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幻想再帰のアリュージョニスト  作者: 最近
第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ
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4-63 女王の器




 大型の無人ヘリによる火炎放射、爆撃呪術、聖水散布といった対地攻撃が、魔竜の羽が羽ばたくだけで吹き散らされていく。

 夜空のごときコウモリの羽。ネズミの前足と独立して動くその巨大な手は、むしろ背後から上空までをカバーする尾の蛇が操っているようにも見えた。複数の頭部を持ち、複数の呪力を制御可能な魔竜レーレンタークにはおよそ隙というものがない。達人級の探索者たちがわずかに生まれた勝機に全呪力を叩き込んでも、圧倒的な巨体に付いた傷は擦り傷程度のダメージでしかなかった。


 遙か眼下では小賢しい抵抗は続いている様子だが、魔竜とその主人にとっては蚊が刺す程度の痛みにもならない。あとは『隔離』していた災厄アキラたちが全てを片付けるのを待てば良い。

 降りてきた青い糸を、指先でつまんで軽く千切る。

 『死人の森の女王』として君臨するリールエルバ=カーティスに、もはやラクルラールの操り糸など通用しない。


「私はもう、私を闇の底に押し込めようとする運命には縛られない。私は私だけの意思で、望みの全てを叶えてみせる」


 手始めにガロアンディアンの機械女王を倒し、『死人の森』の支配を盤石にする。そうしたら次はドラトリアだ。リールエルバとセリアック=ニアをカルト教団を使って亡き者にしようとした本国の贄人ども。地下迷宮で襲撃してきた本国からの刺客はきちんと頭を開いて記憶と魂の洗い出しを済ませている。


「せいぜい苦しみ、のたうち回るがいい」


 遙か離れた地であろうとも、アストラルネット経由での攻撃は既に完了していた。『炎上』や『虜』といった高位呪術がアストラルの海を乱れ飛び、ドラトリアが誇る高位呪術防壁の網をするりと抜けていった。『昼のドラトリア』が誇る国家言語魔術師団の三分の二をもってしてもその呪詛を防ぐことはできず、残り三分の一が忠実なる狂姫の下僕として内応したことでドラトリア内部で呪いが炸裂する。


 火種が暴かれるのと、作られた煙が火種を具現化するのとは同時だった。

 貴族院議員の汚職が白日の下に晒され、プライベートでの差別発言が暴かれる。与党幹部の秘書へのセクハラが告発され、過去の強姦事件が明るみに。ドラトリア教管区を統べる司教の、エジーメ・クロウサーの王冠メーカー、ブライダル送呪公社、国内大手ジュエリーブランドとの癒着及び採掘場における孤児の強制労働が発覚。更に軍閥貴族の私兵による違法採掘と密輸、地域住民への虐待と税の徴収、警察と癒着した鉱山カルテルの暴虐などのドラトリアの汚点が次々と明るみに出て世界中に拡散されていく。


 昏い歓びが背を伝う。仇を失脚させ、苦境に立たせた上でまとめて殺す。祖国を混沌に導き、しかるのちにまとめて壊す。死は新たなる再生となり、冥府が地上に顕現することでドラトリアは新しい姿に変わるのだ。


「そこの。拡散と再生数の伸び具合はどうだ?」


「は、はい。順調、ではあるのですが――」


 高圧的に問われたのは玉座の近くで跪いていた――というより這いつくばっていた男だった。きょろきょろと大きな目が特徴的な短い髪をした霊長類の若者。おそらく三十には届かないだろう。怯えを声に滲ませながら言い淀む男に、王は嗜虐的な光を目に湛えながら続きを促した。


「どうした?」


「いやー、どちらかというと視聴者の皆さんはもっと刺激的なライブ映像を見るので忙しいのかなー、という感じがありまして、ええ」


「持って回った言い回しはよせ」


 冷や汗をかく男の首を指先から伸ばした血の刃で切断しつつ、夜の王は言った。

 宙を舞った男の大きな目が恐怖に揺れ、動揺に満ちた言葉が返される。


「す、すんません! 空前絶後のバイオレンス映像にみんな夢中っす! 再生数伸びまくりでマジリールエルバ様最高! ずっと配信させて下さい!」


 即死した瞬間に自らを中心とした映像を『加工』して死を回避した超高位動画配信者は、第五階層が破壊されていく光景を配信しながら叫んだ。

 先程から彼は幾度となく殺され、そのつど動画として規定した自分の周辺世界を加工して危機を切り抜けているのだが、逃げることだけが叶わなかった。

 リールエルバが、地上屈指の動画配信者にして高位呪術師である男を凌駕する動画加工呪術の達人だったためである。


 危険な戦地の最前線に赴き、驚異的な危機回避能力で刺激的な娯楽を提供する命知らずの動画配信者。動画をアップロードするたびに十万に達するチャンネル登録者たちが端末に齧り付くほど人気があるが、その集客力によって『死人の森再誕』の阿鼻叫喚は順調に拡散されていった。


 それはリールエルバの力と恐怖が承認されていくということだ。

 新たな『死人の森の女王』リールエルバ。

 新たなドラトリアを統べる始祖吸血鬼カーティス。

 情報として、噂として、実体の無い輪郭だけが存在感を増していき、ネットスペースにおける領土を瞬く間に拡大する『死人の森』。


 これまでの六王たちには無かった戦略、現代では常套手段となった情報による先制攻撃。印象を微調整し、文脈を自らに引き寄せ、自陣営の正統性を主張しつつ敵対陣営の悪辣さを強調する。あたりまえのようだが、これを物質世界と滑らかに接続し、違和感を調整する手腕はいっそ美しいとすら表現できるものだった。


 動画配信者は密かに舌を巻く。

 この新たな王、下手をすれば自分よりも――。

 そんな危機感が、彼の内なる誇りか何かに火をつけたのか。

 震えと怯え、今度こそ死ぬのではという視聴者の期待を振り払いながら男はこんな事を言い出した。


「お、恐れ多くもリールエルバ新女王? いや国王陛下? に突撃インタビュー! しちゃったりしてもいいっすかね、どうでしょ実際」


 砕けた口調で冗談交じりに笑ってみせる男は、あらゆる報道機関に先駆けてリールエルバの真正面からその問いを発してみせた。

 無論、それは『死人の森の女王』の歓迎するところだった。男装の麗人は楽しむような薄い笑みを浮かべたまま「いいだろう」と許しを与える。動画配信者は喜色を顔に浮かべて言った。


