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幻想再帰のアリュージョニスト  作者: 最近
第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ
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4-60 Calling




 どいつもこいつも、みんな敵だ。

 日だまりと暖かな午睡、丸くなって安らげる、あのぬくもりは私の器。

 私たちは近すぎて、あまりにも孤独から遠かった。

 だからきっと、触れることすらできやしない。


 誰も彼も、きっと敵だ。

 疲れ果ててそう願って、それでも誰かに縋りたくて。

 戦わないと、抗わないと、憎まないと、狂わないと。

 私たちは私でいることすらできなくなる。

 ずっと怯えて生きてきた。閉じ込められて追い詰められて、疲れ果てて死んだように眠って、それでも冬眠するように生きていた。

 だから、私は――。





「竜体の再演には成功したようだな、ミシャルヒ?」


 少年の声だった。闇に覆われていく第五階層の街並みをどこか他人事のように眺めつつ、高層建築の屋上で薄く笑う幼い姿。少年は傲然と街の終焉を見下ろしている。高みから、浮遊しながら。幼い姿の六王パーンである。

 未熟でありながらも覇気が漏れ出す言葉に、浮遊する幻影は静かに応じた。


「ああ、やはり今代のカーティスを取り戻せたのは大きい。そしてシナモリアキラの掌握も上首尾だ。本来なら紀人への呪的侵入など何度も成功するようなことではない。警戒されていればなおさらだ。が、魔竜レーレンタークの権能をもってすれば話は別。ここから『上』が盛り返すこともあるまい――我らの勝ちだ」


「ふん、当然だ。『上』から支援を受けていた人形どもは頭をカーティスに奪われ、ヴァージルは俺が潰した。そしてとどめがこれだ」


 パーンは侮蔑の視線で足下に視線を向けた。

 浮遊する小さな身体の真下、悶え苦しむ男がいる。

 少年は、右の義腕と同化した人形の人面疽――第二ラクルラールから青い糸を伸ばし、倒れ伏した男の頭に突き刺して呪術を行使していた。パーンの指が蠢く度に男が苦痛にのたうち、か細い悲鳴を上げる。


「無様なものだな――俺に歯向かったのだ、こうなるのも当然と言えるが。弱者が強者に見下ろされるのは必然。確か貴様自身も言っていたな。『人は二本の足のみで立つべきである』とかなんとか。つまり立てなくなった貴様は塵芥に劣る」


 男の絶叫が響き渡る。両足が『空圧』によって砕かれ、『旋風』の呪詛が肉と骨とをずたずたに引き裂いていく。せめて一矢報いようと手をパーンの義肢に伸ばそうとするが、青い糸に支配された男にそれは叶わない。

 元修道騎士ネドラドの、それが末路だった。


「おのれ、よりによってお前などに、お前などに」


「そうか。もうお前の人格に興味は無いから黙っていろ」


 怨嗟の声にも表情一つ動かさず、パーンは糸の本数を増やした。

 頭蓋に、脳に突き刺さる洗脳端子。

 呪糸を通してパーンは情報を吸い上げ、また送り込んでいく。

 少年は目を眇めた。


「かなり念の入った暗示と催眠――これは完全な人形だな。自我を残して浄界を発動可能に設定した、本人に自覚が無い意思ある道具。『女王』と『人形』で制御を奪い合っていたと思わされていただけで、はじめからこいつは松明の騎士が送り込んだ破壊工作用の人工聖遺物だろう。奴め、下らん嫌がらせを」


 ネドラドという男の存在ははじめから不自然だった。『上』が本格的に介入してくるわけでもないというのに、これほどの戦力が単騎で第五階層に投入されているという無駄。その挙げ句、『死人の森の女王』やラクルラールに利用され、使い潰されているという始末。これを『松明の騎士団』が誇る最精鋭『守護の九槍』と呼ぶのはお粗末過ぎる。


