迫る。
避難が間に合わないと確信したユディーアは苦し紛れに『ふぇぇ、こわいよぉっ』といった感じの呪文を詠唱。たちまち『召集』に応じた四人のナイトが身を挺して守ろうとしてくれたが、生命の濁流は四人の力を合わせても止めることができない。
ユディーアは覚悟を決め、咄嗟に最後の手段である『竜覚』に手を伸ばす。
この世の摂理を司る紀竜との交信。
だがユディーアが引き起こせるのは悪運でしかない。
仮に状況が変化したとしても、その先に待つのは悲劇である可能性が高いのだ。
それでも、とユディーアは咄嗟の判断でその道を選択した。
メートリアンはここで『待つべき人』がいる。
二人の道は選定レースで交わるはずだ。二人が諦めていないのなら、ユディーアの迷いがそれを妨げていいはずがない。そのくらいの意地は自分にもまだある。
たとえその結果として、自分にとっての最悪を招いてしまうとしても。
目の前に迫った混濁生命の激流が、寸前でぴたりと静止する。
不可解な現象。その原因はユディーアのすぐそばにあった。
迫る衝撃に押されて倒れそうになっていた身体を後ろから抱き留めたのは、どこか懐かしく、遠い郷愁を呼び覚ます逞しい男の腕だ。
「そういえば、あの時も第六階層だったな」
「その、声は」
ユディーアにとっての最悪とは何か?
しなやかで、それでいて強靭な長い指がいやに目についた。
巨大な生命の波、その一点を強打する指先が全てを静止させている。
「ちょうど、似たような生態のホラーと交戦経験がある。複雑化していても生物である以上、気血は流れているだろう? ならば話は簡単だ」
「お前っ、何でっ」
同年代の若い男を操縦するための媚態を作る精神的余裕など頭から吹き飛んでいた。かわりに湧き上がってくるのは制御不能の灼熱。
不快、嫌悪、身の毛もよだつ否定感情、それさえ生温いと己を叱りつける殺意。
怒りの対象が、絶体絶命の窮地からユディーアを救っていた。
「経絡秘孔を突いた。その巨体、全てを個とするあり方が仇となったな」
ロウ・カーインによって窮地は脱した。
ユディーアは反射的に敵意を露にしようとしたが、それを上回る勢いで四つの視線が男に突き刺さる。猛烈な敵意。浮遊する羊人が赤い瞳をぎらつかせて言った。
「誰だよテメーは」
「ロウ・カーイン。単なるユディーアの幼馴染だ」
「あ?」「それは」「我々の」「ことなんだが?」
無数の怒りを涼しげに受け流し、カーインはどこか楽しそうに微笑む。
その様子を少し後ろで眺めていたメートリアンとちびニアは顔を見合わせた。
「これ、収拾可能なんですか?」
「うーん、無理そう!」