「えーとじゃああれですよ。陛下からは幾つかの声明が既に出されてるわけですが、その中から気になるポイントをガッツリ質問していきましょう。ってことで」


「要点だけ述べろ」


 容赦の無い首の切断。頭蓋の粉砕。

 空間の補正と共に死が世界から隔離されていく。


「こういうのあんまやらないんで勘弁して下さいマジすんません首やめて。えー、では――陛下と妹姫殿下の暗殺計画に関わった勢力? 粛清って話はどうぞどうぞって感じでガンガンやってくれちゃっていいんですけど、実際ガロアンディアンへの侵攻ってどうなんすか。大義名分ってあるんすかね」


「前提が間違っている。この世界槍における第五階層は元々『死人の森』が統べる領域であり、固有の領土だ。私は侵略者に対する正統な防衛を行っているだけだ」


 リールエルバに限らずこれまでガロアンディアンと戦ってきた勢力の姿勢も基本的にはこれと同じだった。違うのは、それを対外的に強く宣伝したかどうかだ。そしてそれこそが何よりも重要なことなのだ。


「ふんふんなるほど。じゃあ次ですけど、ドラトリアの上方勢力脱退と下方勢力への参加? っていうか呪術世界ごと移動? って勝手に決めていいんすか。議会の承認とかはどうなってんですかね」


「私こそがドラトリアであり、私の意思がドラトリアの総意だ。既に我が国は民主的にこの決定を受け入れた。議会の承認は下りている」


「うげ、速報マジで全会一致とか言ってるこわっ」


「お前はカーティスという小世界を理解していないようだ」


 少なくとも、ドラトリアの国内メディアは諸手を上げて新たなる国家元首、古き王国それ自体を象徴する紀人の誕生を祝福していた。国家そのものを擬人化・キャラクター化することはよくあるが、それが人格と強い呪力を兼ね備えた場合にどうなるのか。民主主義を謳いながらもその意思決定に一切の遅延が無いという恐るべき光景は、ジャッフハリムの聖妃政治を思わせた。


 実際にドラトリアの総意がこの王の制御下にあるのか、流布された情報が真実をねじ伏せているのか、どちらであっても異常極まりない呪力であり、それは事実よりも強い現実である。この王こそドラトリアなのだ。

 女王は笑う。一方で質問者の顔色は悪い。生きた心地がしないであろう死の王の前で、それでも男は意地を通そうとしていた。


「では、差し支えなければもう一つだけお願いします」


 動画配信者は端末を持ち上げ、空中の瘴気に過去の映像を投影してみせた。リールエルバの眉がぴくりと震える。そこに映し出されていたのは今よりもややあどけない雰囲気の『ドラトリアの昼の姫君』――セリアック=ニアだった。


 動画の中で、聖姫は採掘場への視察と現場の夜間労働者への労い、劣悪な衛生環境の維持という文化保全に対する謝辞を述べていた。その後、美しい宝石を賛美し、それらを細工する技術を学ぶ姫君の姿が印象的な絵として映し出されていく。

 労働者たちの苦痛と大地の穢れを蓄えた呪宝石の怨念を美しくカットし、その上に君臨する支配者に権威を授けるという宝飾の世界。聖姫は王族と民衆の調和を説きつつ、いずれは愛する姉に自分が手がけた王冠を贈りたいというコメントで映像を締め括った。


 政府広報の制作であり、幾つもの文脈と政治的な意図が重ねられた映像である。

 ドラトリアの『昼』と『夜』、それを象徴する二人の姉妹。

 微笑ましい姉妹愛として二重の国を繋ぐ作られたアイドルたち。

 あるいは、それはリールエルバが破壊を決意した呪縛であるのかもしれない。

 だが、それでも。


「この凄惨な破壊行為を、亡き妹殿下の前で正しいと言えますか」


 小さく笑い声を上げた吸血鬼は、無造作に動画配信者を引き寄せた。不可視の手で全身を掴まれた男は声も出せずに目を見開き、自分の胸の中に細い手指がめり込んでいくのを眺めることになった。

 心臓に到達した指が全身の血に刻み込んだのは穢れ――始祖の瘴気だ。


「再生数と広告収入だけを信仰する俗物かと思えば、面白い。この後に及んで私が安い情に流されるのではないかという楽観も含めて、愉快だと言っておこう」


 勇気を振り絞った男の問いがコンテンツとしての彼のキャラクター性に根ざしたものなのか、それとも極限状況下で発揮された正義感によるものなのか、動画内ではわからない。だが、少なくとも再生数はその展開を歓迎していた。


「私となって全てを見届けるがいい」


 動画編集による空間の改変すら追いつかない強制力――存在の根底を覆す感染の呪術が新たな吸血鬼を新生させる。それは無数にあるカーティスが無数になったというだけの数の上では大したことの無い変化。だがそれにより新王の存在承認の高まりは加速していく。

 こうして誕生した地上有数の動画配信者リールエルバ=カーティスを従えて、『死人の森の女王』はぽつりと呟く。


「舞台の幕は上がった。この状況を作った時点で、お前には既に無傷の勝ちは無くなったのよ、トリシューラ。ダモクレスの剣がいま誰の頭上にあるのか、正しく理解できていて? 私たちがらくたの道に、先は無い。まずはそれを知りなさい」


 口の中で消えたその言葉を聞く者はおらず、問いに答えを返す者もいない。

 血色の瞳は、ただまっすぐに戦場のトリシューラをとらえていた。




 『破壊』という文字が大地を駆け巡る。『戦闘』という記号が空を席巻する。

 魔竜との戦いにおいて主役となっているのは上空から九門の砲塔で呪術射撃を続けるグレンデルヒ、無尽蔵に生み出される巨大石像を操りながら自身も戦車の如き勢いで魔竜に攻撃を仕掛けるルバーブ、荒ぶる天災として魔竜と正面から格闘するアルマの三人だが、その他にも魔竜に挑む者たちがいた。


 着流し姿の垂れ耳ウサギ浪人が瘴気を大栞で切り裂いたかと思うと、顔が半球状に抉れた男が表紙に人面が張り付いた魔導書を操って魔竜の吐息を天へと逸らす。書物であり楽器であり詩歌そのものでもある大きな巻き貝を手にしたヒレ耳の女が呪文で作られた投網を投げて使い魔の群を捕獲し、象牙の僧正が斜め前に進撃しながら吸血鬼たちを浄化していく。