「つまり、それが嫌がらせだと?」


 ミシャルヒは理解に苦しむといったふうに首を傾げた。

 パーンは不快さを隠そうともせずに言葉を続けていく。


「『守護の九槍』ほどの大物が修道騎士として第五階層に足を踏み入れれば『上』からの介入を広く示すことになる。だが『足抜けした元修道騎士が』『間抜けにも誰かの操り人形となって』『不幸にも第五階層に入り込んでしまった』という体裁であればトリシューラ側も『下』側も教会を非難することができない」


「状況をかきまわし、あるいは監視するために『松明』が送り込んだ使い捨ての尖兵だと、そう言いたいのか」


「ああ。全く、いかにも奴がやりそうな浪費だ。この期に及んで『冬』の争奪戦に姿を見せず、使い魔を送ってくる態度も腹立たしい。はっきり言えば俺が六王の戦いから抜けた理由のひとつはそれだ。俺より高みで余裕ぶるなというのだ」


 ふんと鼻を鳴らすと、パーンは右腕に呪力を注ぎ込んだ。

 青い燐光がネドラドを覆い、無数の糸が繭となって男を包み込んでいく。


「いやだ、いやだ、パーンなどにはなりたくない、殺す、殺して、俺は、私は、この世界はおれだけの――」


「ハ――馬鹿め。貴様には自由意思など疾うに無い。そも、自由とは力に根ざす権利だと何故わからん。弱者に自由は無い。民は王に恭順した時のみ、王が与える自由を享受できるのだからな」


 ネドラドが完全に青い繭になると、少年はその真上にふわりと降り立った。相変わらずわずかに足裏は着いていないのだが、確かにそれは王者による傲慢なる踏みつけなのだった。


「適性は悪くない。俺の新しい素体の材料程度にはなりそうだ」


「良いのか? その男、確か『杖』を破壊する邪視者だったはず。ジャッフハリムでも知られた修道騎士の主要な戦力だ。お前の『杖』を破壊されるのではないか」


「問題は無い。こいつの権力には欺瞞がある。この男は『良い器具』と『悪い器具』の聖別を行う秘蹟を持っている。人である以上、『もの』から逃れることなどできはしない。『大神院』の恣意的な判断基準で都合の良い使い分けをしなければ日常生活もままならんだろうよ。


 つまりそれが『祝別(コンセクレイション)』の権能だ、とパーンは言った。

 『下方勢力』に属するミシャルヒもその程度の知識は有していた。

 線の細い男とも女ともつかぬ黒衣は、指を折って数えていく。


「『九槍』が司る秘蹟――確か、

 第一槍『叙階(オーダー)』、

 第二槍『黙示(プロフィット)』、

 第三槍『洗礼(バプティスム)』、

 第四槍『堅信(コンフィルメイション)』、

 第五槍『朗唱(レシテーション)』、

 第六槍『赦免(コンフェッション)』、

 第七槍『聖体(ホスティア)』、

 第八槍『祝別(コンセクレイション)』、

 第九槍『病者への塗油(アノイント)』――だったか」


「『奴』だけは『叙階』に加えて『婚姻(ヒエロガミー)』の秘蹟も担っているがな。意図が露骨過ぎて呆れる気も起きん――まあ何の事は無い。古いまじないを歪めて独占しているだけだ。本来あらゆる権力は我らの手にあったというのにな」


 不快だ、と吐き捨てて青い繭を蹴り飛ばすパーン。ネドラドだったものが屋上から転がり落ちそうになり、慌てて右手の呪糸で引き戻す。少年は間の抜けた姿を見て微笑ましそうな表情をしていたミシャルヒを睨み付けた。殺意の視線だったが、ゆらりと受け流される。幻姿霊は平然と話を続けた。


「アルセミットの大神院――旧義国圏の首魁たる『上』はかつてジャッフハリムに反旗を翻し、『扉』をはじめとする遺産を奪って一大勢力を築き上げた。我らには奴らから奪われたものを取り戻すという大義がある」


「ドラトリア、そしてカーティスの本体も、というわけか」


 パーンの問いかけに、ミシャルヒは頷いた。


「『扉』の独占、空間移動技術の管理、異界との独占交渉権――槍神教の権威の正体とはつまるところそれだ。第五階層が『シナモリアキラ』と『ドラトリア』、そして『死人の森』を掌握する意味は実際にもたらされる利益以上に大きい」


 この第五階層は場合によっては『上』の権威を揺るがす危険性すら持っているのだ。『守護の九槍』のキロンを崩したトリシューラたちが放置されているのは、『下』の動きを警戒して牽制し合っている状態だからに過ぎない。

 危うい均衡は第五階層の内乱で崩れかけている。

 じき、上下の勢力が本格的に介入し、本当の戦争が始まるだろう。

 パーンは厳かに言った。


「鍵は春告げの祝祭(ライブ)だ。人と物が流れ込む大儀式――間違い無く『扉』が必要になる。第五階層を巡る状況は次の段階に移行するだろう。俺たちが動くのはその瞬間だ。今は高みの見物でいい。カーティスの馬鹿騒ぎを肴にしてな」


 二人はそうして第五階層が夜に覆われていく様を見守り続けた。

 既にこの舞台での彼らの役割は終わっている。あとは舞台袖から事の成り行きを見届けるだけ。しばらく退屈そうにしていたパーンだったが、ふと思い出したようにミシャルヒに問いかけた。


「で? あのカーインには会いに行かずとも良いのか? 随分と遊びたがっていたように見えたがな。言っておくが俺に気兼ねする必要など無いぞ?」


 ミシャルヒは透き通った表情をぴくりとも動かさず、目を閉じる。

 そして、あるかなきかの不満を声に滲ませてこう言った。


「任務の変更と修正が言い渡された」


「何だそれは」


「――追撃と抹殺の指示を撤回、監視任務に移行せよ、ですよ」


 不意に割って入った女の声に、パーンとミシャルヒが振り返る。

 高層建築の屋上がどろりと影に溶け、漆黒の水面に現れたのは黒紫の占い師。

 巨大な錫杖を手にしたその姿に、ミシャルヒが身構えた。


「貴女は――」


「あなたたち四十四士はレストロオセ様直属の戦士です。本来、客将として私たちの指揮下に組み入れられていないミシャルヒ様にわたくしが指図できるはずもありませんが、今は非常時。なにしろあなたたちの頂点は今機能を停止している。であれば、そちらの可愛らしいかたが仰ったように現時点での上位者に従うのが道理というものでしょう? というより、こういう事態に際して四十四士の指揮権は一時的にお姉様とわたくしが預かる取り決めがされているのですが」


「その元凶を! これから取り除こうというのだ! セレクティ派は我らの邪魔をするおつもりか?!」


 線の細い面立ちから想像も出来ないほど語調を強めて女に詰め寄るミシャルヒ。

 女占い師は細い指先をヴェールで隠された顎に当てて言った。


「いいえ? ただ、ことを起こすには順番というものがあるのです。春まで待てないねぼすけさんは凍死してしまうだけのこと」


「私に寝ていろと? いや、そもそも奴を庇うセレクティ派こそあの方を襲撃した黒幕ではないのか」


「滅多な事を言ってはいけません。それ以上は派閥間の亀裂を生む――ジャッフハリム(レストロオセ派)とわたくしたち竜神信教(セレクティ派)は協調しなくてはなりません。さもなくば――」


 夜の民――ラズリと名乗っている女は左手の人差し指を口の手前に持って行くと、囁くようにこう続けた。


「わたくしも主義を曲げて古代人の論理を持ち出すことになるでしょう。ええ、まさかあの不完全な魔竜ごと、わたくしの『エルアフィリスさん』で潰されたくはないですよね? わたくしもそれは死ぬより嫌です――あなたたちを眺めるのが、目下のわたくしの楽しみなので」