 第五階層南ブロック、呪術医院――もはやその跡地となった瓦礫の山の周辺で、探索者たちの苦闘は今も続いていた。

 ある者は生き残るため。

 ある者は義憤のため。

 ある者は闘争の愉悦のため。

 ある者は単なる功名心のため。


 ――そしてその多くが無自覚のままブレイスヴァのため。

 様々な物語が暴力の形をとって魔竜に立ち向かう。竜退治の物語、困難との対峙というもっとも原始的なスタイルの形式が世界を舞台へと変える。

 竜退治のための手法とされるものは数多くある。

 例えば毒殺。例えば寝込みを襲う。例えば弱点を狙う。

 ゼオーティアにおいて、それらに続く常套手段と言えるのが、同格の竜を作るというアプローチである。


 ゼドの性質を帯びたミヒトネッセは戦場を駆け巡り、ある人材を探していた。

 やがて常人の視力を超えた人形の瞳がそれを見つける。

 浮遊するツインテールの美少女呪文使いである。

 ゼドとは探索者集団の長と古参幹部という関係だ。声をかけると、飛び上がってもじもじと毛先を擦り合わせて恥じらうツインテール。

 

「頭から下はどうしたの」


「ごめんなさい、魔竜にやられちゃって。落ち着いたら新しい身体探さないと」


 浮遊するツインテールの髪型は、恥ずかしそうにそう語った。容姿はわからないものの、声の透明感といい髪の美しさといい雰囲気からして美少女に間違い無いと思わせられる。恋する乙女の視線を髪から放射しつつツインテールが言った。


「その、今回のゼドさんとってもかわいいです。ツインテ黄髪メイドロボなんて、えへへ、私と一緒で三位一体ですね」


 正確にはミヒトネッセの髪型はツーサイドアップなのだが、呪術的には近い性質を持っていると言えよう。丁度良いとばかりに人形はツインテールに要求する。


「確かあんた、オルガンローデ撃てるのよね」


「はい! お時間をいただければ、第六段階までは維持できます!」


「しばらくしたら音楽とPVが流れるから、私の合図と同時に指示したポイントに撃ってくれる?」


 そう言って、ツインテールが内蔵する呪術演算器に座標を送る。

 美少女呪術師は困惑した様子で髪を傾げた。


「あの、魔竜に撃つんじゃないんですか?」


「魔竜に撃とうとしているそぶりを見せてね。周囲に狙いを気付かれないように」


「わ、わかりました。何か作戦があるんですね。私がんばります!」


 にっこりと微笑んでその場を離れていくミヒトネッセ。戦場に散らばっている『盗賊団』の探索者たちを激励し、救い出し、時には後に備えての指示を出しては次の目的地へと駆けていく。人形の瞳は先を見据えていた。




 あるいは、独自のルールに竜を引き込もうと工夫を凝らす呪術師たちもいた。


「こっから車両は進入禁止。騎乗してたら馬でも同じ。交通法規がてめえを制止」


 かろうじて無事な道に交通呪文を描き、国際規格の道路標識杖を掲げた呪術師が魔竜の前に立ちはだかった。しかし巨大ネズミの進撃は止まらない。

 一瞬で踏みつぶされる呪術師を囮に側面から『世界の変質現象』が魔竜に激突。 切り替わる風景。絶海の孤島、八角形の館、嵐の中に響くわらべ歌。


「限定浄界・八ツ目館の怪。第一の殺じ――何っ?!」


 巨大怪獣殺人事件。新人賞の投稿作にするためのネタとして創世竜を捕獲しようとした作家志望の男は浄界を内側から破壊されて白目を剥いた。

 魔竜の足を止めることはできない。探索者たちが絶望しかけたその時、巨体をすっぽりと覆うほどの『扉』が上空に出現、開くと共に一気に下降する。

 魔竜は大量の影と共に飲み込まれ、扉諸共に消失した。左右の側頭部からドアノブを生やした髭面の男が突如として虚空に出現し、不敵に笑う。


「グレンデルヒ殿、イアテム殿に次ぐ探索者にして一流の『扉職人』である私の最大射程は太陰の裏側にまで及ぶ。無限に続く宇宙を永遠にさまようがいい、油断しきった愚かな不死気取り、古びた六王と竜よ」


 扉職人が勝ち誇った直後、彼は肉体をぐるりと裏返らせて絶命した。無惨な死体を『扉』に変えて、空間を引き裂きながら魔竜が帰還する。

 続いてキャカール十二賢者が一人ルヴァオを名乗る十字瞳の老人が進み出て、


「お前は瘴気を纏い病をまき散らすネズミの王であるというが、それは奇妙なことだ。ネズミとはとるに足らぬほど小さく、それゆえ多産の性質を持つ。魔竜を名乗るものよ、お前が多さと大きさを兼ね備えるのは病の王としての自己否定に等しい! お前の吐き出す瘴気はさしずめ夢幻、その巨体もまた虚栄に過ぎぬ!」


 という仰々しい語りかけを行い、それを受けたリールエルバは、


「違うぞ老いぼれ。この魔竜こそネズミの王、その疑いは恐れによるものと知れ」


 と答えた。するとルヴァオはこう叫んだ。


「なんたる言い訳、夢見る乙女でさえ寝ぼけ眼でせせら笑うだろうさ。ネズミの王を名乗る煙の怪物、その身の証を立てたいと望むならば、言理の妖精にかけて、この小さな箱に入ってみせよ! ネズミならばできるであろう、魔の竜と名乗る偉大なるまじないの達人であればなおのこと容易かろう! どうした、できぬか、やはり全てはったりか!」


 見え透いた挑発であり、多くの物語の筋では賢者の口車に乗せられて怪物はこのまま封じられてしまうのが常ではあるが、魔竜はそのような呪文に捕らわれたりはしなかった。空気を読まない踏みつけがルヴァオを圧殺する。

 その他、殺鼠剤、ネズミ取りの罠、上空からの落下、強力な生物毒、逆に生命力を活性化させる治癒呪文、聖水で構築した大蛇による浄化発勁、松明神ピュクティエトの炎による消毒、ワクチン呪文とありとあらゆる手段が試され、その都度理不尽な暴力で無効化されていった。


 探索者たちは持てる力を存分に発揮しながら個性的な死に様を晒していく。

 試行錯誤の結果、屍が山となるまで彼らは必死に目を逸らし続けてきた事実をついに認めざるを得なくなった。

 つまり、魔竜には文脈を絡めた攻撃が一切通用しない。


 静かな絶望が戦場に浸透していく。それはゼオーティアにおける戦いの定石を、魔竜レーレンタークが一顧だにしていないことを意味していた。

 理解不能なものへの恐怖が、探索者たちの足を竦ませていく。

 自然、そんな戦場から遠ざかろうとする者たちもいた。


「あー無理無理、いい加減キリ無いわこれ」


 つば広帽子のアヴロノ女性がうんざりしたように言った。

 潰したと思えば新しい敵が湧いてくる上、個々の質が徐々に高くなりつつある。

 他にも諦めの気配を漂わせはじめた者が多く、第五階層の住人ではあっても土地に愛着を持たない者たちは撤退か服従かを真剣に考えはじめていた。

 ガロアンディアンは家を自由に創造する仮宿の街、非定住の都市だ。土地の所有と管理は公社のロドウィが失脚して以来トリシューラに委ねられ、子供も教育も伝統文化も地域社会も希薄なあやふやな国家に帰属意識を持つ者などほぼいない。人々は非愛国化していた。やや過剰とも言うべき極端さで。