 それは、あまりにもあからさまな恫喝だった。

 女の左手、そして人差し指が平坦な影絵に変わっていく。

 厚みのない闇。その奥で、何かが鎖を軋らせていた。

 遠い、遠すぎる咆哮がかすかに現世に届く。

 第五階層で産声を上げた魔竜の存在に呼応するかのように、ラズリの影中で何かが啼いているのだ。


 パーンとミシャルヒは、その場で息を止めた。

 恐れたのではない。勝算を推し量り――無謀という結論を下したのだ。

 パーンは未だ幼いままの身体を見下ろして、ミシャルヒは傷の癒えきらぬ友と生まれたての魔竜の身を案じて。

 力を頼みとするものは、より大きい力の前には屈するほか無い。

 女の足下にある『何か』は、この場における最大級の力そのものだった。


 第五階層を闇に染める魔竜――見上げるような霊峰ほどの呪力と比較してなお、遜色が無いどころか凌駕するほどに。

 二人の様子を見てラズリは満足したのか、ふわりと微笑んだ。

 そして、彼方で吼え続ける魔竜の威容を見て、満足そうに言った。


「お誕生日おめでとうございます、レーレンタークさん。そしてようこそいらっしゃいました、第七の巫女。第二と第八が、あなたの目覚めを祝福しますわ」


 祝福は影を伝う。

 遠く、闇に染まった獣が歓喜の叫びを上げた。






「可能性を生み出すだけで良かった。最初からな」


 盗賊王ゼドは切断された右腕を鷲掴みにしてそう言った。

 この時点で、クレイはゼドの存在と腕が根本から切断された事をようやくはっきりと認識した。だからといってどうにかできるわけでもない。

 何故ならば。


「『殺戮』、『暗殺』、『死神の腕』――カットスロート」


 ゼドの有する呪力総量が、単純にクレイのそれを上回っていたからだ。

 力尽くでねじ伏せられたクレイは屈辱に顔を歪め、地面に叩きつけられた。

 強奪者はどこを見るでもなくぼんやりと視線を彷徨わせたまま言葉を続ける。


「女王は神話存在だ。『一説にはとある神の妻であったともされている』程度の記述ひとつで存在に楔を打ち込める。力ある呪術師ならばその伝承を足掛かりに女神の神権を簒奪し、自らが王に、あるいは神そのものに成り代わることすら可能だ」


 六王たちが女神を求めて争っているのはそれが理由だ。

 姦淫の疑惑を生み出し、かつ自らの力で女神を凌駕できるという揺るぎない確信を持つ者ならば――望みはある。その者が、冥府の玉座にのぼる可能性が。

 

「誘拐と強姦による婚姻は古代ではそう珍しいものではなかったそうだ」


「貴様――はじめから狙いは陛下か」


「いいや? お前だ、クレイ。最初からこれはお前の争奪戦だった――再生者の王子、冥府の未来よ。なら、略奪し妻に娶るべきはお前だ――そうだよ、お前が妻としてふさわしく育つのをどれほど待ち焦がれたことか。ああ、『予言』は正しかったとも。まさしくこの瞬間が俺の望んでいた最高の舞台だ」


 もう何度目かになる手刀の呪術がクレイに叩き込まれた。

 身を裂かれる苦痛に絶叫するクレイを見下ろして、ゼドは自嘲するように笑って見せた。自らの腕を、呪わしそうに眺める。


「この『死神の腕』は呪術基盤だ――『イアテムの呪いの剣』や『空圧』でお馴染みの、アレだ。たとえば発動した『呪剣』による破壊、その感触と実感は未来永劫イアテムや始祖クロウサーの手に返ってくる。それが呪術が世界に刻まれるということの意味だからな」


 いわば呪術それ自体が紀元槍に刻まれているのだ。そう言って、ゼドは額に皺を寄せる。血に濡れたその腕を、忌まわしそうに睨み付けた。


「わかるか。この呪いによる殺戮と暗殺、その全てがこの手によって実行されているという事実、その実感が。『死神の腕』はいまなお再演され続けているのだ――そら、また誰かが殺されたぞ」


 憎しみ、嘆き、そして疲れ果てた感情がゼドの表情を過ぎっていく。

 死、殺人、そうした負の想念を纏わせる腕の重み。それは呪いに等しい。


「そうだ、俺は死に取り憑かれている――足抜けできないこの業にな」


 盗賊王という欺瞞の殻、堅気としての仮面で覆い隠せなくなった暗い瞳がクレイを睨め付ける。奈落のような視線だった。


「『死人の森』――死神と共にあったあの頃から、その伝承は俺の心を惹き付けた。俺は命を奪う者だ。大切な魂を掠め取り、利益を得るものだ。ならその仕事には価値がなくちゃいけない。ああ、俺にはシナモリアキラへの理解がある。同調は無いが、共感と同情が確かにあった」


 ゼドという男には二つの顔がある。

 非正規探索者たちを導く英雄としての顔。

 そして、殺しを請け負う暗殺者としての顔が。


「だが暗殺者という在り方は命の価値を証明すると同時に貶めてもいる。俺は悩んだ。命は尊くなければならない。だが俺は本当に尊いものを尊いまま扱えているのだろうか――本性を誤魔化し、盗人としての自分に慰めを見出すこともあった。だが、どうしても俺は生と死より価値ある宝を見つけることはできなかった。盗賊としての俺までもがそれに魅せられてしまったわけだ」


「勝手なことを、ぐだぐだと――!」


 跳ねるように起き上がったクレイが残った腕を一閃させる。空間を裂いて伝播された斬撃の意味がゼドを捉えたと思った瞬間、その姿が消える。

 闇の中に声だけが響く。


「俺の結論はこうだ。冥府は俺がコントロールする」


「不遜な!」


「そう不遜だ。俺は王権を簒奪しようとしている」


 突如としてクレイの背後に出現したゼドがクレイの腕を掴み、ねじり上げて再び地面に叩きつける。今度は完全に関節を極められていた。動けない。


「生と死の供給量を定め、生の価値を高く設定すればいい。生をより少なく、死をより多く。残った命の中から選りすぐりの輝きを俺がいただこう。どんな原石も磨かねば意味が無い。圧倒的な淘汰圧の中で生き延びた最高の熱量。それを奪ったとき、俺はどんなに気持ち良くなれるんだろうな?」


 男の顔はふたつ。死神としての表情と、盗賊としての表情と。

 疲れ果てた陰気な男は、くたびれた歓喜を滲ませて語り続ける。


「そうだな、こんなのはどうだ。『氷河期のゾンビもの』――こういう終末は、さて既存の創造力の中にあったかどうか。俺がやってみるのも楽しそうじゃないか? 命を地の底に封じ込める冬こそが逆説的に命の価値を高めるわけだ。素晴らしき宝は奈落のダンジョンにある! 心躍るな、俺は怪物共を薙ぎ倒し、僅かな手勢を引き連れて世界最後の価値たる宝を存分に味わい尽くそう!」


 哄笑するゼドに、クレイは唾吐くように言った。


「お前は、狂っている」


「――ああ。知っている。そうでなければ、耐えられない」


 それは諦め。

 そして、どうしようもない疲労だった。





 カーティスは復活した。

 否、夜の王は最初から存在し続けていたのだ。

 六王でただひとり、カーティスだけが滅びていなかった。

 彼らは暗い奈落の底で、ずっと再演され続けていた。

 ドラトリアは王を演じる役者、聖なる巫女を穢れの中に閉じ込め続けた。

 そうすることで、王権という呪力を確保し続けていたのだ。


「下らない生贄(オメラス)――その欺瞞が、ネットアイドルとしてのリールエルバなんだけど、それはそれとして」


 トリシューラは大量のネズミに埋め尽くされつつあった白骨迷宮からいち早く脱出し、第五階層に出現した超巨大な怪物から必死になって距離をとっていた。

 イツノ、オルヴァを含む『SNA333』のアイドルたちはシナモリアキラがクラッキングされたことで影に飲み込まれて行方不明。ついでにアマランサスと配下のドールズたちも同じように連絡がつかない。ランク上位のアイドルたちが影に攫われてしまったように、忽然と闇の彼方へと連れ去られたのだ。