 根無し草かつ独立独歩の探索者たちほどその傾向は強い。


 肩だしニットチュニック姿で灰髪を肩まで流した色素の薄いアヴロノの女は、『エジーメ』のつば広帽子を盾にして呪いを防ぎつつ、牛革ベルトに吊ったカードホルダーから減速符をばらまき逃走の時間を稼ぐ。


「そういや銀霊将にこんな感じで増えるのいたね。お嬢が笑顔でホーリーラブパワーとか言って順番にボコってたわ。物理で。懐かしい」


 遠い目をするアヴロノに迫るジャイアントアキラバット。背中合わせで戦っていた桃髪をポニーテールにした女がくるりと反転しつつ選手交代、迫り来る中級アキラの羽を槍で裂くと、相方のアヴロノが後ろも見ないまま安価な『炸撃』の呪符を雨雲のようにまき散らし、炎の集中豪雨でアキラを焼き払う。

 フリル付きブラウスとハイウエストのスカートの上に背中開きバックレスのタートルネックニットワンピースを重ね着した桃髪ポニーテールがややおっとりした甘い口調で言った。


「物理浄化で一掃は無理だよ。ドラトリアの『聖なる穢れ』だもん。隔離して再封印してもかえって王権を強化する結果になりそう。公女様が生きてたらもうちょっと希望も見えるんだけど――ふえぇ、九英雄クラスがあとひとり欲しいよぅ」


「てゆーかゼドのクソジジイはどこよ。冬の魔女とか、ちょっと前に派手に復活してなかった? あれは何だったの?」


 英雄への期待は常に大きい。名声の分だけ、危機に際して劇的な活躍がなければ失望も大きくなる。戦場の空気には苛立ちすら混じりはじめていた。

 とはいえ、それも現実的な決断に優先されるものではない。


「エンデミックだとかパンデミックだとか言っても、せいぜい槍神教圏規模の破滅でしょ。いざとなったら太陰にでも逃げて、狂王子の遺跡でも探索するわよ」


 そう言ってさっさと戦場に背を向ける二人組。

 病院の敷地はルバーブによる巨大な壁、イツノによる結界で閉ざされているのだが、この二人はその程度ならばどうにかなるという判断を下した。端末に『戦場に戻れ』という旨の通信が入るが、帽子のアヴロノは素知らぬ顔で無視、桃髪ポニーテールは申し訳なさそうに着信を拒否した。

 戦場の中心で魔竜に次々と敗れていく探索者たちを見ながら、アヴロノが言う。


「刑罰や神話の文脈も乗せずに高位呪術師に星間追放って、アホなのかしらあの扉職人。『変異の三手』、落ちるとこまで落ちたなー」


「うあぅ、そんなこといっちゃ可哀想だよぅ、ていうか私たちが言えたことじゃないよう。それにさ、あれ神話参照しても無理っぽくない?」


 桃色の髪房が揺れる。小さな顎に指を当てて小首を傾げる姿は中々愛らしく、近くにいた男性探索者が目を奪われてネズミの群れに飲み込まれていた。桃髪ポニーテールはちょうど良い、とばかりに呪符を槍に貼り付けてネズミまみれの男の背中に突き入れて、ぺろりと舌を出しながら片目を瞑って謝意を示す。

 男は体内で炸裂した呪詛に強制されて絶叫しながら走り出し、敵陣のど真ん中で大爆発した。その隙に敵集団から離れていく二人組。アヴロノの女が帽子の汚れを払いながら言った。


「こんなとこで死ぬとかマジないし。てか、さっきの顔どっかで見たわ。盗賊団の結構な古株じゃなかった?」


「むーん、どうだろ。良くおぼえてないかも。直参の人達ほど仲良しじゃないし、私たちって外様だし」


「ゼド信徒の五本指みたいにベタベタすんのも気持ち悪いでしょ。盗賊団なんて所詮寄せ集めなんだから当然よ。『戦える者は総力を挙げて魔竜に徹底抗戦』なんてやってらんないわ。軍隊でもあるまいし、無視無視」


 雑談を交わしながらも周囲への警戒は怠らない。力みの無い滑らかな槍の一閃で中級シナモリアキラを瞬殺し、飛来する多連装アキラロケット飛頭蛮を『水変化』の水流障壁でやり過ごす二人。

 逃げながらもアヴロノの探索者は戦場から完全に目を離すことはしなかった。魔竜の動向、配信中の映像までチェックしつつ、付け入る隙を探し続けている。


 これまでの交戦で判明した事実もある。女探索者は『霧の防壁』を展開。遠距離から迫る薙ぎ払うような魔竜の吐息から身を守った。戦場全域を薙ぎ払う破壊の瘴気。強引に壁を突き破ってくる穢れに対し、更に『霧の防壁』を追加。重ねてもう一枚。三重の『霧の防壁』でようやく瘴気は無害な悪臭にまで減衰された。


「通常の呪術基盤は一応有効。参照系呪文の無意味さが不自然。そもそも繋がって無いのか――瘴気は正体不明、吸血鬼は呪文と使い魔の複合系統、そもそも病に薬が効いてないのはどういう理屈、いや理屈が通らないから? 古代の――あ」


 ぶつぶつと呟きながら考えに沈んでいたアヴロノ女は何かに気付いたようにはっと目を見開いたが、直後に「危ないっ」と叫んだ桃髪ポニーテールに強引に引き倒されて顔を地面に打ち付けた。すぐさま起き上がって文句を口にする。


「いきなり何?! お前も鼻ぶつけろ! 鼻潰してブサ顔になれ!」


 激怒しつつ相方の鼻を摘まむアヴロノ。桃髪ポニーテールは目を白黒させる。


「ふにゅー!」


「キモイ鳴き声出すなその顔潰して私よりブスにすんぞ」


「ふにゃぁ。ひどいよー」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎ合う二人に容赦なく叩き込まれた二撃目の呪詛を、アヴロノの女が今度は正確に反応して帽子で防ぐ。

 二人は既に敷地の外周部に辿り着いていた。要塞の外壁と形容すべき高い壁、その内側から何かが溶け出すように現れつつあった。確かな実体と周囲の風景を歪めて世界そのものを侵食する――まるで異界そのもの。