「『空組』とも連絡がつかない――さすがリールエルバ、通信妨害も抜かりないか。あの三人がそうそう危険に陥るとは思えないけど、魔竜の影に飲まれてたらわかんないし――イツノとオルヴァに期待するか」


 走りながら魔女は仲間たちの安否を確認し、最後にカーインの名を呟いて、渋面になった。「うわー適当なタイミングで登場して敵側アキラくんと嬉々として戦うんだろうなあ。わあい頼りになるー」と死んだ目で独りごちる。


 ドローンを引き連れ、確保していた逃走経路から『箒』にまたがって移動するトリシューラ。直前までいた場所を灰色が埋め尽くす。ネズミの大群と影の波だった。しばらく逃げ続け、『公社』が保有するビルディングの屋上に降り立つトリシューラ。結局、彼女たちは敗北したのだ。溢れ出す瘴気を留めておくことができず、被害を拡大させてしまった。

 これからパンデミックが発生する。

 あるいはこれはミームテロ。呪力による汚染、ウィルス兵器による破滅が第五階層を襲おうとしている――もはや運命は変えられない。

 大量のネズミが媒介する穢れとその根源たる魔竜、その騎乗者こそが今現在の第五階層の支配者となったのだ。


 機械女王は手を掲げ、待機していたドローンたちに一斉に指令を下す。

 それから彼女は彼方の巨獣を睨み付けた。

 アンドロイドの高精度な眼球は遠い巨大ネズミの背中に立つ姿をはっきりと捉えていた。頬を膨らませて怒りを表明するトリシューラ。


「あーもう腹立つ! 甦ったほうのカーティスを味方にできて安心と思ったら、そっちが敵に回るとか! いやそれはいいけど、アキラくん返せー!」


 魔竜の背で浮遊する緑髪の影は、球体関節の人形を両手で抱えている。あたかもか弱い姫君を大切に守るように、愛おしげに。リールエルバは人形をネズミの背に横たえると、コウモリの使い魔がどこかから持ってきた赤い果実を手にとった。


 柘榴だ。

 かどわかしの王は真っ赤な柘榴を手に持つと、滴る血のような果汁を人形の唇に垂らしていく。すると人の形は命の色に染まり、球体関節は滑らかな人間の関節に、温度のない白磁の肌は熱とやわらかさを持つ生身へと置き換えられていった。


「てゆーか『道場』の規約読んでないの!? ユーザーはアキラくんを利用する権利を持っているけど、所有権は私にあるんだからね! 勝手にクラッキングしてアキラくん独占なんて許されないよ!」


 憤慨の声を聞く者はいない。

 リールエルバはただじっとシナモリアキラだけを見つめている。

 彼以外、目に入っていないかのように。

 その態度が、トリシューラをいっそう憤慨させた。


 情勢は一気に塗り替えられた。

 ラクルラール勢力はあろうことか利用しようとしていたカーティスに――というよりはリールエルバに返り討ちにされ、逆にとりこまれてしまった。

 ドラトリアの姫君が隠し持っていた最後の権能――魔竜の巫女としての本質がそれを可能としたのだろう。次々と攫われていったアイドルたちもその歌と舞いの技量を見込まれてリールエルバの虜囚となったに違いあるまい。

 アマランサスたちも、途中までは自分たちこそが状況をコントロールしていたのだと思い込まされていたはずだ。実際には、とうにトップであるアルト・イヴニルがリールエルバの人形となっていたにもかかわらず。


「それは私も――アキラくんも同じか」


 魔竜の顕現、というのは完全にトリシューラの想定を上回る事態だった。

 実際には、シミュレート可能な状況のひとつではあったがあまりにも可能性が低かったために対処優先度がほぼ最下位のケースというのが正確だろう。

 現在のドラトリアに魔竜に関する呪術の詳細が伝わっているとは思えない。

 あるいは、『下』の介入があったか。

 思考を巡らせるトリシューラの目の前で、動きがあった。

 巨獣の背で、シナモリアキラが目覚めようとしている。


 彼は奪われた。正確を期するなら、シナモリアキラの参照先が全てあちら側で認証されるように改変を受けた、と言うべきか。

 強大な神話生物である魔竜レーレンタークの権能は多岐に渡るが、クラッキングの詳細はおおよそ予測できていた。


 トリシューラがアクセス可能な範囲の知識に照らし合わせた限り、現在シナモリアキラの『まことの名』はリールエルバによって掌握されている。

 こちらがどれだけ『サイバーカラテ道場』経由でシナモリアキラを参照しても、全てあちらが解釈したシナモリアキラに繋がってしまう。

 つまり、『サイバーカラテ道場』によるシナモリアキラの利用は問題無く可能なのだ。ただそれが『リールエルバのシナモリアキラ』になってしまうだけで。

 これはトリシューラ個人の敗北。

 略奪されたという屈辱に他ならない。


 彼方にて起き上がったシナモリアキラはリールエルバに跪き、恭順を示す。

 使い魔は徐にリールエルバの足に顔を寄せていき、その足の甲に口づけした。

 これに、トリシューラはかつてないほどの激怒を示した。


「アキラくんが足に口づけしていいのは私だけなのに! 踏んでいいのも、背中に乗っていいのも、駄犬呼ばわりしていいのも、わしわしとかごろごろとかセスカにも許してない私だけの特権を――あの病気持ち、絶対ゆるさない!」


 トリシューラが騒ぎ立てている一方その頃、巨大ネズミの背に設えられた鞍、大理石を削りだした暗色の玉座に座ったリールエルバは背後にシナモリアキラ、そして蝿のたかった豚の生首を従えて喉を震わせた。

 歌うように、呪力を込められた宣言が第五階層全域に響き渡る。


「聴け。私はいま、この世界を掌握した」


 私こそがこの階層の掌握者であるという宣言は、トリシューラにとっては認めがたいことに事実だった。

 アルト・イヴニルをはじめ主立った六王の競争相手が軒並み退場した今となってはリールエルバ――すなわち引き継がれ続けた『カーティス一世』こそが断章の大半を手にした階層掌握者だ。魔竜の圧倒的呪力も合わせれば立ち向かえる者など皆無に等しい。


 リールエルバは言う。

 平伏し、恭順を示し、ただ一つのことを認めよ。

 彼女を女王として称え、敬意と賞賛の眼差しを向け、その意思を尊重すること。

 そうすれば、新たなる『死人の森の女王』となったドラトリア王は夜の民も再生者もその他の種族も、等しく己の民として庇護すると。


 誰がその言葉を否定できようか。

 圧倒的な呪力。圧倒的な巨体。圧倒的な物量。圧倒的な美貌。

 そのすべてがリールエルバを君臨者に相応しいと物語っている。

 否と叫べるものなど、もはやどこにもいない。

 真っ先に銃声を響かせるべきトリシューラでさえ、打つ手が見当たらず沈黙したままでいる。どころか、彼女は第五階層からの一時撤退すら視野に入れていた。


 打つ手は無い。希望は無い。

 真なる紀竜とは、抗うとか歯向かうとか立ち向かうとか、そういった人のちっぽけな思惑でどうにかできるようなものではない。

 そんなことができるのは、本物の英雄か本物の愚者だけだ。


「愚者、必要なんだけどね。私には――」


 寂しそうに、苦々しげに呟くトリシューラ。

 魔竜が再び咆哮した。巨大なコウモリの翼が広がり、荒れ狂う瘴気の風が第五階層を巡っていく。ネズミの体高は第五階層で最も高いビルディングに届くか届かないかといった所だが、夜空のような翼はこの階層の天井に届かんばかりだった。かりそめの天が闇に染まり、ダモクレスの剣がその幻影を露わにする。