「やれやれ――壁の外周で待ち構えていれば逃げ惑う虫けらで楽しめるかと思って待機していたが――実際に腰抜けを前にすると、やはり退屈さが勝つものだな」


 壁から染み出した流動する水――あるいは液状の原生生物がくぐもった声で言った。アメーバのように全身を蠕動させ、じわじわとその全貌を明らかにしていく。大柄な霊長類を丸呑みにできるほど巨大なゲル状生物は、その体内に無数の人骨を内包していた。上部には真っ赤な眼球が浮かんでおり、ぎょろりと前に飛び出して二人の探索者の姿をしかと捉えた。

 途端、空気が変容する。穢れに満ちた悪臭が肺を冒す微粒子に、空気の危険度が跳ね上がったのである。二人の探索者の表情から余裕が消えた。


「存在の格がこれまでのB級シナモリアキラとは違いすぎる。貴族、いや王侯級の吸血鬼――下手するとカーティスよりも」


「当然であろう。我らはかつてカーティスに封じられた厄災。隔離するしかなかった古の始祖。吸血鬼を封じる吸血鬼など、死としては我らの格下もいいところだ」


 鞭毛も繊毛も持たないアメーバ状の原生生物はそう言って耳障りな声で笑う。

 彼の背後に聳え立つ壁から、次々と現れたのは壁に埋め込まれた犠牲者たちだ。逃げようとして捕まり、壁の中に埋め込まれた探索者。彼らは高熱と腹痛に苦しみ、下痢と血便を垂れ流したまま不快感の中で殺されるのを待つしかない。

 お前たちもこうしてやる――アメーバは演出と共に全身を広げた。


「教えてやろう。『外破アウトブレイク』――これこそ俺たち病気持ちのシナモリアキラが固有に持つ『病の形』を解放する特殊宣名。シナモリアキラとしての殻を破り、歴史上の大量死と隔離の恐怖を溢れ出させる。我らは始祖本来の力と姿を取り戻し、戦闘能力は数倍に上がるのだ」


 既に半ば以上異形のシナモリアキラだが、更にその上があるというのか。恐れおののく二人を楽しげにあざ笑いながら、アメーバ・アキラが宣名する。


「永劫の貴族が恐怖を取り立ててやろう、儚き定命の民よ。涙に溺れ、震えて耳を塞ぐがいい。我が恐怖の名は『赤流ディセ――』」


 突如として甲高い音が響き渡り、長々とした口上を遮った。

 帽子のアヴロノが音響符を投げつけたことで周囲の音が掻き消され、宣名が強制的に中断されたのだ。

 泡を食って音響符を排除にかかるアメーバ・アキラ。

 アヴロノは掌から鋭角のかけらを宙にばらまき、指先でまとめて弾く。直後、鋭いかけらの後部から光の柱が出現、バラバラの方向に射出された。アヴロノが得意とする矢尻のみで発射可能なアストラル射撃――通称マジックミサイル。


 前に出て音響符を破壊したアキラに乱射された矢が直撃。体内に潜り込んだ光の矢は爆発して熱と衝撃を撒き散らす。

 それとタイミングを合わせるように桃色の影が飛翔していく。身体強化呪術『炎天使』を発動した桃髪ポニーテールが敵に肉薄したのである。


 伸縮自在の腕を放射状に生やし最適経路を選んで拳を放つアキラに対し、桃髪ポニーテールを硬質化させて首への致命傷を防ぐ『炎天使』。彼女がぎりぎりで全ての拳を捌いて槍をぐるりと回すと、穂先が強い磁力を発生させてアキラの体内に残留した矢尻を引き寄せつつ掻き回し、アメーバの柔らかい全身を崩していった。

 転がした標的目掛けて電磁加速した槍が吸い込まれていく。イアテムの斬撃すら凌駕する『岩穿ち』の呪詛がアメーバの核を破壊し、絶命させた。

 

 そして、『分身』を殺されたことで激怒した『本体』がその擬態を解除。

 広大な敷地を覆う巨大な壁の一区画、探索者たちの目の前の光景そのものに擬態していた、過去最大級・空前絶後の体積を誇る巨大シナモリアキラが仮足を伸ばしながら怒りの咆哮を上げる。


「死ぬがよい」


 その瞬間、バラバラに飛んだ矢のうち、魔竜の方に向かっていた矢が動画配信者の目の前を通過した。矢はアメーバ・アキラの映像とその下に表示されたニックネームの立体幻像を空間に固定、動画配信者の念写を通じて全世界に中継される。十万の認識が宣名より早く存在を規定。灰髪の女が叫ぶ。


「汝の御名にまことは非ず! 其は原初の遊戯、幼子笑う名付けの魔法! 言理の妖精語りて曰く、『お腹ゴロゴロ村のゲリ便ブリブリ太郎』!」


 子供の悪ふざけめいた名前を全世界に拡散されたお腹ゴロゴロ村のゲリ便ブリブリ太郎の巨体が見る間に縮小していく。そして、探索者二人がその致命的な隙を見逃すことは無かった。


 桃色のポニーテールが槍の先端に巨大な矢尻を『創造クラフト』し、それに合わせるように灰色のアヴロノが固定式の巨大な弓を『創造』する。『炎天使』を矢に見立てた魔法の矢マジックミサイルは一条の閃光となって瘴気の海を裂き、いかにも弱そうな名前の始祖を一撃の下に葬り去った。


「なんか倒せちゃったんだけど」


「ふみゃぁ、もうやりたくないよぉ。ぐすん」


 僅かな時間の戦闘であったにも関わらずへたり込む程に消耗した二人。大げさではなく、呪力の量において圧倒的に格上の相手だったため、一方的に瞬殺しなければ勝てなかったというのが実際のところであった。


 よく見れば、細かい粒子となって消滅していくアメーバの残骸に、日本語の『拾壱』という漢数字が刻まれていた。この順番が強さに関係しているとすれば、他のシナモリアキラとの遭遇は今より更に死に近い。

 絶対にこれで終わりにして逃げようと二人は固く決意し、その場を離れようとする。だが派手な戦いぶりを残るシナモリアキラたちが見逃すはずも無かった。


 大量の蚊を従えた垂れ目の男と、剥き出しの太い腕に鎖を巻き付けた鉄仮面。

 蚊使いの首筋には『玖』、鉄仮面の頬には『肆』と刻まれている。

 立ちはだかったシナモリアキラは二人。今度は数の利もわずかな油断も間抜けさも期待できない状況に、二人の探索者は思わず呻き声を漏らすのだった。





「あれー? こっちいったと思ったのに、ニアちゃんどこー?!」


 魔竜のすぐ近くをちょろちょろと飛び回りつつ、リーナ・ゾラ・クロウサーが友人の名を呼んで回る。脳天気な声とは裏腹に魔竜の吐息もコウモリたちの襲撃もまるで追いつけぬ高速飛行。魔竜の羽すれすれを飛んで、知った顔を見つけたリーナの顔が陽気に華やぐ。


「やっぱリールエルバ男装ちょう似合うー! えっ、ていうかマジでかっこよくてびびる。幼馴染みが格好良すぎるのやばくない? あ、ニアちゃん見なかった? 先にこっち来てると思ったんだけどなー。シナモリアキラ氏とバトル中とか?」


 玉座のリールエルバは手で額を覆い、苦い顔をした。

 それからはあと深く溜息を吐いて言った。


「その通りだ。信頼できるシナモリアキラに壁の外に連れ出して貰った。ここは隔離された壁の中。聖姫のいるべき場所ではない」


「うおお、低めの声で威厳のある王様ムーブ、ちょっとキュンと来た。いやいや、じゃなくて。ニアちゃんはいるべきじゃなくてもリールエルバの近くに行きたいみたいだし、私はそっちの応援するからね。ついでに私もそっち行くよ」


 そしてリーナは帽子を脱ぐと、深く頭を下げて言った。


「助けに行けなくて、ごめんね」


 それから、眼下の凄惨な破壊を見下ろして続けた。


「血に縛られて、壁に閉じ込められてたリールエルバが全部壊しちゃおうってなるのさ、私はどうにかしてあげたいって思う。けどね、だからみんな死んじゃえって言うのは、やっぱり肯定できない。私は、それを許すわけにはいかないんだ」


 リールエルバの眉が少し下がって、声から張り詰めた緊張が消える。

 そこにいたのは、以前と変わらないままの幼馴染み。

 ずっと昔と同じように――そして、ずっと昔から狂気と憎悪を胸に抱いていた少女のまま、親しい友人に問いかける。


「私を止めるの、リーナ? 彼みたいに幽閉する?」


「そうだね。そうすることで、リールエルバを守れるなら、私はどんな権力だって濫用するよ。この戦いが終わった後、こっちが勝っても特区のドラトリア系夜の民は守り切る。今の私、めっちゃ偉いからね」


 それはどこまでもリーナ・ゾラ・クロウサーの答えで――だからこそ高みから差し出された手をリールエルバは拒絶した。


「なら、ここで馴れ合いはおしまい。私はリーナ・ゾラ・クロウサーに媚びへつらってお情けを受ける取り巻きの友人にはならない――アキラ、そこのリーナは強敵よ。容赦は不要。ミルーニャ諸共、殺していいわ」


 冷酷に言い放つとリーナから視線を逸らすリールエルバ。

 その影の中からぬっと現れたのは病的に白い肌と血のように赤い目を持つシナモリアキラ。白い影は滑らかに浮遊し、勢い良くリーナに飛びかかる。

 飛散する大学ノートの障壁と、使い古されたブリキの義腕が激突、軋みを上げた。整った顔の右側にはコップの刺青が彫られており、図像の中央に『陸』の漢字が刻まれている。突然の奇襲と異常な圧力に押されて魔竜の近くから弾き出されてしまうリーナ。


 距離を詰めたままどこまでもリーナを押していくアキラ。やる気の無さそうな態度でリーナに適当な殺意を向ける――だがその呪力は紛れもなく必殺だった。アキラは片腕に巨大な呪力を込めつつ、もう片方の腕でタバコを取り出して咥える。


「おっと、ライターがねえや。戦闘中で悪いがお嬢さん、火を頼めるか?」


「シナモリアキラ氏そういうキャラなの?!」





 潮目が変わっていく。

 魔竜の脅威に加え、危険な上位シナモリアキラたちの参戦で腰が引けていた探索者たちが、戦場の片隅で上がった戦果に触発されて勢い付いているのだ。

 高名な英雄ではなく、名も無き探索者が始祖吸血鬼という大物を倒した。ならば我々にだってまだ勝ち目はある。そんな希望が恐怖を打ち消していく。


 弱った野犬の群れを背中に庇う犬耳のアキラが水や風の呪術に怯えて錯乱し、首から下を鉄の箱に詰め込み苦しそうに口から『空圧』を放ち続けるアキラを探索者たちが包囲して追い詰めていく。体力が尽きて顔色が悪い囚人服のアキラとルバーブの戦いは一方的な展開となり、巨大な猿を従え砂袋を担いだアキラの弱々しい攻撃を蠍尾(マラコーダ)が軽々といなしていった。

 コウモリ羽でキツネ顔のアキラに至っては早々に戦うことを諦めてリールエルバを裏切ると宣言。傷付いた探索者たちの手当てなどをしていた。


 病気持ちのシナモリアキラたちは病としての性質を色濃く受け継いでおり、それゆえに重い症状に苦しんでいる。強大な呪力は持つものの、基本的に病人である彼らには体力が無く、眩暈、吐き気、頭痛、息切れなどで戦うどころではない。

 それでもシナモリアキラが折れることは無かった。苦痛を耐え抜こうとする彼の様子に近しい者たちはみな違和感を覚えたが――リールエルバによる支配の影響だろうという推測以上の事は考えなかった。ただひとり、トリシューラを除いては。


「何か変だ。魔竜以上に、カーティス――ううん、リールエルバが見えない」


 魔竜に向けてドローン部隊の射撃指揮を執っているトリシューラが眉根を寄せて考えこむ。その横からミルーニャが言った。


「トリシューラ。考えるのは構いませんが、あちらの舞台はそろそろです。優勢の今こそ流れを固めておくべきでは?」


「わかってる。カーイン、そろそろトドメいけそう? かっこいい点穴シーンに合わせてセスカがジャンプしてる映像をバックに流すから、音楽と一緒に決めポーズお願いね。できれば決めゼリフもよろしく。え? アドリブだよそんなの」


 トリシューラは離れた場所で戦っているカーインに『心話』で呼びかけ、同時に『夢』のライブを表示できる立体幻像装置を積んだドローンを戦場の各所に配置。

 軽やかな音楽を背景にすることで、なんとなく自陣営が勝っているような空気へと整えていく。ゼドに化けたミヒトネッセが前線で探索者たちを鼓舞し、最精鋭の五人組が小規模な部隊として統率することで戦況は瞬く間に安定していった。


 そして、遂にカーインがコレラ・アキラの『紀命点』を探り出し、正確に貫手を突き入れることに成功した。その瞬間、戦場の至る所に『夢界』の光景が溢れ、煌めくようなライブ映像が音楽と共に世界を彩っていく。