 今まさにリールエルバは試されている。

 王たり得るのか、それとも僣主で終わるのか。

 しかし、不安を掻き消すように魔竜の尾が伸び上がった。


 魔竜の尾は凍えるような瞳を持った大蛇だった。

 それひとつが最上位の亜竜に匹敵する大蛇が鎌首をもたげ、鋭い牙を幻影の巨剣に突き立てる。尾の蛇は力任せにダモクレスの剣を割り砕き、新たな王の目の前に立ち塞がった暗雲を一瞬で払いのけてみせた。

 

 吸血鬼には『永遠なる蝙蝠』、三本足の民には『大いなるワタリガラス』、人狼種には『終焉の狼』と伝えられている魔竜には様々な顔が存在する。

 その全てが真実で、その全てが不完全な断片だ。

 アイドルたちの祭典の果て、魔竜は七つ首のネズミという姿で顕現した。

 それは多産と生命の象徴としてか、はたまた瘴気の運び手としてか。

 あるいは、誰も知らぬ文脈に由来する作為(ぐうぜん)ゆえか。


 それは日と月と星を喰らうもの。

 古き影たちが語り伝える超越種『(アタリア)』。

 豊穣を喰らう寒々しき呪い。

 その名は魔竜レーレンターク。

 果てしない夜の中、誇らしげな宣名が響く。


「号は翠の傷だらけ、性は賛辞の雨霰、紀源は尊き孤独だけ」


 ――だから、私は。

 いまこの瞬間を戦う為に、ずっと力を蓄えて(とじこめられて)きたんだ。


 そのとき、枯れ果てた喉から絞り出すような声が聞こえた気がした。いいや確かに聞こえたのだ。宣名に乗せられた感情は瘴気を震わせて悲しみを届かせた。苦しみと渇望と、ついに果たされた野望の頂。

 それが今、この瞬間なのだと。

 トリシューラは憎いはずの敵の姿を見ながら、悲しみに目を伏せた。

 きっとそれは、リールエルバの望むものではなかったけれど。

 この瞬間は、確かに悲願が果たされた喜びだったのだ。 


「天を見上げるがいい。蝕がもたらす夜の帳、冬が知らせる平穏の終わり、それらが呼び起こす奈落の声を聞け。私たちはリールエルバ。隔離されし永劫、忌むべき聖者、お前たち全てが欲した必要悪の偶像である」


 宣名は為された。

 リールエルバという存在は確定し、砕け散った幻刃の雨を身に受けてなお小揺るぎもしない女王の威容にあらゆるものは頭を垂れる。

 立ち向かえる者は、もはやこの場所には残されていない。

 トリシューラが諦めようとしたその時だった。


「我が号は冬、その(さが)は擬人化、はじまりの紀は神話」


 高らかに響く声。涼やかな響きが世界の色を一変させる。

 それは失われたはずの声。

 遠い眠りについていたはずの大切なたからもの。

 その懐かしい宣名は、すべての絶望を凍らせて――。


「キュトスの姉妹が七十一番、氷血のコルセスカ」


 ――空に広がる闇のことごとくを、完全に粉砕した。


 そこに、『本物』がいた。

 馬鹿な英雄か、あるいは英雄の如き愚者か。

 いいや、そうではない。

 リールエルバに相対するように、自分の一部である巨大な氷のオルガンローデに乗ったあの魔女こそは、正真正銘どこまでも本気の――。


「このたび『きぐるみ妖精』からデビューさせていただくことになりました、新人アイドルです。皆さん、どうか応援よろしくお願いします」


 生真面目な口調でそう言い放ったコルセスカの目は、どこまでも真剣だった。

 




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