「二連続! きらめきシャーベット!」


 絶好の踏み出しから美しいジャンプを決めるコルセスカが戦場の空を舞い、ジャンプと同時にマジカルアピールを決める。見事な慣性制御と摩擦係数制御による四回転サルコウ+三回転トゥループのコンビネーションという卓越した呪術技巧。観客席と化した戦場が一気に沸き立ち、英雄に鼓舞された探索者たちの戦意が極限まで高まっていった。


 場の『流れ』を掌握する勝ちパターン。

 歌とダンス、消費されるエンタメとしての戦闘。

 トリシューラ陣営を導くのは見目麗しい英雄たちで、リールエルバ陣営にひしめくのはおぞましくも恐ろしい穢れた怪物たち。

 この枠組みが成立した以上、もはやトリシューラ陣営の勝利は揺るがない。


「よし、カーイン、コレラの消滅を確認したら、探索者たちが足止めしてる他のアキラくんを撃破に向かって。多分コレラだけじゃアキラくん総体に届かない。最低でも半数の六人分、紀命点を突いて回って欲しい」


 形容しがたい不安に苛まれつつも、トリシューラは現場に指示を下していく。戦いが結末に向けて動き出している以上、ここで足踏みしていても仕方が無いのだ。トリシューラ本人の支援によりルバーブが相対するアキラは瀕死、蠍尾(マラコーダ)は援護の必要も無く『創造』した毒の尾でアキラを貫いている。

 トリシューラは砲撃用の大型杖を構え、ミルーニャと共に駆け出した。上空で白いアキラと交戦状態に入ったリーナを援護するためだ。


 立体幻像の向こう、輝くようなコルセスカが足を後方に高く上げたスパイラルを行う。穢れに黒く染まった『SNA333』を圧倒するパフォーマンスで当たり前のように勝ち続ける英雄的な振る舞い。かつての輝く意思を失ったアイドルグループは、強敵と同じ舞台に立たされたプレッシャーのあまりミスを連発、転倒してそのまま立てなくなってしまう者すらいた。

 誰もが感じていた。

 シナモリアキラの弱さと、どうしようもない惨めさを。





 『参』という漢数字を、蠍尾(マラコーダ)は当然読むことが出来た。それはこの太陰に日本語が登録されるよりも前、トリシューラと出会ってから教え込まれた様々な知識に含まれていたからだ。一から十二までの数字は、それだけ『マレブランケ』を象徴するものだったのだろう。


「私たちの真似なのかもしれないけど、こうなるといっそ可哀相ね」


 砂袋を担いだシナモリアキラ。彼の胸の中心に刻印された『参』の数字を毒針で貫き、致命的な呪毒を注ぎ込む。

 蠍尾(マラコーダ)の持つ『神経毒』の属性は古の妖精王に由来する。始祖の病毒にも対抗しうる強力な『サソリに対する恐怖』の概念。

 病や毒という『自然の脅威』として、充分に吸血鬼に対抗しうるのだ。


 ガロアンディアンの権威そのものがシナモリアキラを穿ち、内側から破壊していった。使い魔の大猿が灰になって消滅し、砂袋を取り落とした男は黒い粒子となって風に攫われていく。

 敵の名前もわからないままの決着。病の本質を明らかにさせないまま一方的に押し切ることができたため、宣名を聞かないまま倒してしまったのだ。


「なーんか、妙な感じなのよねぇ」


 勝利したというのにすっきりとしない。気を取り直すため、周囲に愛嬌でも振りまいてみようか。忠誠を誓う機械女王のため、もう一働き。勝者がアピールをして楽勝ムードを形作ることで全体への貢献に繋がると、蠍尾(マラコーダ)はよく理解できていた。今この戦場にはいい空気が生まれつつあるのだから。

 ――理解できていなかったのは、局地的な空気の淀みだけ。


 『きぐるみ妖精』のユニセックスファッションのモデルもこなす蠍尾(マラコーダ)の容姿は優れている。その言動、サイバーカラテユーザーとしての強さ、キャラクター性も含めて高い人気を誇っており、それは自身も把握していた。


 だからウィンクという古典的な魅了のまじないが誰にも通じないという事態は初めてで、遠巻きに気味悪そうな目を向けられるのも第五階層では初めてのことだった。いや、もっと以前にはそういうこともあった。トリシューラに出会う前、あの大森林の保守的なアヴロノ社会では、蠍尾(マラコーダ)は異端だったから。


「あいつってさ」「あれでしょ?」「その手のコミュニティって衛生的に――って聞くけど」「えーじゃあさっきの毒って」「さすがに無いでしょ」「だから呪術医といつも一緒なんじゃない?」「病気貰い放題じゃん」


 いつしか、囁きが世界を埋め尽くしていた。

 影がざわりと騒ぎだし、空気が淀んで嫌な臭いが立ちこめる。

 蠍尾(マラコーダ)は異変が起きていることを確信しながらも、動くことができなかった。『心話』でトリシューラに連絡することもできない。『サイバーカラテ道場』は汚染を防ぐ為に起動していないからちびシューラにも頼れない。

 孤独だった。

 見えない壁が、精神活動を含めたあらゆる動きを封じている。

 

「妊娠しないからゴムとか使わないんだって」「不特定多数と関係」「ああいう閉じたコミュニティって外から見えないからさー」「公衆浴場とかやばいでしょ」「なんか怖いよね」「差別するわけじゃないけどさ」


 空間は確かにどこまでも広がっているというのに、世界はこんなにも狭く苦しい。息も出来ない牢獄の隅、閉じた地下室の奧で、蠍尾(マラコーダ)は呼吸を忘れて凍り付く。敵を貫いた猛毒の尾。その先端に、じわりと黒いしみが広がっていくのがわかる。瘴気がとりまくその文字は、『参』という形をしていた。


「エリートの皆様方は我々の権利などどうでもいいらしい」「あの手合いが大きな顔をするせいで随分息苦しくなった」「よく同性愛者が結婚するのは当人の自由などと言う輩がいるが、そういう連中は同じ口で孤児や困窮者も本人の自由、と切り捨てる。リベラルとは無責任な冷淡さだよ。同じ土地に生きる者が異質な他者であって欲しくない、理解可能な隣人であって欲しいという願いの何が悪いのかね」


 世界中から声が響いてくる、いや違う、この言葉は毒、伝染していく呪いだ。

 尾が震える。自ら『創造』した悪魔の尾がこの声を具現化している。

 あるいは、それは可視化なのだろうか。

 耐えきれず、うずくまった。

 吐き気、眩暈、ぞっとする寒気。


 もう理解できている。

 これが敵の真の姿。真の力なのだと。

 だが分かったところで抵抗などできなかった。

 どうやって抗うべきなのか、身体が忘れてしまったようだ。

 宣名は音としてではなく、視線を感じるという非五感的な実感によって伝わってきた。その病は『虹閉彩プレジュディス』――蠍尾(マラコーダ)を取りまく世界の全てである。


「っ――認証コード『アニマ』。起動・四十二番『ハルシャニア』!」


 突如、ためらいが混じった声が響き、青い流水の膜が薄く蠍尾(マラコーダ)の周囲を覆い隠した。フィルター越しの世界。

 イツノによる結界構築。彼女は流水義肢で手刀を形成して汚染された尾を強引に切断し、落下した穢れを更に水の膜で覆った。


「ごめん、ドジ踏んじゃった。助かったわ、確かイツノちゃん、よね?」


 メンタルトレーニングのルーティーンを二度繰り返すことですぐさま落ち着きを取り戻した蠍尾(マラコーダ)はイツノに礼を述べる。ところが感謝の眼差しで見つめられたイツノは戸惑うように一歩退き、拳を握って持ち上げ、また迷うようにして下ろした。自分でも自分のやっていることがよくわかっていないのか、常に無い気弱さが表情に出てきている。


 蠍尾(マラコーダ)にはイツノが戸惑う理由がわからなかったが、今は別のことに話題を切り替えた良さそうだと判断。


「この汚染された尾、イツノちゃんはどうする?」


「それは――簡単に倒せるような、解決できるようなものじゃない、と思う。権力か法でまず抑え込まないと封じることすらできない」


「それだって反動がどれくらいになるか想像がつかない。カーインが他の標的を仕留めるのを待ちつつこの場で封じる?」


 今後の方針として妥当そうなのはそれしかなかった。

 イツノは義肢に呪力を集め、自然な所作でそれをのたうつ瘴気の塊に送り出していく。それはまるで舞か演武、淀みのない水のよう。

 ただ、どうも呪文があまり得意で無いのか、もごもごと言い訳のように蠍尾(マラコーダ)の方を見ながら自らの技芸を解説する。


「古来、治水のわざは権力だった。河川の王は田畑や穀倉地帯に水を引き、富を築いた。だから古い王たちには灌漑者の称号を持つ者も多い。そうした水の王たちは洪水や氾濫、荒ぶる自然の猛威に抗い、英雄として称えられた。河川を司る魔女たるわたしも、同じように英雄としての相を持つ――お前は、この境界を渡れない」

 

 呪文が完成し、ひとまずの封印が瘴気を閉じ込める。

 しばらくすれば破られるかもしれないが、こうして監視しつつ力を込めていればこれ以上被害が広がることもないだろう。


「こんなのが私たちの陛下にまで近付いたら最悪だしね。本当、全部イツノちゃんのお陰。ありがとう」


「え、う、その――トリシューラは、利害の一致が、だから」


 しどろもどろになるイツノからは普段の得体の知れない狂気と取っつきづらいところが消え、年相応の少女のようにも見えた。そんなイツノに、親しみを込めて蠍尾(マラコーダ)は笑いかけた。少なくともその笑顔の前に壁は無く、二人の間にそれ以上淀んだ囁きが入り込むことも無かった。




 致命的な陥穽に嵌まってしまったことトリシューラが気付いた時、戦場の趨勢はほぼ決していた。あとは魔竜をトリシューラが打倒し、カーインがアキラの紀命点を刺激し、コルセスカがリールエルバに勝利するだけ。それはあまりにも容易く、未来の自然な成り行きとして思い描くことができた。


「駄目、駄目だ、これは絶対に駄目、どうしよう、どうしたら」


「ちょっとトリシューラ? いきなりどうしたんです?」


 訝しげに問うミルーニャは、リーナと共に白いシナモリアキラを追い詰めたところだった。『闇の静謐マクロファージ』がシナモリアキラを半ば飲み込み、呪文を発動前に食らい尽くしている。

 『SNA333』は百人以上が同時にコルセスカのマジカルアピールで吹き飛ばされ、凍結した夢世界の片隅でがたがたと震えている有様だった。


「違う、違うの、そうじゃない。最初からだ。初手から失敗してた。魔竜を倒してリールエルバを倒しても意味が無いの!」


「はあ? それ、どういう意味です? 説明して下さい」


「念写映像は主観のバイアスがかかるの。私がそうならないから、すっかり失念していたけど――印象が映像の流れを編集して加工してるんだよ」


 ミルーニャの表情が凍り付いた。

 魔竜の背、そこに動画配信者がいて既にカーティスに取り込まれていることは知られていた。リールエルバが全世界に自らの力と恐怖を示すための宣伝呪術。

 しかし、それがブラフだとすれば。

 リーナが口をぽかんと開いて疑問を口にした。


「えっ何、どういうこと?」


「そうか、どちらでもいいんですね。宣言通りに恐怖による印象を振りまいても、逆に蹂躙されて惨めな姿を晒しても――『隔離されたもの』としての存在を世に示すことができる」


 ミルーニャもまた愕然としていた。

 かつてトリシューラとリールエルバは協力してシナモリアキラの戦いを演出し、印象を操作することで力に変えた。キロンとの激闘を制することができたのは、紛れもなくリールエルバの助力があったからこそだ。

 当然の理として、リールエルバはこのような戦いをよく理解している。

 あるいは、トリシューラよりもずっと深く。


「隔離された病人、被差別者、弱者への力による攻撃――トリシューラ、すぐに攻撃を中断させて下さい!」


「でも先輩、そうしたら今度は探索者の人たちがやられちゃうんじゃ」


 状況を理解したミルーニャとリーナの顔が青ざめる。

 進もうが戻ろうが窮地しか待っていない。

 勝利したトリシューラを待つのは迫害を行う権力者の称号か、あるいは。


「私たちがこのタイミングでセスカのPVを使うことも見越していて――マイノリティへの攻撃を正当化する政治的宣伝工作と印象づけたんだ。どんなにセスカのパフォーマンスが優れていても、私の政治利用というイメージは確実に視聴者の心象を悪くする。私が、セスカの足を引っ張ってしまう――」

 

 トリシューラの目の前に立ちはだかる致命的なエラー。リールエルバが仕掛けた罠とは、自分たちの属性を最大限に活用することだった。

 大義がどこにあるのか。

 王としてふさわしいのは果たしてどちらか。

 気付けば、魔竜に砕かれたはずの裁定者がゆっくりとその姿を現しつつあった。

 トリシューラの頭上。

 吊り下げられたダモクレスの剣が、彼女を見定めんと静かに揺れる。


「何で気付かなかったんだろう。カーティスと戦っちゃ駄目だったんだ。勝利した瞬間、私は隔離と迫害と虐殺の歴史を再演することになってしまう!」


 






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